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異世界五分前仮説   作者: するめいか
第四目標「イレギュラーの素性を暴く」
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34話「食後は決闘値が上がる」

 ヴィーレとカズヤに相対するは、一体きりの蜘蛛の魔物。


 幻想の能力を持ち、噛みついた対象に毒でマーキングをすることで、その力を発動させる。


 体躯は先日遭遇した狼子の魔物に負けず劣らずのビッグサイズで、強い粘着力を誇る半透明の糸を自在に操るという特性まで併せ持っているらしい。


 リングは森林地帯。


 魔物の糸で編まれた、直径二十メートル程度の手広い空間だ。


「蜘蛛の巣には、放射状に広がる『縦糸』と、同心円状で縦糸と直角に交わる『横糸』がある……」


 カズヤは誰に伝えるでもなく独りごちる。


 明るい黒の瞳はこちらの様子を窺う四つの単眼と見つめ合ったままであるが、彼も抜かり無く臨戦態勢へは入っているようだ。


「ちなみに、横糸に触れた物は網にくっつくけれど、縦糸には粘り気が無いそうです。これってトリビアになりませんか」


「カズヤ、雑学を披露してくれたところ申し訳ないんだが、もうちょっと周囲を観察してみろよ。これは一般的な蜘蛛の巣とは勝手が違う」


 現実逃避でもしているのか、蘊蓄(うんちく)を垂れる仲間の少年に対して、ヴィーレは普段の調子を崩さず応えた。


 大剣を肩に乗せながら、説明を補足する。


「立体的で、外部からの敵を捕らえるものではなく、内部にいる獲物を逃がさないための構造をしている」


「それにしては、網の目があまり細かくないようだけど? 僕や君でも簡単に潜り抜けられそうだよ」


「試してみるか? 最も外側にある層を抜ける前に、半透明の糸へ引っかからず、蜘蛛の魔物に捕らえられない自信があるなら、俺はお前を止めないぞ」


「……障害物競争って苦手なんだよね」


「賢明な判断だ」


 ヴィーレは短く話を締める。茶番をしている場合ではない。


 さっき魔物を殴り飛ばした際に、前方の蜘蛛の巣は大きく破れたけれど、あの道を通るには魔物のすぐ横を走り抜ける必要がある。


 カズヤを逃がすとしたら、そこが選択肢の一つとして出てくるだろう。


 だが、下手な策を講じるくらいなら、ヴィーレの後ろに隠れていてもらった方が、危険も無駄も少なくて済むはずだ。


 ヴィーレはこのまま戦闘を続行することにした。


「いずれにせよ、俺達は奴を倒さなきゃならない。逃げていたらイズとネメスを探すことができないからな」


 語りながらも、魔物の動向には注意しておく。


 しかしながら、相手も相手で仕掛けるタイミングを決めかねているらしい。


 蜘蛛とはいえ、何者かの指示を受けてきている以上、奴の知能を甘く考えない方が良いだろう。罠の他に、まだ秘策を用意してあるかもしれない。


 この牽制はいつか終わる。こちらが隙を見せなければ、いずれ盤面は動き始めるのだ。


 心の準備を整えるなら今しかない。


 だからヴィーレはこの隙に、カズヤへ重要事項の確認をしておくことにした。


「念のため、これからの事を考慮して尋ねておくが、自分より大きな生き物を殺した経験は?」


 問われると、カズヤはバツが悪そうな様子で目を泳がせる。


「……詮索しない?」


「勿論」


 即答するヴィーレ。


 これはあくまで、どれほどの覚悟があるのか、どれだけの経験値があるのかという目安をつけるための質問に過ぎない。


 平和な世界から飛ばされてきた者なら「ゼロ」という答えが返ってくるだろうが、正直なところ、それでも全然構わなかった。


 ヴィーレは過度に他人へ期待しない。


 だから、カズヤは他意が無いことを悟って、包み隠さず答えてくれたのだろう。


「……元の世界で、一度だけ」


「上等だ」


 ヴィーレは「フン」と鼻で笑って、懐から取り出した何かをカズヤの方へ放った。


 少年は器用にそれをキャッチする。


 武器を持っていないカズヤへの支給品は、農民でも買えるような安っぽい『果物ナイフ』であった。


