新米文官ユディの日常:②竜の赤ちゃん
騎士団の詰所は、ルールシュ城を取り囲む一の門の外側、魔導師団の詰所と城を挟んで逆側に位置している。
憂鬱な気分をどうにか押し込めてユディが詰所に出向くと、背の高い女騎士がやって来て出迎えてくれた。
「おはようございます。騎士団所属のアビゲイルと申します。どうぞアビーと呼んでください。なんでも護身術を習われたいとか……」
「ユーディス・ハイネです。わたしのこともどうぞユディとお呼びください。はい、ええと護身術……ですね。ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
アビーはユディより少し年上で、二十代前半くらいみたいだ。
くすんだ金の髪に緑の瞳をしていて、いかにも騎士団員らしく、その肌はよく日に焼けている。
女性らしさを残しつつも頑強そうな身体つきに、いつもは気にならない自分の体形がいかにも貧相に思えてきてしまう。
騎士団の制服は、動きやすいように女性も男性と同じ形で、下はズボンである。
颯爽とした制服姿のアビーに、ユディは慌てて謝罪の言葉を口にする。
「あの……申し訳ありません。動きやすい服ってあいにく持ち合わせていなくて……」
ユディはいつものブラウスにスカート姿である。
女性用のズボンというのはこちらの世界ではそれほど一般的でないため、ユディは一着も持っていなかった。
もちろん買ったり、仕立てたりすればよいのだが、訓練に参加するよう言われたのが昨晩のことでは間に合うわけがない。
「いえ、突然決まったことなんですよね? 団長っていつも急に言い出すから、驚かれたと思います。こっちは慣れっこなんで大丈夫ですよ。よければ制服もお貸ししますから」
「すみません、お願いします……」
準備のできていないまま来てしまったことは気まずいけれど、こうなったら腹をくくってお世話になるしかない。
騎士団の詰所は二階建てで、一階は共用、二階部分は男女で使用範囲が分かれていた。
王都配属の騎士団は大所帯だ。
建物もそれなりに広い。
「騎士団には、女の方が大勢いらっしゃるんですか?」
「いますよ。でも男性に比べればまだまだ少ないのが現状ですね。若いうちに入団しても、結婚したら団を去ってしまうのが通例ですし……。それでも事務方の仕事なんかは結構あるんで、結婚後も残る者もおりますが。今は一名だけ、妊娠中の者もいます。臨月ぎりぎりまで働きたいと言っているんですけど、彼女くらいですね」
「そうなんですね……。でも、女性用の部屋はわりと多いですね?」
二階はどうやら建物の真ん中を壁で仕切られているらしく、男女に割り当てられている範囲は同じくらいに思える。
けれど、女性の騎士が少ないからなのか、空き部屋もあってがらがらな印象を受ける。
「いずれもっと女騎士が増えるはずだからって、部屋は多いんです」
アビーは皮肉っぽく笑った。
「でも、騎士団は男社会ですからね……。事務の仕事も、実質すべて女性側でやってますし。本来ならそういった仕事は、男女関係なく怪我した団員なんかが持ち回りでやるんですが、いつの間にやら女騎士の仕事になってしまっていて……私は細々した作業が大の苦手なんで、正直参ってますけど……。そういう専門の事務員でも雇ってくれたら助かるんですけどね」
うーん。
男女の区別なしと謳っている騎士団でも、内部では色々なことがあるみたいだ。
さばさばした性格らしいアビーだから普通の様子で話しているけれど、やはり男女差別……と捉えているのかもしれない。
女性に対して差別的な発言を繰り返していた元婚約者のシュテファンのことが、ちらりと頭をよぎった。
あの態度は騎士団で培われたものではなかったけれど……だからといって騎士団で矯正されなかったことも事実だ。
廊下を進みながら各部屋を覗くと、事務室らしき部屋に、数人の女騎士とともにお腹の大きい女性が座って作業しているのが見えた。
