12:書き換えの魔法
二人がやって来たのは王立図書館の地下階だった。
書き換えの魔法をやって見せるのに、さすがに往来ではまずいと、図書館内の目立たない場所にハルを連れて来たのである。
お手伝いとはいえ、一応ユディの身分は図書館の臨時職員ということになっている。
知り合いの職員に挨拶をしつつ、勝手知ったる図書館内を迷うことなく歩いていく。
上の階は開架図書、つまり一般に開放されている本が置いてあり、利用者が直接手に取って中を見ることができるのに対して、地下に所蔵されているのは閉架図書と呼ばれる非公開の本である。
開架図書のゆうに二十倍の量の書棚が、地下の広大なスペースに見渡す限り陳列しているのは圧巻である。
人々がすぐに利用しづらい閉架書庫だが、こうして古い資料や一般向けではない専門書などを保管しておく。
開架に置いておくとマナーのなっていない利用者が本のページを破って持ち去ってしまうケースなどもあるため、希少本も閉架に所蔵する。
ユディはまだ勤めて日が浅いので詳しくないのだが、紙ではなく羊皮紙や木簡でできている、歴史的な価値の特に高い本などは、図書館の深部に厳重に保管されているらしい。
また、こんな噂もある。
————図書館のどこかに、禁書が保管されている、秘密の部屋があるらしい————。
これが、ユディが図書館でどうしても働きたかった理由だった。
もしかしたら、神様に依頼された禁書を見つけられるかもしれない。
閉架書庫には意外にもたくさんの人がいた。
専門書を目当てにしている研究者や魔導師は、開架ではなく地下の閉架書庫に直行してくるのである。
地下といっても魔石のランプが随所で明るい光を放ち、作業しやすい環境になっているし、建築に工夫があるのかじめじめした湿気もない。
かなり古い建物のはずなのだが、自然の空調なのか魔法による工夫がなされているのか、からりと乾いた空気が本を傷めずに保存するのによさそうである。
前方の書棚で図書の返却作業をしている男性が見えた。
本が積み上げられた台車を押し、所定の場所にそれらを戻している。
目当ての人物を見つけて、ユディは歩みを早めた。
「レイ先輩、ちょっといいですか?」
二十代前半と見られる、ひょろりと背の高い男がこちらを振り向く。
錆色の髪は寝癖がはね、シャツには皺が寄っている。
いかにも身だしなみに構わない風体だ。
顔に合っていない大きな眼鏡の奥では、紺色の瞳が眠たげに鈍く光っている。
「なんだ、ユディ。また来たのか。今日は勤務日じゃないだろ? ——っと、こりゃすごい美人を連れていると思ったら、君は男か? 男連れで閉架書庫巡りとは一体どういうわけだ?」
寝ぐせ頭を近づけ、好奇心いっぱいの顔でハルを覗き込んでくる。
間に入って阻止するべきか迷ったが、少年は気にしたふうもない。
少年と男はしばしの間、お互いがお互いを興味深そうにじっと見つめ合った。
「あの、遊んでるわけじゃありません。ちょっと用事があって。作業室の鍵を貸してくれませんか? すぐに返しますから」
レイはやっとハルから目を離し、今度はユディに向き直る。
頭を動かす度に寝ぐせの髪の毛があちらこちらに飛びはねる。
「いいけど、何に使うんだ?」
ユディはあらかじめハルと一緒に考えておいた言い訳を口にした。
「この子はハルっていうんですけど、図書の修復に興味があるんですって。見せてあげたいんだけど構わないですか? ハル、こちらはレイ先輩。去年まで王立学院にいらっしゃった先輩で、今は図書館で働いているの。わたしを図書館のお手伝いに雇ってくれるよう口をきいてくれたのよ」
「へえ! よろしくハル君。図書の修復に興味があるなんて渋いね。見るのは全然構わないよ。君は王立学院の生徒? まだ少し先だけど、図書館で働きたかったらいつでも相談してくれよ。まあ給料は安いし意外に重労働だし返却作業はたいがい地下でやっているからすごく色白になるけどね!」