 だけど、彼は文句を垂れてこない。不満も抱いていないみたいだ。胆力があるのか、変なところで潔い人物である。


 カズヤはナイフを二、三度素振りした後、武器を構えつつ、ヴィーレへ指示を仰いだ。


「僕は何をすればいい?」


「何も。俺が一人で片を付ける。お前はそれで自分の身を守れ」


 頼られることを求めて尋ねたというのに、返ってきたのは素っ気のないものだった。


 それは勇者の自信を端的に表している。


 心強くはあるけれど、一方では危うさを孕んでいる発言だ。


 自分の危険より他人のリスクを恐れている。ヴィーレは単独で物事を解決しようとする嫌いがあるんじゃないかと、カズヤは感じていた。


 今の勇者は最善を尽くせてはいない。


「ヴィーレ!」


 そう感じたから、カズヤは悠然と歩き始めた勇者の体を無理やりに引き止めたのだ。


 (たしな)めるような口調で再度問う。


「僕らは仲間だ。だろう?」


 手が届く距離まで来るとヴィーレを見上げる形となる。


 カズヤの容姿では、上目遣いでおねだりをしている少女のようにも思える図であったが、譲れないという意志は、その目を覗けばよくよく伝わってきた。


 ヴィーレは仕方無しに、不測の場合の『さらに向こう側』を考慮する。


「……指笛を鳴らす。お前の助けが必要になったときの合図だ」


「任せて!」


 頼られたカズヤは、味方と認められたことに満足したようだ。


 俄然士気をみなぎらせている。飼い主に褒めてもらえた子犬みたいな喜びようであった。


 されど、ヴィーレはやはり、彼を極力戦闘へ参加させたくはないらしい。いくらなんでも力量差がありすぎると感じたのだろう。


「お前は今のうちに飯でも食っていればいい。奴を始末したらイズ達を探さなければならないし、何より――――」


 勇者は一歩、前へ出る。


 大剣を片手で易々と振り()ぐと、彼はいよいよ開戦を決意した。


「食後は()()()が上がる」


 言うや否や、ヴィーレは全速力で駆け出した。


 獣の如く俊敏な動きで魔物との距離を縮めていく。大蜘蛛は糸を飛ばして迎え撃とうとしてきたが、それは容易に避けられた。


 両者の間にあった距離はあっという間に無くなるだろう。


 それこそカズヤからしたら、何が起こったのかという理解の方が遅れてやって来たほどに。


 ふと気が付けば、ヴィーレが大蜘蛛の前で宙に浮き、剣を振り上げていたのだ。


「来世では益虫になれるよう祈っておいてやる」


 無機質な声でそう告げると、勇者は地面に落下する勢いを乗せて、魔物を一刀両断した。


 ――――かに思われた。


 ヴィーレほどではないとはいえ、魔力レベルが高い大蜘蛛は速攻に対応できたらしい。


 わずかに身を引いてかわそうとする。


 が、刃の先端は四つある蜘蛛の瞳のうち、一つを破壊することに成功した。


 身の毛のよだつ悲鳴をあげる魔物。


 それはデタラメな動きで逃げようとしたり、糸をしっちゃかめっちゃかに辺りへ撒き散らしだす。どうやらパニックに陥っているようだ。


 蜘蛛型の魔物の読めない動きに対応が遅れたヴィーレ。大剣が届くほど接近した距離では、相手の反撃をかわすことができず、右前腕に攻撃を受けてしまった


 素肌に直接、魔物本体と繋がった糸が接着したのだ。


 無臭で冷たい物体が大剣を握る手にまとわりつく。無機質で分厚いゴムみたいな弾性だ。


 勇者の怪力をもってしても、これを取り除くのには時間がかかるだろう。カズヤのように服を脱ぎ捨てるといった手段もとれないのだから。


「クソッ……! 元々が俊敏な種族ってのもあるが、そこに魔力量の高さが加わると、一筋縄じゃあいかないな……」


 悪態をついている間にも、大蜘蛛は自身のリーチを考慮した距離まで避難した。


 相手の間合いを維持されている上、今は『綱引き』の状態だ。


 先ほどのように近付こうとすると、魔物から糸が操作され、こちらの動きが制限されてしまう。かと言って、これでは退却することもままならない。


(離れるどころか、迂闊に接近するのも危うい……。相手が次の策を講じる前に、もしくは歪んだ視界に慣れきる前に、急いで勝負を終わらせるべきだろう)


