40話「チェックメイト」
またしても、幻想の能力によって敵の本体を見失ってしまった勇者。
彼に見えている子蜘蛛の幻影は、百という数を裕に過ぎ、今や千の大勢にも届こうとしている。
森から突き出していた崖は、半分以上が爆発によって消し飛んでしまったため、勇者らは森から出てすぐのところで相対していた。
さらに、ヴィーレの背後には魔力切れで気を失ったカズヤが横たわっている。
無防備な少年のことも気にかけながら戦闘を続行しなければならないとなると、状況はかなり厳しくなったように思われた。
けれども、ヴィーレは既に打開策を見出だしていたらしい。
数の差に怯むことなく魔物達の方へと歩き出す。
(俺とカズヤは複数体の子蜘蛛に噛まれてしまっていた。それだけ重複して、能力もかけられていたんだろう)
肩に大剣を担ぎ、状況の整理をしながら、ヴィーレは悠々と歩を進めていた。
そんな彼に食らいつくべく、我先にと言わんばかりに子蜘蛛らは大挙して襲いかかる。
(だが、残りの本体はたった一匹……。重ねがけされていた能力は消え去り、今はもう『一匹分の効力』しか残っていない)
飛んでくる魔物を次々に剣で振り払っていくヴィーレ。
(その証拠に、先の大群と比べてみれば、俺に見えている子蜘蛛の数は千から二千程度にまで減っている)
死角から迫り来る牙や糸には目もくれず、的確に相手の攻撃をさばきながら、彼は群れの中へと侵入していった。
その間も思考は止まらない。
(万から百を探し出して叩くのは無理だった。相手の物量が圧倒的すぎて、本体を全て殺しきる前に、こちらが押し負けていただろうからな)
かかってくる幻影をことごとく斬り捨てていくヴィーレ。
相手の能力にかかったのは彼にも想定外だった。しかし、それから起こった出来事は大方、勇者の筋書きどおりに進んでいる。
そもそも、子蜘蛛の本体を見抜くことは、ヴィーレにとってそう難しいことではなかったのだ。
ただ、それらを叩くにはあまりに敵の数が多すぎたから。
いくらかは減らしてもらう必要があった。カズヤの呪文による広範囲爆撃で。
あわよくば爆発の呪文のみで全滅させられるかもそれないとも企んでいたが、事態はそこまで都合良く転んではくれなかった。
(けれど、『千の中の一』を叩き斬る程度なら、俺一人でも十分だ!)
ヴィーレが足を止めたのは、魔物の幻影に囲まれた四面楚歌の場所であった。
敵陣の中心、逃げ場を塞がれた絶体絶命の位置まで、自ら乗り込んでみせたのだ。
それは勿論、勝算あっての行動だった。
重ねて述べるが、ヴィーレ・キャンベルにとって、魔物の幻影と本体を判別することは大した問題になり得なかった。
この理由は、チェックという呪文の特性にある。
『分析の呪文は、生き物を対象としたとき、相手の魔力レベルを読み取れるでしょ。そうでない場合、レベルは表記されない』
戦闘の開始する前、カズヤがヴィーレに告げていた台詞だ。
その通り。分析の呪文は本来、魔力レベルを測定するための呪文などではない。
魔力量とは、魂の値である。
魂の有無を知ることができるというのは、とどのつまり、命の在処を探れるということだ。
魔力を持たぬ存在が『物』と呼ばれ、魔力を持つ異形らが『魔物』だと言われるのなら。
分析の呪文は、魔と物を分かつ能力であった。
「暴き出せ。この呪文の詠唱と呼び名は――――」
抑揚の無い声が言葉を紡ぐ。
「《チェック》」
ヴィーレが呪文を唱えた瞬間、彼の視界一杯に広がっていた子蜘蛛らの体に、【幻影】というメッセージが浮かび上がった。
レベルは表示されていない。
要するに、それらには魔力が宿っていない。生きているものではないということだ。
無感情な二文字の単語が辺りに飽和する。
だが、その中にたった一つだけ、他とは異なった『数字と文字』の羅列があった。
それを発見したヴィーレは眉間に皺を寄せ、わずかに口角を上げる。武器を握る手に更なる力が込められた。
分析の呪文。
