8話「照準の乱れは心の乱れ」
白昼の街中に響き渡る銃声。
発された場所は王都ユーダンクにある薄暗い飲み屋街。その通りで暴走を加速させる、ドゥリカという男性ハンターが原因だった。
耳の内で木霊する愛銃の咆哮。
しばらくはその余韻を楽しんでいたドゥリカだったが、不意に武器を下ろすと、相手の男へと嫌らしい目をやった。
「ヒューッ! 勇者様は磔になっている姿も決まってるねェ! 家の庭に飾りつけたいほどの間抜け加減だぜ!」
ドゥリカの言うとおり、勇者ヴィーレは建物の壁へ刺さった二本のランスに脇を抱えられるようにして、宙ぶらりんになっている。
「キマってるのはお前の頭とセンスの方なんだよなぁ……」
酔っぱらいのテンションにウンザリしたような口調で応えるヴィーレ。
機を窺っている眼だ。三十メートル近く離れているドゥリカを果たしてどう仕留めたものかと、密かに考え進めているようだった。
ヴィーレ達の傍にはそれぞれ二体ずつ、合計四体の『動く鎧』が配置されている。
ドゥリカの召還した従順な使い魔どもだ。これを何とかしなければ、勇者は相手に近付けない。
けれど、鎧の従僕と先に戦うとしても、ドゥリカは銃を持っている。こちらが戦闘している最中に、遠距離からきっと妨害してくるだろう。
ただでさえ一対五という圧倒的不利な状況なのに、余計困難なシチュエーションに立たされている。ヴィーレは内心で歯噛みした。
しかし、時間は都合よく待ってくれないものだ。
ドゥリカが重たそうな銃を構えると共に、ヴィーレの前にいた鎧が横に退いて、こちらの両腕を掴んできた。拘束が強化され、銃口と勇者の間にあった障害物が無くなる。
「さてさてさてさて。さてさてさてさて……。これで、本当に、終いだ」
細かく言葉を区切るドゥリカ。彼の眼光はヴィーレの瞳を射抜かんばかりに煌めいていた。
男は残虐な笑みを浮かべながら、勇者に照準を合わせる。その口からは憎悪の念のみがこぼれ落ちていた。
「さっきは油断したが、次は絶対外さねえ。耳を撃ち落として、喉を潰して、最後は手足に風穴を開けてやる……!」
だけれど、ヴィーレはそれでも揺らがない。
「本当にお喋りが好きな奴だな。言い訳の数だけ『漢』が下がるぞ?」
彼は不敵な態度を保ったまま、平坦な口調で挑発を返してみせた。
勇者は自身の迂闊さにウンザリこそすれど、己の勝利を疑いはしていなかったのである。
理由は勿論、言わずもがなだが、それだけの自信と経験があるからだ。ドゥリカだけでなく、彼の僕の実力まで正確に把握しているという自負がある。
だから、ヴィーレは勇気を抱き続けられた。
「底辺の農民風情が……! 本気で死にてえらしいな……ッ!」
激昂したドゥリカが引き金に指をかける。
冷静な判断を欠いた彼が勇者へ銃弾を放つのに、それほど長い時間はかからなかった。
空気を揺らす発砲音。
同時に、ヴィーレは二体がかりで押さえられている両手を平然と動かし、鎧の体を盾にして飛んできた弾丸を防いだ。間一髪でジャストガードだ。
盾にした鎧をぶっきらぼうに上空へと放り投げ、もう一体は空いていた右足でドゥリカ達の方に蹴り飛ばす。
壁に突き刺さった槍を力ずくで引っこ抜くと、そのうち一本だけは持ったまま、勇者は地面へ舞い戻った。
「なっ……!?」
ヴィーレの滅茶苦茶な対応に言葉を失うドゥリカ。
勇者が当たり前のように行った動作は、平凡な人間にできるものではなかったからだ。
速さも、筋力も、丈夫さも、一般的な成人男性のそれを遥かに凌駕している。身体能力だけでなく、勇者の戦闘経験も並外れているであろう事は、誰が見ても推測できた。
「ただの……ただの農民じゃねえのか、テメェ……!」
ドゥリカは思わずそう問うていた。
得体の知れない怪物を目の前にしている気分だ。背中と腕に鳥肌が立つ。
彼の視線の先で、ヴィーレはおもむろに立ち上がっていた。
無気力そうな仕草と表情に反して、爛々と輝いた赤い双眼だけが、不敵な光を宿して揺れ動いている。
「残念だが――――」
口を開いたところで、ヴィーレはランスを天へ向かって掲げてみせた。
先ほどドゥリカが発砲した時の仕草を真似たものだ。
直後、勇者が数秒前に上空へ放っていた鎧のうち、ようやく落下してきた一体が背中から槍に貫かれる。
「こちらの言葉を聞かなかった奴に寄越す回答は、用意していないね」
ヴィーレは血も流さずに脱力した使い魔を一瞥してから、武器を勢いよく振り払った。
突き刺さっていた鎧は為す術もなく吹き飛ばされ、壊れた玩具みたいに喧しく音を立てて地面を転がっていく。
胸に穴を開けた甲冑には目もくれず、一歩を踏み出すヴィーレ。彼は悠然とドゥリカに歩み寄り始めた。
