アイジョウヒョウゲン‐中編‐
夏森とのその“遊び”に、俺は予想以上にハマってしまった。
放課後に夏森を旧校舎き連れ込んでは夏森を代わるがわる犯した。
夏森はそんな事をされながら、一度たりとも学校を休んだりはしなかった。
健気な奴だよな、ほんと。
本当に、ただの気まぐれだった。
俺達が帰った後、夏森はどうしてるのか―――ふと、思った。
あんなボロボロの状態でどうやって帰って行くのか、ほんの少し気になった。
本当に、ただの気まぐれで、俺は吉井と本村と別れて旧校舎に戻った。
らしくない。
学校に着いたところで、俺は初めて自分がここまで走ってきた事に気がついた。自分でもわからないこの行動に、思わず舌打ちした。今日の俺はどうかしてる。
もやもやとした正体不明の不快な気持ちを振り切るように、俺は旧校舎の中に踏み込んだ。
何度も行き来した廊下を進み、あの教室の前に着いた。
中の様子をこっそり、窺った。
夏森は、さっき俺が最後に見たのと同じ場所にいた。俯せから、膝を抱えるようにして座った姿勢のまま、動かない。
「―――う、っく……っひ、……う……!」
密かに漏れる、嗚咽。
泣いて、いるのか。
どんなに痛めつけられても、涙ひとつ見せなかったあいつが。
なぜか、酷く胸が締めつけられた、気がした。
ぴくん、
と、夏森の肩が跳ねた。
「………?」
夏森の、泣き腫れた顔が俺に向けられる。
途端に怯えた顔つきになり、全身から警戒を滲ませる。
「……今日はもう、何もしねぇよ」
俺はつい、そんな事を口走ってしまった。
「…………。」
それでも、夏森は全身を縮こませたまま、俺をじっと見つめた。
ぎゅ、とカッターシャツの前を握りしめる。
この日も、例によって乱暴に服を脱がせた事を思い出した。
そして俺はどういうわけか、無言で夏森に近づき、
「これ。使え」
自分の学ランを脱いで、夏森に投げるようにして渡した。
「――――え?」
その瞬間、自分のわけのわからない行動を、思わず恥じた。
「だから、貸すっつてんだろ!んなカッコでうろつくんじゃねぇぞ、馬鹿!」
俺はそれだけ言うと、一目散に教室から出た。
急いで旧校舎を後にする。
「―――はぁ、はっ………くそっ!」
なんなんだ、畜生。
わけわかんねぇ!
結局、もやもやとしたわだかまりが消える事はなかった。
翌日。
俺は替えの制服を着て登校した。
夏森の制服のボタンは、しっかり留めてあった。
放課後、俺は夏森の制服のボタンをすべて引きちぎった。
そしてその日も俺は、夏森が一人っきりになった頃を見計らって、旧校舎の教室に戻って来た。
昨日みたいな失態は犯すまいと無言で学ランを投げ渡すと、夏森はそれを恐る恐る受け取った。
その直後、夏森はとんでもない事を言いやがった。
俺はまたしても全速力で教室を後にした。
「ありがとう」
なんて、
どうかしてる。
あいつも、俺も。
土曜日の昼下がり。
夏森が俺の家を訪ねて来た。
いつも散々虐め尽くされて、それなのにいじめの張本人にありがとうなんて昨日ほざいた奴が。
「これ、返しに来たんだ」
手渡された紙袋に入っていたのは、制服だった。
俺の学ラン?
「一昨日借りたやつと昨日の」
これを届けるためだけに、うちに来たのか……?
「それだけの理由でわざわざ来たのかよ?」
無言で頷く夏森。
「な…」
「ごめんなさい、突然押しかけて」
喋ったと思ったら言葉を遮られた。
「休日のうちにどうしても渡したくて」
ご丁寧にどうも、とは素直に言えなかった。
つーか、やっぱりわかんねぇ。
「それに、学校で渡すのは都合悪いし」
夏森が俺の顔を見上げるようにして、笑った。
「僕に優しくしたなんて、バレたら嫌でしょう?」
そりゃあもう、小さなガキみたいに満面の笑みで。
初めて見たこいつの笑顔に、正直俺は圧倒された。
この状況のどこに笑う要素があるんだ!?
