鶴美先生の怖い話:視線の先
そいつは毎日同じ道を通って家に帰っていた。
駅から細い裏道を通って、三叉路を左に曲がって大通りに出るのがいつものルートだ。
裏道は住宅街の中にあって、通りがかる人も車もそれほど多くない閑静な場所だった。
ある日、いつも通り三叉路に通じる道を進んでいると、正面の道の先に人がいるのが目に入った。
黄色いカーディガンを着た女に見えた。
こちらに歩いてくるわけでも向こうに歩いて行くわけでもなく、ただ道の真ん中に立っている。
その道の片側一方は手入れのされていない空き地で、もう一方は住宅の塀だ。
その女は住宅の塀に向かって突っ立っていて、何かをじっと見ているようだった。背伸びをして家の中をのぞこうとしているとかじゃなく、ただ何もない壁を見ているようにしか思えない。
そいつも別に他人の行動をじろじろ見るつもりじゃなかったんだが、何しろ進行方向にいるもんだから勝手に視界に入ってきてしまう。
とはいえ、その女がいたのは三叉路の先だったんだ。
そいつはいつも通り左に曲がって、それであの女が見えなくなったらそんなことはすぐに忘れた。
だが――翌日も同じ女を見かけた。
また三叉路の先で、何もない壁を見つめている。
顔が見えたわけじゃないのに同じ女だと思ったのは、黄色いカーディガンを着ていたからだ。
この辺には変なやつがいるんだと思ったが、三叉路を左折したらもうどうでもよくなった。
翌日もその女を見た。
また黄色いカーディガンだ。今度は中腰の格好で、やっぱり塀を見ているようだった。
いったいその女が何を見てるのか、そいつは少し気になった。
翌日も、その翌日も。
そいつが同じ道を通るたびに、黄色いカーディガンの女が塀を見ていた。何時に通っても必ずいた。
ここまで来るとすっかり気味が悪くなっていた。
なるべく視界に入れないように努力しながら、足早に道を進んでさっさと左折する。大通りに出ればやっと一息つけた。
そいつはその女を”関わってはいけないもの”だと判断していた。実在する人間じゃないと思ったんだ。
影響されてはいけないとも思った。その女がいるから通る道を変えるとか、露骨に走って道を抜けるとか、そういうこともしない方がいいと思っていた。
合理的な理屈があったわけじゃないが、そう感じたんだ。
そいつがその女を目にすることに慣れ始めたころだ。
ある日――その女はいなかった。
いつも通りいつもの時間にいつもの道を通ったが、慣れっこになった黄色いカーディガンが視界の端に映らない。
思わず道の先を目線で探ってみてしまったが、やっぱり誰もいないんだ。
そいつはほっとした。妙な出来事がやっと終わったと思った。
それと同時に、好奇心も沸いてきた。
あの女が眺め続けていた場所に何があるのか、気になって仕方なかくなったんだ。
確かめるなら今しかない。
明日にはまたあの女が戻っているかもしれないからな。
そいつは三叉路をまっすぐ進んだ。
いつも女が立っていたのは、三叉路から二十メートルほど先。道に目印になるものがないからおよその場所しか分からないが、とにかく同じように立って見てみようと思った。
そいつは塀に向かって立った。
塀はどう見ても、ただの塀だった。
グレーのブロック塀。身長ほどの高さがあって、塀の向こう側は当然のぞけない。穴や亀裂があるわけでも、植物が生えているわけでもない。
何一つ面白いものは見えなかった。
そいつはくだらないと思い直した。
さっさと帰ろうときびすを返した。
――目の前に女がいた。
黄色いカーディガンの毛玉が見えるほどの距離に。
背の高い女はそいつをじっと見下ろしていた。
「やっぱり見えてたんだ」
女はそう言ってにたりと笑った。