セントの怖い話:だるまさんがころんだ
家にスマホが一台あるんだけどさ、こないだ弟の友達が遊びに来たときに二人でスマホに向かって遊んでるの見たんだ。
何してんのかと思ったら、あれってなんか話しかけると答えくれるやつついてんだろ?
しり? あしすたんと? 知らねーけどとにかくこっちがなんかしゃべるとスマホが答えてくれるやつ。
どうもあれで遊んでたんだ。気の利いた返事返してくれておもしろいんだってさ。妙な感じだけどな、二人でちっちゃい画面覗きこんでキャッキャしてんだから。
まあスマホひとつあればいくらでも遊べるみたいだし、危ないことでもないから手がかからなくていいんだけど。
で、怖い話があるんだよ。
都市伝説っつうか、スマホに向かって言っちゃいけない言葉があるってやつ。
ありがちだよな、電話だって変な番号にかけたら幽霊につながるとかあるじゃん?
僕はこれクラスのやつから聞いたんだ。
うちの学校、校内でスマホ使ってると怒られるんだけどさ、一人よく堂々と見せびらかしてるやつがいて。
井上っていうんだけど、これが最新機種だっつうとみんな見せてくれって群がるから気分良さそうにしちゃってんだよな。
最新ったって古いやつとどこが違うのか全然わかんねーんだけどさ。まったく同じじゃん。サイズも形も同じじゃん?
――機能が違う? 知らないって、電話してネットするだけだろ?
怖い話聞いたのはスマホ持ってる井上とは別の友達ね。
城戸っていうやつ。
例によってみんなで井上の新しいスマホ囲んでるときに、その……"答えてくれるやつ"の話になって、そこで出てきた話。
城戸が言うには、スマホに向かって目を閉じて「だるまさんがころんだ」って言っちゃいけないんだって。
スマホから、「検索します」とかなんとか何かしら応答があったら問題ないんだって。
でも、何の返事も返ってこなかったらやばいんだってさ。
どうやばいのかはやったことないから知らないって言ってたけど。
まあ、そんな話聞いたらじゃあ試してみようってことになるよな?
そのときももちろんそうだった。
最新機種のスマホに向かって、ひとりずつ目を閉じてだるまさんがころんだって言ってみたんだ。
ま、なんてことなかったよ。
普通にスマホから返事が来てさ、日本スポーツ協会のページを検索してくれた。あれってちゃんとした公式ルールがあるんだな、知らなかった。
僕がやったときも同じだったよ。
――何、スマホの違いも分かんないくせに参加してたのかって? うるさいよリョーコ、茶々いれんなっての。
まあそれで、なーんだって感じで終わりそうだったんだけど、最後に順番回ってきたやつが「今返事なかった!」って声をあげたんだ。
それが言い出しっぺの城戸でさ、みんなびっくりして注目したよ。
「マジ?」
「マジだって、ほら、検索してねーだろ」
確かにスマホの画面は話しかけてください状態で、回答は何も表示されてなかった。
「聞こえてなかっただけじゃね?」
「もっかいやってみろよ」
城戸は今度はみんなが静かに見守ってる中でスマホに向きあった。
目を閉じて、はっきりと「だるまさんがころんだ」を言ったんだけど……本当に返事が返ってこなかった。
声はちゃんと聞こえてるみたいなんだ、ほら、文字として画面に出るだろ?
なのになんの応答もなくて、「だるまさんがころんだ」って文字が画面にでてきたらそのまま消えて、また話しかけてください状態にもどっちまう。
「マジだ!」
「なんでだ?」
「俺ももっかいやらせて」
ってみんな口々に迫ったんだけどさ、そこで休み時間が終わっちまった。
先生にスマホ見つかったら怒られるから井上は慌ててしまいこんで、みんなしぶしぶ自分の席についた。
僕もそのときは場の雰囲気でちょっと気になったけどさ、一つ授業受けたらもうほとんど忘れてた。
だってさあ、よく考えれば別にたいしたこと起きたわけじゃないだろ?