……調子狂う。
そして俺は思考回路までやられちまったのか、思わず口が滑って変な事を言っちまったんだ。
「いつまでもつっ立ってねぇで、上がれよ」
「……お邪魔します」
夏森は俺の部屋に入るなり、玄関で言った言葉をもう一度繰り返した。
さっきの笑顔はどこへ行ったのか、緊張してるみたいだ。
そう言う俺も緊張気味で、内心なぜこいつを部屋に上げたのか、軽く後悔していた。
「……飲み物取ってくるから待っとけ」
駄目だ、この空気耐えられねぇ。
俺は早々に逃げ出した。
冷蔵庫に常備してあるコーラを引っつかんで、再び部屋に戻った。
ドアを開けると、部屋内をきょろきょろと物珍しそうに眺めていた夏森と目が合った。
「ん」
ずい、とコーラを夏森の眼前に突き出す。
「ありがとう」
それを受け取る夏森は、幾分リラックスしている様子だった。
ぷしゅっ、と小気味よく缶を開ける音を響かせ、夏森がコーラを飲む。
適当に腰を降ろした俺は、横目で夏森の様子を窺いながらコーラを飲んだ。
ごくり、と鳴る夏森の白い喉。
なぜか目を逸らしてしまった。
そんな事より、この無言の空気がいつまでも続くのは辛い。
「お前さ、怖くねぇの?」
夏森は何が?とでも言いたげだ。
「自分の事殴るような奴の家によく来たよな」
「今は大丈夫そうだから」
「あっそ……」
適当だなおい。
危機感てもんがねぇのかよ。
少し苛ついてきた。こいつの平和馬鹿なトコに。
気がついたら、俺は夏森を組み敷いていた。
「……こういう事になるとか思わなかったわけ?」
突然の事にびっくりしたのか、目を見開く夏森。
「お前さ、馬鹿だろ。のこのこ着いてきやがって。それとも、こうされるの期待してた?」
苛々する。
「言えよ、殴られに来たのか?それとも抱かれに来たのか?お前は―――」
「伊田君に、会いに来た」
夏森が、ゆっくりと起き上がる。
俺は、そんな夏森から離れようと身を引く。
「伊田君……」
「!っおい、夏森!」
夏森は俺のベルトに手をかけて素早く外した。
「――――っ!」
ガッ!
「うっ……!」
反射的に夏森を蹴り飛ばした。
「げほっ、げほっ……ぃ……」
夏森は腹を庇うように倒れていた。
俺は痛みに呻く夏森の上に跨がり、無理矢理仰向けにさせた。
「てめぇ……どういうつもりだ、あぁ?マジで犯られに来たのかよ」
夏森の酷く怯えた顔を睨みつける。
「僕は、ただ、伊田君と話が、したくて」
「話?」
「会ったら殴られる覚悟で……殴られるつもりで、来た。どんなに酷い事されても、それでもいい。それしか方法がないなら……」
夏森の目から涙が零れた。
「それなのに、まさか、家に上げてくれるなんて、思わなくて……」
嗚咽混じりに、それでも夏森は続けた。
「嬉しかった……でも僕、どうすればいいかわからなくて。伊田君との接し方、なんて、僕、こんなやり方しか思いつかない、から」
わからない。こいつが何を言いたいのか。
夏森が何を俺に伝えようとしているのか。
「僕のこと、嫌いになってもいい。今まで通り殴られてもいい、蹴られてもいい。どんなに酷くされても、それが僕と伊田君だから。僕は、伊田君のことが―――」
だから、だからだからだからだからァ!
意味わかんねぇーっつってんだよっ!!
無茶苦茶だ、何もかも。
黒い塊。実態のない。それなのに思考を蝕む。不快感。
何かが。何かが、腹の底で渦巻く。
それは畏れ。
知りたくない。知りたくない、駄目だ。
いや違う、本当はわかってるはずだ。
でも、理解する畏れが。
俺は――――
気がつくと、俺は夏森の首を絞めあげていた。
夏森の顔は涙でぐちゃぐちゃで、口の端が切れて血が滲んでいた。
慌てて手を離すと、夏森は激しく咳き込んだ。
―――震えた。心の底から。
他人に平気で暴力を奮う俺が、怖いものなんで無いはずの俺が。
夏森は弱々しい呼吸を繰り返す。
「……ぃ、ごめんなさい、ごめんなさい……っく、ごめんなさい……ひっ、く」
焦点の合わない目で、夏森は謝罪の言葉を重ねた。
もう、目茶苦茶だった。
俺はおかしくなってしまったのかもしれない。
どこか夢見心地の状態で夏森の服をたくし上げ、剥き出しの肌を撫でた。
真っ白い肌は青痣だらけだった。
俺の暴力の跡。いや、俺らの。
その時、俺は堪らなくあの二人の事が憎らしくなった。
最初に誘ったのは俺だ。
夏森をいじめてやろうと最初に言い出したのは紛れも無く俺で、あの二人にその話を持ち掛けたのも俺だった。
それなのに、今は二人にそんな話をした事を俺は悔やんだ。
あいつらには言わなきゃよかった。
脇腹の辺りにある青痣をなぞると、夏森が僅かな痛みに呻いた。
言わなければ、俺ひとりだったのに。
薄い胸に爪を立て、がりり、と引っ掻いた。
苦痛を訴える声が、心地好く鼓膜を震わせた。
俺だけが、夏森に暴力を振るえたのに。
夏森を殴るのも蹴り飛ばすのも叩くのも、いやだと言い続けるあいつをいたぶるのも涙を流さすのも悲鳴を上げさすのも傷をつけるのも全部俺だけだったのに。俺の傷だったのに、俺の悲鳴だったのに、俺の体だったのに、
俺の、
ぶつけるように夏森の唇を塞いだ。
無理矢理こじ開けて、口腔を舌で乱暴にまさぐる。
くぐもった夏森の声に、堪らなく興奮した。
何もかも目茶苦茶だった。何も考えたくなかった。
だだ、がむしゃらに夏森の体を求めた。
欲望の赴くままに、夏森を犯し続けた。
行為の最中、夏森は壊れたように『好き』と繰り返した。
俺は、何も言わなかった。
夏森にかける言葉なんて、なかった。