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異世界五分前仮説   作者: するめいか
最終目標「仲間を集める」
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51話「憤怒の記憶に囚われて」

 突如として背後に現れた銀鎧(ぎんがい)により、腹部を大槍で貫かれたイズ。


 傷口からは少女の鮮血が凄まじい勢いで体外へと排出されていく。倒れ伏した彼女の身体にはほとんど力が入らなかった。


 人間の循環血液量は約五リットル。具体的には、体重の十三分の一程度と言われている。


 イズの場合、三・五三八キログラムだ。


 そのうち、三分の一が体内から流れ出ると立っていられなくなり、とても危険な状態になる。


 また、全体の半分にあたる量の血液が体外へと漏れ出た場合、最悪死亡するリスクが出てくるという。


 現在のイズの状態は前者に限りなく近い。


 だが、彼女が回復の呪文(ヒーリング)を唱えることは、遠近両方で武器を構える魔物と銀鎧が断じて許してはくれないだろう。


「まだ……よ……ッ」


 ならば、と最後の力を振り絞るイズ。


 己の死が避けられない未来であるのなら、何もしないまま逝くよりも、魂が尽きるその時まで強く在ろうと。


 彼女は()りきれそうな命を轟々と燃やした。


「《フローズンスノウ》ッ!」


 膝立ちの状態で唱えられた氷雪の呪文。数えきれないほどの氷礫が時計の魔物に目掛けて飛ばされる。


 けれども、魔物は身動き一つとらなかった。賢者を鎧に止めさせなかった。


 攻撃が当たらないと分かっていたからだ。彼は既にドゥリカ・ブラウンの瞳で、放たれた氷の軌道を見切っていた。


 事実、氷は全て男に掠りもせず、横を虚しく通過していくだけだ。


 イズは攻撃が外れたのを見届けると、切れ切れの息を漏らして地面に力なく手をついた。


 その様を魔物は嘲笑う。


「へへへへッ。ざまあねえなァ~、大賢者。雲の上にいた存在がすっかり地に足つけちゃってさァ~ッ!」


 立ち上がれない相手をそう揶揄(やゆ)している間にも、彼の火傷した身体は能力による治癒を開始していた。


 せっかく与えたダメージがまたゼロに戻る。


「結構ヒヤッとさせられちまったぜ、イズ・ローウェル。だが、何はともあれ結果的に、俺はテメェの記憶力に勝つことができた……」


 両手を広げて天を仰ぐ魔物。


「なあ、大賢者。『長所と短所は表裏一体』って、世間ではよく言うよなァ~ッ?」


 首だけ曲げてイズを見下し、一方的に何事かを説き始める。


「例えば『忘れない』ってのは、裏を返すと、傷付き続けるってことだ。『覚えている』ってのは、絶対に許さないってことなんだ」


 そこまで持論を述べた後、彼は銃口でイズを指した。


「『記憶力が良い』ってのはつまりそういう事だッ! テメェはこれから未来永劫、今受けている屈辱に苦しみもがくことだろう! あの世へ行ったとしても、反芻(はんすう)する自傷が止むことは決してないッ!」


 もう息は止めなかった。止める必要が無かったからだ。この距離で放たれる銃撃は百発百中。


 だから、代わりに最後のたった一言へ、肺の中の空気を全て注ぎ込んで、魔物は勝利を宣告した。


「地獄で後悔している間、自慢の長所に苛まれていろッ!」


 イズへ最後の一撃を撃ち込もうと引き金に指をかける。


 が、男が発砲することはなかった。


 予想だにしないことだ。全く注意を払っていなかったところから、魔物の行動を妨害する者が現れた。


 直前でイズ・ローウェルの前に立ちはだかった存在。


 それは白銀の鎧だった。


 ドゥリカ・ブラウンの使い魔。現在は、時計の魔物の従順な僕である異形。


 先までイズの首筋に大槍の先端を向けていた銀鎧が、あろうことか獲物の彼女に背を見せて、魔物の方へとゆっくり歩み始めてきたのだ。


 それも武器を構えたまま、である。


「おいッ! テメェ、何をしていやがる! まだ仕事は終わっちゃいねえぞッ!」


 予想外の事態に魔物は銃口を銀鎧へと移した。


(コイツ、召還主である俺に攻撃を……!?)


