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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.4 < chapter.4 >

 昔々、遠い昔、まだ人々が原始の暮らしをしていたころ。アマビエは海沿いの集落に現れては『神』と名乗り、人々の祈りと供物を受け取っていた。

 自分は神ではなく、ただの物の怪である。食べ物を少し分けてほしい。

 正直にそう言うこともできたのに、アマビエはそうしなかった。神のふりをして、信仰心と供物をタダ食いしていたのである。

 このころの日本は『葦原の中つ国』と呼ばれ、まだ統一した言語も、共通の宗教も無かった。各地でそれぞれの民族の神が土地を治め、アマビエのような『神のふりをした物の怪』も好き放題に暴れまわっていた。

 荒神や蛮神、野良神と呼ばれる物の怪の中にも、人に愛着を持ち、やがて本当の『神』に昇華した者もいる。けれどもアマビエは、そうはならなかった。

 とれだけ祈られても何もしない。いざ飢饉や疫病、水害に見舞われれば、その集落を見限ってさっさといなくなる。そしてまた別の集落に寄生し、さんざん供物を納めさせてから、何もせずに消える。


 そんな無責任極まりない詐欺師暮らしは、葦原平定で一変した。


 現在の九州、四国、本州の関東平野のあたりまでが統一の宗教、大和神族の神話を信じるようになったことで、流れ者は介入の余地を失ってしまったのだ。

 もともと地元民に愛されていた『親切な物の怪』、『いざという時助けてくれるアヤカシ』は、ちゃんと大和神族の一員として迎え入れられた。けれどもアマビエをはじめとする多くの物の怪は、供物を貰うだけ貰って何もしないので、あっという間に『通報』されるようになった。

 俺とフツヌシも、氏子からの『通報』でなんでも駆除してきた。竜、蛇、熊、猪、鵺、鬼、人魚、狐、狸、狢、獺などなど、本当になんでもだ。

 アマビエは他の物の怪が神に討伐されるのを目撃し、人と関わらなくなった。




 それから二千年と少し後、アマビエは再び姿を現した。

 あちこちを放浪するうち、港町で商人たちの『商い』を見聞きし、あまり良くないやり口を学習してしまったのだ。

 嘘は言わない。さりとて、本当のことを語るわけでもない。

 受け取った商品に何らかの不都合が生じても、商人たちはどうとでも解釈できる曖昧な物言いで客の気を引いている。大勢の耳目ある場で結んだ商談だ。売り手と買い手が納得の上、カネと品物を交換ことは知られている。商人の言い分に明らかな『嘘』が無いのでは、文句をつけた客のほうが『筋の通らぬ迷惑人クレーマー』となってしまう。

 何ともうまい騙しの口上に、アマビエは深く感銘を受けた。そして熟考と推敲を重ね、ついにあの口上を完成させてしまう。

 アマビエは現在の熊本県の海岸に現れ、役人に向かってこう言った。


〈今年から六年は豊作が続く。

 でも、それから病が流行る。

 人々に私の絵を描いてみせるとよい。〉


 見せてどうなるとは言っていない。

 見せれば良いことが起こる、という意味にもとれるし、見せてくれるといいな、というアマビエの希望を述べているとも読み取れる。

 幸から不幸に転ずると聞かされたならば、その後に続く文言は『不幸を回避する方法』と思い込んでしまうのが人のさがだ。人間たちはまんまと騙され、大量の瓦版、さらには妖怪や怪異談をまとめた書物にアマビエの名と姿を記した。

 そうして寄せられた信仰心をせっせと蓄え、アマビエは神にも匹敵する力を得た。

 俺もフツヌシも、その他の神々も、寄せられた信仰心を民に還元し続けている。力は常に循環しているため、俺たち自身に蓄えられた力は少ない。アマビエはそのことに気付き、『今の自分なら、高天原を武力制圧できるのでは?』という、実に愚かな妄執に取りつかれてしまったようだ。

 この世界とは別の次元に存在する大和神族の居住区、『高天原たかまがはら』。そこに乗り込む方法は二つ。一つは一回使い捨ての亜空間ゲート開くこと。もう一つは出雲、伊勢、熱田、鹿島、香取に築かれた固定ゲートを使うこと。もちろん、アマビエに亜空間ゲートの開き方は分からない。ならば固定ゲートを使うしかないのだが、固定ゲートにはそれを守る神がいる。アマビエが神にも匹敵する力を得たのは確かだが、その力は武力闘争に特化したモノではない。狙いは慎重に定める必要があった。


