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大竹の帰省

 丸山家との時間を過ごした大竹は翌日の朝早く実家の八戸に向かった。

 今回は急いでいないので三陸海岸をゆっくり北上しようと思っている。

 国道四十五号線を塩釜、松島、石巻を通って岩手県に入る。

 気仙沼で昼食を取り、途中で宮古市の浄土ヶ浜と岩泉の龍泉洞に立ち寄り、北山崎などの岬をめぐるなど観光を満喫して八戸に着いたのは陽が落ちてからだった。

 一年近く振りの母親との再会だが、お互い一人の生活が長いのでこれと言った感動は無かった。

 どちらも元気で生きていることを確かめただけで満足をしている。

 母親の料理を味わうと、明日は朝早くから一日中を釣りに充てようと思っているので早めに寝た。

 

 翌日はまだ暗い午前三時に目覚めた。

 前日に車に積んでいた釣り道具を確認して海に向かう。

 最初のポイントは高校時代まで夜釣りで通っていたフェリー埠頭にした。

 ここは一晩中照明が明るく駐車場もありトイレも近いので便利な場所になっている。

 普通だとすぐに竿を出すのだろうが大竹は違っていた。

 まず蟹カゴにイカの内臓ゴロを入れて沈ませ三十分ほど待つ。

 その間はお湯を沸かしカップ麺をすする。

 そしてカニ篭を引き上げると中にはカニではなく「ヤドカリ」が入っている。

 それを潰して針にかけ餌にするのが大竹流の釣りになる。

 少し変わったやり方だが、エサ代が無く釣りが続けられないとき、誰かが蟹を採ろうということになり沈めたのが始まりだった。

 採れる蟹は「クリ毛蟹」といって毛蟹の亜種だが味は美味しい。だけどめったにかからずヤドカリばかりだったが、試しに餌として付けてみたら魚の食いがとても良かった。

 アタリの反応も良く、エサも取られにくいということもわかり友人たちの間だけで流行った。

 時間ばかりがあって金のない子供の遊びだった。

 今は金はあるが現地で調達できるヤドカリはやめられない。

 今日は一般的なイソメとエラコも用意したが、これは昼に違うポイントで使おうと思っている。

 ここでは穴子ハモを狙うが、他にカレイでもアブラメでもカジカでも釣れる。

 高校時代は何も釣れなく時間がある時は、針金ハンガーを遠くに投げてゆっくり引くとホタテが釣れる遊びもやっていた。

 竿をフェンスに立てかけて待っていると、数時間おきにフェリーが入って来る。

 北海道からの便だが、停泊と出航を何度も見守るというのも楽しみの一つになっている。

 遠くから船影が見えて次第に大きくなっていく。

 接岸するときの独特な動きと音。

 作業員たちの動きの観察。

 船から出てくるトラックなどの車、乗り込んでいく家族の様子。

 すべてが非日常を感じさせてくれる。

 そういえば子供の頃は道路工事や新築工事の現場をずっと見ている変な子供だったことを思い出した。

 

 陽が昇り昼になったので次のポイントに移ることにした。

 結局フェリー埠頭では細い穴子ハモが一匹だけ釣れた。

 車で五分ほどの防波堤に向かう。 

 製紙工場の奥にある長さ数キロの長い防波堤。

 車で入ることができ外海に面しているので、波が強いと海水をかぶってしまう幅が三十メートルの堤防。

 外側はテトラポッドの隙間に針を落とし根魚、内側は遠投してカレイを狙う。

 高校時代に一度テトラポットの下に落ちたことがある。

 這い上がろうにも丸くなっているので掴めず、ようやく指がかかるのはフジツボがあるところだけ。

 生まれて初めて死を意識し怪我くらいは覚悟してフジツボに手を刺すように掴み腕をまわし、波の返しでようやく体が上がったときには上半身が血だらけになっていた。

 今日はそんな危険を冒さないようにテトラポットの上には乗らずおとなしく釣ることにする。

 

 外海に向かって遠投をする。

 エサはイソメを使い、狙うのは別になんでもいい。というか狙っても釣れない。

 カレイの仕掛けなのにタイが釣れたり、アブラメ狙いなのに大型のサバが釣れたりとなんでもあり。

 だから取り合えず何でもいいからエサを付けて投げるだけ。

 投げ竿を横の置き、短いルアー竿にワームを付けて足元の隙間に落とす。

 ここは狙っている。

 できればアブラメ、もしくは三十センチオーバーのカジカを釣りたい。

 今日は天気が良く風も弱くて過ごしやすいのでのんびり楽しもうと思った。


 防波堤で夕方まで粘ったが結局何も釣れなかった。

 この何も結果を残せなくても何故か充実した感があるから釣りは楽しい。

 趣味というのは金がかからず時間がつぶせるものというのが大竹の考えだ。

 金がかかるのは道楽というもので、決して他人からはいい目では見られない。

 本人は崇高な趣味と言い張る人が多いが、もし金が尽きたらそこで終わるのだろうか。

 たぶん借金してでも続けるか、使ってはいけない金にまで手を出すのだろう。

 パチンコが趣味と言っているようなものだ。

 英語が趣味だとして習いに行くのか、それとも外人と友達になって覚えるのかでは違うと思う。

 金を出せば得られるものを出さないで、その過程さえも趣味にするということになる。 

 釣りも道具にこだわりいいものを使いたがる人も多いが、大竹が使っているのはホームセンターでも手に入る安物ばかりだ。

 唯一の例外は七メートルの磯竿は必要なので揃えた。

 仕掛けも針に糸を結ぶところからやっているので格安ですんでいる。

 ただ大竹の釣りのレベルが低く道具も仕掛けもダメ目にすることが多いのが理由ではある。

 大竹が趣味として挑戦してきたものはいくつかあった。

 ゴルフも学生時代から打ちっぱなしに通っていたが、社会人になってコンペに何度か参加しても二百前後のスコアから成長しなかった。

 何度目かの引っ越しでさすがにゴルフセットが邪魔になり処分してからはやっていない。

 音楽を聴くのはいいが演奏はギターをはじめ何をやっても続かなかった。

 読書は一時期集中して読んでいた時期があったが、読みつくした感を覚えたり好きな作者が新作を出さなくなって最近は立ち読みさえしていない。

 よく考えれば現在の趣味はなんだと訊かれても答えられない。

 よく聞く「一万の法則」をやってみようと思うが、五十歳を過ぎてからどうなのかというのもある。

 一万時間の勉強か経験、一万回の練習となると下手をすると十年後になるだろう。

 ただ一万人との出会いはすでに達成してたおかげで変わらないはずの生まれつきの人間性が変わった。

 だからこれからもできるだけ多くの人間と接することをすれば趣味がなくても充実した人生を送れるのではないかと思っている。

 経験したことのないことを経験するということを生きる目標にしている人がいるという。

 食べたことのないものを食べる、行ったところのないところに行く、やったことのないことをやる、知らないことを知るということだ。

 そうなると一日二十四時間じゃ足りなくなる。

 でもなんで生きるのか?という問いに対する答えの一つとしていいのではないか。

 そうなると死ぬことは怖いというより「もったいない」ということになるのではないか。

 思い残すことなく生きていれば死ぬ瞬間に「お腹いっぱいで食べられない」と言って死ねる。

 そんな死に方が理想なのかもしれない。





 

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