スマホから返事が返ってくるってのもどういうことかわかってないのに、返ってこないのがやばいって言われてもピンとこないんだよな。
……なんだけど、後になって声かけられてさ。
さっき返事が返ってこなかったって言ってた城戸。割と仲良い方なんだ。
その城戸がさ、僕の席にトコトコやってきて、なんか妙な顔してんだよ。
どうしたって聞いたら僕の机に覆い被さるみたいに顔近づけてきて、ひそひそ声でこう言うんだ。
「さっきのあれ、作り話なんだ」
さっきのあれ、ってのが何を指してんのか分かんなくてさ、僕が首かしげたら城戸は「さっきのだるまさんがころんだ」って言い直した。
つまりさっきの返事がなかったってくだりが、あいつの自作自演だったってことなんだと思ったよ。
僕はそのときにはもう興味なくしてたんだけど、城戸が落ち着かない顔してるからしょうがないなって気分でなだめてやったんだ。
「んなこと別に誰も気にしてないって。僕ももう忘れてたし」
「そうじゃなくて。返事がないとやばいっていうの、さっきテキトーに思いついて言っただけなんだ。なのに本当に……俺だけ返事なかった」
城戸が神妙な顔でそう言うもんだから、ちょっと困ったよ。
自分の作り話を自分で信じこんじゃったってことだ。しょうがないやつだろ、ノリでしゃべっといて真面目に後悔してるんだから。
「たいしたことじゃないだろ。スマホが調子悪かったんだ」
「でも他のみんながやったときは普通だった。俺だけ変だった」
「じゃもっかいやってみろよ、今度はだいじょぶかも」
「でも今度も同じだったらマジだってことだろ?」
「じゃ……僕がもっかいやってみるよ。返事ないかも」
「でもそれじゃ速川も呪われるってことだぞ」
でもでもうるさいやつだよ。
どうしろってんだって感じだったけどさ、まあ不安になっちゃってんならどうしようもないんだよな。本人もどうすれば気が済むのか分かってなかったんだと思うよ。
仕方ないからとりあえず大丈夫大丈夫ってなだめてやってさ、それから関係ない世間話してたらそのうちに落ち着いたみたいで大人しく戻ってった。
作り話だって一番分かってんのは自分のはずなのにな。
変に気が小さいっつうか素直っつうか、まあかわいいやつだろ。
でもちょっと思い込みが激しすぎるみたいだった。
次の日学校行って教室入ったとたん、城戸が駆け寄ってきたんだ。
泣きそうな顔してるもんだから昨日の話思い出してさ、どうしたって聞いてみたらそれこそ声震わせて言うんだよ。
「俺考えたんだけどさ、あれ、ほんとにだるまさんがころんだが始まったってことなんじゃないかって思うんだ」
わけわかんないだろ。落ち着けって言っても全然聞かないで一人でまくしたてるんだ。
「スマホ通して幽霊につながっちゃったんだよ。だから俺、きっと今どっかの幽霊とだるまさんがころんだしてることになってるんだ。俺が鬼でさ。幽霊が今も俺の後ろに近づいてきてるんだよ」
「すげー設定だな。それ自分で考えたんだろ? なら現実には起こらないからだいじょぶだって」
「考え付いたんじゃなくて分かっちゃったんだってば。だからさ、俺また言った方がいいと思うんだ――」
そこまで言った城戸が急に廊下の方に顔向けたと思ったら、僕を置いてどっか走ってくんだよ。
目で追ってみたらさ、昨日スマホ貸してくれた井上が登校してきたところで、城戸のやつあいつに詰め寄ってた。もっかいスマホ貸してくれって頼んでるんだよな。
あんまり真剣なトーンだから井上も迫力に負けたみたいに貸してくれて、そんで城戸は僕のところまで戻ってきて必死の形相でスマホのちっちゃい画面をのぞきこんだ。
例の話しかけてください画面を出して、顔を近づけて「だるまさんがころんだ」って言うんだ。
あんな迫真のだるまさんがころんだ初めて聞いたよ。
