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異世界五分前仮説   作者: するめいか
エピローグ
62/65

最終話「異世界五分前仮説」

 肌寒い空気が張り詰める早朝。


 とある山の頂にひっそりと佇む教会跡から、一人の老人が杖をつきながら歩み出てくる。


 骨と皮だけになった枝のような身体。齢は百に至りそうな風体。長身だが、背中は猫のように丸まっている。


 白い髪と髭を蓄えたその姿は、質素な格好も相まって、まさに仙人という存在を体現したようであった。


 けれども、山奥で独り暮らしできるほど活力に溢れているとは到底思えない。


「ノエル、ジェリー」


 女と男の名前をそれぞれ呼びあげるが、老翁(ろうおう)に返ってくる声は無い。


「誰もおらんのか……」


 彼はしわくちゃの顔を天に向け、重たそうに瞳を開くと、ベランダのような空間に設置された円卓へ向かっていった。


 自然を感じながら好物のお茶を嗜むために購入したロッキングチェア。


 そこへ腰掛けた男は、それだけで一苦労という風に深い溜め息を吐く。


「《パラダイス・ロスト》」


 (しわが)れた声で唱えられたのは『観測の呪文』と呼ばれるものだった。


 この世界とは完全に分離している同次元の別世界を覗き見ることができる能力。


 同次元の別世界とは、霊界や魔界とも違い、四次元世界とも異なる場所。つまり並行世界(パラレルワールド)である。


 観測の呪文(パラダイス・ロスト)とは要するに、たったそれっぽっちの能力だが、彼にとっては未知を知り続けることが老後の楽しみであり、数少ない趣味の一つだった。


 朝日を浴びながら瞳を閉じる男。


 こうして彼は毎日、穏やかに死が訪れるのを待っている。


「また呪文で異世界観測しているの?」


 と、そこで、老翁の正面から若い少女の声が投げられる。


 男が椅子に揺られながら目を開けると、円卓を挟んだ対面の席には、いつの間にやら黒ローブの商人が座っていた。


 円卓の上には出来立ての朝食とティーセットも並べられている。


 彼女が一瞬のうちに配置させたようだ。


 黒の商人は老翁に向けて軽く手を振ると、被っていたフードを脱いで笑む。


 栗色の髪に黒の髪留め。表情はヴィーレ達の前で見せる『営業スマイル』ではなく、素の悪戯っぽい笑顔だった。


 これといって目立った特徴のない、どこにでも居そうな女の子。


 彼女は労うように優しく挨拶を告げてくる。


「おはよう。もう起きてたんだね、()()()()()()()()


「……ノエルか。その呼び方はよしておくれと、前にも頼んだはずじゃろう」


 突然現れた商人、ノエルに驚きを示すことなく、彼女の言を柔らかく(たしな)める魔物の王。


 けれども、ノエルは彼へ曖昧に微笑むのみで耳を貸さない。


 代わりにハーブティーを二人分淹れつつ、本題の話へと移る。


「蜘蛛の魔物と時計の魔物が返り討ちにされたみたいだよ」


「……あぁ、そうか」


 老翁は一瞬大きく目を見開いたが、言葉をこぼすようにそう応えると、身を震わせて続きを呟いた。


「あの子達では、勇者君には敵わなかったか……」


「ちょっと手加減しすぎたね。だから言ったじゃない。ヴィーレお兄さん達は強いよ~って。やるなら本気でいかなきゃ」


「大蜘蛛も黒時計も十分な実力を持っておった。彼らを送り込んだことが手加減などとは、毛頭考えておらんて」


 まるでゲームをしているかのように事態を軽視するノエル。比べて、魔王は手下の死を心底から嘆いていた。


 魔物を生き物とは思っていない者と、同じ魂を宿していると考える者。


 二人の間には決定的な温度差があった。


「お兄さん達、次はモルトの町に行くらしいよ。魔物を送り込まなくていいの?」


「既に配置しておるよ。数ヵ月も前から、『宝石』の能力使いをな……。『変身』の呪文使いを仲間に加えた彼であれば、たとえ敵が五人がかりじゃろうと相手になるまい」


 ノエルから差し出されたティーカップを受け取って、魔王は一口分だけ茶を啜った。


 すると続けざまに食欲をそそる香りが鼻腔を刺激してくる。


 こんがり焼けたトーストに、程好く塩気のあるハムエッグ。ベーコンやキノコ、玉葱の入ったコーンスープと、胡麻ドレッシングのかかった彩り豊かなサラダ。


 どれもノエルの手作り料理だ。


 しかし、どうにも食事に手はつかない。


(ツーマンセルで組ませたのは愚策だったろうか。もっと数が必要と? 能力使いは知性の高い個体が多いから、あまり同時に多くを支配できないというのに……)


