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クダの怖い話:確かめてはいけないもの

 うちの学校で変わった遊びが流行ったことがあってね。

 遊びというか、悪ふざけというか。要はいたずらなんだけど。


 それは、夜中に学校に忍び込んで証拠写真を撮ってくるっていう遊び。


 もちろん先生にばれたらとんでもないことになる。

 だから流行ってたって言ってもおおっぴらにしてたわけじゃなくて、あるクラスの生徒の中だけで話題にしてたんだ。


 発案者は(しま)っていう男子生徒だった。一応、仮名にしておくよ。


 嶋はもともと学校の中でひとけのない場所を探すのが好きなやつだった。

 休み時間中、学校をうろついて誰にも見られない場所を見つけてはそこに潜むのが日課だった。文字通りの"ひとりかくれんぼ"だ。

 そういう場所を見つけておいて、学校のイベントとか暇があるときに友達を連れて行って、穴場だって紹介するのも好きだった。

 こんな場所があるなんて知らなかった、なんて友達に褒められるのが嬉しかったんだ。


 あるとき、嶋は階段下の倉庫に潜んでた。

 その階段は中庭のそばにあって、一階の廊下のさらに下に向かって二、三段が続いていてね。

 地下っていうほどじゃないけど少し低くなったスペースが部屋になってて、倉庫として使われてたんだ。

 中庭掃除に使うための箒とかスコップとかホースとかが置かれてて、中庭側からも入れるようにドアが付いていた。


 普段生徒が入るような場所じゃないんだ。外とつながってるせいで土埃が積もっていたし、そもそも入る用事もないからね。


 嶋はそこが気に入ってた。

 清潔かどうかなんて関係ない、ひとけがなければないほど良かったし、ちゃんとドアで仕切られた部屋になってるところも隠れ家として魅力的だった。


 倉庫に通ってあちこち中を検分してるうちに、あることに気が付いた。


 中庭に通じるドア。

 金属のノブを回して開けるタイプのドアで、カギもよくあるプッシュ式。

 外からは鍵穴に鍵を指して開け閉めして、中からはノブについた押しボタンを押せば鍵がかかるタイプだね。

 つまり、すごく単純な造りのドアなんだ。


 嶋が気付いたのは、そのカギが外からでも簡単に開けられるってこと。

 ノブを回してみたらボタンがけっこうゆるゆるでね。試しにと思って外の鍵穴に十円玉を当てて回してみたら、開いちゃったんだ。


 今まで学校の色んな場所を見てきた嶋だけど、外から簡単に入れる入り口を見つけたのは初めてだった。

 玄関とか渡り廊下のカギは重くて厳重だし、窓はだいたいがロック付きのシリンダー錠で、証拠を残さず開けるなんて無理だと思ってた。


 その点、このドアはおあつらえむきだった――ばれずに侵入するのにね。

 十円玉を鍵の代わりにするってだけで、外から開けて、出るときに閉めればなんの問題もない。


