49話「思考の慣性に逆らいきれない」
ユーダンクの酒場付近に建てられた巨大な氷塔。
イズ・ローウェルが扱う氷雪の呪文によって造られたのであろう意味深な物体だ。
そこに込められた意図はネメスへの黙示的なメッセージ。己の居場所を知らせるための、唯一無二かつ不動の目印。
と、時計の魔物は少し前まで考えていた。
だが違う。
イズとネメスの作戦は、彼の想定していたより常に先を行っているのだ。
もっと深く思考するべきだった。
二面性のある真実。その裏側までを読み解く努力が肝要だったのだと、魔物は寸でのところで悟ることができた。
そこで、彼は一つの仮説を立てる。
イズがネメスを助けるためにとった行動についての考察だ。
思うに、賢者はネメスに見つけてもらうためではなく、ネメスを見つけるために氷の塔を建てたのではなかろうか。
使い魔の鎧を倒した直後のことだ。
イズは街の建築物より高い塔を呪文で造り、その上に立つことで周囲の景色を一望できるロケーションを生み出した。
そうして魔物の思考をトレースし、どこに向かうのかを予測した後に、ネメス達の姿を探し出したのだ。
だとしたら、魔物が例のタワーを発見する前に、彼女らが互いの姿を裏で視認していたとしてもおかしくない。
現在進行形でイズがこちらへ急行しているとしても、おかしくはないのだ。
「あそこに建っている氷の柱は『目印』なんかじゃあねえ……ッ!」
時計の魔物は口もとに手を当て、仰向けで地面に倒れているネメスを銃口で指す。
「俺とテメェを探し出すための『監視塔』だッ!」
ローウェル家の敷地内。四方を煉瓦塀に囲まれた、緋色と白黄色の屋敷前にて。
イズ・ローウェルの狙いは見破られた。
伴って、ネメスの頼みの綱までもが暴かれてしまった。
作戦を知ることができたのなら、あとは対策をするだけで良い。魔物は彼女らの計画を破るための行動をすれば良いのだ。
そして、それはやはり、ネメス・ストリンガーを直ちに処理することであった。
「しかし、努力は全て水泡に帰す! テメェは俺に捕まった。イズ・ローウェルは俺との競争に負けたんだよッ!」
もう先までの迷いは無い。
中庭の中央に倒れている少女とは十数メートルの距離を置いている。変形の呪文の範囲外だ。
さらに彼女は脇腹と左大腿に負ったばかりの銃創がある。逃げることはおろか、立ち上がることすらままならないだろう。
格好の的だ。
魔物は再び銃を構えると、ネメスの顔面目掛けて魔弾を撃ち放った。
「《モデリング》!」
同時にネメスの詠唱。彼女の横の地面が捲れ上がり、盾となって主を護る。
ネメスの魔力量では分厚い壁を作ることはできなかったが、弾の軌道を自身から逸らすように変形させることならできた。
土の盾が砕け、彼女の隣の地面を弾丸が抉る。草の焦げるわずかな匂いと、硝煙の香りが、少女に危機感を与えてきた。
だが、ネメスはそれでもまだ諦めない。
「かわされましたね……。今の一撃が、わたしにトドメを刺す最後のチャンスだったのに」
依然変わりなく魔物に明確な敵意を向け続けている。
「来ますよ。あなたが次の攻撃をする前に。イズさんはここへ辿り着きます」
「ハッ。冗談も程々に――――」
「冗談だと思いますか? わたしとイズさんは既に……いいえ、とっくの昔に、お互いの居場所を確認し終えていますよ」
ネメスの言葉に一瞬、魔物の心が揺らぐ。
「……ブラフだ。いくらテメェの運が良いからって、たまたま外に出たタイミングでアイツに見つけてもらえるかよ」
彼は平静にそう返しながらも、多少の焦りを禁じ得なかった。
万が一という事もある。
イズとネメスが本当に各々の居場所を視認し終えていた場合。その時に生じる課題についても講じなければならない。
だのに、魔物が大きく取り乱していないのは、対策を練る必要が無いと分かっていたからである。
