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異世界五分前仮説   作者: するめいか
エピローグ
61/65

裏話「人生のネタバレ」

 時は半日ほど遡り。


 アルストフィア村を出た直後、門前でネメスの服を始めとした様々なアイテムを買っていた時のこと。


 イズとネメスが服の試着をと、店の裏に設置されていた個室へ消えていったところで、ヴィーレは黒の商人と二人きりになった。


「一つ、お前に聞いておきたいことがあるんだが」


「ん? 何さ?」


 箱の中の商品と手元のリストを照合する商人に、店先で佇むヴィーレが問いかける。


「……今回のお前も、『時間が巻き戻る前の記憶』を覚えているのか?」


 彼が口にしたのは、これまで仲間達の前では決して出すことのなかった話題だった。


 繰り返し起こっている時間遡行。


 ヴィーレが翻弄され、未だ渦中から抜け出せずにいる謎。彼にとっては魔王討伐より優先して解決したい問題。


 黒外套の少女はヴィーレ同様にそれを認知していた。


「うん。どうやらその様子じゃあ、お兄さんはまた失敗したみたいだね」


 早々に照合を終え、箱の中にあった小説を立ち読みしながら、返事を寄越してくる商人。


 勇者の抱いているような危機感は彼女から伝わってこない。


「やっぱり何か知っているんだな……」


 深沈と構える相手の姿で、ヴィーレは改めて確信した。彼女が自分と同類であることを。


 初めは偶然だと誤認していたのだ。


(俺が勇者として、()()()()()()初めて冒険に出掛けた時、行く先々で武具や情報を売ってくれる彼女に俺達は散々助けられた)


 しかし時間遡行を経験して、死に戻り、死に戻り、四度目の冒険時に魔王城への進路を変更したところで。


 ヴィーレはようやく商人が記憶を引き継いでいることに気付いた。


 彼女はまたも、勇者達の通る町と村に姿を現したのだ。


(一度や二度じゃない。何度巻き戻ろうとも、いくら道筋を変えようとも、どれだけ急いで進もうとも、コイツは何食わぬ顔で俺達の前に出てきて商売を持ちかけてきた)


 商人がキーパーソンであることは明白だ。


 ヴィーレは屋台のような形状をした店のカウンターへ両手をつくと、片手でひょいと商人の本を取り上げる。


「なあ、どうして俺とお前だけは記憶を引き継いでいるんだ? なぜ時間は繰り返している?」


「……質問は一つだって、お兄さん初めに言ったでしょ。それに今の質問には、二十三周前の時点で答えてあげたはずだよ。『教えられない』ってね」


 商人は営業スマイルを崩さぬまま、勇者の方を見上げて言った。


「大体、今まではお兄さんも私の存在について、深く考えないでいてくれたじゃない。どうして今さら詰め寄ってくるの?」


「それはお前が中立な立場だと信じていたからだ。こちらが敵意を示さなければ、お前は攻撃をしてこない。おまけに高級な武器や防具を安値で売却してくれる。実際、前回もそのおかげで魔王のもとへ辿り着けた」


 ヴィーレが話をしている間に、商人は脈絡なく外套のポケットへ片手を突っ込むと、一冊の本を取り出した。


 表紙を見るに、先ほど没収された小説と同じ物のようだ。


 ストックを用意しておいたらしく、彼女は視線を下げて再び物語に目を通し始める。


 また取り上げてやろうかとも思ったが、耳は傾けてくれているようなので、渋々と諦めるヴィーレ。


 彼はそのまま説明を続けることにした。


「だが、どうも事情が変わってきた。時間遡行を起こしている犯人は魔王じゃなかったんだよ」


「あぁ……。だから私を疑っている、と?」


「理解が早くて助かる」


 小説を読み進めながら返される言葉からは、どうにも手応えが感じられなかった。


 ヴィーレは体をさらに前のめりにしてから、冷静に、しかし強く詰め寄ってみる。


「いいか。俺が巻き込まれている時間遡行は、まず間違いなく呪文か能力の仕業だ。が、もし魔王が『遡行』の能力使いだとしたら、俺が奴を殺した後に初日へ戻されたことの説明がつかない」