 嶋はすぐ心に決めた。

 学校が閉まっているときにこのドアから侵入してやろうと思った。

 誰もいない校舎を好きなように歩き回るなんて、想像しただけで楽しかったんだ。


 いつがいいかって考えたら、夜中しか思いつかなかった。

 平日の昼間は問題外。夕方とか休日は部活で空いてるだろうし、夜も早いうちは先生が残ってるかもしれない。

 確実に誰もいない、深夜から早朝がいいって思った。


 昔は宿直の先生がいたとかいうけど、今はそんなのないしね。

 大きい学校だと警備員が巡回してたりするんだろうけど、うちの学校にはそれもない。ひょっとしたら、ボランティアで近所の人が見回りしてるのかもしれないけどね。


 決行したのは金曜日の深夜二時すぎだった。


 休み前だから親も十二時過ぎるまで起きてたんだけど、二人とも一度寝込んだらなかなか目を覚まさない習性でね、いつも一番早く起きるのは嶋だったんだ。

 だから親の寝室の明かりが消えて、寝込んだだろう頃を見計らってこっそり家を抜け出した。


 夜に家を抜け出すのは初めてじゃなかった。子供のころからやってたんだ。

 だからって夜遊びしてたわけじゃなくて、家の周りをうろうろして、見慣れた場所の誰もいない光景を楽しんでただけ。

 中学に上がってからは飽きてきてやめてたから、久しぶりの夜中の徘徊にはかなり気分が高揚していた。


 いつもの道を歩いて学校に着く。歩いて来られる距離なんだ。

 よく晴れた夜で、街頭のない場所でも月明かりであたりの様子はぼんやりと見て取ることができた。一応懐中電灯は持ってきたけど、外を歩いている分には何の問題もなかった。


 校門が閉まってるのは分かってたから、横道から低い金網を乗り越えて校舎裏に入った。


 学校は小高い場所にあって、正門の方角以外には道路が通ってるだけだとか山の斜面になってるとかで、ほとんど民家がないんだ。

 だから車が通る音だけ警戒してたけど、外から見られる心配はほとんどしてなかった。


 敷地内に侵入したら、そこから見える窓をざっと眺めて明かりのついてる窓がないことを確認する。

 外よりも中を警戒してたんだ。なにしろこんな時間に学校の中がどうなってるのか、嶋は知らなかったからね。


 光や動くものがないことを確認できたら、校舎の壁にぴったり沿うように歩いて中庭に向かう。


 窓を通りすぎると自分の姿がガラスに映って、そのたびに誰かいるんじゃないかってつい身をかがめそうになった。

 びくびくしてしまってる自分に自分で笑ってたら、そのうち渡り廊下の向こうに中庭が見えてくる。


 渡り廊下に一歩踏み出して、身を乗り出してみた。

 ここからは今まで見えなかった校舎も見渡せるから、もう一度人の気配がないかを確認した。下から見渡せるってことは、どこからでもこちらを見とがめられるってことでもあるからね。