体型のせいで騎士団の制服がきちんと入らないのか、上着の前部を開けている。
ユディは彼女たちに会釈すると、アビーを追って更衣室に急いだ。
※
「ユディさん! もうへばっちゃったんですか!? まだ始めたばかりですよ!」
「す、すいません……」
「わっ、腕、細っ! 筋肉が全然ないじゃないですか。今日から毎日腹筋百回、腕立て伏せ百回はやるようにしてください」
「む、無理ですっ……!!」
借りものの騎士団の制服は、どうやらアビー自身の予備だったようだ。
丈の合っていない、かなり大きめの制服の袖と裾とを折り曲げて何とか着込んだユディは、表の訓練場でしごかれて早速へとへとになっていた。
まずはどの程度の体力があるかを測定すると言われたのだが、いきなり「はい、腕立て五十回!」ときたものだから、その時点でぴしりと凍りついてしまった。
物心ついてから、本ばかり読んでいたユディである。
腕立て伏せなんてまともにできるわけがない。
「ユディさん、もしかして、腕立て伏せ全然できないんですか……!? せめて五回くらい、できませんか?」
「うう……」
呆れ返ったようなアビーの声に、恥ずかしさと情けなさに泣きそうになってくる。
周りの騎士団員たちは、腕をぷるぷるさせながら潰れないように必死になっているユディを苦笑混じりに見ていたが、そこに波のようにざわめきが広がった。
顔を上げたアビーが驚きの声を上げる。
「あ、団長……。え、あれって王弟殿下!?」
訓練場に現れたのは、騎士団長グイードと、仮面の王弟ハルトムートであった。
任務時以外で王弟が詰所に現れるのは、極めて珍しいことだ。
団員たちが整列する中、二人はユディとアビーの元へ真っ直ぐやってくる。
地べたに這いつくばってふらふらになっているユディを、ハルがひょいっと助け起こしてくれた。
「ユディ、大丈夫?」
「ハル、来てくれたの? だ、大丈夫……だけど……」
(め、目立ち過ぎよ)
王弟の突然の登場に、その場にいた騎士団員たちは一体何事かと一斉に注目している。
焦るユディだったが、ハルは意に介していないようで平然としている。
そこに巨体の騎士団長が、ぶかぶかの制服を着こんだユディをまじまじと見つめて笑いを噛み殺した。
「ユディ殿、いい恰好だな。何というか、服に負けてる感がすごいぞ」
昨晩エプロン姿だった団長に言われたくはないと思いつつも、制服が似合っていないのを認めないわけにはいかなかった。
「アビーさんにお借りして……」
「うちの女騎士たちは背の高い者が多いからな、止むを得ん。ユディ殿用に一着作らせておこう」
「えっ、い、いいです、そんなもったいない」
そんなに何度も訓練に訪れたくないユディは必死に断るが、アビーは承知したとばかりに頷いている。
「しかし団長。申し上げにくいのですが、ユディさんは護身術を学ぶ前に基礎体力を向上させる必要があるかと」
「確かにユディ殿は体力に自信がなさそうだからな。まあ、継続あるのみか……」
「ご迷惑をおかけします……」
そもそも体術や剣術の経験が皆無のユディには、剣代わりに木の棒を持つことすら早いのだ。
体術だって、組手なんてしようものならその時点で腰が引けてしまうだろう。
情けない顔のままのユディにハルが声をかける。
「ユディ、腕立て伏せできないの?」
「う……見てたの? 身体を支えられなくて、すぐ潰れちゃうのよ」
常人には考えられないほど目の良いハルである。
蛙みたいにぐしゃっと潰れていた姿を遠目からでも見られていたと思うとばつが悪かった。
「じゃあ膝を立ててやったら? 手は肩幅より広げて」
「こんな大注目の中腕立て伏せさせるのはお願いだから勘弁して……」
先ほどから目立ちまくっているのだ。
ハルは騎士団でも尊敬の念を集めているようで、魔導師団の詰所にいるときと負けず劣らずの注目っぷりである。
こんな雰囲気の中で腕をぷるぷる震わせて潰れたりしたら恥ずかしすぎる。
「まあ、訓練はまだ始まったばかりだからな、ゆっくりやってくれ。それよりアビー、ユディ殿に例のものを見せてあげたらどうだ?」