 送り込んだ刺客達のことが気にかかって仕方がない。


(一遍に勇者君を襲わせることもできるが、隠密に動かさなくては軍や衛兵に勘づかれるじゃろう。加勢されては余計に儂の仲間が不利になる)


 このような時に側近のジェリーがいてくれれば相談役となってくれるのに、今日はどこかへ出掛けているようだ。


 大方、ノエルとすれ違いに朝食の買い出しへでも向かったのだろう。


(やはり相性の良い者同士を組ませて少数精鋭で襲わせるのが最善か……? 多数で動けば綻びが出る)


 骸骨ような細長い指がコツコツと規則的にテーブルを叩く。


 魔王にとって重要なのは勇者の抹殺。


 あわよくば己の手で、叶わないならば部下の手で。どちらにせよ、不必要に血は流したくなかった。人間の国の掌握に関してもさして興味は無い。


 勇者ヴィーレを無に還す。


 彼に代わる存在が現れようが、その人間さえも必ず殺し、永遠に止むことのない闘争に己の身を置くこと。


 それこそが魔王に与えられた使命であり、彼にとって唯一無二の()()()()()だった。


(失敗は許されない。だが、焦りはかえって隙を生むもの。ここは配下の実力を信じることのみに専念するべきじゃ)


 長考の末、結局は現状維持という形に落ち着いた。


「とはいえ、不安が無いと言えばそれも嘘になる。九十八歳の儂には勇者君を捕らえるほどの余力なんて無いからのう……」


 魔王は自らの細腕を悲しそうに眺めた後、思い切って対面の少女を見据えてみた。


「そこでノエル。彼らの捕獲を、君に頼むことはできんかね」


「私がお爺ちゃんから依頼されたのは『勇者とその仲間の監視』でしょ? 残念だけど、追加発注は受け付けられないよ」


 コーンスープを両手で持ったまま肩を竦めて断るノエル。


 彼女は熱々の料理を冷ますため、「ふーっ、ふーっ」と息を吹き掛けだした。


 そうしながらも先の言葉を補うように商人は続ける。


「それに、『勇者へ手を出さずに魔王のところまで案内しろ』って依頼が、別のクライアントからも入っているからね」


「……分かった。今の話は忘れておくれ」


 魔王は必要以上に食い下がらなかった。


 ノエルは私的には良き友人だが、こと仕事に関しては、己の信念を徹頭徹尾貫く少女である。


 きっと老翁からどれだけ頼み込まれたところで、彼女が折れることはないだろう。


 彼が改めて依頼を持ちかけたのも、少女の気が変わっていないかという淡い希望のもとに行った確認にすぎない。


「もう誘いはしないよ。考えてみると、個人的な殺戮(さつりく)にこれ以上君を巻き込むべきではなかった」


 椅子を穏やかに揺らし続けながら、残念そうに眉の尻を落とす魔王。


 そんな彼を慰めたのは他でもないノエルであった。


「お互い苦労するね」


「ああ」


「私もここ数日は仕事ばっかりで、本業や趣味の方が(おろそ)かになっているんだ」


「生きるために働いていたはずが、いつの間にか働くために生きている。若い頃は『あり得ない』と一笑に付したものじゃがのう……」


「本当、ウンザリしちゃうよね。なんでこんなに働かなきゃいけないんだろう。人生なんて、たった三万日しかないっていうのに」


「この世の常じゃよ。やりたい事をやるよりも、やめたい事をやめる方がずっと難しい」


「ふふっ。言えてる」


 ノエルは可笑しそうに笑う。


 雑談を交わす二人の姿は、まるで祖父と孫のようであった。


 しかし魔王の表情はまだ少し硬く見える。心配事が頭の中を行ったり来たりして、どうにも落ち着かないらしい。


 机を叩いていた指を浮かし、彼はティーカップを手に取った。


「兎にも角にも、あらゆる手を用いて、勇者君をここへ連れてこなければならんな」


 男は茶を一口啜った後にそう独りごちる。


「儂の正体が、()()()()()()()へと伝わってしまう前に――――」


 ロッキングチェアに揺られる男の声は段々と圧を増していく。


 彼の纏う空気は、先までの穏やかな老人が醸し出すそれとは全く異なっていた。


「『異世界五分前計画』を完遂させなければ」


 魔物の王は(たる)んだ(まぶた)をおもむろに開く。


 先ほどまで灰色だったその瞳は朱色に染まり、勇者ヴィーレとは異なった、どす黒い決意を宿していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一部完結、というところでしょうか。バトルも良いし面白い作品でした。このあとの続きはあるのかな・・・
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