大竹と李の出会い
一九九六年、札幌の私立大学に李志浜は入学した。
中国の北京で生まれ育ち、高校を卒業すると北京市軍に入隊した。
人民解放軍の北京軍区の陸軍衛兵団に所属。主な任務は中央公社の警備だった。
中学生の時に民主化運動が起きたことで、一人っ子の李は両親の強い希望で入隊した。
民でいるより安全安心な子の将来を望んだからだ。
五年後に同級生の範愛晶と結婚したが子供はつくらなかった。
夫婦で二年後を目途にして日本に住む計画をしていたからだ。
軍の生活には不満はなかったが、大学を出ていない李に出世の見込みは薄い。
かといって今更国内の大学を目指しても難しい。現役でさえ簡単には合格できないほど受験戦争が激しいからだ。
最初はアメリカや欧州の大学を考えたが、中国人が多すぎる環境や学費、生活費の問題で日本に決めた。
当時の日本は景気が下り坂と言われていたが中国に比べれば良く、しかも文化的にも進んだ国だった。
隣国なのですぐ行けるし帰ることも容易。アルバイトの給料も為替の関係で世界で一番良かった。
それに最近は日本の流行が中国に入ってきて興味深いことばかりだった。
二人の目標は日本語をマスターし中国で重用され収入を増やし豊かな生活をするため。
まず最初に李が大学に受からなければならない。
日本語能力を高め、高校の成績表を提出し特別枠の留学生として合格し、生活の基盤ができたら愛晶を呼び寄せて暮らす。愛晶も来日までには日本語をマスターしておく。
大学では商学部に入った。学費は貯金と親の支援でどうにかなったが、生活費は稼がなくてはならない。
住居は大学が用意した留学生が多い寮に住むので格安だが、物価が中国の数倍もある日本で貯金はすぐ底をつく。
入学早々、留学生の友人からの紹介でアルバイトを始めた。
焼き肉バイキングレストランの厨房で中華鍋を振るらしいが、李は料理人ではないのに採用された。
歴代のアルバイトは中国人留学生ばかりで、今も厨房内には他にホール男性一人と女性一人の学生が働いていた。
調理は鍋を振るだけで、包丁とかはほとんど使わない。仕込みは社員やパート女性が昼にやっておいて、夜の繁忙時間にはひたすら鍋を振る。
夕方四時から九時まで、食事休憩の三十分以外はひたすら動かす。
チャーハンを始め、天津飯、エビチリ、野菜炒めを何度も繰り返す。
バイキングスタイルの食べ放題焼肉店だったので、料理は大皿で出していた。
直径六十センチに載せる量を一つの大きな鍋でつくる重労働。だから長続きするアルバイトが少ない。もっと割のいい仕事を探しては辞めていく。
留学生バイトはそういうものという認識が日本にあるというのは後で知った。
だからというのか、留学生アルバイトの扱いが酷かった。
日本語の細かい意味が通じない、見た目は同じなのに価値観が違うことによる齟齬で日本人との衝突がよく起きていた。
李も最初の頃は教えてもらう立場だったから素直に聞いていたが、仕事を任されるようになり自分の意見を言うようになったとたん怒られることが多くなった。
日本人の料理人は店を渡り続けているようで自分のやり方を指示するが、職人相手なら理解できることでも、中国人の素人にも要求していた。
李は一生の仕事として鍋を振っているわけじゃない、単なるアルバイトにすぎないのにだ。
店側としてはプロを雇うと金がかかるからアルバイトでまわす、しかも日本人だとすぐ辞めていくし悪い噂がでるので留学生ばかり雇う。
いつも求人をしているので留学生には都合がいいが、働けば後悔する。辞めていった留学生も帰国してしまえば悪い情報は消えてしまう。
アルバイトの求人は大学に来るので何も知らない新入学生は疑いもせず応募する。
李も後悔はしたが、料理をつくること自体は楽しいしやりがいも感じていた。
自分がつくったのをお客が食べてくれるという喜びは味わったことが無い経験だった。
焼肉屋でのアルバイトが半年ほど経った頃、店の厨房に新しい人が入ってきた。
男性で年齢は李より年上、名前は「大竹勉」(おおたけつとむ)。
以前はデパートで接客業をやったり精肉店で働いたようだ。
料理の仕事は初めてのようだが、肉の扱いに慣れているようなので採用となった。
プロの料理人ではないから安く使えると判断されたんだろう。
大竹は料理長とアルバイトの中間のような立場になるようで、肉の仕込みと提供の責任者として働きだした。
肉専任とはいえ大竹も鍋でのメニューを覚え始めた。
昼の営業はアルバイトではなく料理長かサブの大竹がやっているからだ。