 一瞬、そのような疑心が脳裏をよぎる。


 だが違う。


 魔物はすぐに気が付いた。使い魔の頭部(ヘルメット)から覗くエメラルドグリーンの瞳が彼を見つめていないことに。


 鎧が隣に並び立ち、主人を守るように側へ寄り添ってきた時、ようやく魔物は銀鎧の意思を悟ることができる。


(……いいや、違う! ()()()()()! 鎧は俺の背後を見ているぜッ!)


 何かがいるのだ。己の背後に。危害をもたらす恐れのある存在が死角から迫ってきている。


 使い魔はその『何か』から主人を庇おうとしたのだ。


 猜疑心から察するのが遅れてしまった。時計の魔物は咄嗟に後方を振り返ろうとする。


「国語の勉強が……足りていないみたいね……」


 しかし、彼の行動はイズの掠れた声によって止められてしまう。


「は?」


 踵を返しかけたところで首を止めた魔物。瞳だけで賢者の方を向き直り、鬱陶しそうに彼女を睨み見る。


 そんな男の苛つきに今さらイズは怯まない。


 地面に倒れ伏したまま、青ざめた顔で薄く笑って、弱々しい声を絞り出すのみだ。


「あんたの言い方に(なら)うなら、『後悔』っていうのは、間違いを犯した奴がやることなのよ……。だから――――」


 大きく息を吸った後、イズは咆哮するように宣言した。


()()()()()()()!」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 賢者に続いて飛ばされた言葉は魔物の後方からのものであった。


 黒時計は急いで振り返る。


 ネメスだ。


 彼の背後へ回り込んでいたネメスがすぐ近くにまで迫ってきている。彼我の距離は十メートルもないだろう。


(ネメス・ストリンガー……! いつの間に俺の背後にッ!?)


 魔物はそこでようやくイズ達が己と同じ作戦を立てていたことに思い至った。


 何かを企ててくるだろうとは考えていたけれども、ネメスには攻撃手段が無いからと、彼女の存在は軽視していた。


 だが気がかりなのは、ネメスが迷いなく彼の方へと突っ走ってきていることだ。


 加えて、後ろ手に何かを隠し持っているような不自然な姿勢をしている。


 イズの危機に際して飛び出しただけの無鉄砲な特攻か。或いは、これすらも彼女達の計画の内なのか。


 いずれにせよ、時計の魔物は早急に、迫り来る危険を駆逐する必要があった。


「《サモンナイト》! 奴を今すぐ排除しろッ!」


 彼の命令を受けて鎧はネメスの前へと躍り出る。


 しかしその直後、使い魔の四肢に氷の鎖が幾重にも巻き付き、地面に突き刺さって、銀鎧の身体を拘束した。


 イズの呪文の効力だ。


 後方に視線を移すと、彼女は瀕死の状態で魔物らへと手を差し伸ばしていた。口からは血の塊を吐き出している。


「邪魔は……させないわ……ッ!」


「チィ……ッ!」


 賢者の決死の妨害に時計の魔物は大きく舌打ちをする。


 ネメスとの距離は残り七メートル。黙々と疾走してくる少女の真意は未だ不明のままだ。


「《モデリング》!」


 鎧の横を平然と通り抜けながら、彼女は呪文を詠唱する。


 ネメスがようやく露にした右手には氷の剣が握られていた。イズが装備していた双剣を模して作った、一振りの短い短剣だ。


(さっきまで放出され続けていた氷雪の呪文(フローズンスノウ)(つぶて)を再利用したのか。不意を突いて俺に攻撃し、イズが回復するための時間を稼ごうとしたんだろうが……)


