サクラノシタノキミ-前編-
これで最後のお話になります。
前・中・後編の全3話です。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
あれは、いつの事だっただろう。
「先生の好きな色って何ですか?」
放課後の美術室。
本来、授業中に提出すべき提出課題と向き合いながら、けれどなかなか作業が捗らないことに半ば諦め気味になった僕は、そんな事を先生に訊いてみた。
「うーん……赤色、かな」
「意外と派手な色が好きなんだね」
僕から見た先生の印象はかなり地味な人、だった。
さらに言わせてもらえば鈍臭い……そんな感じだ。
多分周りも同じような印象を抱いていると思う。
「そういう訳じゃないけど……。赤色って、生き生きとして、生命力に満ち溢れてるって感じがするだろう?」
結構変わってる人だとも思う。
こんな事を大真面目に言うのだから。
「……先生って面白いね」
「そうかい?」
「なんか、フツーじゃないとこが」
「はは……ひどいなぁ」
先生は少し困ったようにふにゃりと笑った。
思えばこの頃からだったかもしれない。
僕が先生に授業以外で話しかけるようになったのは。
「先生、これ」
「はい、ご苦労様」
提出期限が今日までだった自画像をやっと描き終えた僕は、大きな欠伸をしながらそれを先生に渡す。
先生は僕の絵をにこやかに受け取る。
「あー疲れた」
「はいはい。もう遅いんだから、早く帰ってゆっくり休みなさい」
ぽん、と僕の頭に手を乗せる先生。
「……先生って頭撫でるのクセ?」
「ん?ああ、嫌だったかい?」
先生はごめんね、と撫でていた手を退けた。
「いやじゃない、けど……」
頭ひとつ分高い先生の顔を見上げる。
「ん……?」
何か言いたげな僕の様子に、先生は目で“どうしたの?”と問いかけてくる。
「その……先生は、他の人にもこんななの?」
「こんなって?」
「頭」
「あぁ……そう言われてみるとそうかな。さすがに女子相手にはしないけどね」
「ふーん……」
無意識に、という事なら厄介だ。
「ほら、早く帰りなさい」
「はーい」
嫌だな、なんて。
思う僕はおかしい。
いつからだっただろうか。
僕が先生にこんな感情を抱くようになったのは。
いつの間にか先生は僕の中で“特別”になっていて、先生を想う気持ちは日に日に大きくなっていった。
先生をそんな目で見るなんて……同性相手にこんな気持ちになるなんて……そんな事許されないのはわかってる。
けれど、もうこれ以上、自分の気持ちを抑える事はできなかった。
「先生、好きです」
活気に満ちた運動部の掛け声や、吹奏楽部が奏でる楽器の音色も、その時は、すべてが止まっていた。
夏休みを明日に控えた一学期最後の日に……僕は、先生に告白した。
「僕と付き合ってください」
きっと僕の言葉は、あまりにも予想外の物だったのだろう。
先生の目が、大きく見開かれる。
嘲笑、軽蔑、拒絶―――先生から返ってくる反応が怖くて、何度も視線を逸らしそうになった。
「先生が、好きです。僕と……付き合ってください」
同じ言葉を、もう一度、先生の目を真っ直ぐ見つめながら伝える。
本当は今にも逃げ出したい。
「それは出来ないよ、ごめんね」
その瞬間、全てが崩れ落ちた。
僕の世界が。こころが。希望が。
何もかもが、全て。
「男同士だからとか、そういう偏見で言ってるんじゃないんだ」
何それ。
「君の気持ちは嬉しいよ」
そんな言葉、何の慰めにもならない。
「君はまだ若いんだから、もっと相応しい人を見つけなさい」
「―――ごめんね」
いつもみたいに、困ったように笑う先生。
やめてよ。
そんな顔しないで。
大好きな先生の顔なのに、嫌いになってしまいそうだから。
「……はい」
この日、僕の全てが終わった。
何処までも晴れ渡る青空。
満開の桜。
別れを惜しむ涙。
笑顔でさよなら。
僕はこの光景を何度目にしてきただろうか。
卒業式。
今年もそれは滞りなく行われた。
僕は何処かのクラス受け持った事はないが、やはり大事な教え子達が卒業するというのは感慨深いものだ。
この一年も、いろいろな事があった。
あぁ、そういえば。
彼は今、何処にいるのだろうか。
「先生」
さぁっ、と風が吹いた。
薄桃色の花弁が舞う。
彼だった。
僕が好きだと告げた、彼がそこにいた。
「おや、君か。卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
そう言って照れ笑いする君。
「先生にはいろいろ迷惑かけちゃったから、最初にお礼言いたくて」
「本当に。君ほど居残りの常連だった生徒は他にいなかったからね」
「ひっどい言い方」
「ははっ、本当の事だろ?」
「それでも今じゃいい思い出だよ」
「居残り皆勤賞が?」
「うわ、性格悪っ!そんなんだから彼女できないんだよ」
彼女。
君はその言葉を何の抵抗なく言えるようになったのか。
「生憎、今のところ女性と付き合うつもりはないよ。忙しいからね」
「モテない男の言い訳は見苦しいぞ先生」
「大人にはいろいろあるんだよ!」
僕は憎たらしい子どもの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「ちょっ…地道に体罰だよ」
「嫌じゃなかったんじゃないのかい?」
あの時の君はそう言った。
君は覚えているだろうか。
「ほんと、性格悪……」
「ごめんごめん」
すっかりぐしゃぐしゃになった髪を整える。
彼はされるがまま、おとなしく僕に頭を預けている。
僕は最後に数回頭を撫でると、彼から手を離そうとした。
でも何故か、名残惜しくて。
僕の手は彼の頭から輪郭をなぞるようにするり、と頬に触れた。
「……先生」
彼に呼ばれた瞬間、僕は我に返った。
「ごめん、ちょっとふざけすぎたね」
「いえ……」
互いに、沈黙。
僕は何をしてるんだ。
「僕……もう行くね」
「うん」
これで、君に会うのは最後になるだろう。
僕が好きだと言った君に。
「卒業おめでとう、これからも頑張って。体には気をつけるんだよ」
「はい。先生、今までお世話になりました。ありがとう」
深々とお辞儀をした。
そして、
「さようなら」
「あぁ、さようなら」
君と僕の別れの時は、呆気なく訪れた。
さよなら、僕のことを好きだと言ってくれた君。
僕の、好きだった君。