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新しい教育制度

4700文字です

 「義務教育は廃止しようと思う」


 いきなり総理である佐倉の発言に周囲は「は?」という表情をした。

 政策会議の最初に言い放った言葉に耳を疑った。


 「まあ、そういう顔するだろうと思いました。半分はドッキリで半分は本気です。

 僕個人の希望でこんな表現になりましたが、是非とも実現させたいので皆さんと協議して現実的な結論を出したいと思っています」


 佐倉はイタズラを成功させた子供のような笑顔をしながら話した。


 「本気で言っているんですか」

 「いやいや、憲法違反になるのでは」


 周囲から疑問の意見が出まくった。

 佐倉もそれは最初から想定している。

 佐倉は最初に配るはずの原案の書類を配り始めた。


 「政権が最初にやった学校教育改革の最終形と思っています」


 いじめ問題や不登校への対策はどうにか軌道に乗っているが、個性に合わせた才能の発掘までは至っていなかった。

 才能というのは何も実用的な学問や運動能力に限定しない。

 連合国支配になった日本は国威発揚とは無縁になったグローバルな生き方にはレアな才能こそ必要になってくる。

 これまでは一部の子供が周囲の環境に恵まれて趣味や遊びの延長で才能を伸ばしきたが、それこそ親ガチャの影響を受けてしまう。

 色んな才能がある。臭いに敏感とか、色覚の判別がセンサー並み、木登りが早く高所が平気、静かに座っていられないが気配を感じられるとか。

 一見すると何の役に立つのかわからない無駄な才能に見えるし、発達障害に分類されがちになるだろう。

 集団行動ができるか否か、教室で教師の指示通りに行動できるか否か、授業をそつなく受けれるかどうかが最初に判断される。

 それ等に合格しないと集団で効率よく簡易に教育ができないからだ。

 しかしスキップができない、走るのが遅い、絵や字が下手、音痴とかは判断材料にはならない。

 何故か?それは集団行動には邪魔にならないだけ。

 成績の優劣に関わるくらいでは排除されない。

 なんか残念な奴として扱われ自己肯定感を下げさせる。

 そうなると他に飛び抜けた才能があったとしても向上心は生まれにくい。

 自分の才能にさえ自信が無くなり、不得意なことを平均値まで上げようと努力する無駄な時間を過ごしてしまう。


 どこの国でもそうだが、教育の目的は強い国を創ることを目的をしている。

 強い軍隊をつくり、優秀な官僚で国を動かす。

 その選抜が教育で、漏れた人々が一般国民として働き税金を納めて生きていく。


 画一的で平均的なほど管理が容易なのでそういった人間ほどかわいがられる。

 飛び抜けた人間が管理者より優れているとめんどくさい存在にしかならない。

 だから本能的に排除してしまう。


 大人とは子供が老化しているだけだと誰かが言っていたが、才能は幼少期から発現している。

 幼稚園で足が速かったり絵が上手い子供がいたが、大人になってもそうだった。

 でも全員がその才能を生かして生きているかというとそうでもない。

 もちろん本人の興味の有り無しもあるだろし、世界が広がるにつれて優れた才能に負けたと思いやめてしまうこともある。

 それに一般的な学び方では理解できない人もいるはずだ。


 佐倉自身は小学校の時に親の勧めでダンススクールに通い事務所にスカウトされた。

 学校の体育の成績は普通で音楽も飛び抜けていたわけではなかった。

 数学と理科だけは得意で他は平均なみ。

 ただしダンスの振り付けはすぐ覚えられたし、周囲からも褒められていたので自分が他人より才能があるのではと感じていた。

 容姿も悪くないらしくデビューしてからは人気が上昇した。

 勉強も得意だったので、水商売の芸能界から離れてもいいように大学も無理して通った。


 「義務教育を法律で定めないというだけです。だから学校に通わなくても罰せられない。

 といっても教育を放棄させるわけではなく、もちろん学校もなくしません。

 学校で授業を受けなくても大丈夫、むしろその方が合っているのなら構わないというだけです。

 でも学力認定試験を設けますので、合格すれば義務教育課程を修了したとされますし、それが通常より早い年齢であっても合格させますし大学にも飛び級のように進学できます。

 だから誰かが学校の代わりに教えることをしないといけない。

 塾とかでもいいですが、保護者などが認定試験を受けて資格を得れば可能としたいです。

 教材も市販のものでもいいですし通信制もありでしょうが、自由研究のような課題を代替えとしてもいいでしょう。

 試験に不合格でも問題はありません。何歳でも何度も受けることができます。

 義務教育程度の学力があるかどうかの証明にすぎないのですから。

 学力以外の才能があり、それが生きていく術になりえるのなら学力の有無など些細なことです。

 でも学力は基礎知識でもあるので、他の人と常識や話が通じない恐れがあります。そこはそれでお互いを尊重するという道徳がある社会にしなければなりません。

 もちろん試験内容以外の知識や学力を得ていれば何も問題ありません。

 最近は実社会で役に立たないとされる古典とかを排除しているようです。

 実学ばかり評価するのは社会主義と同じと考えます。

 一見無駄とおもえるようなことが豊かな生活へ導いてくれるはずです。

 あらゆる才能と興味、個性が十分に発揮される社会ができれば、結果的に様々な差別も無くなるような期待がもてるのですが、どうでしょうか」


 聞いている全員が黙って考えているが、一人が質問を投げかけた。


 「あのいいでしょうか、特別支援学校などに通っている児童や、盲聾学校はどういった対応になるのでしょうか」