 マスケット銃を構えるなり、走ってくる少女へ照準を定める魔物。


「この阿呆がッ! さっきの撃ち合いを見ていなかったのかァーッ! 俺は早撃ちもできるんだよォ~ッ!」


 叫んだ後に息を止めると、全てがスローモーションに感じられる。


 集中力はこれまでにないほど冴えていた。心も不思議なくらいに落ち着いている。ここまで接近しておいて外すことはまずあり得ない。


 ネメスとの距離はまだ五メートル以上も離れていた。


「遅いッ! 俺の勝利だ! 脳漿(のうしょう)ぶちまけろッ! ネメスゥーッ!」


 引き金を引いた瞬間、辺りに(おびただ)しい量の血液が噴き乱れる。


 だが違う。それはネメスのものではない。


 血を散らす羽目になったのは、弾丸を放ったはずの魔物であった。何が起こったのか分からないまま彼は後方へ吹き飛ばされる。


「な……にィ……ッ!?」


 地面に背中から落ちた時、ゼロ距離で『爆発』を食らった魔物は、思考することすらままならなかった。


 目に入る情報を処理するだけで精一杯だ。


 破損した自身の肉体。粉々に砕け散った魔銃。魔物と同じ爆発に巻き込まれて解体した銀鎧。


 そして、彼を見下ろしながら歩み寄ってくる橙色の少女。


「モデリングという呪文は、魂を宿さない物体なら何であれ、思い描いたとおりの形に歪めることのできる能力です」


 ネメスは片手に握った氷剣を振って見せる。


「わたしが氷を剣の形に変えたのだと思い込みましたか? これは、あなたに攻撃を仕掛ける前から、あらかじめ変形させていた物ですよ」


「ンだと……? それじゃあ、さっきテメェが唱えた呪文は……まさか……!」


「はい。変形させたのは、あなたの武器の構造です」


 使い物にならなくなった鉄屑、かつて魔銃だった物へと目を移すネメス。


「『暴発』って言うんですよね? イズさんに教えてもらいました。あなたの武器を変形させれば、小規模な爆発を起こせると……」


 挟み撃ち作戦を伝えられた時だ。


 あの時、ネメスでも可能な対抗手段として、イズは知識と氷剣の二つを彼女へ事前に与えていた。


 それが実を結んだのは僥倖(ぎょうこう)などではなく、二人の覚悟が引き寄せた必然なのだろう。


「気付かなかったんですか。わたしの呪文の射程範囲へ既に入っていたことを」


 魔物の目の前まで来たところでネメス・ストリンガーは立ち止まる。


「そういえば……わたしがあなたに撃たれた時、どうして中庭を走り抜けようとしたんだ、と思ったでしょう? イズさんと合流するために危険を冒す必要は無かったのに。なぜ屋敷の中に隠れて、イズさんを待たなかったのか、と」