「それに……それに、だ。たとえ仮に、テメェの言うことが真実だとしても、別に大した問題じゃあねえ」
ネメスの告げた話がハッタリにすぎないと断定できる根拠が彼にはあった。
「互いの場所を確認したところで、塔から下りたイズは、テメェが自分のところまで移動すると思ってやがる」
ネメスを指差しながら数歩分だけ彼女に近付く時計の魔物。
「もう一度……いや、二度は確認するはずだ。同じように氷の塔を造ってな。だが、そんな奇妙なものは、他に一つも見当たらねえッ!」
そう。イズとネメスの作戦には小さな欠陥があった。
イズがネメスのもとへと急行する場合、あるいはネメスが仲間の方へと向かう場合に、相手を待つ側の人物が一度移動すると、互いの居場所がまた不明となってしまうのである。
至極当然のことだが、このため両者は同時に動くことができなくなった。
けれども二人は『ある手順』を踏むことによってそれを可能にしようとしたのだ。
それが、ある程度の距離を移動したところで、再び目印を設置すること。
(氷の塔を造る、各々の居場所を確認、さらに距離を詰めるという作業を繰り返す。そうして合流するまでにかかる時間を可能な限り短縮しようとしたんだろうが……)
それはもう叶わない。ネメスはまともに歩くことすら難しい状態だ。
加えて、先にも魔物が述べたとおり、目印は一つしか建てられていない。
これはイズがまだネメス達のもとから遠い位置にいるという証左であった。
(走っている最中に体力が切れたか、あるいは引きこもりが祟って道に迷ったか。いずれにせよお間抜けな話だぜ、賢者様よォ~ッ)
魔物は長銃を構える。
装填される魔弾。息を止める。
「テメェはここで孤独に死ぬんだよォ~ッ! ネメス・ストリンガー!」
時間稼ぎに付き合うつもりは毛頭無い。
魔物は即座にトリガーを引いた。
乾いた空気を揺らす発砲音。少女の眉間へと吸い込まれるようにして、弾丸は真っ直ぐ飛んでいった。
呪文を唱える時間はない。避けることなど不可能だ。
しかしそれでも、魔弾がネメスの脳を貫通することはなかった。
阻まれたのだ。彼女に命中する寸前で。
突如として現れた、氷の壁によって。
「なっ……!?」
宙に浮いた防壁に愕然とする魔物。
ネメスがやったのではない。彼女にはもう呪文を扱うほどの余力は残されていないのだから。
それに、少女を守ったのは紛れもなく、氷雪の呪文の効力で作られた氷の盾だった。
「……わたしはあの家の中にいた時、窓からイズさんの姿を塔の上に見ました」
魔物が困惑している間にゆっくりと、本当にゆっくりとではあるが、ネメスは体を起こし始める。
空中に固定された氷の壁を支えにしながら、激痛に呼吸を乱して立ち上がっていった。
「その時、イズさんも同じくわたしを発見して、こちらへ向かい始めていたんです。あなたが中庭でわたしを攻撃した頃には、とっくに近付いていたんですよ」
少女の顔色はひどく悪い。
彼女が動く度、買ってもらったばかりの服に開いた穴から、鮮血が流れ落ちているせいだろう。
けれども、ネメスの瞳は倒れていた時よりもずっと希望に満ち溢れていた。
相手を嘲笑うためでも、意識を保ち続けるためでもなく、彼女は魔物に語り続ける。
「だから……イズさんが迷わず来れるように、今度はわたしが『道標』を作った……!」
「道標だと……? そんなモン、一体どこに――――」
「無駄ですよ、見回してみたところで。わたしの居場所を示すサインは目視できないんですから」
気が遠くなるような感覚に見舞われながらも、薄く笑って律儀に教えてあげるネメス。
だが、彼女の解説は余計に魔物を混乱させるばかりであった。
(『目視できない』……!? 馬鹿なッ! そんな手の込んだモンを用意する時間や魔力量が、コイツにあったかよ!? 家から出て、中庭を走り抜けることすらできずに、俺に呆気なく撃ち抜かれた奴が……!)