 出雲大社いずものおおやしろには大国主命オオクニヌシノミコトと、彼を守る白兎軍団、白鰐軍団、白鼠軍団がいる。戦闘経験の無いアマビエが統率された軍隊に戦いを挑めば、返り討ちにされることは目に見えていた。


 伊勢神宮いせじんぐう天照大神アマテラスオオミカミのベースキャンプである。警笛ひとつで日本全国の神々が一斉に不審者対応に駆け付ける。ここを狙うのは不可能だ。


 熱田神宮あつたじんぐうには日本で最も有名なドラゴンスレイヤー、素戔嗚尊スサノオノミコトが本陣を構えている。スサノオは毒の霧を吐く八ツ首の蛇竜、ヤマタノオロチを前にして、剣一本で戦いを挑み、見事勝利した男である。クーラーボックスに収まってしまうような、ミニマムサイズの物の怪が喧嘩を売っていい相手ではない。


 鹿島神宮かしまじんぐうにいるのはこの俺、日本神話最強の軍神、武甕槌大神タケミカヅチノオオカミ。境内にいる鹿はただのペットだが、その気になれば本物の神使・白鹿軍団を召喚することも、古代から現代までの英霊を召喚することもできる。常識的に考えて、真っ先に選択肢から外される。


 そして残るは香取神宮かとりじんぐう経津主大神フツヌシノオオカミは『武術の神』という肩書を捨ててはいない。が、近年では『スポーツの神』にイメージチェンジを図っているし、何らかの競争・勝敗を伴う行為なら、eスポーツだろうと株取引だろうと、何でも応援してしまう。アイドル水泳大会もコスプレイヤー人気投票も、スマホゲームのガチャも2.5次元ミュージカルのチケット争奪戦も、氏子が「応援して!」と請えば、本当になんでも応援してくれる。

 おかげで常に多忙を極め、本人も神使も参拝者たちのアフターケアに出ずっぱり。人間にとっては非常にありがたい『世話好きで優しいカミサマ』なのだが、神と霊獣が留守がちになると、『香取神宮自体の防御力』は落ちる。


 アマビエはそれを狙った。


 蓄えた力を『呪詛』に変え、香取神宮、ひいては香取神宮の守護下にある千葉県の霊的防御力を限りなくゼロに近付けたのだ。アマビエの思惑通り、千葉県には二つの大型台風が直撃。数十年に一度の大災害に見舞われ、県民はひどく疲弊した。

 それがアマビエに仕組まれたこととは知らず、フツヌシはいつも通り、軽いフットワークで県内各地を飛び回った。人々を励まし、心を支え、前へと進む希望と活力を与えるべく奮闘していたのだ。

 その間、香取神宮は無防備極まりない状態にあった。そこにそっと忍び込み、アマビエは高天原へ至る固定ゲートを発見。さっそく高天原への進攻作戦を開始しようとした。

 が、フツヌシも馬鹿ではない。身に着けたITスキルをフル活用して、多重認証システムを組んでいた。デジタルセキュリティに関していえば、香取神宮のゲートが最も攻略難度が高い。アマビエはそうとは知らず、ゲートを前に立ち往生する破目になった。

 結局、アマビエはセキュリティを突破できなかった。だが、それでも得たものはあった。亜空間ゲートの、大まかな構造を見て覚えることに成功したのだ。

 それからアマビエは己の力で亜空間ゲートを構築するべく、試行錯誤を続け――。




 俺とフツヌシは、同時に溜息を吐いた。

「で? 座標設定を間違えて、自分の体内にゲートを出現させてしまった、と?」

 びくびくと痙攣を続けるアマビエは、心の声で必死に訴えてくる。

(お願いです! もう悪さはしません! 助けてください! 苦しいんです!)

「お前のせいで死傷者が出ているんだぞ? そんな薄っぺらな言葉で許されると思っているのか?」

(ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ! ほんとーに、ゴメンナサイ! 心を入れ替えます! いえ、入れ替えました! ワタシ、今日からとってもイイコチャン! だからお願い助けて苦しい!)

