トウキョウライフ
食べ歩き三昧のホッカイドー観光を終えてトウキョウに帰ってきた。
数年ぶりに訪れたが、思っていたより変化はなかったと思う。
沿岸の大きな漁港がある街ではロシア人を見かけたが、札幌以外はほとんどいなかった。
サハリンやハバロフスクから来る人が多いのかもしれない。
まだまだモスクワとかの内陸の人からしたら遠い外国なのかもしれない。
そういえば途中の苫小牧でコンビニに寄った際「サミット袋は?」と訊かれたたが、???となった。どうもレジ袋のことのようだが、ホッカイドーはおにぎりを温めたりゴミステーションとか「ささる」が「刺さる」ではないとか、地名以外でよくわからない方言が多いと改めて思った。
大竹は札幌に住んでいたことがあったので一般的な観光客とは異なる独特のスケジュールで周っていた。
ほとんどの人はガイドブックやネットでチェックするのだろうが、大竹は口コミと勘で動く。
観光客目当ての店や施設はそれに特化していることが多い。
大竹はそれに違和感を感じるので、フラフラとあてもなく彷徨うように歩きまわる。
一人旅での癖のようなものだが、そのマイペースの犠牲になっている人もいることは知らなかった。
ピーターはトウキョウに戻ってきてからは囚人たちと同じような日本食をメインにした食事ばかり食べていた。
トウキョウではアメリカ軍の兵士が多いのでパンやパスタかシリアルが多く、ピーターも好んで食べていたが、ホッカイドーでお菓子ばかりな偏食で日本食が恋しくなっていた。
囚人たちにはいつも白米とおかずになる副菜が用意されている。
彼らはアレンジを加えておいしそうなオリジナル日本食をテーブル上でつくっていた。
ピーターはそれを見よう見まねでやってみた。
白飯にドレッシングを少量混ぜ込み酢飯のようにしてからスクランブルエッグや肉、魚、漬物を混ぜ込んで「ちらし寿司」にしたり。
白飯に韓国海苔を散らしテリヤキチキンステーキを載せただけの「鶏丼」。
トマト味のパスタに醤油を混ぜホースラディッシュ(やまわさび)を載せて「焼きそば」
などなどを開発しては食べていた。
それを見ていた兵士たちがピーターに勧められるがまま食べてみると、その美味しさが評判になって通常メニューのレパートリーに加えられた。
ちょうど日本人調理師が育っていたので、その彼に任せることになった。
調理補助員として働いていた若い囚人だが、ほとんどの作業を任されるようになっていたので、これを機会に日本食チーフとしてやってもらうことになった。
これで日本食に関するわがままが簡単に解決するようになり、ピーターをはじめ囚人たちの食生活が豊かになった。同時に兵士たちも日本人が普段食べている庶民の味を覚えることができたので、そのうち母国でも流行るかもしれない。
そうなると、アレンジのアレンジになった日本食が生まれてしまい「日本食協会」なるようなところがダメ出しをするかもしれないが、じゃあナポリタンスパゲティはどうなの?タラコスパは?ということになるから止めて欲しいとピーターは思っていた。
「カツカレーライス」はイギリスでの人気が凄いことになっているけど、インド料理のアレンジですから。
日本人は日本文化のアレンジをとても嫌っているが、外国のものをアレンジしてきて発展してきたのに不思議な国民だといつも思っている。
不可侵な聖域は日本人だけのものにしないと日本文化の価値が無くなると思っているのだろうか。
日本は地理学的に世界の端っこの島国。
世界中の文化の吹き溜まりといっていいところ。
それが連合国でどうなるのだろうか心配しているピーターであった。
トウキョウと日本の国境エリアは常時監視体制が敷かれて厳重に管理されている。
しかし、ある特定の地域では別の管理で維持されているところがあった。
そこは、東京でホームレスとなった人々が生活していた。
災害で東京に住めなくなって脱出したところで遠くに行けるわけでもなく、しだいに一カ所に集まるようになった。
アメリカ軍の管理体制が整った際の視察で確認していたが、むやみに追い出したとしても行き倒れになることは確実なので、最初は黙認していた。
彼らは埼玉方面に行っては稼いだり食料を調達し、生活の拠点をトウキョウの廃墟にしていた。
特に問題を起こすわけでもないのだが、国境警備に支障が出てきたので対策を考えることにした。
囚人と働かせることも考えたが、彼らは高齢者も多く労働には耐えられないということで却下。
最終的に自給自足ということで、農業担当の岩崎さんのところで手伝うこと落ち着いた。