それで、――スマホはまた返事しなかったんだ。
僕もちょっと驚いたよ。正直、全部城戸の気のせいだと思ってたからな。
もう一回やってみればちゃんと返事が返ってきてあいつも安心して終わるって思ってたのに、これじゃますます不安になっちまうだろ。
……と思ったんだけど、城戸のやつ不安な顔してなかったんだ。
むしろなんか安心した顔してた。
なんでだって思ってる僕を尻目にスマホを井上に返してきて、そのまま席に戻ろうとするんだよ。
「なあ、大丈夫?」
つい僕の方が声かけちまった。そしたら城戸は弱弱しく笑って見せるんだ。
「とりあえず大丈夫」
「とりあえずって何だよ。返事なかったからびびってたんじゃないの?」
自分の席につく城戸の後ろについていきながら訊いたんだけどさ、妙な説明してくるんだよ。
「だからさ、だるまさんがころんだだろ? 鬼がだるまさんがころんだって言ったら動いちゃダメなんだ。今言ったから、しばらくは向こうも動かないだろ」
「向こう?」
「幽霊」
ちょっと呆れちゃったよな。大真面目な顔して言うんだもん。
なんか城戸にとってはそう考えると理屈があってるんだって思えるらしいよ。
まあ、本人がそれで安心できるみたいだったからさ。ケチつけるのもかわいそうだし、何も言わないでおいた。
その日は本当にそれだけだったんだけど、気が済んだわけじゃなかったんだ。
なんせ次の日もまたスマホ借りて同じことするんだから。
それも一回じゃない、朝昼帰りの三回も。貸してくれた井上もたいがい親切だって感心するよ。三回目には「自分でスマホ買ったら?」って突っ込んでたみたいだけど。
僕が気になってたのは、城戸のやつ、だんだんびびり方が激しくなってってるってことなんだよな。
だいじょうぶかってまた様子を聞いてみたら、例によって変な解説が始まるんだよ。
「やっぱり近づいてきてるみたいなんだ……。気配がするんだよ、俺の見てないところで誰かが俺のこと見てて、忍び寄ってきてる。いろんな方向からだ。きっと相手は一人じゃない。そりゃそうだよな、だるまさんがころんだって大勢でやるもんなんだから。ああ、そういえば今日金曜日だ! どうしよう、明日から二日もだるまさんがころんだ言えないよ。スマホ借りにいかないと……」
やばいだろ。完全に呪われたって思い込んじゃってる。
スマホ借りるのも今はまだ付き合ってくれてるけど、さすがに休みの日までっていったら怒られるよな。
なんて現実的なこと言っても聞き入れそうになかったからさ、城戸の設定の中でなんとかならないかって話してみたんだ。
「なあ、別にスマホ通さなくてもいいんじゃねえの? 素で言ってみたら?」
「ダメだよ、スマホ通すから幽霊に声が届くんだ」
「それは最初だけかもよ。もう始まったんだし線が繋がってるよ」
線ってなんのことか知らないけどテキトーに言ってみたら、城戸の方はなんかちょっと納得したような顔してさ。
「確かにそうかも……。ちょっと試してみる」
それで自分の席に突っ伏しちまう。しばらく見てたんだけど、城戸はきょろきょろそわそわするばっかりで会話する気なさそうで、授業も始まるから仕方なく席に戻った。
後でもう一回様子うかがってみたら、ちょっとだけ笑顔見せてさ、効いたかもしれないっていうんだ。
なんのこと言ってんのかよくわかんないけど、その忍び寄ってくるやつらの動きが緩くなった気がするって。
よかったよかったって話合わせたけど、僕には正直ちっともよく思えなかったよ。
だってあいつ、その日一日中隙があれば机に突っ伏してぶつぶつ言ってたんだ。
だるまさんがころんだを唱えてんの。
顔上げてるときは顔上げてるときで周りに誰かいるって感じできょろきょろしてるし。僕も一緒になってきょろきょろしてみたけど、もちろん誰もいないんだぜ?