「フッ君、どう思う?」

「ここまで心のこもらない念話ははじめてだよ」

「だよなぁ?」

 だが、放置するわけにもいかない。俺たちはもう一度、アマビエの口を開かせた。


 事件が起こったのはその時だ。


「えっ!?」

「うわあっ!?」

 アマビエの口から大量の瘴気があふれ出し、車内が闇に呑まれた。そしてその直後、得体の知れない怪物が現れる。

「っ!?」

「タケぽん!?」

 怪物の先制攻撃を食らい、俺は車外に吹っ飛ばされる。が、ただでやられたワケではない。咄嗟に怪物の腕を掴み、車外に引きずり出すことに成功した。

 瘴気で意識を失ったドライバー・徳さんの体を乗っ取り、フツヌシがハンドルを握る。

「こっちの三人は任せて!」

 フツヌシはアクセルをいっぱいに踏み込み、この場から遠ざかる。

 その気配を感じつつ、俺は怪物と組み合ったまま、その目をじっとねめつけた。

 巨大な鹿の角、真っ黒な肌と髪。闇色に染まった眼球の中で、爛々と光る赤い瞳。上半身は人間で、下半身は鹿のようだ。上半身部分の体格は俺とほぼ同じだが、腰から下の形状のせいで、上背は一メートル近く差がある。

 この怪物が『闇堕ち』であることは間違いない。そして俺と同等の力を持つことも、掴まれた腕の感覚から読み取れた。

 だが、だとすると、『元になったモノ』はなんだ?

 軍神と互角の力で組み合えて、鹿の角を持ち、赤い目をした神的存在とは――?

「……まさか、貴様は『俺』か?」

「ウウウ……ゥゥ……アアアアアァァァーッ!」

「っ!」

 足元に出現した黒い魔法陣。

 この陣の文様は、どう見てもこの俺、タケミカヅチの固有術式である。

 こちらも咄嗟に同じ技を返したが、予備動作が遅れた分、術に込められた魔力量に差が出た。

「うぐ……っ!?」

 術の大部分を相殺したにもかかわらず、路面のアスファルトは広範囲にわたって弾け飛んだ。

 間髪入れずに叩き込まれる黒い稲妻。それらを必死に相殺しつつ、俺は考える。


 これは、どこかの並行世界の俺だ。

 何らかの事情で闇に堕ち、どことも繋がらない亜空間に封じられていたのだろう。

 その亜空間に、アマビエが見様見真似の杜撰な術で出口を作ってしまった。

 そんな怪物と最初にエンカウントしたのが『この世界のタケミカヅチ』とは、なんとも嫌な偶然である。


 俺は『神の声』で氏子たちに呼びかけた。

「すまんが、少々力を貸してくれ! タチの悪い闇堕ちに絡まれておる!」

 なんだかんだで、俺はかなり大勢に体を借りている。一度繋がりを持った人間たちには、俺の声が聞こえているはずなのだが――。

「く……駄目か! そりゃあ、こんな時間だものな!」

 今日は元日、時刻は午前三時三十分。酔っているか、寝ているか、クラブで踊り狂っているか、ラブホで真っ最中の連中しかいない。唯一まともな返事をくれたのは、先ほど別れたばかりの高浜修平だった。

(え、ちょ、鹿島様!? 何がどうしたんですか!? もしかしてピンチっすか!?)

「高浜修平よ! 力いっぱい俺を応援してくれ! 日本の神々は氏子の声援で強くなるプリキュア的なシステムなのだ! 今のままでは分が悪い!!」

(あっ、はい! が、がんばえー! がんばえぷいきゅあー!)

「ちっがぁ~う! システム的にプリキュア方式なだけで、我はプリキュアでは無あぁ~いっ! それにその幼女っぽい喋り方もいらーんっ!」

(あ、そ、そっか! すみません! が、がんばれ! がんばれ鹿島様ぁーっ!)

「うむ! いい感じだ! もっと!」

(フレッ、フレッ、カ・シ・マ! 頑張れ頑張れカ・シ・マ!)