夜には李の仕事のサポートをしながら肉の処理をして、その合間に鍋を振って料理を覚える。
そのうち二人は親しくなった。
店が終わると大竹が車で李を送ったり、部屋で他の留学生と一緒に遊んだりした。
留学生達は日本語で会話をするので上達が早くなるし、アルバイト先では使わない言葉も知ることができた。
大竹はここでもたくさんの留学生から慕われていた。
留学生達の部屋で一緒に餃子を作ったり、中国家庭料理を食べるなどあちこちの部屋を行き来していた。
李はいつものように店で鍋を振っていた。
しかし今日の店はいつもと雰囲気が異なっていた。
日曜と団体客の予約が重なって店中がピリピリとしていた。
注文が立て込んでいるのにホールも厨房も人員は通常通りのシフトだった。
全員が慌ただしく動き回る。
料理長の機嫌が悪くなっていることをみんなが気づいていた。
全員がいつものことだと思って無視を決め込んでいた。
ひたすら自分の仕事に集中しているように振舞うということだ。
しかしそのうち料理長と李の連携が乱れてきた。
乱れたというより忙しさで指示通りに料理が出来上がらないだけなのだが、料理長は気に食わない。
本人が言うには「注文を待って下さるお客様を待たせては絶対いけない」ということ。
それならば、プロの料理人をもっと雇うべきでは?と思うところだが、経営者のいいなりの料理長は絶対に言わない。
そのしわ寄せは全てアルバイトやパートに被さって来るのだが、そんなことは自分の領分じゃないとばかりに指示している。
いや命令か恫喝にしか聞こえない汚い日本語で李を罵っている。
日本語がわかる李でも知らない暴言だが、言い方を見れば馬鹿にされていること感じた。
こんな状況は何も今回が初めてなわけじゃなく、毎週のように繰り返されている。
そんな料理長は従業員全てに信頼を得られず孤立していたが、唯一大竹だけが仲を取り持っていた。
今回も厳しく罵倒されている李との間に入り料理長をなだめている。
大竹が「僕がヘルプに入るので」と言って自分の作業を早めに切り上げて手伝ってくれてたりした。
ピークの忙しさは一時間ほどで終わる。
しかも毎週のようにあるのに料理長は何故あんなにも毎回イラついているのか李には理解できなかった。
それを大竹に相談してみたら、
「あの人も結構苦労してきたみたいだよ、専門学校を卒業してからホテルの洋食に入ったんだけど辞めることになって、それから給食センターや温泉地の食堂なんかを経験してこの店に来たようだね。
だからここでは認められてオーナーが別にやっている店に入りたいそうだよ」
そんなことを話してくれたが、李は納得いかなかなかった。
「それは料理長のだけの都合じゃないですか。なんで僕やオオタケサンが困らなければならないんですか。僕たちだけじゃなくみんながそう言っていますよ」
大竹は困った顔をしたが、
「あの人はもうそんな生き方しかできない人生を生きてきてしまったんだよ。いや元々そうだったのかもしれない。
理想の自分を捨てきれていないんだろうな。
たしか今年四十歳になるはずだからね、焦っているんだよ。娘さんがいるようだけど来年に高校を卒業するそうだし。
僕の個人的な考えだけど、あの人は料理人という狭い世界しか知らないからだと思うんだよね。
いろんな人間に出会ったり、外国人と話したりすれば相手にはいろいろな価値観があって自分以外全てが違うタイプの人間だってことを知ればああいう言い方にはならなかったろうな。
それにたぶん無趣味で読書の習慣が子供の頃からなかったようだね。勉強が苦手で料理の道に行ったようだから。でも現実の料理の世界は李さんが受けているより酷い世界みたいだよ。
だから自分のやり方はまだぬるいと思っているのかもしれない。
そんな世界を知らない素人の僕らからしたらたまったもんじゃないけどね」
つまり料理長は恨むような人ではなく同情すべき人だと言いたいようだ。
料理長という人間を理解することが人生勉強になるという。
これから同じタイプの人間が現れても恐れず慌てず対応できるという。
年長者のオオタケサンが言うことだからそうなんだろうと納得させた。
料理長の問題だけじゃなくいろんなことで李は大竹に相談をした。
李だけでなく寮の留学生全てが頼りにしていた。
中国人は日本で差別されていたので、信頼できる日本人が大竹しかいなかったのだ。
春になり日本に来て一年が経ったのを機会に妻の愛晶が李の元に来た。
愛晶も同じアルバイト先のホールで働くことになった。
