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異世界五分前仮説   作者: するめいか
最終目標「仲間を集める」
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50話「最強のローファイ・タイムズ」

 魔物の前にまたも立ちはだかったイズ。


 彼女はネメスを庇うように凛然と氷の双剣を構えていた。


 余裕を気取っているわけではない。


 むしろ普段の彼女とは打って変わって、獣の如く牙を剥き出しにし、時計の魔物へと凍てつく殺意を向けている。


「《パイロキネシス》!」


 先手必勝。相手の動揺が鎮まぬうちに火炎の呪文を詠唱する。


 怒りを魔力に変えた会心の一撃。


 酒場の時とは比べ物にならない熱量の業火が魔物に迫り、彼に避ける間も与えずその身を呑み込む。


「グアアァァァッ!!」


 全身を焼かれながら叫喚をあげる時計の魔物。


 消火するために素早く地面を転がる彼だが、その間にも肌は溶かされ、両目は破壊され、呼吸をすると肺が炙られた。


 魔物の悲鳴が枯れた頃に、ようやくイズの攻撃は止む。


 同時に草と土、そして血肉の焦げた香りを孕んだ熱風が、辺りを一気に吹き抜けた。


(こ、ここはダメだ! 屋外では相手に有利すぎる……! 屋内へ、屋敷の中へと戻らなければ……!)


 彼は負傷した体を引きずるようにしてローウェル家へと引き返し始める。


 イズ達に背を向けている姿は隙だらけだ。


 追い討ちをかけることは容易だろう。時計の魔物を始末すれば、記憶の能力の効力が切れ、架空のユーダンクから脱出できるはずだ。


 が、イズはそうしなかった。


 逃げていく魔物には目もくれず、最優先事項へと注目する。


「ネメス、大丈夫!? もう少し我慢して。今治すわ!」


 流血してふらつきながらも立ち続ける少女に駆け寄り、優しく抱き寄せると、賢者はすぐさま回復の呪文(ヒーリング)を唱えた。


 イズの姿を見て安心したのか、すっかり脱力しきっているネメス。


 仰向けに相手の腕へともたれ掛かった姿勢で、薄い微笑みを湛えながら、賢者の顔を見上げている。


「ありがとうございます……。イズさん、やっぱり格好良いなぁ……」


「こんな時に何言ってるの。……はい、治癒は完了したわ。まだ痛みの余韻が残っているかもだけど、傷口はちゃんと塞がっているから心配しないで」


 ネメスのこぼした憧憬の言葉に耳を赤くしながら、イズはやや早口に言い終える。


 赤子から離れるよう慎重に抱擁を解くと、ネメスはいつもと変わらぬ体勢で、自然に立ち続けることができた。


「凄いです……! 前の時みたいに、身体中の怪我があっという間に無くなっちゃいました!」


 少女は手のひらを閉じたり開いたりして体調に問題がないことを実感している。


 けれども、すぐに本題を思い出したようだ。


 ネメスは両の拳をギュッと握り、イズの瞳を見据えると、右手で勢いよく屋敷の方を指差した。


「さあ、イズさん。早くあの人を追いましょう!」


「ええ。だけどネメス、あなたは連れていけないわ」


「えっ……? ど、どうしてですか! わたしだってもう戦えます!」


「分かっているわ。その上で、今のネメスでは正面から挑んでも奴には敵わないと言っているの」


 ハッキリと現実を告げるイズ。


 それはネメスのために他ならなかった。


 敵との実力の差を正しく認識し、万全の態勢を整えて勝負に挑むこと。無謀に突っ込むだけではきっと簡単に命を散らしてしまう。


「ネメス、あなたには()()()()()が多すぎるわ。あなただけじゃあない。私だってそう」


 イズは相手の頬を両手で包むように当てると、目線を同じにするため屈みこむ。


 そうして、ネメスに自分の方を向かせ、静かな口調で説明を続けた。


「でもね、一人の時はそれでいいの。完璧じゃなくていい。だって、『不可能』が載っていない辞書よりも、載っている辞書の方がずっと魅力的なはずよ。そうでしょう?」


 ネメスが転んだ時、顔に付いた土埃を親指でそっと拭う。


「私とあなたはチームなの。一人ではできない事も、二人ならきっとできる。逆を言えば、互いの弱点を補い合って、不可能を潰して挑戦しなきゃ、強大な敵に打ち勝つことは難しいわ」