「ィヨオオオォォォーシッ! キタアアアアアァァァァァーッ!」

 こんな説明で納得、即実行してくれるのだから、茨城県民は本当に素晴らしい。

 声援を受けてパワーアップした俺は、力任せに上体を引いた。互いに腕を掴んだままでのゼロ距離雷撃戦だ。声援で力を増した分だけ、こちらが有利となる。相手が前のめりになった瞬間、足の腱を狙って雷を落としてやった。

「ガ……ッ!」

 手の力が緩んだ。

 俺は体を捻って相手の手を外しつつ、横っ面目がけて上段蹴りをお見舞いする。そして素早く身を引き、距離を取った。論理的思考を失った闇堕ちと違い、こちらの頭はまともなのだ。ゼロ距離でひたすら魔法を撃ち合うなんて、そんな馬鹿げたデスマッチはしたくない。

 十分な間合いを置いて、俺は相手の様子を窺う。

 相手は左足の腱をやられている。完全に断ち切ることはできなかったと思うが、力強く踏み込むには不都合があるはずだ。だとすれば、ミドルレンジで繰り出す次の手と言えば――。

「ヴ……ア……アアアァァァーッ!」

 大量に出現・飛来する雷の矢。

 予想通りの攻撃である。

「《神嘆祈カンナゲキ》!」

 俺は自分の足と地面の磁極を操作し、同一磁極間で発生する斥力によって宙へと舞い上がる。

 雷の矢を回避するためではない。ついでに回避もできるが、これは次への予備動作だ。

「《神嘆祈・二式》!」

 斥力が起こせるのなら、逆もまた然り。前方の地面と自分とを逆の極性にし、引き合うようにした。そして着地の直前、もう一度《一式》のほうを使う。

 これは磁力の引き合う力、反発する力を利用した高速移動法である。走行中のリニアモーターカーさながらの状況を手動操作で発生させるのだから、当然、人間の脳では処理速度が追い付かない。

 そう、人間レベルの頭脳では《神嘆祈》を使いこなすことはできないのだ。つまり、言語すら忘れた獣同然の闇堕ちは――。

「ガッ!? グ……ガアアアァァァーッ!?」

 反応しきれるはずがない。こちらの攻撃が面白いように極まる。

 俺は神剣・韴霊剣フツノミタマノツルギを召喚し、高速移動を続けながら斬撃を開始する。

「はあああぁぁぁーっ!」

 韴霊剣は穢れ祓いに特化した光の剣である。一撃ごとに敵の力の源、心に巣食った『闇』を浄化していく。

「ア……ア、アァ……ア……?」

 闇に呑まれ、心が壊れていればそれまで。だが、まだわずかでも自我を保っているのなら、挽肉同然になろうとも『神』は死なない。

 全ての指を失い、顔の肉の一部が削げ落ち、袈裟懸けに斬られた腹から臓物が零れ落ちている。それでもその皮膚は、髪は、眼球は、徐々に本来の色へと戻りつつあった。

「ア……ガ? アァ……ァ?」

「しっかりしろ! それでも貴様は俺か!? 己の名を思い出せ! 貴様は何だ!?」

「ア……オォ……オ、オレ、ハ……」

「そうだ! 思い出せ! 貴様は何だ!? 貴様の氏子らは、貴様を何と呼んだ!」

「オレは……おれ……俺、は……?」

 敵は抵抗をやめた。が、まだ安全とは言い難い。念のため、俺は相手の両足を切断した。

 腿から下をバッサリ斬り落とされて、砂浜に転がる敵。けれども闇堕ち化の影響か、痛覚もその他の感覚も、何もかもがおかしくなっているらしい。自分が砂浜に横たわっていることを自覚していないのか、起き上がろうともせず、失った脚を前後に動かすような動作をしている。

「あ……れ? なんだ? なぜ、動けないんだ? 俺は……行かねばならんのに……」

 俺の存在が見えていないのか、どこを見ているとも知れぬうつろな目で、ブツブツと呟きはじめる。

「待っていろよ……俺が、必ず助けるから……俺が……俺が、お前を……」

 どうやら心が壊れているようだ。これではもう、『神』として再生することはかなわない。

「あー……あまり、気は進まないのだが……おい、貴様。ちょっと記憶を読ませてもらうぞ?」

 額に触れ、この『タケミカヅチ』が存在した世界の情報を読み取る。すると案の定、見たくはない光景が山のように見えてきた。

 世界の運命が分岐したのは二〇一九年十月十二日。台風十九号が本州を直撃・縦断したあの日だ。

 こちらの世界では、この台風による首都圏の被害は最小に抑えられた。防潮堤は決壊することなく高潮に耐え、水門は正しく機能した。外郭放水路は大量の雨水を一時的に蓄え、新宿副都心周辺や渋谷、池袋等の冠水・浸水を回避。武蔵小杉周辺域は多摩川の越水により水没してしまったが、それ以外のエリアは、降水量のわりに『想定よりも軽い被害』で済んだ。おかげで日本の首都機能は麻痺せず、地方都市への物的・人的・技術的支援を迅速に始めることが出来たのだ。