クラスのみんなはそういう遊びなんだと思ってたみたいで、「城戸、後ろ後ろ!」なんて言ってからかうもんだから、怯える城戸をなだめるのがもう大変だっただよ。
そんで金曜の放課後になっちゃうだろ。
土日ほっとくのすげー心配だったんだけど、城戸本人は自分の部屋にこもってれば大丈夫って言うんだ。
僕もそばについてたからってどうこうできるわけでもなかったし、あんまり変なこと考えすぎんなよって言いつけて普通に別れた。
土日も気にはなってたんだけど、向こうからは別に連絡なくてさ。僕から話むしかえすのも忍びなかったからほうっておいて、次に城戸と話したのは月曜の朝なんだ。
校門入ったところで後ろ姿見かけて、びびらせないように前の方に回り込んでから声かけたんだけど、あいつ、なんか爽やかな顔しててさ。
おはよう、って普通に言うもんだから、心配してて損したと思ったよ。
「なんだよ、びびるのもうやめたのか?」
「それがさあ、聞いてくれよ!」
城戸のやつ、話したくてたまらないって感じで身を乗り出してきたんだけど、急にハッと何か気づいたみたいに首を引っ込めた。
僕が変な臭いでもしてんのかと思ったけど、城戸は別にそのことには触れずに明るい声で話を続けるんだ。
「なんか心配させちゃってごめんな。終わったからもう気にすんなよ」
「なんだそりゃ。悪ノリを続けるのに飽きたってこと?」
城戸は苦笑したかと思ったら、今度こそ目線を上げて何か見つけたみたいで、「ちょっと悪い」って言い残して下駄箱のところに駆け寄った。
何するかと思ったらさ、そこに井上がいたんだ。
まさかまたスマホ借りる気かと思ったけど、ただ井上の肩叩いて声かけて、二言三言話しただけで、井上は先に廊下を歩いてっちまった。
別になんてことない朝の挨拶にしか見えなかったけど、井上にも何度もスマホ貸せって迫ったの謝ったのかもって思ったよ。
僕も下駄箱に着いて合流したら、城戸はまたごきげんで話を続けた。
それがこんな話だ。
最初にだるまさんがころんだを言ってから、城戸は気配を感じるようになったらしい。
最初のうちはそれが何なのかわからなかったんだって。
後ろから見られてるような視線を感じるんだけど、そっちを見てみてもなにもいない。
二日目になって少しだけ存在が見えるようになった。
視線を感じて振り返ると、視界のどこかに黒い点みたいなものが見えるんだって。目に入ったゴミかと思って目をこするんだけど消えない。でもじっと見てるうちにフッと消えるんだって。
それが視界の正面では起こらなくて、かならず振り向いたときにだけ起こるんだ。それで、だるまさんがころんだが始まってるんだって気づいたらしい。
それが何度も続いて、しかもちょっとずつ点の数が増えていく。
気味が悪くなって、井上にスマホ借りて例の「だるまさんがころんだ」をまた唱えたら、点が現れることがなくなった。
言うと止まるんだと思って安心したけど、しばらくしたらまた見え始めるようになった。
またスマホ借りて言ったらまた消える。
それこそだるまさんがころんだだ。呪文みたいに言うことで抑えておけるってことで、一旦安心しちまったんだって。
でも、次の日になったらどうにも耐えがたくなってきた。
見えるものに変化があったんだ。
もう点とは言えなかった。
それは、人の形で地面からにゅっと生えた黒い影なんだ。誰かの影が映って見えてるだけかと思ったけど違う。
自分が振り向くと遠くの方に見えて、じっと見てるうちにふっと消える。点が近づいてきたんだってすぐに分かったって。
いよいよ怖くなってきた。
例えば教室で気配を感じたとき、振り向いてもそこにいるわけじゃない。でも、後ろの壁を隔てた向こうの方に影が立っていて自分をじっとうかがっていることが感じられるんだって。
それでまたスマホを借りてだるまさんがころんだを言う。
そうしたらしばらく見えなくなるけど、いつのまにかまた見え始める。
見えている間、そいつらが少しずつ距離を縮めてきてるのもなんとなく分かっちまう。
現れる場所はまちまちだし、明らかに大きさが変わるわけでもないから、実際の距離感はわからない。
でも、なんせだるまさんがころんだだ。近づいてきてるに違いなかった。
これ以上近くに来られると思うと怖かった。
できることならずっとスマホを借り続けたかったけどそうもいかない。