 左から右、一階から三階と屋上、東西南北、くまなく見て異常がないことを確かめたら、いよいよ渡り廊下を乗り越えた。

 壁伝いに例の倉庫のドアに向かう。


 昼間確認したのと同じようにドアはちゃんとあって、ノブを回してみればカギがかかってる。

 ひょっとしたら、昼間カギを開けた状態にしておけば、先生も気づかずそのままになってたかもしれないけどね。


 ポケットから十円玉を出して、前に何度も試したのと同じように鍵穴にあてがい力を込めて回してみる。

 カギは問題なく回って、入り口が解放されるガチャリという音がいやに大きく響いて聞こえた。


 もう一度ノブを回してみれば、今度は最後までしっかり回る。


 中庭を振り返ってどの窓にも明かりがないことを確認してから、ドアを開け中に滑り込んだ。


 ドアの隙間から入ってくる月明かりで照らされた倉庫は、すっかり見慣れた光景だった。窓がないから薄暗いのも常と同じだ。

 でも中からゆっくりとドアを閉めていくと、唯一の光源を失っていつも以上の闇が部屋にたちこめる。

 さすがに懐中電灯を点けてから、音をたてないようおもむろにドアを閉めた。


 ここまでは順調。

 次は倉庫から廊下に出ることだ。


 倉庫にもカギはついているものの、中から開けられるタイプだったし、先生がそこを閉めてるのかどうかは知らなかった。

 嶋が来るときにはいつもカギは開いていたから、そもそも閉める習慣はなかったんだろう。


 念のため足音を忍ばせながら倉庫の中を横切って、懐中電灯で照らしたノブをゆっくり回す。


 やっぱりカギはかかっていなかった。

 押し開けるとキィキィと金属のきしむ音がして、知らず緊張が高まっていく。


 ドアの隙間から見える廊下は倉庫の中よりもはるかに明るかった。

 少なくとも、倉庫の正面から見える範囲にひとけはないし、物音も聞こえない。

 嶋はそのままドアをぐっと押して開く。開いたままで止まる位置まで押し開けると、充分注意を払いながらドアの前の三段の階段を上がり、廊下に歩み出た。


 並んだ窓から月明かりが照らしてきて、懐中電灯がなくても辺りはしっかり見渡せた。

 廊下の左右に顔を向ける。当然、誰もいない。


 ここまで来てようやく達成感が込み上げてきた。

 夜中に誰もいない学校に忍び込んでやったんだって、思わず一人でガッツポーズを取る。


 さっきまで恐怖心や警戒心の方が強かったんだけど、今はもう興奮と好奇心の方がまさっていた。

 校内を探検してやることにしたんだ。


 倉庫の中に靴を脱いで置き、とりあえず廊下に出て左手側へ歩いて行きながら、教室を一つずつのぞいてみようとした。


 でも、残念ながらどの教室にもカギがかかっててドアは開かなかった。

 教室のドアは、職員室に保管されてるだろうカギを差し込まないと開けることも閉めることもできない。


 とりあえずドアについた窓から室内を確かめるだけでよしとして、教室をたどっていった。


 廊下の端から端まで歩いてみたけど、それほどおもしろいものはなかった。

 教室は全部閉まっていてもちろん誰もいないし、入れるのは掃除用具入れと、入り口に鍵のないトイレくらい。

 廊下の端の渡り廊下に続くドアは中から開けられたが、渡り廊下の向こう側は当然外から開けられない。


 階段をのぼって二階に行ってみることにした。

 二階も端から端まで、やっぱりカギは閉まってて、トイレもないから結局廊下の反対側の階段を下りて戻ってくることしかできない。

 嶋が入ってきたのはよりによって一番教室の少ない棟だったんだ。


 探検してやろうっていう好奇心はそれほど満たされずじまいだった。


 気持ちも萎えてもう帰ろうとしたんだけど、せっかくだから何か戦利品がほしいと思い立つ。