 だが、この『神』がいた世界は違う。

 アマビエの企みにより、千葉県の香取神宮のみならず、サイパン島分祀社を含む地球上のすべての香取神社が霊的能力を喪失。四百社余りの香取神社が同時にシステムダウンした影響で、周辺域の他の神社も連鎖的に機能低下。関東平野および東北エリアの呪力結界は完全消失した。これでは自然災害への防御どころか、氏子らの心を祓い清める、もっとも基本的な能力さえも使えない。

 フツヌシは戦に勝ち、動乱・騒乱・混乱を鎮め、世を平定する神である。ありとあらゆる争い、競い合い、勝負事に溢れた人の世の秩序が乱れぬよう、常にその力を使い続けている。その神がある日突然、全ての力を喪失したらどうなるか。

 それは考えたくもない、最低最悪のシナリオだった。




 周辺域から大量の雨水が流れ込んだことにより、荒川放水路・隅田川・多摩川・江戸川をはじめとする複数の主要河川で堤防が決壊。同時に海からは十メートルを超える高潮が押し寄せ、湾岸エリアの水門・防潮堤が大破、その機能を喪失した。都内全域で下水道の排水能力が限界を超え、ゼロメートル地帯のみならず、山の手エリアでもマンホールや排水口から汚水が噴き上がる。

 超巨大台風の猛威は雨だけではない。秒速七十メートルという竜巻級の強風が数時間にわたって断続的に吹き続け、二十三区全域で木造家屋、プレハブ住宅、簡易な構造の倉庫や工場が全壊した。中高層マンションもほぼすべての窓ガラスが粉砕され、吹き抜ける強風によって建物内の家具や建具、人間が外へと吸い出されていく。

 宙を舞う木片や屋根瓦は、まだ無事な建築物を次々と襲い、崩壊の連鎖を引き起こす。

 当然、送電線と電波塔は真っ先にやられた。闇夜を照らす物も、助けを求める手段もない。安全な場所に逃げたくとも、どこが安全なのか、この猛威がこの先どれだけ続くのか、何の情報も得ることが出来なくなった。

 工場や貯蔵施設から流出した燃油・ガス・化学物質は、暴風雨の中でもごうごうと火柱を上げて燃え続ける。逃げ惑う人間たちは、瓦礫と炎、濁った水に行く手を阻まれ死んでいく。


 せめて人間たちに、助け合うだけの心の余裕があれば。


 神々は必死に『穢れ』を祓おうとした。けれども、それは上手くいかなかった。なぜなら『勝負の神・フツヌシ』が、誰よりも先に無力化されていたからだ。『勝ち運』の運び手が落とされていては、こちらの勝機は無いに等しい。

 神々は負けた。

 恐怖と絶望に染まり、闇に堕ちていく人間を救うことが出来なかった。

 氏子たちの穢れを浄化しきれず、神々もまた、闇に呑まれていく。


 誰一人救えず、何一つ守れず、大和の神々は、己を呪って闇に堕ちていった。


 首都東京、陥落。関東平野、東北、信州甲信越、東海、近畿地方や北海道の一部地域でも、この台風による甚大な被害が出ていた。けれども、消防、警察、自衛隊の指揮中枢が置かれた東京は既に壊滅状態にある。被害の全容すら把握できないまま数週間が経過し、飲料水と食料の不足、衛生環境の悪化などにより、悪夢の一夜を生き延びた人間たちも次々と命を落としていった。まともな物資も衣服も無いまま季節は秋から冬へと移り、さらに大勢が寒波に凍えて死んでいく。

 海外からの支援はなかった。あっても、ほんの数回で引き揚げてしまう国がほとんどだった。なぜなら、この台風で破壊されたのは日本の国土だけではない。アマビエの呪詛でシステムダウンした香取神社の中には、サイパン島の彩帆神社も含まれる。呪詛の影響は、彩帆神社経由でアメリカ合衆国にも及んでいた。台風が直撃したその晩、米国の原子力空母が神奈川県沖で座礁。軽微な放射能漏れ事故を起こしていたのだ。