長くなりそうな気配にユディが慌てて礼を述べる。
「レ、レイ先輩、ありがとうございました。さ、行きましょう」
まだ話したりなそうなレイに急いで別れを告げ、二人がやって来たのは破損図書修復の作業部屋であった。
扉に手をかけるユディにハルが話しかける。
「あのレイって先輩、いつから王都にいる?」
ユディは目をしばたたかせた。
「王立学院で会ったのは去年だったかしら。その後すぐに図書館で就職を決めてしまって、学校は辞められたのよね」
「じゃあ学校にはほとんど通わないで、図書館で働き始めたわけだ」
「そうね。学院では魔導師養成コースにいらしたはずよ。どうして?」
「いや、別に。随分ときれいなドラグニア語だなと思っただけ」
「きれいな……って?」
「訛りが全然ないからさ、逆に珍しいなって思っただけだよ」
ユディは首を傾げた。
ハルの言わんとしていることがよくわからない。
続けて質問しようとしたが、もう目的地に着いてしまった。
「あ、ここよ。さ、どうぞ入って。ここは普段図書館職員しか使ってないから誰も来ないはずよ」
室内には本がうず高く積まれていた。
そのすべてがページが取れたり、破れたりしている破損本である。
これらはユディたち職員が時間のあるときに交代で少しずつ直している。
壁際に置かれた作業机に椅子を持ち寄り、隣り合わせに腰掛けた。
「じゃあ始めるわね。今日ハルにあげた飴なんだけど、これがまだ何も触っていないものよ」
ユディが取り出したのは先ほどのオレンジ色の箱入りのど飴である。
「これは市販品なんだよね。何箱も買ったの?」
「ええ。白状すると、これから見せる術って失敗のほうが多いの。ハルと違って、わたし魔法の才能があまりないみたい。でも今回はうまくいって自分でも驚きよ」
箱から飴を一粒取り出し意識を集中させた。
すると、オレンジ色の小さな飴玉の上に、赤い光を放つ丸形がぼんやりと浮かび上がる。
みるみるうちに手のひらほどの大きさになった丸の中には、小さな文字が所々に描かれている。
「今、微量の魔力を流したわ。これが飴にかけられている回復魔法の魔法陣よ」
「魔道具の魔法陣を呼び出せるの?」
「簡単にできるわよ。よく薬局でどんな回復魔法がかけられているか、魔法陣の構成が表示されてるじゃない。見たことないの?」
「ないなあ……」
「試しにやってみる?」
「やめとく。ぼく、魔力のコントロールが苦手なんだ。力が暴走したら、この部屋なんか壊れちゃうかも」
魔力がほとんどないユディと対照的に、ハルは魔力があり過ぎるのだ。
慌てて「やめときましょう」と手を振った。
こほんと咳ばらいをすると、仕切り直して飴玉に対峙する。
「わたしはこういう魔法陣のことを『読み取り専用』って呼んでるの。魔法陣のここに鍵がかかってるのわかる?」
「鍵?」
「この文字よ」
ユディが指で指した箇所に、小さく魔法文字が並んでいる。
それが意味するのは「この魔法陣を勝手に変更することはできない」という、魔法陣によく使われる文言である。
モノはまったく違うのだが、前世のウェブサイトなどでページの下の部分に書かれている「All Rights Reserved.」のようなものだ。
「無断複写・転載を禁じます」と日本語では決まり文句として訳されているが、直訳するとすべての著作権は留保されている、つまりこの魔法陣を描いた者以外は勝手に内容を変えたりしないように、という意味になる。
「All Rights Reserved.」の文言には法的拘束力はないらしいが、魔法陣にあるこの文字にはちゃんと効力があり、そのままでは中の文字に触れることはできない。
「これを今から解除するわね」
「そんなことできるの?」
「ええ」
