30話「ヒロインズの消失」
ヴィーレがイズ達と並んで怪しい店から離れると、カズヤの様子がおかしかった。
俯いて、カタカタと震えている。
木陰に立ち尽くしているせいで彼の表情は窺い知れない。カズヤがこちらの存在を察知しているかどうかも判然としなかった。
「おい、どうかしたか?」
試しに尋ねてみるヴィーレ。
しかしながら、カズヤからの反応はない。
眉を微かに動かした勇者は「寒いのだろうか、気温はとびきり高いのに」と考えながらも、続けて少年に話しかけた。
「何だ? 怒っているのか? すぐ戻ると言いながら、かなり長く待たせてしまった件については謝るよ。悪い」
言いながら、ヴィーレは相手の肩を片手で叩く。
瞬間、カズヤの全身がビクッと跳ねた。
髪の毛を逆立て、「ピャア……ッ!」と奇声を発したかと思えば、高速で後退りしていく。
「許す! 許す! 許すから許して!」
何故か逆謝罪を叫び散らしつつ、青ざめた顔と両腕を全力で振るカズヤ。
(何だ、コイツ。挙動が不審すぎるだろ……)
ヴィーレは若干の疑念を抱いたようだったが、さほど深刻には受け止めていないらしい。
苦笑ぎみにカズヤの様子を眺めている。
「どうした。真っ昼間から怪物にでも出くわしたか?」
次はちょっと冗談めかして、明るい口調で聞いてみた。
だが、普段なら爽やかに笑って返すのに、ヴィーレの言葉を受けるカズヤにそんな余裕は無いようだった。
むしろ悪化しているように思える。彼は不自然に硬い表情で滝汗を流し始めていた。
「だ、大丈夫。ちょっと激しめの頭痛がしただけだよ。風邪かもしれないな~……。アハハ……」
そう返している途中で、カズヤはこちらに背を向けて、先に馬の上へ乗ってしまった。
ヴィーレから必死に逃れようとしているようだが、傍目から見れば本当に気分が悪そうな顔色だ。
少年の姿をイズとネメスは心配そうに見つめている。
(そういえばアイツ、俺達が発見するまでは森の中でずっと放置されていたんだよな……)
初日の夜、アルストフィア近くの森林での出来事を回想して、ヴィーレは真剣にカズヤの調子を案じ始めた。
暑さに流れる汗を手の甲で拭い、思考を進める。
(冗談でなく、本当に体を冷やして病気にかかっているのかもしれない。無理をしているのだとしたら大変だ。万が一のことを考えて、注意しておいた方がいいだろう)
純粋な配慮からそう結論付けて、ヴィーレはイズに耳打ちした。
「カズヤから目を離さないでくれ」
「ええ。道中でぶっ倒れられたら堪らないものね」
彼女も考え至るところは一緒だったのか、小声の返事と共に首肯を寄越してくる。
小さな不安要素を抱える勇者一行。
彼ら彼女らはそうした紆余曲折を経て、旅立つための最後の準備をするため、ユーダンクへ向かって馬を走らせたのだった。
アルストフィア村を発ち、着々と王都ユーダンクへ近付いていく勇者一行。
馬は二匹しかいないため、ヴィーレとイズがそれぞれに乗り、男女に別れる形で残りの二人を後ろに同乗させる。
ネメスは早くも馬に慣れたらしく、途中からは目を輝かせて周りの風景を眺めていた。村の外へ出たことが無かったのだろう。
反対に、カズヤはかなり余裕が無さそうだった。
どうやら乗り物酔いをしたらしい。
数時間で着く距離なのに、早速休む羽目になっているのは、馬のためではなく、彼のせいである。
時間短縮のためにも休憩を減らしたいヴィーレだったが、もし吐かれでもしたら、すぐ前にいる自分は大きな被害を受けるはず。
いくらなんでも吐瀉物シャワーは勘弁願いたい。
そう考えた勇者の提案で、四人は現在、アルストフィアとユーダンクの中間にある森の中で休憩しているのだ。
初日の夜に通った森林である。
その道中にある、比較的ひらけた場所の木陰で、ヴィーレは横になったカズヤの介抱に付き合っていた。
「ヴィーレ……。ごめん、僕のせいで遅れちゃって……」
「馬で酔うっていう奴はたまにいる。体質に文句はつけられないさ。お前は体を休めることに集中してろ」
「うん……」
仰向けで気分の悪そうなカズヤは瞳を閉じて回復に専念し始めた。
ヴィーレは持ってきていたタオルに水をよくよく染み込ませ、それを絞って水気を取る。
それから、冷たくなったタオルを数回折り畳んで、カズヤの顔に被せてあげた。口と鼻のみを覆わずに露出している形だ。
(しばらく涼んでいれば、馬酔いからは復活するだろう)
荷物を枕にしてウーウー唸っている少年から目を離し、後方にいるイズとネメスを確認する。
女性陣は十歩ほど離れた場所で馬の世話をしていた。