 燃え盛るコンビナートの映像と原子力空母座礁のニュースが世界を駆け巡り、被害は殊更大袈裟に伝えられていった。正しい被害状況が伝わらぬまま、日本は放射能に汚染された『死の土地』になったと信じられてしまったのである。




 最悪すぎる悪夢の締めくくりは、創造主アメノミナカノヌシから下された『闇堕ち討伐』の指令。

 あちらの世界の俺は、闇堕ちと化した大和の神々を手にかけ、『破壊による幕引き』を為し遂げる。そして最後にフツヌシを抱き、隔絶された亜空間、『幽世かくりよ』へと身を投じたのだ。

 相方は殺せない。殺したくない。どうしても救えないのなら、一緒に堕ちるしかない。

 そうして決死の覚悟で堕ちたその『幽世』に、あろうことか、こちらの世界のアマビエがゲートをブチ開けてしまったというわけだ。

 足元に転がる『壊れた神』に、同情する気持ちが無いとは言えない。こちらの世界が無事だったのは、ただの確率の問題だ。あちらは最低最悪なバッドエンドを引き当てて、こちらはほどほどに、立て直せなくはないレベルの災厄を引き当てた。あちらに比べ、ほんの少しだけ運が良かった。ただそれだけの違いである。

 不運に見舞われたこの神を、気の毒に思う。

 だが同時に、それがどうした、とも思う。

 こちらはこちら、あちらはあちらだ。せっかく『なんとかなっている』のに、並行世界側の厄介ごとを持ち込まれて、台無しにされてはかなわない。

 これ以上こちらの世界に影響を及ぼさぬよう、この神は、この場で始末すべきなのだが――。

「フッ君、聞こえるか? 相談したいことがある」

 やはり、自分で自分を殺すのは抵抗がある。相方の意見を聞かせてもらおうと、俺はフツヌシに呼びかけた。

 しかし、反応が無い。

「……? フッ君? どうした……?」

 そう呼びかけながらも、俺は薄々気づいていた。

 この『タケミカヅチ』は、『あちらの世界のフツヌシ』を抱きかかえて幽世に身を投じた。幽世の門が開いて『闇堕ちタケミカヅチ』が飛び出てくるなら、当然、もう一人のほうも存在しているはずであり――。

「フッ君答えろ! 何があった!?」

 俺の言葉が終わるかどうかというタイミングで、最も嫌な可能性が具現化した。


 噴き上がる闇の火柱。

 夜陰よりなお暗い漆黒の業火が、八幡岬をすっぽりと覆い尽くしていく。


 足元の神は、相変わらずブツブツと何かを呟き続けるばかり。穢れ祓いは済んでいるのだから、周囲の人間に影響を与える可能性は低い。この神はこのまま捨て置くことにした。

「チッ……正月早々、どうしてこうも……っ!」

 俺は八幡岬に向けて鏑矢を放つ。

 神事でお馴染みの邪気祓いアイテム、鏑矢。これは何の修業も積んでいないアルバイトの巫女や、町会の目立ちたがりオジサンが射ても穢れが祓えるスーパーチートアイテムだ。それを神本人が使えばどれだけの効果があるかは、まあ見てのお楽しみである。

 大弓から放たれた鏑矢は、ありとあらゆる祝詞を凝縮したような、笙の音にも似た甲高い和音を響かせて空を切る。この音には瘴気や穢れを祓う効果がある。的を射抜くことが出来ずとも、闇堕ちの近くでこの矢を飛ばすだけで力を削ぐことができるのだ。対闇堕ち戦では非常に役立つ道具である。

 だが、やはり矢であることには違いない。狙って命中させてこそ、『矢』という武器の本領を発揮する。

「篠突く天の言祝ぎの、八百に万の矢に果てよ! 攘災招福じょうさいしょうふく! 《千万鏑せんばんかぶら》!!」

 俺の言霊に反応し、鏑矢は分裂する。青白い光を放つ九千九百九十九本の光の矢。それらは全てが『鏑矢』としての性質を維持している。人の耳には届かぬ、浄化の和音の大合奏。いかに巨大な闇の火柱であろうと、この音と光に抗うことはできない。水を掛けられた焚火さながらに、火勢を落として煙を燻らせる。