 最後にのぞいた二階の一番奥の教室の前で、何かないか周りを見回す。

 ドアの窓から教室内の時計が見えることに気づいて、写真をとろうと思いついた。


 時間は午前三時前。思ったほど経っていなかった。


 嶋は自分の顔と時計が映るようにして、スマホで自撮りする。

 時計は斜めに映っていたけど時間は判別できたし、教室内に誰もいないことも、窓の外が夜だということも見て取れた。


 この写真を土産にして、嶋は入ってきたときと同じように倉庫から外に出て、十円玉でカギを回してドアがロックされたことを確認し、何食わぬ顔で家に帰った。


 親に気づかれることもなく無事に自分のベッドに戻って眠りについた。




 月曜日、学校に行った嶋は例の証拠写真を仲間内で披露したんだ。

 すごいってやつもいたけど、半信半疑なやつもいた。


 疑うならお前たちもやってみろ、一人で夜忍び込む勇気があるんならな、って嶋がけしかけてたら、何日か経って仲間の一人が本当に実行してきたっていうんだ。


 嶋と同じ場所で、同じように時計を映した写真を撮ってきた。

 校内の様子はどうだったって聞いてみたら、ちゃんと嶋と同じことを言う。

 どうやら本当に嶋のやり方で忍び込んだらしい。


 話を聞いた仲間が、今度は俺が行く俺が行くってこぞって言い出した。


 それで最初に言った通り、嶋の方法で夜中に学校に忍びこむ遊びが肝試しとして流行るようになったんだ。


 嶋は優越感を覚えてた。探検自体は思ったほど楽しくもなかったけど、他の男子が自分の真似をしてると思うと気分がよかった。


 幸い先生にばれることもなく、クラスの男子の半分近くがこの肝試しを経験したような状況になってた。


 ただあるとき、嶋は妙な話を聞いた。


 肝試しをやったやつはみんな自分が侵入したときに見たものを他の経験者に確認するのがお決まりだったんだけど、そこで嶋の知らない話が出てきたんだ。


「あれマジびびるよな!」

「そうそう、あれだけはやばいんだよ」

「俺トイレで見たけど、お前のときはどこにいた?」

「俺倉庫出たらすぐにいたんだ! マジびびった」


 何の話か嶋にはさっぱり分からない。

 嶋は何も変わったものなんて見てないし、びびるようなことも起きていないんだから。


 "あれ"の話は、まだ肝試ししてないやつまで口にしていた。


「俺今夜やろうと思ってるんだけど、あれいたらどうすればいいんだっけ……」

「たいしたことないって、無視して反対側に行けばいいんだから」

「反対に行って会っちゃったら……?」

「一回見たらもう出てこないから大丈夫」


 嶋は気になって仕方がなかった。

 でも、肝試しの先駆者である嶋が、自分はそれを見てないなんて言うこともできない。


 それで、自分の次に肝試しをした友達にそれとなく聞いてみたんだ。

 最初に話を聞いたとき、そいつは"あれ"のことなんか何も言ってなかったんだから。


「なあ、お前もあれ見たんだっけ?」


 嶋の質問に、そいつはがっかりしたような顔を返した。


「俺見てない! 悔しいからさあ、もう一回行って見てこようかと思ってんだ。嶋は見たんだろ? ひでえよな、教えてくれればよかったのに」


 見たんだろ、って当然のように言われたらわざわざ否定することもできなくて、嶋はあいまいに笑って会話を打ち切った。


 気になりだしたらもう止まらなかった。


 そもそも何の話かすら分からないんだ。"あれ"がどういうもので、どうしてみんなが目撃しているのか。


 漏れ聞こえてくる限りの情報によると、こんなふうだった。


 "あれ"は侵入した棟のどこかにいて、少しずつ移動している。

 "あれ"は窓の外からは見えない。

 "あれ"はどの日でもどの時間でもいる。

 "あれ"は足音を立てない。

 "あれ"は写真に撮っても映らない。