 死亡した後に呪文を発動するのは不可能だ。


 魔力は魂のエネルギー。物体や死者に自然と宿ることはまず無い。


「今のところ、俺の周辺で最も怪しい人物は、目的の知れないお前だよ。黒の商人」


 相手を指差して言い切るヴィーレ。


 時間遡行の正体が呪文だと仮定すると、誰かが意識的、もしくは無意識的に発動させている可能性が高い。


 記憶を引き継いでいる人物がその『誰か』であることは大いにあり得る。


 そもそも、この問題は魔王討伐と関連付けて考えるべきではなかったのだ。


(商人が魔王の手下という線は無いだろう。コイツは俺達に手を貸すことはあっても、積極的に邪魔をしてくることはなかった。それに、時間遡行は魔王にとって不利に働いてばかりだ)


 つまり、遡行の呪文使いが商人とは別人であったとしても、その人物は魔王の味方でないと考えられる。


 そうするとヴィーレも候補の内に入ってきてしまうが、それだけは絶対に無いと彼は断言できた。


(時を弄るなんて強力な呪文だ。発動には、絶大な魔力と意志を要するはず。最初期の俺にそんな力は無かったし、初めから俺は遡行を望んでいない)


 怪力と分析しか取り柄の無い、比較的一般人に近い男。


 この脱しきれない凡人さこそが第二勇者のアイデンティティーなのである。


(だが、商人は俺と違って時間遡行を不都合に思っていない。むしろ都合が良いと、そう考えている節すらある)