 すると八幡岬の突端に、見慣れた相方の姿を見つけた。

 人知を超えた神速で切り結ぶフツヌシと闇堕ち。予想通り、闇堕ちはフツヌシを墨色に塗りつぶしたような姿をしている。

「フッ君聞こえるか!? そいつは別の世界のフッ君だ! 俺が戦った相手も、闇堕ちと化した『並行世界のタケミカヅチ』だった! こいつらはもう心が壊れている! 俺たちにこの神は救えない! 殺すつもりでやれ!!」

 先ほどまでは瘴気に阻まれて念話が通じなかったが、鏑矢で大方の穢れを祓ったおかげで、今はこちらの呼びかけが聞こえるようだ。

 超速バトルの真っ最中で返事を寄越す余裕はなさそうだが、フツヌシの動きが変わった。


 より速く、より深く、振るう刃の一線ごとに、強く明確な殺意を込めて。


 ニコニコ笑う柔和なスポーツの神はいない。ここに居るのは、本来の力を解き放った『武神・経津主大神』である。

「っと……そう言えば、さっきの三人組は……?」

 『神の眼』で辺りを探すと、釣り人の乗った車は大原漁港に止められていた。瘴気に当てられ、三人は気を失っている。では荷室のクーラーボックスは、と目をやると、パカリと蓋が開いていた。中身は空っぽだ。

「……アマビエはどこに……?」

 車内にも、周辺にも、アマビエの姿は見当たらない。『亜空間のヌシ』が抜け出したことで、体内に開いていた亜空間ゲートが閉じたのだろう。自由に動けるようになった途端に逃げ出すとは、心底性根の腐り切った物の怪である。

「フッ君すまない、そいつとは一人で戦ってくれ。アマビエが逃げた。俺はアマビエを追う」

 言いつつ、俺はもう一度鏑矢を放った。闇堕ちの強さは元の神格や身体能力に加え、その身に纏う穢れの総量で決まる。この場を立ち去る前に、少しでも相手の力を削いでおこうと思ったのだ。

 二度目の《千万鏑せんばんかぶら》を受け、八幡岬周辺に立ち込めていた瘴気は完全に消失。闇堕ちの体を漆黒に染め上げていた穢れも、その大部分が取り祓われた。

 肌や髪に、斑に墨色が残る神。片目は完全に元の色へと戻っている。けれども、やはり心は壊れていた。攻撃の手を止めることは無く、狂戦士バーサーカーの如く戦い続ける。

「……ん? いや、しまった。これは……」

 穢れがなくなった分、パワーは落ちた。が、余計な重さが無くなって、動作自体は軽く、素早くなっている。先ほどまではわずかにフツヌシの優勢だったのに、今はほぼ互角。二人の剣戟はこれまで以上の超・神速バトルに突入してしまった。

「すまないフッ君! 俺としたことが、余計なことを! 俺も一緒に……」

 と、韴霊剣フツノミタマノツルギを構えたときだ。

 フツヌシが明るい調子で念話を寄越した。

(ドンマイドンマイ! 前向きに行こうよ! アマビエのほうはヨロシクねーっ!)

「いや、だが……!」

(力と速度は互角でも、頭の中身は僕のほうがしっかりしてるんだからさ! 勝てないわけないじゃん?)

「本当に一人でいいんだな?」

(大丈夫! 当たり前田のクラッカーだよ! タケぽんは早くアマビエ追って! そっちが本来の任務じゃん?)

「ああ……そうだな。死ぬなよ、フツヌシ!」

(モッチロ~ン♪ 僕が死んだら、悲しすぎてタケぽんが後追い自殺しちゃうもんね~?)

「誰がするか馬鹿野郎!」

 俺はビシッと中指を立て、それからアマビエを追った。長年の付き合いだ。フツヌシの「大丈夫」が嘘か本当か、聞き分けられないワケがない。

 今日の「大丈夫」を意訳すると、「キツイに決まってんだろクソが! バーカ、アーホ、ドジまぬけ~♪ お~たん~こナスカボチャ~♪」である。

 まったくこれだからうちの相方は。さっさとアマビエをつかまえて加勢に戻ってやる。ちょっと待ってろ大馬鹿野郎。



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