 侵入者が"あれ"を目撃するときは必ず後ろ姿である。

 侵入者は"あれ"を一度目撃してしまえば、もう校舎中どこに行っても二度と目にすることはない。

 "あれ"の近くを通っても問題ない。

 "あれ"に声をかけても問題ない。

 "あれ"を追いかけてはいけない。

 "あれ"の顔を絶対に見てはいけない。

 追いかけて顔を見てしまったらどうなるのかは誰も知らない。


 この話が一体どこから生まれたのかは肝試しをした全員に聞けばわかったかもしれないけど、嶋にはそんなことに興味はなかった。

 ただ、自分も見たいってその一心だった。


 見るだけじゃない、他の誰もしてないことをしてやろうとも思った。


 "あれ"を見つけて、追いかけて顔を確かめる。

 やっちゃいけないと言われてるってことは、誰もやったことがないってことだ。


 嶋は家を抜け出すのに都合のいい日が来るのを待った。


 一週間ほど後にチャンスが来た。

 その日はちょうど他のやつらも肝試しするって言ってなかったし、母親が出張でいなかったから見つかる可能性も低い。


 嶋は前と同じように懐中電灯とスマホを持って、夜の一時に家を抜け出した。

 "あれ"がいる時間に決まりはないって聞いてたけど、一応前回とは時間をずらすことにした。


 二度目の深夜の学校。

 今度は倉庫から侵入してもちっとも警戒してなかった。一度経験して、大したことないってわかってたからね。

 倉庫のカギも廊下に続くドアもいつも通りしまってたし、今夜はやっぱり他の侵入者もいないようだった。


 廊下に続くドアを開ける段になって、嶋はようやく緊張して身を固くする。


 ドアを開けたら、"あれ"がどこに出てくるかわからない。

 中には廊下に出た目の前にいたって言ってたやつもいたんだから。


 ゆっくりゆっくりノブを回し、ゆっくりゆっくり押し開ける。

 隙間から顔だけのぞかせておそるおそる確認してみると、そこには何も見えなかった。


 ため息をついて、とにかくドアを開けて靴を脱ぐ。

 廊下に出るときにちゃんと靴を脱ぐのは一種のルールみたいになってたんだ。土足のまま上がって先生に靴跡が見つかったら、倉庫から侵入したことがばれてしまうから。


 靴下の足で段を上がって、壁に体をくっつけるようにして廊下の向こうをそっとのぞいた。


 誰もいない。

 ゆっくり振り向いて反対側を確かめても、やっぱり誰もいない。


 暗闇の学校で得体のしれないものに出くわすかもしれないっていう状況、普通は多少なりとも怖がるんだろうけど、そのときの嶋は何も見当たらないことにがっかりするばかりだった。

 みんなが見ているという"あれ"の正体を確かめるのが目的でわざわざ来たんだからね。


 がっかりすると同時に不安にもなってきた。


 もしかしたら自分には見えないのかも。今夜も結局見られなかったらどうしよう。


 嶋は焦る気持ちを抑えながら、とにかく校舎を確認して回ることにした。


 廊下の端から端までを見渡す。

 教室の前のドアの窓から中をのぞきこんで、隅から隅、机の一つ一つまで懐中電灯で照らす。

 廊下を歩いて行って教室の後ろのドアからも念のため同じように確認する。

 廊下の床と天井、ロッカーの陰、掃除用具入れの中、水道の下の物置、全部チェックする。


 何も収穫のないまま、トイレの前まで来た。

 トイレでの目撃談もあったんだ、だから当然チェックする必要があった。


 ただ、嶋でも正直なところトイレはちょっと怖かった。


 他の狭くて暗い場所はどんなにひとけがなくても怖くなんてないんだけど、トイレはなんとなく怖いんだ。

 幽霊とか変なモノが出るっていう怪談をよく聞くせいかな。


 ……ちょっと脱線するけど、トイレは怖いって話していい?