それで、試しにスマホを通さずに言ってみたら、スマホに向かって言ったときと同様に振り向いても影が見えなくなった。
もうできることはそれしかなかった。
だるまさんがころんだを言い続けて、気配を感じたら必ず振り向く。見ていれば影は動かないから。
でも次の日――土曜日になったらいよいよまずかった。
もう影のいる場所は遠くとも言いがたいんだ。
部屋の端と端、横断歩道をはさんだ道路の向かい、顔もわかるくらいの距離になってた。
もちろん、実際の顔はわからない。
なにしろ向こうは影なんだ。
普通なら壁とか地面に貼りついてる人の影がむくりと起き上がってるみたいだった。
近づけまいとして家の中でなんとか抵抗したらしい。
だるまさんがころんだをずっと言ってたし、死角を作らないように壁に背中をくっつけてた。
そのころ分かってたこととして、影は物理法則を無視してるわけじゃないんだって。
人間と同じ、道を歩いてドアを通って近づいてくる。宙を浮いたり壁を通り抜けたりはしない。見える影はいつも地に足をつけてたそうだよ。
だから壁に背を向けてれば、気がついたら後ろまで来ていたってことにはならないんだって、そう思ってたんだって。
努力したおかげで土曜日はほとんど影を見ずに済んだらしい。
とはいえ、これじゃただの時間稼ぎだってのも分かってたんだ。
かと言ってどうすりゃいいのかわかんないからパソコンで検索したりするんだけど、対処法が見つからないんだって。
シャワー中にだるまさんがころんだを言っちゃいけないって怪談もあるけど、言っちゃったらどうすればいいのかはわからなかった。
試したは試したんだってさ。
「一抜けた」っていってみたり、「だるまさんが転ばない」っていってみたり。
なんの影響もないみたいだった。「だるまさんがころんだ」しか聞き入れてくれないんだ。
そんなことしてるうちに土曜の夜が来た。
早く寝ちゃおうと思ってベッドに潜り込んだところで――ハッと気づいた。
寝たら目を閉じる。
目を閉じたら影は近づいてくる。
寝てたらだるまさんがころんだも言えないから止められない。
寝ている間に影はきっと走って近づいてくる。
こんなこと、今まで気づかなかったのが能天気すぎたんだ。
今まで、一日ごとに距離が近づいてる気がしたのは、寝ている無防備な間に影が進み続けてたからだったんだよ。
気づいたら当然、眠る気なんてふっとんだ。
今夜はずっと起きてるんだって心に決めて、部屋の電気をつけた。
仰向けになって目を開けて前を見ていれば、忍び寄られることはないはず。
さいわい、その作戦は効果があるようだった。
今まで一度も、目を開いて映してる視界に影が表れることはなかったんだ。死角に向かって視界を移すとそこにいるってだけ。まばたきしてる間に近づいてこられることもなかった。
だるまさんがころんだだからな。一瞬の間じゃ動けるわけないって理屈。
それに物理的に近づいてくる影は、窓かドアから入ってくるはずなんだ。
だからその両方を視界に映して、背中にも空間をなくしておけば隙はないって思ってた。
でもさぁ……寝ちゃいけないって思うほど眠くなってくるもんだろ。
寝たいときは目が冴えるけど、寝ちゃダメって気合入れてるとどうしてか眠り込んじまう。
城戸も一日中気を張ってたからな。
部屋の明かりがこうこうと灯ってても、横になってるとだんだんまぶたが重くなってくる。
瞬きの動きが緩慢になってきて、そのうちに目を閉じてる方が長くなる。
そのまま……気づかないうちに寝ちまってた。
目を覚ましたときはまだ夜中だった。
部屋の中が真っ暗だったからとっさにそう思ったらしい。
でもさ、寝る前に部屋の明かりはつけっぱなしにしたはずなんだ。
それが今は電気が消えて真っ暗。
怖くなってとにかく「だるまさんがころんだ」って言ってそわそわ視線を走らせてみたけど……変なものは何も見えなかった。
一息ついて、今度こそ眠るまいと改めて決心した。
とにかく朝になれば安心できると思って時計を確かめようとしたんだけど、暗くて良く見えない。
何か変だと思った。
城戸は目覚まし時計を使ってたんだけど、針が光るタイプで明かりが消えてても見えるはずなのに、今は見えない。時計がどこにあるのかも分からない。
考えてみたら他にも変なんだ。
普通、電気がついてなくても部屋の中ってぼんやり見えるもんだろ?