「いいですね。とは言え、それはれっきとした『サボり』に相当しそうですが……」
「固いこと言うな。さ、ユディ殿こちらへ」
「は、はあ……」
グイードの無茶振りには慣れっこというようなことを言っていたが、アビーは若干呆れ顔である。
とにかくついて行くと、そこは先ほど着替えをした詰所の建物の裏手だった。
小さな柵があり、その中にいたのは————。
「竜の赤ちゃん!?」
中型犬ほどの大きさの竜がそこにいた。
繋がれてはおらず、自由にしている。
どうやら居眠りをしていたようで気持ち良さそうにうずくまっていたが、人間たちがやって来ると嬉しそうに顔を上げた。
艶のある、夜光蝶のような青い鱗に、金色の瞳がきらめく。
「かっ、可愛い……! 鱗の色の美しさが桁違いだわ」
感動しきりのユディであるが、決して柵の近くまでは寄らないようにした。
ハルに忠実なローグは言葉が通じたけれど、この赤ちゃん竜はどうだかわからない。
大勢の人間に一斉に近づかれたら、嫌がるかもしれない。
「この子は大丈夫ですよ、ユディさん。実は母竜が育児放棄してしまって……。今は私が面倒を見ているんです。ね、フォスリー」
フォスリーと呼ばれた子竜は、ちょうど一歳になったばかりだそうだ。
アビーに対してクルクルと甘えた声を発し、さらには彼女の周りをパタパタと飛び回り始めた。
ひとしきりアビーにまとわりつくと、今度は地上に降りてハルの方に向かう。
ハルは落ち着いた様子で子竜を抱き上げると、そのままユディの方に連れてきてくれた。
「ユディ、撫でてごらん。アビーが世話をしてるからかな? 人間に慣れてるみたい。そういえば、アビーは竜に乗ることもできるから、きっと竜に好かれやすいんだな」
「アビーさんってすごいのね!」
「恐縮です、殿下」
アビーにはひたすら戯れついていたフォスリーだが、ハルの腕の中では驚くほど従順で大人しくなる。
その様子をアビーは熱心に見つめていたが、やがてはっとしてユディに向き直る。
(……? アビーさん……?)
「あ、すみません。さあどうぞ、ユディさん」
アビーに促され、恐る恐るハルとフォスリーが戯れているところに近づこうとしたその時だった。
フォスリーがハルの手から離れ、ユディの胸元に飛びついてきたのだ。
「きゃあ! わっ、何、どうしたの、わー可愛い!」
クルクルと喉を鳴らしながら、ユディの胸元にぴったりとくっつく。
急に懐かれて感激してしまったが、はたと思い当たる。
「あ、もしかしてこの服かしら。アビーさんの匂いが移ってるから喜んでるのね」
「おいこら。鉤爪があるんだからあんまりユディの腕の中で暴れるなよ。危ない」
子竜といえど、鉤爪は鋭い。
アビーが急いでユディの手から子竜を引きはがした。
「すみません、ユディさん。この子ったらまだまだ赤ちゃん気分が抜けないんですよね。女性が特に好きみたいで……。まあ、だから私が世話係っていうのもあるんですけど」
あ、まただ……。
どこか厭世的な響きがその声に込められている気がして、ユディは思わず言葉をかけずにはいられなかった。
「女性だから好かれるなんてこと、あるのかしら。アビーさん個人のことが気に入ってるのかもしれないですよ」
「ぼくもそう思う。ぼくは男だけど、大人の竜から子供の竜まで好かれるよ」
「まあ、王弟殿下は別格でしょうが……。だが、アビー。ユディ殿の言う通りだぞ。お前をフォスリーの世話係に任じたのは、決して性別を考慮してのことではない。お前が適任だと思うからだ」
グイードの言葉にアビーは俯く。
アビーの様子をちらりと伺いつつも、グイードは視線をユディに戻した。
「さてと、ユディ殿。この後少しいいか? 折り入って相談がある」
「何でしょう?」
「ここでは具合が悪い。団長室に来てくれるか。殿下もお願いします。アビー、お前も来い」
ユディたちは顔を見合わせたが、とにかくグイードについて行くことにした。