ユディは胸の前で手を合わせた。
ふわりと穏やかな魔力が漂い、手の中に一本のペンが現れる。
長い羽根のついた美しいペンである。
ユディがこの世界で前世を自覚したきっかけになったのが、この羽根ペンである。
前世の最後の翻訳の仕事で、翻訳会社から送られてきた一冊の本。
あれに付いていた見るからに高級そうな羽根ペンは、ユディの前世である山西悠里が神様に懇願して「特別サービス」で持たせてもらったものである。
といっても、ユディは羽根ペンを手にして産まれてきたわけではない。
幼少期のある日、突然、手元に出現したのだ。
羽根ペンを手にした途端、前世の記憶が奔流のように流れ込んできたことを今でもありありと覚えている。
凄まじい情報量に、まだ小さかったユディは思い切り飲み込まれ、その後熱を出して寝込んでしまったのだった。
「召喚魔法……? ちょっと待って、おかしいよ。普通は何かを召喚するのってすごく高度で、それこそ大量の魔力を消費するはずだけど」
「そうなの? この羽根ペンを喚び出すのはほんのちょっとしか魔力を使わないわよ。あ、それが『特別サービス』ってことなのかしら……」
「え?」
「あ、ううん。なんでもない。使い方を見せるわね」
ユディが羽根ペンで魔法陣に書かれている「鍵」を引っ掻くと、その部分の文字がぼやけて消えた。
これで「鍵が外れた」状態になったのだ。
前世でパソコンで仕事をしていたユディが思うに、これはドキュメントが「読み取り専用」から「編集可能」になった状態に似ている。
ここからが本領発揮となる。
「ここの文字は魔法文字で『のど』って書いてあるのよね。こっちは『癒やす』。そしてこれは『咳』と『止める』。これらが回復魔法を発動させる文言でぐるっと囲まれている状態、でいいのよね? これを体内に入れることで人間の体に流れている微量の魔力と反応して、飴の魔法陣が緩やかに発動する……って理解してるけど……」
説明するうちに、頬がほんのり赤くなるのを感じた。
ユディは、初歩的な魔法陣ですらきちんと理解していない。
あれほど見事に風の魔法を操るハルに、市販ののど飴に施された単純な魔法文字を説明するのが気恥ずかしかったのだ。
「その通りだよ」
ちらりと見やると、ハルは真面目な顔で聞き入ってくれている。
恥ずかしがっている場合ではないのだ。
「一つひとつの魔法文字を、書き換えるの。今回やったのは、えっと……『癒やす』の文字はこんなふうに……」
羽根ペンを動かし、まず、「癒やす」を「その場で滞留する」に変えた。
さらに、「咳」にあたる部分には、こんなふうに書いた。
「我の体内より溢れし豊潤なる魔力より生成された咆哮」。
それを「のど」のほうにかかるよう、書き換えていく。
赤い円形の中で魔法陣の文字がまるで生き物のようにうねうねと動き、変化していく。
ハルはじっとそれを見つめていたが、「我の体内より溢れし豊潤なる魔力より生成された咆哮」という文言が現れると驚きに目を見開いた。
糸のような文字が小さな蛇の如くのたうち、やがて静まっていく。
「できた……かしら?」
ユディはおそるおそる、もう一度魔法陣を確認する。
「いいみたい……。『我の体内より溢れし豊潤なる魔力より生成された咆哮』が、のどのところで、『その場で滞留する』……って、なってるわよね?」
ふーっと安堵の息を吐くユディの横で、ハルは机に突っ伏さんばかりだった。
「信じられない……。こんなことってあるのか。賢龍セラフィアンだってこんな真似できなかったよ」
「ハルったら大げさよ。なんだかエミリヤみたい」
「エミリヤって?」
「従妹よ。実はエミリヤが今回の文言のヒントをくれたようなものなの」
のど飴の「書き換え」は実はかなり苦労したのだ。
あれこれと魔法文字で文言を作ってみたが、魔力がうまく回る気配はなく、諦める一歩手前だった。