今まで目を閉じてたんだから暗闇に慣れてる状態のはず。なのにカーテンの隙間から漏れる明かりとか、エアコンのタイマーのランプとかが、なぜだか今は見えないんだ。
おかしいなと思ってよくよく目を凝らしてたら、キラッと小さく光るものが見えた。
何かが反射したんだと思ってそこをよくよく凝視してみたんだけど……
それがさ、人間の目だったんだって。
真っ黒な闇の中に人間の目が二つ、こっちをじっと見降ろしてる。
光源はないはずなのに目だけが白い光を映してた。
恐怖のあまり固まった。
何がなんだかわからない闇の中、目だけの存在ににらみつけられてるんだぜ。
それも……相手は一人じゃなかった。
気が付いてみれば、同じような小さい光が部屋中あちこちに見えるんだ。二人とか三人とかのレベルじゃない。何人分かもわからないたくさんの目。
それで理解したんだ。
部屋がどうして暗いのか。
今まで迫ってきていた影たちが、部屋中を覆って自分を取り囲んでるんだって。
これまでなら影が見えてもじっと見つめてるうちに消えたんだけど、今はダメだった。
こっちを見つめてくる目をいくら睨み返してみても、消えていかない。鬼が近いんだから当然だって思った。
もう少しで届くんだから。もう決めようと思ってるんだ。
どうしたらいいか分からなかった。
朝まで待てば消えてくれるかもしれない。
でも消えなかったら?
今もうこの近さにいるってことは、次に隙を見せたらおしまいだ。
それなら、と思った。
ひと思いに終わらせればいいんじゃないかって。
さすがにもう疲れてたんだよ。
この数日ずーっと影の動きばっかり気にしてたんだから。
このまま得体のしれない影たちとにらめっこしつづけて朝を待つほどの根性があるわけもなかった。だいたい朝が本当に来るかどうかだって分かったもんじゃない。
だから諦めたんだ。楽になりたかった。
目を閉じて、これで最後になるだろう言葉を震える声で言った。
だるまさんがころんだ――の最初の「だ」を口にした瞬間、自分をとりまいていた影が一斉に手を伸ばしてくるのを感じた。
顔にべちゃりと触れる感触。
濡れた雑巾みたいに湿っててぐんにゃりと冷たい。
寒気がのぼってくるのを感じた一瞬の間に、自分はこのまま地獄に引きずり込まれるんだって覚悟した。
……けど、実際の一瞬の間の後には、何も起こらなかった。
顔に冷たい手が触れた、その次の瞬間、自分を囲んでいた黒い影がさっと吹き飛ばされたみたいに消えてなくなった気がしたんだって。
目を閉じてたから見たわけじゃない。でも、手の感触も、射るように注がれてた視線も、確かに感じなくなったんだ。
数秒待っても何も起こらないから、城戸はおそるおそる薄目を開いた。
明かりのついた自分の部屋が見えた。
昨日の夜寝込んだときと同じ状態だ。
枕もとを見ればちゃんと目覚まし時計も置いてあって、朝方の中途半端な時間を指してた。
城戸は思わず笑ったんだ。自分に呆れてさ。
鬼ごっことごっちゃに考えてたのがいけなかったんだ。だるまさんがころんだってのは、鬼にタッチしたらできるだけ遠くに離れるっていうルールだろ。
だから影は鬼の城戸の顔に触るや、一目散に逃げだした。
まあ、確かに筋は通ってるかもな。
城戸はあくまで幽霊とだるまさんがころんだを遊んでたって思ってるから、ルールに則って解釈すれば納得できるらしい。
さっさと近づけてタッチされればそれで済んだのに、って、びくびくしてた自分が情けなく思えたってさ。
城戸が「終わった」って言ってたのもそういうことだったわけ。
妙にさわやかなのも、もう万事落ち着いて、怖がる必要もなくなったからなんだ。
これさ、話だけ聞くとただ悪夢みただけだろって言いたくなるよな。
僕も途中からそう思ってたよ。
なんだけど……城戸が話すときさ、基本的には朝あいさつしたときと同じ明るい調子でさらっとしてたんだ。
でも、一番最後のところ……ルールに則ってたんだって解釈してるところ、あそこを話すときだけ声がやけに一本調子になってさ。お経唱えてるみたいなしゃべり方なんだよ。