 賢者はあくまでお姉さんらしく、強く優しくこう告げた。


「ネメス、あなたと一緒に行動することはできない。だけど、私に考えがある。あなたに協力してほしいわ」


 再び上げられた少女の瞳を正面から見据え、勝ち気に微笑んでみせるイズ。


 彼女には作戦があるらしかった。


 ネメスはしばらく呆けていたが、イズの言葉を頭で噛み砕くと、パァッと明るい笑顔を咲かせる。


「ぜひ!」


 そうして両手を握った彼女は子犬のように無邪気な調子で、意気揚々と返事を返したのだった。







 ローウェル家の玄関ホール。


 上階へと繋がる階段横の柱の陰に、時計の魔物は座り込んでいた。一切明かりは灯されておらず、闇に紛れている状態だ。


 全身火傷を負っている状態。このままではイズと戦うことなど到底できはしないだろう。


 しばらく呻き声を漏らしていた彼だったが、とうとう思い切って両目を瞑ると、引き絞るように記憶の能力を詠唱した。


「《ローファイ・タイムズ》……!」


 すると時計の魔物の体は、再び怪我一つ無いドゥリカ・ブラウンの身体に戻る。


「チクショウ……。魔力の残りが厳しいな。この世界の維持だけでも相当コストがかかるってのによォ~……」


 己の不甲斐ない現状に思わず愚痴がこぼれた。


 けれども、休んでいる暇は無い。


 彼が次の策を練る前に玄関の扉が激しく開け放たれる。魔物が柱の陰から顔だけを出して見ると、やはりそこにはイズ・ローウェルが立っていた。


「隠れているのは分かっているわ。出てきなさい! 決着をつけましょう!」


 イズの申し出を受けて、魔物は腰を持ち上げる。


 どうせ身体を引きずってきた時に零れた血で居場所は突き止められているのだ。隠れたところで仕様がない。


 彼は何も持たぬまま、ゆっくりと柱から歩み出ていく。


「先に断っておくが、後が無くなったわけじゃあねえんだぜ。俺が出ていくのは、たとえ真っ向から挑んだとしても、テメェに押し勝つ自信があるからだ……」


 だだっ広いホールに低い声が響き渡る。


 時計の魔物はイズの正面、彼女から自分の姿が見える程度の距離まで近付くと、イズを鋭く指差した。


「またも一騎討ちってわけだな。いいぜ、今度は最後まで付き合ってやるよ。偉そうな奴が無様に死ぬところって、いっぺん見てみたかったしなァ~ッ!」


「見たけりゃ見せてやるわ。ただし、無様に死ぬのはあんたの方よ」


 睨み合う二人。互いに不動だが、自らがどう出るか、相手がどう動くかを探っている静寂だ。


 一触即発の空気を動かしたのは魔物であった。


「やってみろよ、リトルビッチ……!」


 片手で「かかってこい」と挑発の手振りをし、再戦の幕開けとなる啖呵を切る。


 それを機に二人は魔力を爆発させた。


「《ローファイ・タイムズ》ッ!」


「《フローズンスノウ》ッ!」


 両者は同時に異能の名を詠唱する。


 賢者の正面には無数の氷塊が、魔物の手元には弾丸の装填された魔銃が現れた。


 瞬間、撃ち合い。


 イズの生み出した氷の(つぶて)達が相手へと襲いかかる。けれども、魔物も負けじと高速でそれらを撃ち砕いていった。


 高い衝突音、火花、凍った飛沫が辺りを舞う。


