そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.4 < chapter.3 >
一月一日、午前三時過ぎ。例年、一宮海岸には初日の出を見ようと、大勢の地元民や観光客がやってくる。しかし、まだ早い時間であるためか、人影はまばらである。三脚を設置したカメラマン六人、夜釣りの男三人、初詣の帰りになんとなく海を見ているカップル二組。それ以外に人影は無い。
俺とフツヌシは、アマビエが写ったあたりに視線を向ける。
「ふむ……海上にも、海中にも、怪しいものはなさそうだな?」
「ここら辺に定住しているわけじゃあない、ってことかな?」
「住所不定、無職か」
「そう言っちゃうと、世の中のアヤカシモノはだいたい浮浪者カテゴリーだよねぇ?」
「天狗と河童と一部の鬼は神格化されているが、まあ、それ以外はな?」
「前にネコマタちゃんたちから聞いた話なんだけどさ、自分のお社も憑代も無いノラガミ状態って、けっこう大変なんだって。ネコもネコマタも室内飼育を徹底してくれ~、って言ってたよ。だからもしかしてさ、『生活保障についてご説明にあがりました~!』とか呼びかけたら、普通に出てきてくれるんじゃない?」
「いやいや、役場の民生課ではあるまいし……」
「ダメ元で言ってみていい?」
「う~ん、まあ、ダメ元で?」
フツヌシはパンと柏手を打ち、自分と俺の装束を『市役所の職員風』に変化させた。まずは見た目から入るスタイルのようだ。『ISE-JINGUU』とプリントされたネックストラップとIDカード風の名札、『生活実態調査』と書かれた腕章が出現し、なぜか前髪が七三分けにされている。
「なぜ二人揃って黒縁セルロイド眼鏡なんだ? 今時の公務員はプラスチックのカラーフレームでは?」
「や、ほら、やっぱりさ、現状より固定観念を優先したほうが『それっぽく』なることってあるじゃない?」
そう言うフツヌシは、つい先日機種変更したばかりの最新タブレット端末を操作し、画面にそれらしい図を表示させている。
「これとこれを合わせて、こっちの文言をコピペしてからPDF保存……っと、ヨシ! できた! これなら絶対に信じてもらえるよ!」
用意した資料は、大和神族の公式ガイドブック、『日本の信仰~儀式・祭礼・祝日まるわかりBook~』から一部を抜粋したものである。そこにアイキャッチとなる3Dグラフやイラストを挿入し、多少のレイアウト調整を施したようだ。
「いい感じでしょ?」
「んー……うん。まあまあ……?」
ざっと見た限り、役所の資料というより、胡散臭いウォーターサーバー屋の宣伝チラシの雰囲気だ。入会費、年会費が無料でも、なんだかんだでよく分からないオプションサービスに加入させられそうなインチキオーラがプンプンしている。読みやすいことは間違いないのだが、無意味に色付けされたHG創英角ポップ体の見出しが、何とも言えない怪しい存在感を主張している。
氏子がeスポーツの大会に出場するようになってから、フツヌシのITスキルは無駄に向上した。今ではゲーミングチェアとゲーミングキーボードの守護神も兼任しているようだが、相方としては、そのうち後光が七色に光るのではないかと心配になってしまう。
そんな俺のビミョーな反応などまったく気に留めず、マイペースなフツヌシは波打ち際へと歩いて行く。
そして声を張り上げ、先ほどの思い付きを口にする。
「夜分遅く、恐れ入りま~す! アマビエさ~ん! いらっしゃいますか~? 伊勢神宮のほうから、神的存在の生活保障制度についてご説明にあがりました~っ!」
神の声は物理的制約を超え、はるか遠くの海底にも届く。アマビエがどこにいるかは知らないが、話をする気があるなら、何らかの反応を返してくれるだろう。
「アマビエさ~ん! ワタクシは千葉県担当、香取神宮祭神のフツヌシと申しま~す! まだ自分のお社をお持ちでない物の怪の皆さんに、生活実態をお尋ねしているところでして~! なにかお困りのことはございませんか~?」
俺たちはしばらくその場で待ってみた。それは返答する気があるならできるだけの、十分な時間である。だが、真っ暗な海はうんともすんとも言わない。夜釣りの老人が大物を釣り上げた「ヨッ!」という声と波の音以外、何も聞こえてはこなかった。