そこまで考え進めたところで、彼はネメスのしてきた行動に初めて疑問を感じた。
現状の前提とも言うべき問題である。
そもそも、どうして少女は時計の魔物に捕まってしまったのか。
イズの居場所を悟った後、迷わずに家を脱出して、仲間のもとへと直行しようとしたからである。
変形の呪文という便利な能力を扱えるのなら、家の中に隠れ潜んで、イズの救出を待つこともできたのに。
小さな体なら、茂みや物陰を利用して、魔物から発見されることなく、仲間のところへ辿り着くこともできたはずなのに。
実に愚かな行動だ。
と、魔物は先まで思っていた。
だが、二度も己を出し抜いたネメス・ストリンガーが、果たしてそのような短絡的すぎる愚挙に出るだろうか。
少女はいづれイズの迎えが来ることを確信していながら、隠れもせずに中庭を走り抜けようとした。
わざわざ大声をあげながら、まるで「見つけてくれ」とでも言っているかのように。
何故。
「さては、テメェ……ッ!」
魔物の額にジワリと汗が滲み出てくる。
彼は信じられないといった表情で顔を真下の方に向けた。
そこには弾丸の装填されていないマスケットがある。ネメス・ストリンガーを二度も撃ち抜いた相棒の銃器が。
外した弾数を含め、合計で四発分も発砲した魔具が、彼の手には握られていた。
「俺の銃声か? テメェは、俺にわざと撃たせたって言うのかよッ!?」
迂闊だった。
魔物は瞬間的に理解する。ネメスの行動の目的の全てを。
決して最善手ではない。彼女がそうした動機も、ハッキリ言って魔物にはまだ分からないままであった。
けれども、だからこそ、ネメスに三度してやられたのだという事実だけが、彼の尊厳を踏みにじる。
「あなたの人格を少しだけ理解できた気がします。頭は切れるけれど、一度決めたらそうと信じて疑わない性格。とても決めつけの強い人」
穏やかな風が吹き、ネメスの髪を揺らす。
波のような影の走る中庭の草の上で、少女は魔物と初めて正面から対峙した。
「自分にとっての未常識を、世の中にとっての非常識だと思い込むことに似た、重度の傲岸不遜っぷり。そのせいで、あなたは『思考の慣性』に逆らいきれない……!」
ネメスはただ、相手の自覚していない弱点を懇切丁寧に伝えてあげているだけだ。
もっとも魔物からすれば、若造からの酷い侮辱、敗者へ鞭打つ行為としか思えないだろうが。
「子どもなら泣き喚いて助けを乞うのが自然だと思っていませんでしたか? 子どもには攻撃を受ける覚悟なんて無いと、無意識に断定していませんでしたか?」
責め立てる。責め立てる。
逆上されようが構わない。相手からの攻撃はもう恐れていない。
彼女は客観的で否定しようのない事実を、まるでサンドバッグを殴り飛ばすように、端的に述べるのみなのだ。
「だからあなたは負けたのです」
ネメスが魔物を指差して告げた、まさにその瞬間。
両者の間を別つように、一人の人間が上空から矢のように舞い降りた。
紺のマントを羽織った少女だ。
空色の長髪。細い体躯。つり目がちな瞳は先ほどまで閉じられていたのか、睫毛を重ねるようにして伏せられている。
ゆらりと、陽光を向く花弁のように、彼女は凛と立ち上がった。
「よく頑張ったわね、ネメス」
氷の双剣を出現させる長髪の美少女。
彼女の姿を目にした瞬間、魔物の瞳には戦慄が、ネメスの瞳には更なる勇気がそれぞれ浮かびあがる。
「助けにきたわよ……ッ!」
鋭利な眼光を光らせて、烈火の憤怒に身を包み、凍てつくような殺意の波動を放ちながら。
大賢者イズ・ローウェルは颯爽と現れた。