 だからヴィーレは疑った。


 遡行を認識していた商人は怪しまれると分かっていて、敢えてそう動いていたはずだ。


 その理由も含めて、ヴィーレは彼女を知りたかった。


「……長い話になるだろうから、この件については日を改めてまた今度説明するよ」


 返ってきたのははぐらかすような台詞と「観念した」という手振りだった。


 先延ばしにして有耶無耶(うやむや)にされるかと思ったヴィーレだが、どうもそれは違うらしい。


 黒外套の少女はローブの下に片手を突っ込むと、胸元から取り出した小さな紙を、さらに小さく折り畳んで彼に渡してきた。


「明後日の午前四時、このお店に来て。君一人でね」


「二日後? それまで待てって言うのか。お前が約束を守る保証なんて、どこにもありやしないのに」


 ヴィーレは紙を広げて見ながら追及する。


 どこまでも疑り深い勇者に嘆息した商人は、全くつまらなそうな様子で返事を寄越した。


「別に信じろとは言わないけどさ、君に選択肢は無いんじゃないかな。時間遡行の話がお仲間さんに伝わったらマズイだろうし、それに――――」


 瞬間、彼女の笑みが不敵なものに変わる。


「どうせ力ずくで言うこと聞かせようったって、君達は私一人にすら敵わなかったんだからさ」


「……っ!」


 商人から投げられた言葉のナイフにヴィーレは言い返せずただ歯噛みする。


 そう、勇者が商人を疑ったのはこれが初めてではない。


 以前にも彼女へ詰め寄ったことはあった。今回よりずっと強引な手段を用いて、だ。


 しかし駄目だった。失敗に終わった。


 端的に結果を述べると、ヴィーレはイズやネメス、エルと共に挑んだにも拘わらず、商人一人に敗北したのだ。


 どんな計画を弄そうが、どれほど力をつけようが、彼女より優位に立てたことはこれまで無かった。


 だから現在もこうして不利な形で交渉している。


 それが望み薄とはいえ、相手からの妥協を引き出せたのだから、収穫はあったと言っていいのかもしれない。


「……まあ、前向きに検討しておいて。すっぽかされても私は怒らないからさ」


 商人は小説のページを捲りながら投げやりに話す。


 戦いを終え、自らに敵意を向けた勇者達への支援を彼女が今も止めないのは、絶対的な余裕からなのか、あるいは別の要因からなのか。


 ヴィーレにはさっぱり見当がつかなかった。


 ともかく、相手の提案に乗らねば膠着(こうちゃく)状態が続くだけだ。


 勇者は前向きに商人を受け入れようと努力してみることにした。紙に記されている店名を指す。


「この店は一体どこにあるんだ?」


「さっき伝えた時間の五分前に出かけてくれれば、自然に行き着く場所……とでも説明すれば伝わる?」


「全くもって訳が分からん」


「ちょっと。頭がおかしい子を見るような目を向けないでよ」


 痛い子を見る視線で見つめられたのは流石に堪えたのか、商人は本から顔を上げて不服そうに抗議した。


 初めて彼女の感情が漏れ出たようである。


「……分かった。君の混乱を解消するためにこういう事で妥協しよう」


 少し黙考して本を閉じ置くと、商人は両手のひらを合わせた。


「これからお兄さんと一度出会う度に、私の呪文を一つずつ教えてあげる。信じるかはどうかは君次第だけど、情報が多ければ多いほど、私の狙いも見えてくるんじゃない?」


「はぁ……。だが、それも結局、二日後までの辛抱なんだろう?」


「ううん。信用されてないみたいだから、呪文の一つくらい、今すぐに明かしてあげるよ」


 まるで晩御飯の献立でも打ち明けるように、商人はピッと指を立てる。


「『メランコリック』。予知の性質を持つこの能力は、任意の日時における私の未来を詳細に知ることができる」


 彼女は滔々(とうとう)と説明を続けていった。


「だから本当は、二日後に君が待ち合わせ場所へ来てくれることだって知ってるの。お兄さんは道に迷わず、指定された時間通りに、たった一人で店へ訪れる。それから、情報料として私に美味しいオレンジジュースを奢ってくれる」