「ハッ! 随分と流暢な寝言だなァ~ッ!? ここへ来るまでに体力も魔力も散々浪費しておいてよォ~ッ!」


 彼の叫んでいる通り、優勢なのは魔物の方であった。


 消費エネルギーは黒時計の方が断然上だろう。が、イズはそもそも相手に比べて保有する魔力の総量が少なすぎた。


 おまけに、戦いにおける純粋な技術も敵が上手だ。


 黒時計は襲来する攻撃に迅速かつ的確な対応をしている。段々と押されているのはイズであり、まさにジリ貧といった状況。


 だがしかし、彼女は不敵に笑っていた。


「あんたは……本当に馬鹿ね……」


 息を切らせ、顔色を悪くさせながらも、依然として攻撃の手を緩めない。


 それどころか、賢者の生み出す氷の量は時間を増す毎に少しずつ増えていっていた。


「屋内に逃れたところで無駄だったのよ……! 架空の世界に連れてきたのが災いしたわね。ここなら心置きなく、全てを灰に変えられる!」


 イズは両手のひらを前に突き出し、魔力の出力を限界まで引き上げる。


 氷礫(ひょうれき)の数と威力が上昇。魔物の連射速度を裕に超え、彼の身体を掠め始めた。


「なっ……!? テメェ、どこにそんな魔力を残していやがった……!」


「あんたは策に溺れたのよ! 覚悟なさいッ! 正義の炎に()べてやるわ! 《パイロキネシス》!」


 魔物の質問には答えず、火炎の呪文を唱えるイズ。


 前方へ放射状に襲いゆく広範囲攻撃は屋敷のホールから影を無くしてしまうほど強烈なものだった。


 回避も防御も間に合わない魔物はそれを直接浴びてしまう。


「グヌゥ……ッ!」


 四方の壁を焼き尽くす爆炎。窓や壁を一瞬にして割る熱風。


 パイロキネシスは凄まじい速度でローウェル家の玄関ホールを火の海に変えてしまった。


 だが、それでも男を倒すには至らない。


 炎獄にいながらもなお、時計の魔物はひりつき(ただ)れる肌を気にも留めずに、マスケットの銃を手放さないでいた。


「しかし……俺は死なねえッ! 最後に勝つのは全勝不敗のローファイ・タイムズだぜッ!」


 黒煙の香りが充満していく中で、彼の真っ直ぐな闇色の瞳が賢者を睨み返してくる。


 イズはそこに違和感を覚えた。


 血走った時計の魔物の双眸(そうぼう)。その中で『何か』がゆっくりと動いている気がしたのだ。


(今のは……)


 嫌な予感を抱きながら、手元の双剣へと視線を落とすイズ。


 輝く氷剣の刃には己の姿が映っている。


 が、それだけではない。


 彼女の肩の後ろに立っている者がいる。武器を構え、人型の影をしているそれは、しかし人間ならざる者だった。


 飛び退きながら振り返るイズ。


 瞬間、彼女は背後に迫っていた影の正体を視認した。


「鎧の使い魔!? いつの間に……ッ!」


 賢者の視線の先で悠然と構える銀鎧(ぎんがい)


 それは確かに、彼女が先ほど酒場の前で三体も倒した、ドゥリカ・ブラウンの召喚兵である。


 イズはそこに来てようやく思い出した。時計の魔物にもまた、共に戦う仲間がいたのだという事を。


 白銀の鎧は大盾で身を守りながら、ランスを突き出す予備動作に入っている。彼我の距離は依然として相手の射程圏内だ。


(しまった……ッ! 避けられない!)