(移動手段である動物は貴重な存在だ。奴らの魔力量を上げれば、それに比例して一日に動ける距離は増えていく。不憫だが、魔物を倒すときは馬をできるだけ遠のけないようにしなければ)
ヴィーレの考えているとおり、レベルの上昇がもたらす恩恵は、『呪文の威力向上』だけではない。
魔力という摩訶不思議な存在は、『優れた身体能力』や『高い生命力』を引き出すことに関しても大きく貢献するのだ。
当然ながら、これは人間に限った話ではない。
魂を宿す生き物全てに通ずる法則である。
(前回、魔王城まで十日足らずで辿り着けたのは、馬のレベル上げを怠らなかったからだ。失念するなよ)
と、自分自身に言い聞かせたところで、ヴィーレは『とある異物』を発見した。
「どうしたんだ、イズ?」
立ち上がり、彼女らに歩み寄りながら、賢者が何と無しに手にしている『漆黒の懐中時計』を指差し、尋ねる。
「たしか腕時計は最初から持っていたよな? 新しいのを買ったのか?」
ヴィーレは初日に見せつけられた細い黄金色のアンティーク時計を思い出す。現在も賢者の左腕に巻かれているものだ。
一方でイズはこちらの推測を受けて、さらに困り顔を深くさせた。
「その質問をしてくるってことは、これはあんたの落とした物ではないってわけね」
「時計なら所持しているが、色が違う。俺のはシルバーだ」
「となると、これは知らない誰かの紛失物でしょうね。たった今、草むらの近くで拾ったのよ。壊れてはいないようなんだけど……」
彼女はこちらの質問に答えながら、黒の光沢を放つ懐中時計をあらゆる方向から調べていた。
持ち主の情報が手に入らないか探っているようだ。
「イカした時計なのに勿体無いな」
「ここを通るのは、ユーダンクかアルストフィアの住人くらいよね。落とした人も多分どちらかに住んでいるんでしょうけど、残念ながら、人探しの仕事は予約が埋まっているわ」
諦めて会話を締めにかかるイズ。
しかし、元の位置に時計を戻そうとする彼女の手を咄嗟に止める者がいた。
「イズさん。せっかくユーダンクへ向かうんですし、届けに行ってあげましょうよ」
ネメスだ。
少女はイズの手首を掴んで制しながら、彼女の手の内に握られた黒の塊を注視している。
「誰かにとっての大切な物だったとしたら、それを吹きさらしの場所に置いておくのは申し訳ないです。門衛さんに落とし物として渡しておけば、時計を汚したり傷付けたりすることなく、持ち主の人のところへ返せるかもしれません」
「所有者はアルストフィアにいるかもしれないぞ」
ヴィーレがやんわりと反対意見を述べてみるが、答えは間をあけずに返ってきた。
「だったら、冒険から帰った後、わたしが持ち主の方を探しに行きます! あの村には、帰る予定がありますから」
言うと、ネメスは意味深長に微笑んでみせる。
彼女が言及した『予定』の内容を勿論ヴィーレは知っていた。
そもそもがこちらから取り付けた約束だ。加えて、今朝に決まったばかりの未来予想図である。忘れるはずがない。
ネメスは賢しくそれを利用したのだ。
「……相当なお人好しだな、お前は」
「えへへ。ヴィーレさん達とお揃いですね」
彼女は向日葵のように笑って返事してくる。
(あぁ……。そうだ。この子は、こういう子だった)
対して、ヴィーレは「一本取られた」という様子で首の後ろを掻いた。
たった一言だ。
ネメスのたった一言、何気なく放たれたカウンターで、ヴィーレとイズは彼女から全幅の信頼を背負わされた。
これを天然でやっているのだから末恐ろしい娘だ。
「……分かったわよ。時計は私が預かっておく」
先に折れたのはイズだった。
ネメスを一緒に立ち上がらせ、横髪を耳にかける仕草をしてから、台詞を続ける。
「ユーダンクに着いたら、町の掲示板かギルドに依頼を出して、代わりの誰かに持ち主を探してもらいましょう。寄り道はもう懲り懲り」
イズは時計を懐にしまいながら「構わないわね?」とヴィーレを見上げた。
とはいえ、どうせこちらには拒否権などない。
「ボスの仰せのままに」
形式的な確認へ、ヴィーレはぶっきらぼうに答えを寄越した。やる気のない身振りを付け加えて。
「やっぱり、ヴィーレさん達はとっても良い人です」
ニコニコと双方を見守るネメスは、満足げに呟いた。
それを聞こえなかったことにするため、イズは紅潮した顔のまま、白々しく気にしていないふりをする。
両手を叩いて、次なる指示を出したのだ。
「昼食にしましょう。さっき商人の女の子からパンを買ったの。色んな種類があるけど、ネメスはどれがいいかしら?」
尋ねながら荷物の中からバスケットを取り出す。