その特筆すべき性能は、対象の魔力レベルを数値化できるということ。相手にどれほどの魂が宿っているのかを、簡易的に判断できること。
そして――――
【レベル321・あなたは今から五秒以内に勝利する】
メッセージ内で断言された事象は、例外なく真実であるということであった。
文章を読み終えるや、鼻を鳴らして冷たく笑うヴィーレ。
彼は腰を落として構えを作り、炙り出された標的を見失わぬよう、しっかりと狙いを定めていた。
「二秒もあれば事足りる」
福音とでも呼ぶべき文章に淡白な返事を寄越した勇者は、足場を後ろへと強く蹴り出した。
地面は抉れ、疾風が走る。
刹那の時間をもってヴィーレは本体の魔物へと肉薄した。
既に大剣は振り上げられている。避けられるような機会など、もう一瞬たりとて与えてやるつもりはない。
本体は草土の上に寝そべっているカズヤへ密かに這い寄ろうとしているところであった。
勇者が幻影に惑わされている内に、もう一人の標的を仕留めておこうと思ったのだろう。蛇の如き狡猾さで少年へ牙をむいている。
その魔物を、ヴィーレは初撃決殺の意志を込めて叩き斬った。
縦に、横に、斜めに、奥に。乱切りにして、薄切りにして、千切りにして。肉塊が挽き肉よりも細かいものとなるまで、徹底的に。
斬った。殴った。裂いて潰した。
塵も芥も残さぬよう、鬼神の如き気迫をもって、無慈悲に打ちのめしてやった。
そうして最後の一振りを終えるや、ヴィーレは魔物へ背を見せる。
「幻想は、いずれ覚めるからこそ幻想なんだ。いつまでも眺めていて、それに呑まれてしまうのは、現実に耐えられない弱者だけだぜ」
何が起こったのかを未だに理解できぬまま、空を舞っている魔物に向かって、彼は諭すようにそう告げた。
「討伐完了……」
両の眼を閉じ、大剣を鞘に収めると、小さく短く息を吐く勇者。
彼が台詞を言い終えた、その直後。魔物の体は粉々に裂け、砂埃のようにかき消えた。
それに伴って、周りを囲んでいた幻覚の群れも、瞬く間に霧散していく。
ヴィーレは辺りを見渡してみるが、今度こそ隠れている個体はいないようであった。魔物の実像は今倒した子蜘蛛で本当に最後だったらしい。
正真正銘の勝利。
蜘蛛の魔物との戦いが、ようやく幕を閉じたのだ。
長いようで、短い戦闘だった。時間にして二十分弱といったところである。
だが、見方を変えてみると、それだけイズ達の救出を遅らされたということでもあった。
ヴィーレとカズヤは敵に仕留められこそしなかったものの、随分と痛い足止めを食らってしまったのだ。
(……休んでいる暇は無いぞ。一刻も早く、彼女達の居場所を突き止めなければ)
両手のひらに爪が食い込むほど、固く拳を握りしめるヴィーレ。
(イズの拾った『黒い懐中時計』。もう一体の魔物はそれに化けているはずだ。だとすれば、違いない。奴は正体が勘づかれる前に必ず先手を打ってくる)
カズヤの推理が正しいという確たる証拠は無いけれども、状況から推測するに、時計の魔物が犯人という線は濃厚なのだ。
それに、この仮説を前提として据えなければ、女性陣への取っ掛かりがゼロになるというのも事実。
縋ることのできる藁は限られていた。
(不意を突かれれば、いくら機転の利くイズでも勝ち目は無い。戦いを知らないネメスなら尚更だろう)
そう考えると、ヴィーレはもう居ても立ってもいられなかった。
今は分析よりも行動を優先するべきだと思い直し、気絶しているカズヤをそっと優しく抱き上げる。
「待ってろ、イズ、ネメス。俺が絶対に助け出す。すぐに迎えに行ってやるから――――」
彼は森の方へ踵を返すと、ふと視線を上にやった。
「それまでどうか、持ちこたえてくれ……ッ!」
低く下りてきていた悪天は段々と晴れ間を広げている。
これから夜にかけて好天に向かうと知っていても、ヴィーレの心は曇ったままだ。
赤い瞳が見つめる空の彼方。
果たしてそこでイズ達が生きているのかどうかすら、今の勇者には分かり得なかった。
【未達成】第四目標「イレギュラーの素性を暴く」