「おい。サラッと自分に都合の良い未来を付け足すんじゃない」


 ヴィーレがツッコミを入れると、彼女は悪戯っぽく笑み、両肩を上げた。


「本当だって。まったく信用無いなぁ。お兄さんは私のことを疑っているだろうけど、私の方は君を結構気に入っているんだよ?」


 商人の言葉は心にもないような事を述べている風にも聞こえるし、相手の感情を気にかけていないだけのようにも聞こえる。


 一方的にヴィーレが腹を探られている具合だ。


 だがしかし、そこで初めて商人の声が憂いの色を帯びた。


「……でも、そっか。お兄さん達は、魔王討伐とこの旅を、そんなに終わらせたいと思っているんだね」


 体の後ろで腕を組み、彼女は含蓄のある問いを投げかけてきた。


 ヴィーレの答えは決まっている。


「言わずもがな。ループはもう()()りだ」


「冒険の先には、死や遡行よりもっと恐ろしいものが待ち構えているかもしれないよ?」


「そうしたら、また勇者らしく立ち向かってみせるさ」


 相手の真意を探りながらも即答するヴィーレ。


 対して、商人は小さく笑いを漏らした後、彼の覚悟を試すように問い続けてくる。


「本当にできるの? 呪文を一つしか唱えられない、農民上がりの第二勇者さんでしょ、君は」


「実力なんてのは関係ない。人を勇者たらしめるのは『能力』ではなく『行動』なんだよ」


「言うね~。ヒーローらしい台詞」


 彼女は一瞬驚いたように口角を下げた後、営業スマイルではない柔らかな笑みを口元に浮かべた。


 フードから覗く栗色の髪が嬉しそうに左右へ揺れる。


「口先だけかどうかは予知しないでおくよ。私もお兄さん達には期待しているからさ」


 機械的なほど淡白だった声音には少女らしい無邪気さが滲み出てきていた。


 けれども、それもたった数秒のことで。


 商人は奥歯を噛み締めて俯くと、事務的な微笑みを取り戻した顔でヴィーレの胸元を見上げる。


 わずかに(なび)いた少女の髪からは石鹸の匂いがした。


「……期待ついでに、一応忠告しとく。今回の冒険は前回までよりさらに辛い道のりが待っているよ」


「だろうな。カズヤと出会った時点で、今までとは違う気がしていた」


 戦い方と仲間の情報にしか時間遡行の記憶を活かせない。


 カズヤという不確定因子を上手く扱えるか否かで大きく未来が変わるのだ。


 未知なる敵との遭遇があるかもしれない。イズやネメス、エルとの関係が以前までのものと異なってしまうかもしれない。


 だが、成功すれば魔王討伐のその先へきっと行けるはず。


 ヴィーレはそこに希望を見出だした。


「お前はもう未来を覗いたのか?」


「うん。お兄さん達は、これから沢山の仲間や敵と出会うの。あまり他人へ人生のネタバレはしたくないんだけど――――」


 そう前置きすると、商人は淡々と言葉を並べ始めた。


「『幻想』の能力使い、『記憶』の能力使い、『鋼鉄』の能力使い、『連鎖』の能力使い、『暴喰(ぼうじき)』の能力使い、『覚醒』の能力使い、『伸縮』の能力使い、『毛糸』の能力使い、『雷撃』の能力使い、『革命』の能力使い、『郷愁(きょうしゅう)』の能力使い、『不変』の能力使い、『全能』の能力使い」


 一つ息継ぎを置いた後、さらに羅列を続ける。


「『変身』の呪文使い、『林檎』の呪文使い、『陰鬱』の呪文使い、『継接(つぎはぎ)』の呪文使い、『引力』の呪文使い、『鍵錠』の呪文使い、『透過』の呪文使い、『虚言』の呪文使い、『戦争』の呪文使い、『空気』の呪文使い、『運命』の呪文使い。そして……『魔王』の呪文使い」


 最後の言葉にヴィーレの眉がピクリと動くのを確認したが、彼女はまだ話を止めなかった。


「これだけじゃあないよ。呪文使いや能力持ちは、少ないようで沢山いる。私より強い敵なんてゾロゾロ出てくる。未来を変えたいのなら、決して屈しないで」


 そこまで言って口を閉じる。


 ヴィーレにはフードを被っている商人の表情などほとんど窺い知れない。


 けれども、どうしてか今の彼には、少女が嘘を吐いているとは到底思えなかった。


 彼女が予知の呪文を扱えるからではなく。


 商人の言動は、魔王を倒すだとか時間遡行を抜け出すだとか、そのような目的とはまた別の理想を見据えているように感じたのだ。


「俺は……」


 ヴィーレはわずかな逡巡(しゅんじゅん)を挟んだ後、決心したように空を仰ぐ。


「限りの無い命にどれほどの価値があるのかは知らないが、この魂が燃え尽きるまで、とことん突き進んでやるつもりだ」


 たとえどんな敵が現れようとも、この決心だけは揺るがない。


 仲間を守り抜くために。そして、平穏無事な生活を手に入れるために。


 ヴィーレ・キャンベルは前へ進まなければならなかった。


「ふぅん……」


 少女は彼の澄んだ瞳を見上げると、己の微笑みを隠すようにして、フードを深く被り直す。


「『他人を傷付けたくないのなら、王道を進め。他人を犠牲にしても構わないのなら、覇道を進むがいい。この世に邪道は無い』」


「……何だよ、急に」


「我が家に伝わる家訓なの。力強い言葉だと思わない?」


 商人は商品の箱を両手で持ち上げ、ヴィーレにクルリと背を向けた。


「お兄さんが突き進むのは、一体どっちだろうね?」


 意味深な呟きを残して店の奥へと去っていく。


 彼女の与えたその問いは、ヴィーレの心に刺さったまま、なかなか抜けてくれなかった。


 全てを守り抜く道と一部を切り捨てる道。


 二つの道のいずれかを選ばなければいけない瞬間が、いつかやって来るのだろうか。


「王道と覇道か……」


 ヴィーレは商人の背中を見送ると、自らの胸元に光るロケットを握りしめる。


 問いの答えは分からないまま。


 ただ得体の知れない感情が心の中をざわつかせていた。

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