 ――ダメね、そう言われると思った。

 でもちょっとだけだから。

 ――従わないなら聞くな、ね。それも言われると思った。まあ、許して。


 トイレが怖い気がするのは、隔離されたプライベートな空間だからっていうのが大きな要素なんだ。

 それに、物置とか単なる狭い密室とは違って、トイレの中では何か恐ろしいことがあってもすぐには逃げ出せない。……用を足してるわけだからね。


 自宅のトイレならまだいいけど、学校とか公共の場所にあるトイレだとなおさらだ。

 共用のトイレは二層の構造をしてる。通常のスペースからは隔離されてるものの誰でも入れる層と、その中で本当に独りきりになる個室の層。

 個室っていう内側の層に入ってしまうと、外側の層に内包されてしまう。しかも外側の層にはどこから来た誰がいるのか、内側からは分からないんだ。

 逆に言って、外側の層に足を踏み入れたとき、そのさらに内側の層に何が潜んでいるかは分からない。


 一枚の壁を隔てたすぐそばに何者がいるのかわからない……そんな空間に入ることをある種強要されてるわけだから、おのずと不安が高まってしまうものなんだ。


 だから女子トイレの方が男子トイレよりずっと怖いと思うよ、個室しかないんだし。


 個室といっても床や天井が開いてるっていうのが恐怖心をかきたてるよね。

 まったく見えないより、少しだけ見える余地がある方が怖い。

 何が見えてもおかしくないって想像してしまうから。


 ……怒ることないだろ、ミナ。

 そりゃ、怖がらせる気に決まってる。怖い話をするって趣旨なんだから。


 もう一つ、水場は幽霊が集まりやすいとかいう説もあるけど……恐怖心が生まれやすいのとは関係ないと思うよ。

 怖いイコール幽霊なわけじゃないし、そもそも俺は幽霊って信じてないんだ。

 さっきのセントの話みたいに、幽霊が見えるっていうのは感覚の問題だと思うよ。死人の魂なんていうのが実在してるわけじゃない。


 脱線はこのくらいにして、話戻すね。


 嶋もそういうわけでトイレは怖かったんだ。花子さんだとか、よくある都市伝説も知ってたしね。

 実は前回来た時もトイレは入り口からちらっとのぞいただけで、他の場所ほどしっかり見分したわけじゃなかった。


 でも避けるわけにはいかない。

 怖いし入りにくいからこそ、"あれ"はそこにいるんじゃないかっていう予感がしていた。


 男子トイレの入り口をこわごわのぞいてみる。

 そこから見える範囲に異常はない。

 廊下側にもトイレの中にも窓があったから、幸いというべきか懐中電灯がなくても中の様子は見て取れた。

 ただ、窓があるからには電気をつけるわけにもいかなかったんだ。もし明かりがついたのを外から見られたら、侵入者がいるってばれてしまうからね。


 そのまま、いったん女子トイレの方ものぞいてみた。

 中に入らなくても"あれ"が見つかれば、それに越したことはなかったからね。


 残念ながら何もいなかった。

 ただ……一番奥の個室だけ、扉が閉まってたんだ。


 嶋はドキッとした。

 だって扉が閉まってるってことは……中から誰かがカギを閉めてるってことだ。


 "あれ"かもしれない。

 でも待てよ、"あれ"はあちこちを徘徊してるふうだった。

 トイレの個室にとじこもってるなんて、誰もそんな話はしていなかった。


 じゃああの中にいるのは"あれ"じゃない……別の何か。


 そんなことを一瞬のうちに考えてしまって、嶋はとたんに怖くなった。


 一度怖気づいてしまうと、もうダメなんだ。

 何もかもが恐ろしく感じる。

 懐中電灯の当たっていない陰に何かが潜んでいるような気がするし、今まで気にならなかった家鳴りや蛇口の水の垂れる音がいやに大きく響いて聞こえた。


 嶋はもう帰ろうと思った。

 こんなことくだらない、そもそも"あれ"なんて本当はいないんだ、みんなふざけてるだけなんだって正当化して、倉庫の方向を振り向いた。


 そのとき、嶋は見た。


 倉庫のある場所、二階へ続く階段の途中に誰か立っている。

 距離があったから誰なのかは判別できなかったけど、その人物は学校の制服を着ている。


 とっさに思ったのは嶋と同じように誰かが侵入してきたんだってことだ。

 それで嶋はほっとした。単純なもので、仲間がいると思ったらさっきまでの恐怖も吹き飛んでしまった。


 嶋は廊下を靴下でペタペタ走って、そいつの立っている階段の下までやってきた。

 声をかけようと階段の途中にいるそいつを見上げた瞬間に、気が付いた。


 "あれ"だ。


 そいつは明らかに普通じゃなかった。

 制服を着た男子生徒の後ろ姿に見えたけど、全身がうっすらと異様な光を放っている。

 無地のブレザーの背中に光がするすると垂れていく筋が見えて、まるで発光するペンキが頭の先から湧き出て体を伝って流れ続けてるみたいだった。

 さっきも、薄闇の中で距離があったのに制服を着てることが分かったのは、そいつが光ってるからだったんだと納得する。


 嶋は足音を殺していなかったから、階下に誰かが駆け寄ってきたことは分かってるはずなのに、こちらを振り向きもしない。


 嶋はどんな気持ちだったと思う?