 佐倉は待ってましたかのようにすぐに答えた。


 「特別支援児童というのは多数派が占めている社会や組織に組み入れたくないという考えでできたものだと思っているんですよ。

 社会に役に立たない価値観であれば寝たきりの高齢者なども同じですよね。

 支援学校は施設というとらえ方になっていますが、社会から隔離されている現状です。

 高齢者施設も同じようなものですね。

 元気に行動できる高齢者でも自由に外出ができないよう管理されている。できるだけトラブルを避けたい事なかれ主義の犠牲といってもいいでしょう。

 学校と刑務所を合わせたようなものです。

 少し外れた話になるかもしれませんが、公立の学校で問題を起こした教諭は支援学校に移動させて自己都合退職に追い込むのが常識だそうで。

 だからそういった区別は撤廃し、通うのは一般の児童と同じにします。

 数十年前はそうでしたよね。学級だけは別にして。

 実は僕はよく顔を出していました。 

 幼馴染の友人の親が支援担当の先生だったので仲良くなっていましたから。

 ああ脱線しましたね、それは置いといて。

 認定試験は筆記ではなく面談として行い、現状の特性を把握して共有します。

 年齢を重ねれば思考や興味、人間関係も変化しているでしょうから。

 盲聾学校もできるだけ一般の児童と校舎を一緒にしたい。

 授業も同じ教室で受けます。手話通訳もしくは自動で文字を起こす翻訳機のようなものを使ったり。

 できるだけ一般の児童と同じ環境に居てもらいます。つまり特別な珍しい存在ではないようにしたい。

 手話や点字が身近になって覚えてくれる児童も出てくると期待したいですね。

 そして同じように無理して通う義務がないので、盲聾学校に通ってもいいし自宅で学習してもいい」


 周囲から納得しているような雰囲気がでてきた。

 すると大竹の通訳兼審議官なっているピーターが手を挙げた。


 「僕の立場からなんですが、難民とか短期移民の外国籍労働者の子供はどうなるのでしょうか。

 日本語を習得していない児童と親は教育より収入と生活が優先されますし」

 

 これまでの日本は難民の認定も厳しく、滞在許可を得たとしても生活の支援をすることはしなかった。すべて自己責任で放置されてきた。

 連合国支配になってからは国際的に国家という体裁はあるが実質は空中に浮いている特殊な国になっている。

 東京の市民が全国に散らばったが、だからといって肉体労働や工場労働への就業は満たされていない。

 特に季節労働はどうしても外国人に頼ることになる。

 彼らには正式な労働ビザを与え、何度も母国と往復できるようにして安定的な労働力として滞在してもらっている。

 健康保険や税金は滞在期間分だけを支払うことで日本人と同じ保障を享受できる。

 家族も同じだが、ビザは個人に対してなので配偶者や子供は別に申請してもらう。

 それぞれの都合で一年を通じて滞在も可能になるが、そうすると子供の教育は日本人と同じようにした方がいいのは当然のことだ。

 しかし短期滞在だと子供をわざわざ通わせるより、内緒で労働補助として手伝わせている。

 親としては異国で身近に居たほうが安心だろう。

 

 「それこそ学校に行けなくても学力試験を受けさえすれば日本の教育を修めた証になるので、将来の永住権や国籍の取得に有利に働くようになるのではないかと思います。

 もちろん偏見や差別が無いようにしなければなりませんが」


 日本語の認定試験を受けたらではの話だが、他言語でも学力の証明ができるようにする。

 彼らが母語以外の言葉を選ぶのに日本語とは限らない。英語でもなんでもいいわけだ。


 「他に何かここで話すべき質問疑問がありますでしょうか、無いのであれば各自持ち帰り精査検討をお願いします」


 会議の残りの時間は進捗状況の報告などで一時間ほどで修了した。

 政府の会議はできるだけ短時間で済ませるようにしている。

 些細なものは直接に内閣で決済をして、各省に渡る大きなことだけを事前に通達しておき、会議はまとめるだけとしている。

 アイデアや改善策を会議の時間内で発想するなんて無理な話。

 次回の会議までの宿題として考えてもらう。

 これで縦割りの行政が横に広がるようになったので、各省が存在感を発揮すべく優れた政策が出てくるようになった。


 今回のように総理から直接の提案は稀で、通常は立場に関わらずアイデアを立案した本人が出て来て話してもらう。

 発表するまで練りに練って隙が無いほどの提案書だが、ここでは忌憚のない意見が遠慮なく出てくる。

 そして最終的に国会で法制化する。

 少なくなった代議士だからこそできる新しい国家運営。

 国民の危機を自分の危機と思えるような人だけが代議士として選ばれるようになったことで迅速な対応ができている。


 佐倉総理提案の義務教育改革は素案通りに施行された。

 政権発足時から日本は春入学から通年に変わっていたので、通学、独学でも認定試験を受けることで落ち着いた。 

 年齢、性別、障害の有無、家庭環境に左右されず挑戦できる権利を子供たちは得ることになった。

 ただし権利は実行しなければ意味が無い。

 それは真剣に生き方を考えなければならないということだ。

 それから全ての大人たちは才能を見つけ評価する義務を負うことになり、出来ないことを否定するより出来ることを評価するのが立派でまともな大人という新たな価値観が浸透してきたのは想定以上の効果となった。

 

 余談だが教育改革が農産物にも影響され、規格外の商品が流通するようにもなった。





 


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