だからといって強制的なものではなく気が向いた時に来てもらい、報酬は現物か労働に見合った現金を渡す。
国境警備として彼らに連絡手段として携帯を渡しておく。
見慣れない人間を見かけただけで通報してもらうが、これにも報酬がでる。
一応ルールは決めておいた。
侵入者を無断で居住させない(ホームレスであっても)
争いごとも通報する
体の不調も通報する
外の日本人と交流する場合は許可を取る
ルールであって法ではない。
お互いが尊重しあい助けあうことが前提の規約になっている。
いうなれば家庭内の決まり事のような感じだ。
彼らの居住地は荒川沿いに集中していた。たぶん水と魚を得るためだろう。
元々あった堤防の片側は残っているので、それを通勤路として活用する。
岩崎さんが耕作している土地は荒川の下流域を中心に広げているの都合がいい。
彼らの人数を数えてみたら三千人を超えていた。
元からのホームレスと災害で仕事を失ったが行き場のない人達だった。
ちょっとした村の人口規模だったのは想定外だったが、未だ機械が入れない耕作地の作業には十分な人手となった。
ホームレスとはいっても生まれた時からそうじゃない、元は何かしらの専門職に就いていた人たちだ。
落ち着いたら個人面談をして才能をトウキョウで生かせないか、いや日本の助けにならないか。
どちらにせよ必要な人達だ。
災害後のトウキョウは人間は去ったが、生鮮などの食料以外の衣料などは運び出せないのでそのままの状態で残されていた。
ただしそれらは財産なので所有者は鍵をかけて、戻ってきた場合に再び販売する予定だったと思う。
しかし連合国アメリカ軍管理になったことで、そのまま手つかずで残っていた。
住宅もそのままあったので、補修と清掃をして道路を通せば住める。
ただし水は出ないので、荒川などの水源をろ過殺菌しなければならない。
ガスはプロパンが残っているが、交換補充されるわけじゃないので基本的には木材を使ったコンロをどうにか屋内に設置して使うこことにした。
ガスは火力調節が必要なときにだけに使用した。
木材なので炭を作って保管しておいたり、キャンプなどで使う「ロケットストーブ」をテント内に置き、中華華鍋を使うような料理専用として設置した。
電気は皇居周辺や軍の施設関係には通電ラインが完備されているが、国境付近はそこまでいっていない。
国境地域はいずれ原子力発電所などの工場地帯にするので、その時の計画に沿って行う。
なので、囚人たちに支給している災害用手回しラジオ以外の電気製品は使えない。
洗濯、掃除も昔ながらのやりかたをしなければならない。
冬の暖房には薪ストーブになるが、燃やすものは別になんでもいい。
どうやっても住めない住宅を解体すれば、金属以外はほとんど燃やせる。
プラスチック製品を燃やしたら、やれ環境に悪いとか言われそうだが燃焼を助けるには効率的だ。
その代わりに残った灰を上手にふるいにかけて分別しなければならない。
灰は肥料として利用するからだ。
当然、彼らの糞尿や食品ゴミもたい肥として活用する。
皇居と軍の廃棄物も最初からそうしている。
岩崎さん達がやろうとしているのは完全無農薬、化学肥料を使わない有機農業。
そのためのサイクルをトウキョウに完成させる。
電気だけは原子力を使うが、これはエネルギーなしでは人類の文明は続かな宿命となっている。
先に地球が死ぬか人類が死ぬかのにすぎない。
原子力と業を生み出したからには未来永劫背負っていかなければならない。
酒の味を覚えてしまったのと同じと思えばいい。
飲まないに越したことはないが、味を覚えたり楽しさを知ってしまうと元には戻れない。
戻るには体を壊して飲めなくなるしかない。
それでも飲みたければ飲めばいい。
酒は個人の問題で原子力は人類全体なだけの違いだ。
幸いトウキョウの地下に放射性廃棄物保管倉庫と発電所事故に備えたシェルター兼用の避難通路を用意される。
様々な偶然が重なってトウキョウは生まれたが、永久に存在するとは限らない。
いずれ古代文明の遺跡として発見されるかもしれない。
それを発見するのは人類か他の種が進化した人々か、それとも宇宙人なのか。
そこで思いついた。
亡くなった人を埋葬する墓としても活用しようと。
オプションはできるだけ多くしよう。
ミイラタイプか、標本タイプか、飾りつけタイプか。
世界中に宣伝しトウキョウの外貨稼ぎとして、管理を肉体労働ができなくなった囚人たちにやってもらおう。
また忙しくなりそうなトウキョウライフだった。