「この野郎……ッ! 来るな来るな! こっちへ来るんじゃねえッ!」
ドゥリカの声に呼応した鎧が三体、同時に勇者へと襲いかかる。
ヴィーレは持っていたランスを投擲して一体目を鉄屑へ変えると、かかってきた二体目に廻し蹴りを撃ち込んだ。
鎧は寸前で盾をかざすが、勇者の脚はその分厚い防壁を呆気なく打ち破り、二体目を地面に叩きつけるだろう。
だが、休んでいる暇はない。攻撃を終えたヴィーレの背後から三体目の刺突が迫りくる。
「遅いッ!」
ヴィーレは振り返りざまに屈んで槍をやり過ごし、流れるように相手の懐へと潜り込んで、鎧の顎部分に強烈なアッパーを放った。
厚い鉄パイプの折れたような音がする。
気が付けば、鎧の頭にあたる部位、ヘルメットが高く宙を舞っていた。
その間にも、軽傷だった二体目が起き上がる。使い魔は関節から呻き声に似た音を出しながら、こちらへと玉砕覚悟の特攻を仕掛けてきた。
突進してくる鎧を確認したヴィーレは、何もせずにそれを睨みつけている。
が、鎧の持つランスの先端があと一歩でこちらへ届くというところで、ヴィーレの眼前に先ほど殴り上げた三体目の『頭』が降ってきた。
それを待ち受けていたかのように、華麗な挙動で蹴りを入れる勇者。
サッカー選手のシュートを連想させる精細な軌道だった。
弾丸並みの速さで飛ばされたヘルメットは、二体目の体をバラバラに分解した後、バウンドしてヴィーレの手元に戻ってくるだろう。
「次はお前だ」
キャッチした鎧の頭を握力だけで潰しながら、ヴィーレはドゥリカへと向き直る。
一方で、ドゥリカは計り知れない実力差に恐怖していた。
小刻みに膝を振動させている。自身の側についていた使い魔を速攻で制圧されたため、遠距離から加勢する間も無かったようだ。
ヴィーレは相手の返事も待たず、再び彼へと歩み寄っていく。
「……ッ!」
短い悲鳴を喉元で堪えるドゥリカ。
彼は反射的に銃を構え直していた。今更ながらに猛省を駆り立ててくる心が、更なる緊張感を生み、男の呼吸を加速させる。
手の動きがいつもよりブレるけれど、ここでヴィーレに攻撃を当てなければ敗北してしまうのは必至。
「クソッ! クソがァ……!」
ドゥリカは覚悟を決めて息を止めた。
すると、腕の震えが心持ちマシになる。これは狙撃をするときによく行っている彼の癖だった。
勇者の心臓に狙いを定める。あとは引き金を引くだけだ。
(頼む! 当たってくれ……ッ!)
ドゥリカは縋るような声を漏らして指を曲げた。直前で、極度のパニックからか瞳を閉じてしまう。
飽きるほどに聞いた銃声。
観客の声はもう聞こえなかった。誰もが固唾を飲んで勝負の行方を見守っているのだろう。
それからわずか数秒だけ、通りは異様な静謐に包まれる。
最初にドゥリカの耳へ届いたのは、彼が今現在、最も望んでいない声だった。
「外したな」
勇者ヴィーレの淡白な声色だ。
瞼を上げたドゥリカの前で、彼は変わらぬ無表情を湛えて立っている。
ヴィーレの頬には赤い血の線が伸びていた。恐らく、弾丸が顔の縁ギリギリを掠めていった際に付けられたものだろう。
勇者はドゥリカが次撃へ移る前に、銃身を掴んで自分の体から無理やりに狙いを逸らさせた。
銃声がまたも虚しく響く。
「照準の乱れは心の乱れだ。アルコール漬けの肝にしっかり銘じておくといい」
鼻先がくっつくくらいの距離まで近付いてから、最後の忠告を囁くヴィーレ。
次の瞬間、勇者の硬い鉄拳が、相手の顔面へと撃ち込まれる。
叫喚をあげる間すら無かった。
ドゥリカは凄まじい回転をしながら街灯に突っ込み、通りの中央にて、ようやく体を静止させる。
蛙が轢かれた後のような惨めすぎるやられっぷりである。
あり得ない動きで飛んでいった上、既に気を失っているドゥリカだが、まだ息はあるみたいだった。ヴィーレの手加減が功を奏したらしい。
「『言葉』は通じなくても『拳』は通じたな」
ヴィーレは片手の中に残っていた鉄砲を放り投げると、誰に言うでもなくそう独りごちた。
「『説教よりも暴力の方が効果的』ってのは、あながち間違いじゃないのかもしれない。『拳で語る』とかいうやつだ」
そうして、敵を殴り飛ばした右手をジッと眺める。
しかし、それから間もなく、ヴィーレはドゥリカへと背を向けてしまった。
表現を簡潔に、分かりやすく変更すると、彼は酒場の方へと踵を返した。
「もうすぐ衛兵が来るから、後は自分で始末をつけろよ」
気を失っているドゥリカへとそう告げて、肩越しに左手をヒラヒラと振るヴィーレ。
彼はのんびりとした歩調を崩すことなく、何事も無かったかのように、その場を去っていったのだった。戦く観客達を退けながら。