変に思って顔見たら、その目が妙に……なんつーか、どこ見てるかわかんないっつうか、焦点が合ってないっつうか……すごくうつろなんだ。
やっぱり心配になってきちゃってさ、それまで黙って聞いてやってたんだけど、「それで、大丈夫なのか?」ってつい口挟んだんだ。
城戸はぱっとさわやかな表情に戻ったよ。
「大丈夫大丈夫。でもさあ、すげー怖かったんだよ! 俺幽霊なんて見たことなかったもん。あれが幽霊なのかなんなのかよくわかんないけどさ、でも一回あんなの見ちまったら思い出しちゃうよな。夜急に目が覚めたときに思い出したら、マジやばいかも。ぶっちゃけ昨日も今日も電気つけっぱで寝てんだけどな」
冗談言って笑う顔見てたら、やっぱり大丈夫そうだなって思えてきたよ。
まあ、もともと城戸が自分でテキトーなでまかせ言って撒いた種なんだから、自業自得っちゃ自業自得なんだけどさ。
……あー、まだ終わりじゃないぜ。
僕もこれで終わりかと思ったんだけど、最後にちょっとだけ。
城戸が楽しそうな声で続けたんだ。
「でさ、今度は俺ちゃんと考えたんだ。だるまさんがころんだって、鬼にタッチしたあとみんなで逃げて、そのあと鬼がタッチした人が次の鬼になるだろ? 俺がもしこのまま何もしないでたら、また鬼だとみなされるんじゃないかって心配になっちまって。あの影がルールをちゃんと把握してるんだとしたらさ、俺がタッチした人が次の鬼になるんだよ」
怪しい内容だろ?
城戸の言いたいことはすぐ分かるよな、次の鬼を誰にするのかって話だ。
「でもさあ、いくらタッチされれば終わるっつっても、影が近づいてくる途中ってすげー怖いんだよ。俺だってもう一回やれって言われたら全力で断るね。だから、俺、鬼にしちゃ悪い人にはさわらないように日曜日から今朝までずっと気を付けてたんだ」
そこまで言われて思い出したよ。
今朝会ったとき、城戸が妙に距離を置くような動きをしたって言っただろ?
僕が臭かったわけじゃなくて、触らないようにしてたんだよな。
ついでに思い出したのは、その後で城戸が触ったやつがいるってことだ。
「井上にタッチしたわけ?」
つい先回りして言ってみたら、城戸のやつはにかんでうなずくんだよ。
タッチに本当に効果があるとは思えなかった。
でもさっきの城戸の口ぶりじゃ、怖い目に遭わせたいやつにタッチするって話だったろ。
しつこくスマホ借りに来た城戸に親切に貸してくれたのが井上なのにさ、鬼にしてやるって発想になる意味がわかんなくて。
「井上は鬼にしたら悪いって思わないのか?」
僕が訊いたら、城戸は肩をすくめた。
「まあスマホ貸してくれたのは助かったけど、別にスマホ通して言う必要なんてなかったわけだし。それに、そもそも、あいつがスマホ見せびらかしたせいであんな怖い目に遭っちまったわけだろ。あいつも同じように苦しまないとフェアじゃない。すごく怖いんだ、自分の見えないところから真っ暗な影にじっと見つめられてるのってさ……だんだん近づいてきて、気が付いたら目の前に……」
城戸の声からだんだん抑揚がなくなって、見ればまたあのうつろな目をしてた。
黒い影に迫られたっていうのが事実なのかは知らないよ。
ってか僕は信じてない。
けどさ……城戸はとにかくそう思い込んでたんだ。
城戸にとっては怖い目に遭ったのは本当のことで……井上を恨む気持ちも本物なんだ。
言葉の内容より、僕には城戸のあの目の方がよっぽどおっかなかった……っていう話。
はい、これで僕の話は終わり。
――井上がどうなったかって?
さあね、最後のところは今日学校であった話なんだ。
だから井上が本当に鬼になったのかどうかは分からない。
明日か明後日、井上がキョロキョロビクビクし始めたら……ってことだな。
ま、思い込みが激しい人は変な都市伝説試さない方がいいぜ。
スマホに向かって目を閉じて「だるまさんがころんだ」は、やめとけよ。
実際Siriがなんて返すのかは知りません。