近くに李がいないと一人では不安で別のアルバイトができないからだ。
愛晶は店の従業員だけじゃなくお客にも大人気になった。
女優のような見た目と頭の良さ、たどたどしい日本語と笑顔の接客が大好評になり、李に対して悪態をついていた従業員たちがおとなしくなった。
李は以前にもまして頑張るようになった。
しかし大竹が店の経営会社の専務とトラブルを起こして辞めてしまった。
原因は些細なことだった。
水道の蛇口が壊れたので交換したのだが、それまでシャワーヘッドだったのをストレート、開閉もレバーだったのを古いタイプの回すのにしてしまった。
会社としては安くしたかったからだが、現場で働いている人間としては信じられないことだった。
確かにやることは変わらない、でも効率や気分は落ちてしまう仕打ちになった。
全員が不満を覚え改善を要求したが、再工事になるから会社は聞き入れてくれなかった。
皆が大竹に会社と掛け合ってくれとお願いをした。
大竹は料理長が辞めたことで厨房長という立場になったばかりだった。
視察に来た専務でもある社長の奥さんに、大竹は些細なことですが大事なことなんでと改善を進言した。
しかし専務は一言「嫌なら辞めてください」と言っただけで話は終わった。
大竹は唖然とした表情になったが、その場では黙っていた。
翌日、店長に辞表が出された。
大竹は李に「料理長がいなくなって働きやすくなったろ、奥さんもいるし。これからしばらく李さんが店を任されることになるけどスマンね。
でも学生だから、あんまり無理しないで働きな」
そんなことを言って別れた。
李は喪失感に襲われた。
いくら料理長がいなくなったからといってオオタケサンがいるから頑張ってこれたのにと思った。
大竹は店を辞めてすぐ海外に行ってしまった。
李たちと知り合い料理を覚えたことで中国、台湾を長期で周ったようだ。
大竹が帰国して李の部屋にお土産を持ってきたのでわかった。
「すごいね、大陸も台湾も。ますます中国人が好きになったよ」と言ってくれたのは有難かったが、一緒に働けないことには変わらない。
「オオタケサンはこれからどうするんですか」
「そうだね、失業手当が切れるまではボチボチ仕事を探そうと思っているけど、ダメだったら一旦実家に帰ってから考えるかな。
それでもダメなら東京にでも行くかな」
「そうですか、僕は後二年で卒業しますから中国に帰ります。もう会えなくなるかもしれませんね」
「じゃあお互い実家の住所を交換するか。たまに手紙でも書くからさ」
二人はそうして住所を交換して別れた。
そして毎年手紙を出し、携帯電話が普及しだしたら番号を教え、数年後には東京で再開した。
東京では大竹の友人の外国人が集まっていることが多かった。
ロシアと台湾という、中国共産党員の立場としては警戒すべき人間たちだが、大竹が取り持ってお互いが信頼できる間柄となった。
この関係性は母国にも知られないようにした。あらぬ疑いを掛けられ粛清される恐れがあるからだ。
東京には共産党軍のスパイがあちこちにいる。
李も所属は軍だから知ってはいるが、自分が対象者になることは避けなければいけない。
それだけのリスクを負ってでも大竹達との交流は続けていた。
その後の李は共産党の重鎮となり、日本との外交関係の部署で出世していた。
五十歳を過ぎ子供たちは成人して、これからの人生を考えていたときに日本が災害に見舞われ崩壊した。
すぐ大竹に連絡した。たわいもない話から崩壊した日本を立て直すアイデアが出てきた。
大竹はSFのようなことだと一笑したが、李やロシア台湾、アメリカの力を合わせれば不可能ではないことだと確信した。
確かな根拠があったわけじゃないが、幸運にも周辺国に大竹ルートがある。
彼らとは昔から日本はこうあって欲しい、母国では実現しそうにもない夢の国がつくりたい話題は何度もあった。
すぐさま彼らに連絡を取って時間を惜しんで考え行動した。
李一人の力だけでは実現しないが、共産党内でも李は信頼されていた。将来の上級幹部候補だったからだ。
日本で大竹に教えられた「相手を理解する」ことが役に立った結果だ。
周辺国の彼らと計画の確認をしすぐに実行した。
それがあの同時多発侵攻だった。
誰も死なず傷つけずに占領することは大成功した。
落ち着いた頃にトウキョウから連絡をすると驚いていた。
李はずっと思っていたことがある。
大竹に恩返しするのはもちろんだが、ものすごく驚かせたいという願望もあった。
それが叶って李は満足していた。
そして再び大竹と仕事ができることにも。