ネメスが数ある昼食候補の中からお気に入りのパンを見つけ出すまで、ヴィーレは腰に手を当てて、彼女らのやり取りを眺めていた。
けれどやがて、彼の前にも短冊状に編まれた籠が回ってくるだろう。
ヴィーレはパッと見ただけですぐに選ぶパンを決定したが、それを手に取る前に、先んじたイズによって目当ての品を渡される。
ボリューム満点の肉々しいハンバーガーだ。
「あんたは濃い味の方が好きだったわよね」
「ありがとう。感心な記憶力だ」
「覚えたくないデータまで覚えてしまっているだけよ。あとはほぼ直感。あんた、肉体労働者でしょう」
「関係あるか? それ」
「あるわよ。体を動かす人はよく汗をかくから、塩分が不足しがちで、濃い味付けを好むの。逆にあまり汗っかきでない体質の人や、体を酷使しない生活をしている者は、塩分が足りているので、薄味の好みになっていくってわけ」
「ふぅん。ここらで塩辛い料理が多いのは、蒸し暑い気候が一因としてあるわけか」
「そういう事。ま、私は味付けの薄い方が好きだけどね」
イズは片目を閉じると、バスケットの中からサンドイッチを取り出した。瑞々しいレタスとトマトに包まれたジューシーなハムが何とも魅力的だ。
不意に、ヴィーレの空いた手へバスケットが渡される。
中に残っているのはカズヤの分だ。
つまり、無言で交わされた貸し借りの意図は、「お前が食わせてこい」とのお達しなのであろう。
「とにかく、さっさと仕事を片付けて。でないとあんたを片付けるわよ」
鬼教官の発しそうな怖い台詞を、いつになくあざとい口調で言ってのけるイズ。
上機嫌みたいだ。
彼女はニッコリ微笑んでみせると、その場で軽やかにターンして、ネメスのもとへと去っていった。
「急いでどうにかなる問題じゃあないんだがな……」
参ったという風に独りごちて、ハンバーガーをかじるヴィーレ。
彼はカズヤの隣に腰を下ろす。
バスケットを置いて、少年がうたた寝に入っていることを認めると、カズヤの額の温度を手のひらで計った。
(熱はない。が、これだけでは不調か否かの確証を得られないよな……)
眉をしかめて、ヴィーレはおもむろに腕を組む。
(さっきからコイツはどうも様子が変だ。いや、最初から変ではあったんだが、今のカズヤは何かを隠そうとしているように見える)
ヴィーレは純度百パーセントの気遣いでもって核心に近付いていった。
(聞き出すことは難しそうだ。ならば、ここは一つ、一か八かの手段に賭けてみるのも良いだろう)
そう結論付け、横たわる少年の姿に集中する。
「《チェック》」
彼はカズヤを起こさないよう慎重に小声で呪文を詠唱した。
微量の疲労感が魔力の消費を伝えてくれる。それは同時に、分析の呪文が発動したことを示していた。
蛇のような動きでカズヤの身体を文字が這う。
【レベル38・魔女の眷属。四種類の呪文を詠唱できる】
メッセージを読んだ後、ヴィーレの脳はわずかな間、白い闇に染められた。
「四種類だと……?」
思わずそう呟く。心の内に眠っていた懐疑が再び眼を開けた瞬間だった。
カズヤから聞いていた呪文の種類は二つだ。
爆発の呪文と、鈍重の呪文。
矛盾する。
少年は重要な個人情報を偽っていた。詐称していた。嘘を吐いていたのだ。仲間であるはずの勇者達に。
何故。燻っていた疑念の炎が音を立てる。
「……イズ。カズヤの呪文を確認した時、お前は間違いなく正しいやり方を教えたんだよな?」
微かに残った希望にすがって賢者に尋ねる。
自身の呪文を認識できる方法。それをカズヤに教えたのはイズだった。
彼女の教え方が不味かったか、カズヤが致命的な勘違いをしていたか。そのどちらかである事を祈ったのだ。
「イズ、どうなんだ」
声が届いていなかったのか、返事は無い。
ヴィーレは早くも痺れを切らした。苛立ったように、声量を大きめに設定し直して呼び掛ける。
「おい、イズ。聞いているのか」
同時に彼は、上半身だけを動かして、睨むような眼光でギロッと背後を振り返った。
誰もいない。
目を疑う。瞼を思い切り閉じて、もう一度確かめた。
しかし、やはりそこには誰もいない。
中途半端に食べ残されたパンとサンドイッチ、それから零れた紅茶と二本の水筒が転がっているだけだ。
ついさっきまで話していたはずなのに。真後ろでランチをしていたはずなのに。
イズ・ローウェルは消失した。
ネメス・ストリンガーも消されてしまった。
前兆すら垣間見せず、予兆すら匂わせることなく、にわかには信じがたい凶兆のみを静寂に響かせて。
彼女達は『何者か』に連れ去られたのだ。