「ふむ……伊勢と関わる気は無い、ということかな?」
「だとすると、本当に祟り神化しちゃってるかもなぁ……って、あれ?」
「どうした?」
「今釣られたの、魚じゃなくない?」
「え? ……あ!」
釣った魚をキャッチしようとして、老人は腰を抜かしていた。なぜならそれは魚でなく、アマビエだったからだ。アウトドア用ヘッドランプの灯りに、ぬらぬらと光る半魚人の鱗が浮かび上がっている。
しかし、アマビエの様子がおかしい。
魚のようにびくびくと身体を震わせる動作は、ひきつけを起こしているような、非常に不自然な挙動である。
「あのー、アマビエさん?」
「どこか具合でも……?」
俺たちは警戒しつつ、じりじりと接近を試みる。
が、人間たちに神の都合は分からない。老人が大物を釣り上げたことに気付き、離れた場所にいた釣り仲間二人が駆け寄ってきた。今アマビエが暴れ出したら、この釣り人たちが巻き込まれてしまう。
アマビエの潜在能力は未知数。刺激してはいけない。
俺たちはそう考えたのだが――。
「源さん徳さん! どうしたらいいかねっ!? バケモンが釣れちまったよォ!」
「ひえっ! なんだこりゃあ!? 変な顔してんなぁ!?」
「いったい何の奇形魚だ!? ナベさん、噛まれたりしてねえよな!?」
「ああ、大丈夫。ビックリしてスッ転んじまっただけだい」
「源さん! クーラーボックス! 水族館に持って行こう!」
「おお! そうだな徳さん! 鴨川に持って行きゃあ、なんかの研究に使ってくれるかもしれねえな!」
釣り人たちはアマビエの体を引っ掴むと、三人が持っていた中で一番大きなクーラーボックスに放り込んでしまった。
そしてバタンと蓋を閉めると、海岸沿いに駐車した車のほうへ、ヨイショヨイショと運び始める。
「あぁ~……どうしようタケぽん。アマビエさん、鴨川シーワールドに納品されちゃう……」
「追いかけるしかあるまい。行くぞ!」
俺とフツヌシは釣り人たちのハイエースに忍び込み、荷室に積まれたクーラーボックス横にしゃがみ込む。
荷室いっぱいの大量の荷物に埋もれるような体勢で、俺たちはアマビエの様子を確認した。
「アマビエさん、大丈夫ですか? アマビエさん?」
「もしもーし!? ……駄目だな。ずっと痙攣している。これは、てんかんか何かの発作じゃないか?」
「てんかん持ちの物の怪って聞いたことないよ?」
「俺だって、こんな状態の物の怪を見るのははじめてだが……」
フツヌシの呼びかけの直後に海から釣り上げられたのだから、この発作を起こしながらも、どうにか俺たちに会おうと、必死に釣り針を掴んだに違いない。
ただ、会うには会えたが、このままでは話ができない。どうにかしなければ。
「とりあえず、癒しの光でも……」
「うん、そうだね?」
二人で手をかざし、ごく僅かずつ力を送る。
なにしろこちらは常陸国一ノ宮と下総国一ノ宮の大神タッグ。うっかり力を送りすぎれば、アマビエがショック死する恐れがある。
俺たちは走り始めたハイエースの荷室で、慎重すぎるほど慎重に、様子を窺いながら力を送り込んでみたのだが――。
「……効いていない……?」
「っていうより、これって……?」
手ごたえがおかしい。
送り込んだ力が、そのままどこかへ消えてしまうのだ。
「……体内に、何かあるのか……?」
恐る恐る嘴を掴み、口を開かせる。
中を覗き込み、俺とフツヌシは同時に悲鳴を上げた。
そこにあったのは、超小型の亜空間ゲートだった。
慌てて口を閉じさせ、不調の原因に納得する。
そして同時に、これが自然現象で無いことも理解した。
「『信仰心』を掠め取っていたのは、このためか……?」
「アマビエさん、何でもいいから反応できます? あなた、もしかして高天原に行こうとしてました?」
俺たちはアマビエの額に触れながら訊ねた。神には人や動物の心が読める。アヤカシモノ、物の怪の類は神の精神介入を拒絶しがちだが、よほど苦しいのか、アマビエは一切拒むことなく心を明け渡した。
俺とフツヌシは、アマビエが何を望んでこのようなことをしたのか、過去の情景を覗き見ることが出来た。