 怖がってはいなかった。

 むしろ喜んでいたんだ。

 "あれ"をとうとう見つけた、自分でも見つけられたんだっていうのが嬉しくて、それと同時に本来の目的も思い出した。


 "あれ"に対して、してはいけないことをするんだってこと。


 さっきはトイレのドアが閉まってたってだけ相当怯えてたのに、目の前にいる得体のしれない人物には好奇心しか抱いていなかった。


 不思議なもので、はっきり目に見えるものより、見えずに想像をかきたてられるほうが怖かったりするんだ。

 想像なら、自分の一番恐ろしく感じるものをいくらでも生み出せるからね。


 と、突っ立っていた"あれ"が不意に歩き出した。

 ゆっくりでも滑るように速くでもない、普通の足取り。

 足元を見ると上履きを履いてるんだけど、床を踏んでも足音はしない。


 階段を上っていく"あれ"の後に、嶋も続いた。


 後をつけてはいけない、顔を見てはいけない。

 きっと「顔を見てはいけない」だから「後をつけてはいけない」なんだろうと思った。"あれ"がいつも後ろ姿で登場するなら、顔を見るには後をつけて追い越すしかない。


 いきなり顔を見たら"あれ"は消えてしまうかもしれないと思って、嶋はまずこのまま"あれ"がどこに行くのかを確かめることにした。

 もし消えそうになったらそのときに前に回り込めばいい。


 時間を確かめると一時五十分。まだ充分に時間はあった。


 "あれ"は嶋がすぐ背後にいるのを気にも留めず階段を二階に上がる。

 踊り場の折り返しで顔が見えてしまうんじゃないかと思ったから、嶋は顔を伏せて"あれ"の足元だけを見つめてた。


 二階に着くと、廊下をまっすぐ歩きだす。


 嶋は黙ってついていきながらあれこれ考えた。


 歩いてるってことは、触ったらちゃんと感触があるんだろうか。

 教室にはカギかかかってるんだから、こいつもやっぱり入れないのか。

 そういえば写真を撮っても映らないとか、声をかけても平気とか言われてたけど本当か。


 今の嶋はすっかり大胆になっていた。


「なあ、写真撮っていい?」


 って試しに声をかけてみたら、"あれ"は案の定無視しただけだった。


 スマホを取り出して写真を撮ってみる。

 確かに、"あれ"だけが透明になったような写真が撮れた。試しに動画を撮ってみても同じだった。

 これでは証拠は残せない。


 触ってはいけないって話はなかったよな、と思いながら、手を伸ばしてみた。


 発光しているブレザーの肩をちょんとつつこうとした指は、空を切った。

 まるで何もないようだった。


 嶋はなんだかいぶかしく思えてきた。

 こいつはただの映像か何かじゃないのか、得体のしれないものでもなんでもなく、やっぱり誰かのいたずらなんじゃないか。

 そんなものに付き合ったって、武勇伝にも何にもならないんじゃないかって。


 思っているうちに廊下の端までたどりついていた。


 すると"あれ"は一階へと階段を降り始める。

 まさかこのまま一階と二階をぐるぐるしているんじゃないかと思いながらも、嶋も後に続く。


 一階に着くとやはり、廊下に沿って反対側の端へとまっすぐ歩いていく――と思いきや、"あれ"は一度足を止めた。


 トイレの前だった。

 確かに、"あれ"はトイレの中にも入るらしいことは聞いている。


 ただ嶋は、さっきの嫌な悪寒を思い出して、また少しだけ恐怖心がわいてきた。


「女子トイレ入らないよな?」


 嶋はつい口に出したが、"あれ"はやはり反応せず、女子トイレの扉に手をかける。

 "あれ"が扉を押し込むと、カギのかからないドアは静かに開いた。

 触れないのにどうしてドアは開けられるんだろうといぶかしむ嶋をよそに、"あれ"は女子トイレの中に入っていく。

 嶋は閉まりかけた扉をとっさに押さえて、"あれ"の行き先を目で追った。


 "あれ"は女子トイレの細長い空間を奥へとまっすぐ歩いていく。