 回避が不可能だと悟ったイズは咄嗟に氷雪の呪文で防御に移ろうと試みた。


 だが、それは直前で阻止される。


 背後から聞こえた発砲音。それと同時に、イズの左肩が弾けるように血飛沫を吹いたのだ。


「カハ……ァッ!?」


 貫くような激痛が彼女の思考を白紙に塗り替え、呪文の詠唱を中断させる。


 真後ろから撃ち込まれた銃弾はイズの時間を奪い取ったのだ。魔物と使い魔の連携によって生み出された数秒の隙だった。


 しかし、戦いにおいてはその数秒が致命の一撃を受ける要因となり得る。


「串刺しにしろッ! 《サモンナイト》!」


 男の命令に呼応して、重厚な鎧は素早く前方へとランスを突き出した。


 今度は相手に声すら出させない。


 イズの身の丈ほどもある大槍は彼女の腹部に侵入し、内臓を裂きながら背中まで呆気なく貫通した。


「馬鹿め! 俺が護衛に鎧を一体だけ連れていたのを忘れていたのかァ~ッ!? こんな事も失念しちまうなんてなァ~ッ、策に溺れたのはテメェの方だろうがよォ~ッ! なあ!? イズ・ローウェル!」


 魔物が声高々にそう言い終えると、鎧の使い魔がランスを引き抜き、イズは大量の血を吐き出しながら地面に倒れた。


 受け身も取れずに崩れ落ちた彼女の頬に冷たい床の感覚が伝わってくる。


(失態だわ……。私の記憶を読んだことも考慮しておくべきだった……! 時計の魔物は、私達と寸分違わぬ計画を……ッ!)


 イズは口の端から血を流しながら、砂を食んだような表情をしていた。


 しかしその闘志に満ちた瞳からも次第に生気が失われていく。


(ごめんなさい、ネメス……。ヘマしちゃったみたい。作戦は……失敗ね……)


 呆然と心の中で謝辞を述べる。決して届きはしないその言葉を、相手の少女に届けることは叶わない。


 ネメスに伝えていた『挟み撃ち作戦』。


 魔物の背後に彼女を回り込ませて、相手の逃げ場を塞ぎ、イズと同時に攻撃を仕掛けるという計画だ。


 しかし、実行はどうも難しそうだった。


 下腹部をランスで貫かれたのだ。骨は避けられているものの、胃腸や腹大動脈には甚大なダメージを受けているだろう。


 このままイズが意識を手放せば彼女の死亡は必至。一刻も早く回復の呪文を唱えなくては手遅れになる。


 勿論、イズ自身もおぼろげな思考でその必要を悟っていた。


 だが無理だ。首もとには鎧の槍先が、離れた位置からは時計の魔物の銃口が、それぞれ彼女に向けられている。


 呪文の詠唱をする前に始末されてしまうに違いない。


 たとえ隙をついて片方に攻撃できたとしても、他方の敵がこちらへの攻撃を開始するだろう。


 イズに打てる手はもう無かった。


 緩やかに訪れる死を、薄れゆく意識の中で待つことしかできない。


(ヴィーレとカズヤ……無事かしら……? 私達のこと、待っているかも……)


 こんな時に思い浮かぶのは正規の世界に残されているであろう仲間達の顔だった。


 きっと彼らも魔物に襲われている。そう考えると、倒れている暇なんて無いはずなのに、体が言うことを聞いてくれない。


 また何も守れず終いになってしまう。


(早く戻って……安心させてあげなきゃ、駄目なのに……)


 全身から力が抜けていく。


 地面に寝転がるなんて初めての体験だったが、今となっては感動も嫌悪も起こりはしない。


 ただ『諦める』という最後の選択肢を選ばないでいる事だけに意識を集中する。


 さりとて絶望は広く深まるのみ。


「死にゆくテメェに贈る言葉はたった一つだぜ」


 遠くから男の憎たらしい声が聞こえる。


 イズがかろうじて動かした視界には、彼女の方へと照準を定め終えた銃口と、魔物のニタニタとした嫌味な笑顔が映っていた。


「シンプルに『死ね』」


 ボヤけた脳で認識した二文字はイズの心を急速に衰弱させていった。

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