 彼女はまだ魔物の意識が混濁して動けないのを認めると話を続けた。


「教えましょう」


 ネメスがイズとの再開を果たすために敵へ発砲させた理由。魔物から撃ち抜かれることを恐れなかった訳。


 黒時計が引っ掛かりを覚えていた部分だ。


「一刻も早くイズさんに会いたかったからじゃあありませんよ……」


 髪を掻き上げ、勇気と侮蔑を含んだ瞳で、相手の男を睨むネメス。


 彼女は魔物へと剣の切っ先を向けて敢然とこう告げた。


「『わたしも共に戦ってみせる』と、心に決めていたからです!」


 またしても、である。


 魔物には確かに与えられていたのだ。ネメスの意志や狙いに気付くチャンスが。一度だけでなく何遍(なんべん)も。


 消し去ったはずの(おご)りがまだ心の中に残っていたのだろうか。それとも、イズの記憶を以てしても、彼には裏の裏まで読み取る知能が無かったのだろうか。


 間違いなく言えるのは、イズとネメスの幸運が必然なら、黒時計の敗北もまた必然だったということである。


「負けたんですよ。あなたは再び、思考の生み出す慣性にッ!」


「クソ……が……ァッ! 調子に乗りやがって……!」


 地面から上体を起こしてネメスを睨み上げる黒時計。自尊心の高い彼は沸き立つような殺意を感じていた。


 しかし、そんな魔物に追い討ちをかけるように、地面を踏みしめる音が背後で鳴る。


「ありがとう、ネメス。あなたが鎧を誘き寄せてくれなかったら私は今頃死んでいたわ」


 そこに立っていたのはイズだった。


 穴だらけの服から覗く絹のような素肌には傷一つ無い。呪文で怪我を回復し、血液を補充したのだろう。顔色も元に戻っている。


 魔物にとってはそれが最大の悲劇だった。


(イズ・ローウェル……! 既に回復を終えている!? このままじゃあ……このままじゃあマズイッ! 急いで記憶の能力(ローファイ・タイムズ)を起動させねえと……! ドゥリカ・ブラウンの身体を修復するんだッ!)


 焦燥感に足を掬われそうになりながらも意識を集中させ始めた。


 が、彼の心中を読み取ったかのように、眼前の地面に氷の刃が突き刺さる。


 魔物は思わず首を仰け反らせた。硝子(ガラス)と見紛う刃に映るは、彼へと牽制の一撃を放ったイズの姿だ。


 賢者は冷酷な瞳で腕を組む。


「自分は回復させてもらえると思っているのかしら。まだ分からないの? あんたは『まな板の鯉』に成り下がったのよ」


「仲間は壊れて動かない。能力を使用する隙もない。……絶望的ですね?」


 大の男が小娘二人に煽られているというのに、歯軋りをすることしかできない。


 後方にはイズ、前方にはネメス。


 先とは完全に真逆の構図だった。一方の敵は離れた位置から氷礫の射撃態勢に入っており、他方は近くで剣の切っ先を向けてきている。


 唯一異なるのは、魔物には助けなど来ないということ。


「この……この……ッ!」


 彼に選択肢は無かった。こうなっては『最終手段』に移らざるを得ない。


「クソガキ共がァァァアアッ!!」


 気力のみで立ち上がるなり、雄叫びをあげる魔物。


 彼は即座にネメスから離れると、二人の間で胸元の黒時計を掲げてみせた。


「発現しろッ! ローファイ――――」


「《フローズンスノウ》ッ!!」


 記憶の能力が発現する前にイズは呪文を詠唱する。


 直後、地面から現れた氷の礫が魔物の顎を打ち上げた。さらに空を舞う彼の身体を他の氷塊が殴りつけ、また別の礫が魔物をさらに上空へと押しやる。


 鳴り止まない連撃、間隙の無い殴打が、彼の肉体へ続々と襲いかかっていった。


(グウゥゥゥ……!? 頭が……割れそうだ……ッ! 能力の発動が間に合わないィ……!)


 骨の砕ける鈍い音。激しく点滅する視界。


 どんどん上昇していく己の身体を、魔物は止めることができない。


 三階まで吹き抜けのホールで、屋根に届きそうなほど高く殴り上げられ、無間地獄のような苦しみを味わい続けるのみ。


「覚えてやがれッ! テメェらは必ず、地獄の果てまで追い回す! この借りは死んでも忘れねえぞッ! 絶対に! 絶対になァ~ッ!」


 醜い憎悪の咆哮。


 それを聞いて耳障りそうに顔をしかめたイズは、上空の魔物に手のひらをかざすと、握り潰すようなイメージで拳を作る。


「《パイロキネシス》」


 瞬間、ホール中の業火が集まって魔物を包み込み、球状へ一気に収縮した後、溜め込んだ圧力を解放するように爆裂した。


 家全体が激しく揺れ動き、余波を受けた壁や屋根が崩れ落ちる。


「ショボい花火だわ」


 イズ・ローウェルは眩い光から目を背け、冷徹にそう告げてやった。


「憤怒の記憶に囚われていなさい。永遠に忘れられないほど深い、奈落のような憎悪にね……」


 灰すら残さず消え去った魔物。架空のユーダンクから失せる寸前、彼へ最後に贈られた言葉は、イズからの意趣返しであった。


 ボロボロの服で並び立つ少女二人。


 まだうら若い両者だが、彼女らは確かに勇者の仲間として相応しい勇気と覚悟を、その瞳に宿していた。

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