 ダメージというダメージを負っていない勇者はまだまだ静かに状況判断ができていた。


 だが、それを不安に感じた者もいたらしい。


「ヴィーレ、大丈夫!?」


 背後からカズヤが声を投げてくる。


 黙って傍観していられないといった様子で、自身の実力を鑑みず、手助けしたそうにしていた。


「ああ。心配は要らない。俺はチャンスに弱く、ピンチに強い男なんだ」


「よく言うよ! 今がまさにビンチじゃないか!」


「そうだな……。だから、ちょうど記憶が蘇ってきたぞ。お前から教えてもらった、ニホンの物語の中に、こんな時のための教訓を記したものがあったとな」


 カズヤから先日聞かされた、とある小説のお話。


 それを思い返しながら、ヴィーレは大剣を左手に持ち替え、右手で自身と魔物を繋ぐ糸をグワシと掴んだ。


 そうして、カウボーイが投げ縄をするような要領でそれを振り回すと、大蜘蛛の頭胸部と腹部の間、くびれた部分に糸を幾重にも巻きつける。


「垂らされた『蜘蛛の糸』は引っ張るものだ」


 言葉を放つなり、片手だけで魔物の体ごとそれを引き寄せるヴィーレ。


 彼の生み出した引力は相手に抵抗を許さない。大蜘蛛は地面すれすれを滑空しながら、こちらへ急速に飛び戻ってくる。


 蜘蛛の魔物がヴィーレのもとへ帰ってくる頃には、勇者は左手の剣を再度高々と振りかぶっていた。


 一閃。


 速すぎる斬撃は、けだしそう呼ぶに相応しいだろう。


 青銅の剣と魔物の体が交わった次の瞬間には、大蜘蛛は真っ二つに割け、ヴィーレの背後を転がっていた。


 白濁色の体液が勢いよく流れ出すが、やがてそれは本体の死骸と共に緩やかな消失を開始する。


 大蜘蛛の魔物は討伐されたのだ。


「千手観音が中指を立てるレベルの誤解だよ」


 すると、こちらの勝利を見届けたカズヤは、警戒を解いて近寄ってくる。


 彼は何やら不服そうな顔をしていた。先のヴィーレの冗談を真に受けたようだ。


「俺にその比喩は伝わらない。大方、ニホンジョークなんだろうが……」


 応えながら、ヴィーレはベタベタと絡みついたガムみたいな糸の塊と苦闘している。


 どうやら魔物の生み出した物体までは消えてくれないらしい。


 能力で作られた物質は、魔力の供給元である本体が死亡すると同時に消失するのだが、糸や巣などは単純に蜘蛛という種の『特性』によるものだったのだろう。


「それにしても……」


 ヴィーレの手が届かない部分の切除を手伝うカズヤ。


 彼はナイフで糸を慎重に剥がしつつも、心配そうに勇者へ語りかける。


「随分と荒々しい戦い方だったけど、無茶はしないでね?」


「……ああ。でも、俺にスマートさを求めないでくれよ。こういう仕事は不得手なんだ」


「へっ? 君、戦闘が苦手だったの?」


「そもそも俺は戦闘要員じゃあないからな」


「とてもそうは思えないけど……」


「場数が無駄にあるだけさ。知略で勝利を収めたり、技術で相手に優ったり、才能で他人に秀でたり、邪道や(から)め手を閃いたりってのは、憧れこそすれ、実現はできない」


「『レベルを上げて物理で殴る』ってやつだね。シンプル故に敗けがたし、だよ」


「ありがとう。だけどな、中にはどうしても勝てない『呪文使い』や『能力持ち』だって存在するんだ。例えば――――」


 具体例を出しかけたところで、赤い瞳が大きく見開かれる。


 それはヴィーレが話をしている最中、本当に何気なく、空を見上げたのがきっかけだった。


 天候は悪くて、地面に影ができない状況だったから。


 彼は察知できなかったのである。真上から迫りくる存在を。そして、自らが犯した唯一の失敗を。


「カズヤ! 危ないッ!」


 警告をあげると共に、少年の体を押し退けるヴィーレ。


 しかし、遅すぎた。いや、遅かれ早かれ、()()()()()()()のかもしれないのだけど。


 何故なら、想像だにしていなかった『災厄』は、圧倒的な物量をもって降り注いできたのだから。


「グアァ……ッ!」


 呻き声を漏らしたのはヴィーレだった。


 彼の首、背中、左肩、ふくらはぎには、『小さな蜘蛛の魔物』が噛みついている。


 否、ただ牙を刺しているだけではない。


 それらは飢えた野良犬のように、勇者の体を食べようとしていたのだ。肉を抉りとられる激痛と、生温かい液体が体内へ侵入してくる感覚が同時に彼を襲う。


(放っておけば、このまま捕食される……!)


 事態を把握するより先に、ヴィーレは攻撃してきた蜘蛛を一匹残さず、素手で握り潰すだろう。


「な、何ィィィッ!?」


 その頃、カズヤは隣で叫喚をあげていた。


 理由は御察しのとおり。確認すると、彼も肉体のあちこちに新たな傷を負わされたようだった。


 蜘蛛をナイフで突き刺し、力ずくで肌から引き剥がすカズヤだったが、牙が深く食い込んだのか、流血はしばらく止まりそうにない。


「ヴィーレ、一体何が起こっているんだ!」


「良くない事だろうよ! 詳しくは知らないけれど、誰がやったのかは見当がついている……!」


 勇者達は二人揃って、先ほど倒したはずの魔物を見やる。


 やはり、ヴィーレが真っ二つに切り裂いた大蜘蛛は、間違いなく息絶えていた。その体の半分が既に消滅を終えている。


 だが、さらによく注視すると、奴の腹部からは大量の『子蜘蛛』が這い出てきているではないか。


 魔物だ。


 それらの全てが、蜘蛛の魔物だった。


 サイズが幾分か小さくなって、魔力量も随分と下がっているけれど、個体数が半端じゃあない。


(だが、問題の核心は違う! 敵の数が増えたこと、それ自体はさしたる決定打にはなり得なかった。最悪なのは、俺達が両方とも魔物から噛まれてしまったという、この現状……!)


 そう。条件は満たされた。


 痛恨にも、勇者達二人は噛みつかれ、五感を狂わせる毒攻撃を受けてしまったのだ。


(奴らの……『幻想の能力』が発動する……ッ!)


 ヴィーレはギリッと歯噛みする。


 魔王からの刺客。ただでは転ばないどころか、こちらのわずかな油断さえをも、致命傷へと変えてくる凶悪な手合い。


 勇者一行は、それに対して、予想を超える苦戦を強いられていた。

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