 かたずをのんで見守る嶋の前で、一番奥の個室――唯一ドアの閉まっている個室の前に立つと、静かにドアを引っ張った。

 ドアは音もたてずに開いた。

 そうして"あれ"が中に入って行くと、再びドアは静かに閉まった。


 嶋は入り口のドアを押さえたまま、しばらく待っていた。


 でも"あれ"はいっこうに出てこない。

 三十秒経っても、一分経っても出てこない。


 ……嶋のすべきことは一つだ。さすがに今度はびびってる場合じゃないと思った。


 なにしろさっきまで、"あれ"の退屈な行動に飽きてきてたから。

 これを確かめれば間違いなく武勇伝になると思っていた。


 女子トイレのドアを一番奥まで押し込むと、内側に向かって開いたまま固定される。

 嶋はおそるおそる足を踏み入れた。


 手洗い場の鏡に映った自分におっかなびっくりしながら、一番奥の個室の様子をうかがう。

 音はしない。"あれ"は発光していたけど、光も漏れていない。


 全部自分の勘違いだったかも、と思いながら――思い込もうとしながら、奥の個室に歩み寄る。


 通り過ぎる個室のドアはみんな開いていて、中には当然何の姿もない。

 一番奥の扉、そこだけが確実に閉まっている。


 嶋は腰をかがめて、床の隙間から奥の個室の中をうかがった。何も見えなかった。


 とうとう奥の個室の扉の前に立つ。

 ちらりとトイレの入り口に目をやれば、ドアはちゃんと開いて固定されたまま。


 そこで嶋はふと気が付いた。

 どの個室にもドアの取っ手にはカギがかかっているかどうかを示す赤と青のマークがついてるんだけど、この個室は白いマークになってる。


 嶋は取っ手に手をかけて、"あれ"がやったのと同じように引っ張った。


 そして――拍子抜けした。


 なんのことはない、洋式トイレだった。


 他は和式だけどここだけ特別、造りが違うからカギのマークの色も違った。

 扉が閉まってたのは中から誰かが閉めてたからじゃない。もともとここだけ扉は勝手に閉まるように作られてたんだ。


「なんだよ」


 嶋は一気に気が抜けた。


 びくびくしてた自分がバカらしくなって、後ろの壁に腰をもたせかけ、膝に手をついて思いっきりため息をつく。


 下に向けた視界に、足が映った。


 自分の足と、もう一組。


 うすぼんやりした光が上から下へ垂れてくる、上履きを履いた足。


 つま先がこちらを向いている。


 目の前に"あれ"がいる。


 体を起こせば"あれ"と向かい合う。


 嶋は顔を上げた。何も考えていなかった。




 嶋は"あれ"の顔を見た。




 ……。




 それで、結局誰もわからないままなんだ。

 "あれ"を追いかけて、顔を見たらどうなるのか。


 嶋はあれっきり姿を消した。


 家族も友達も行方を知らない。警察が捜索してるけど、手掛かりがなにもないらしい。


 嶋が学校に忍び込んでたのを知ってたやつらの中に後ろめたくなったのがいたんだろう、誰かが例の倉庫のカギのことを先生に報告して、それからは学校に侵入することもできなくなった。


 ただ……夜遅くまで学校に残ってた先生たちの中で、発光する生徒が徘徊するっていう噂が広まるようになった。


 目撃した人はみんなそろって後ろ姿だったという。

 生徒のいたずらだろうと思った先生が追いかけてみたこともあるんだけど、ほんの一瞬目を離した隙に消えてしまう。


 そいつは普通の人間じゃないってみんなだんだん悟り始めた。

 そいつを見かけても関わらないようにってお達しまで出たらしいよ。


 そいつ……行方不明になった嶋だっていう噂もあるけど、真相は分からない。


 そいつの顔を見た者は誰もいないから。


 いや、そいつの顔を見たからこそ――いなくなってしまったのかもしれない。


 おしまい。

トイレを語るのもちょっとしたオマージュです。

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