その時、ふと思い出したのだ。
エミリヤが何気なく口にした、ドラグニアの初代国王、煌龍リューネシュヴァイクの咆哮が聞く者の耳を破ったという伝説。
それでほんの試しに「咳」の部分を「咆哮」にしたら、魔法陣に魔力がうまく回ったのである。
説明するうち、ハルの表情がだんだんと緊張したように強張っていく。
ゆらりと、星色の瞳がユディを真っ直ぐに見据えてくる。
今まで普通に話していたのが、今はどきりとするほどの強い光を放っている。
「あの……ハル? どうしたの?」
「ユディ、きみって何者?」
「どういう意味?」
「こんなのあり得ないからさ。本当に魔法を学んだことはないの?」
「全然。最近学院でやってるのは刺繍とか編み物とかよ。家政コースの花形ね」
再度机に突っ伏しそうになったハルである。
宮廷魔導師たちが昼夜研究してもどうにもならなかったハルの「龍の咆哮」が、魔法陣の描き方も知らない少女によって解決したと知ったら彼らは腰を抜かすことだろう。
ヴァルターを帰すべきではなかったかもしれない。
魔法陣に関しては、あの男の方がハルよりずっと豊潤な知識を持ち合わせている。
「魔法陣の描き方を知らないのに、よく魔法文字を書き換えようと思ったね。失敗して魔法陣が暴走したら危ないのに」
ユディもそれはそうだと思っていた。
だから、これまで、魔道具についてるちょっとした魔法文字しか書き換えたことがない。
「魔法文字だけはわかるのよね。それこそ翻訳みたいな感じで……」
「語学が得意だからなのかな? ユディは魔法の才能があるみたいだな」
のど飴に使われている魔法陣は初歩中の初歩のような単純な構造である。
簡単な回路上に、思いもつかないような文言を乗せて上手く回せるのには、ユディに天性の才能があるのだろう。
「しかし、これって何属性なんだろう? ぼくの咆哮と、いい勝負の謎魔法だな」
「属性……」
風、水、火、大地、雷、光、闇という七属性に含まれない魔法であることは、何となくわかっていたが、改めて考えると確かに謎魔法である。
それにしても、少年はいつから魔法を勉強しているのだろう。
年下なのに、随分と豊富な知識を持っているようだ。
その疑問を口にしようとした時、予期せぬノックの音に遮られた。
別にやましいことをしていたわけではないのだが、大きな音に反応してユディの肩は大きくびくりと震えた。
その拍子に召喚していた羽根ペンは消え失せ、さらに持っていた飴を取り落としてしまう。
「あっ!」
飴はころころと転がり、奥の棚の隙間にちょうど入っていってしまった。
ハルがすぐに手を入れようとするが、狭すぎてとても届かない。
「棚を動かそうか?」
「重すぎて無理よ。無理に動かしたら本が崩れちゃうし」
ぎっしりと本が入った棚は、少しの衝撃で倒れてきそうである。
そこに再度ノックの音が響く。
仕方なくドアを開けると、そこにはからかうような表情のレイの姿があった。すぐ後ろには大量の本が載った台車が見える。
「なんで鍵をかけているんだよ。やっぱりお前らいちゃいちゃしていたんじゃないのか? こりゃ館長に言いつけなきゃいかんな」
人が来たらまずいと思い念のために鍵をかけていたのだが、妙な方向に勘ぐられてしまう。
「からかうのはやめてください。それより、その本はどうしたんですか?」
「なんだか知らんが寄贈本が山ほど来たんだ。このままじゃ仕事が終わりそうもないんだわ。お二人さん、悪いんだがちょっと手を貸してくれないか?」
「私はいいですけど……」
困った顔をして少年を振り返る。
ハルは職員ではない。
ユディの心配をよそに、金髪の天使はにこりと微笑んだ。
「ぼくも手伝うよ」
後でどうにかして飴を回収しなくてはならないと思いつつ、ユディは仕方なくそのまま部屋を後にしたのだった。




