29話「自尊心を自損した男」
時は五分ほど遡る。
女性陣のショッピングが終わり、イズと商人が二人で店の方へと戻っていった頃。
ヴィーレはヘトヘトになっているネメスへ声をかけていた。
「これ、やるよ」
そう言うと、屋台の側に広がっていた草原で、彼女に猫っぽい見た目のぬいぐるみを差し出す。
彼なりに歓迎の意を表現しているらしい。
ヴィーレは、持ち運びの邪魔にならない程度に大きい物を買ったつもりだ。白色の毛皮で適度に手触りの良いそれは、『ω』の口が特徴的な愛くるしいルックスをしている。
「えっ……。わたしに、ですか?」
こちらの申し出を受けたネメスは予想通りの反応を返してきた。
「ああ。商品箱の奥の方に入っていたんだ」
屋台の方へ視線をやりながら質問に答えるヴィーレ。
ネメスは初めこそ驚いた様子だったが、ヴィーレが「ほら」とぬいぐるみを押しつけてやると、雲を掴むような慎重さでもってそれを受け取ってくれた。
そして、笑顔の猫と見つめ合うこと、しばらく。
彼女はギュッと抱きしめ、太陽のような笑みをこちらに返してきてくれた。
「わたしが猫さんを好きなこと、覚えていてくれたんですね! すっごく嬉しいです! 大切にしますね、宝物にしますっ!」
にぱーっと効果音の添えられそうな明るさだった。
(え、笑顔が眩しすぎて、思わず光属性の呪文かと錯覚してしまった……。これはイズが貢ぐのも分かる。もっと俺にも貢がせろ)
ヴィーレはネメスの笑顔を受けて薄目になっていた。村を囲む外壁の陰にいるのに、である。
すっかりネメスの虜らしい。
こうして見ると、この娘こそが真に勇者達を結束させる要因となっているように感じられる。
彼女がいなければ、他の三人はそれぞれと仲良くなるために、更なる時間を要していたはずだ。ネメスに代わる緩衝材を探さなければならないのだから。
だからきっと、ネメス・ストリンガーという存在は、魔王討伐任務遂行班にとって不可欠だったのだろう。
そしてパーティーの全員がその愛くるしさの支配下に置かれるという未来は、そう遠くないのかもしれなかった。
しかしながら、この件に関してネメス本人は全く興味がないはずだ。
そうに違いない。
何故なら、彼女にとって何より重要なのは、『信頼した者から裏切られたくない』という一点のみなのだから。
「モフモフしてて、本物の猫さんみたいですね! 可愛い~!」
ネメスは受け取ったぬいぐるみを「よしよし」と撫でながら興奮している。
「お前、自分のことを棚に上げすぎだろ」
白猫に抱きついて匂いを嗅いでいる彼女の姿を眺めていたヴィーレは、そこでボソッと呟きを漏らした。
「ん? ……あれ? もしかして今、わたし褒められました?」
「どうだかな」
ジロジロと見つめてくるネメスから逃れるようにして、ヴィーレは明後日の方向へ瞳を逃がした。
屋台の正面を眺めると、こちらが一連のやり取りを交わしている間、イズはいくつかの商品を抱えて会計を済ませに行っていたようだ。
ヴィーレがいる位置からはよく見えなかったけれど、数着の服とキスリング型のザックがあるのは確認できた。
ふざけているようで、旅に必要な物もきちんと買い揃えているあたり、抜かりはないらしい。
「お買い上げどうも~」
イズから代金を受け取った商人がホクホク顔で声をかけてくる。
フードからは相変わらず口元しか露出していないが、ニヤけているのだけは分かった。貧しくはないようだが、金銭に執着がないわけではないらしい。
現在も収支表らしき手帳に数字を書き連ねている。
その間に、ネメスを引き連れ、イズ達のもとへ戻ってきたヴィーレ。彼は商人の様子を注意深く観察していた。
一方、ヴィーレの隣では、ネメスがヘッドバンキング並みに高速の礼をイズへ向けて繰り返している。
「ありがとうございました、イズさん!」
「ふふっ。どういたしまして」
「本当に……何百回お礼をしても、言い足りないくらいで……!」
「気にしすぎよ、ネメス。私はあなたに可愛い服を着せたかっただけ。恩を着せたかったわけじゃあないわ」
「うぅ……。でも、貰ってばっかりは悪いですよぅ……」
ネメスは参ったように呟きを漏らしながら、服のポケットをまさぐりだす。
お返しになる所持品を探しているようだ。
しばらく自身の身体をペタペタと触っていた彼女だったが、家族の写真とぬいぐるみ以外には何も無いかと諦めかけた頃、パッとその顔が明るく華やいだ。
「……あっ、そうでした! ありますよ! イズさんにあげられる物! わたし、一つだけ持っていました!」
彼女は嬉しそうに片手の拳をイズに突き出してくる。
「律儀な子ね……。でも、まあ、ありがたく貰っておくわ」
イズの顔は、その言葉とは裏腹にちょっぴりニヤついていた。
口角が上がってしまっている。心の内ではかなり喜んでいるらしい。
ネメスの拳の下に仰向けの手のひらを差し出すイズ。すると、彼女の手中に何か丸っこい物が落とされる。
見ると、それは『石』だった。
けれども、路傍に転がっているただの石ころではない。
それは動物の形をしていた。まるで天然にそうなったかの如く、手を加えられた形跡が無いのに、である。
アルストフィアの公園でネメスがヴィーレに拾って見せた石だ。彼女が扱う変形の呪文、モデリングで生成した。
「素敵なプレゼントをありがとう、ネメス」
しかし、その件について知らされていないイズは、新鮮なリアクションで猫石の贈り物を受け取る。
賢者は微笑みを湛えたまま、手の上にある石ころを観察している。
「もしかして、これは――――」
推理が解けた後の探偵みたいな表情でイズは問う。
「エイリアンじゃないかしら?」
「違います! もっと愛くるしい生き物です」
「なら、亜人類を象ったものね!」
「アジ……? もう、イズさん。これは猫さんですよ! ここが耳で、この窪みが両目なんです!」
ネメスはプンスカ怒りながら、石ころの該当部分を指差していく。
他方、イズは困惑した様子でそれを聞いていた。
イズの感性とネメスの造形能力、どちらが悪いかというと正直半々なのだが、彼女達は両者共に己の非を認めていないようだ。
二人は案外似た者同士なのかもしれない。
互いにどこか抜けている部分がある。
「お姉さん達、仲が良いねぇ」
するとそこで、帳面への記入を終えた商人が、イズとネメスの話に割って入ってくる。
「で、どうするの? 購入した服は。ここで装備していくかい?」
ペンと共に手帳をしまいながら彼女はネメスに尋ねてきた。
しかし、ネメスには意味が分からなかったようで。両目をパチパチと瞬かせており、「ソウビ?」と怪訝顔だ。
回答できないうちに判断はイズへと委ねられてしまう。
「いいの? じゃあ店の裏、また借りるわね。行くわよ、ネメス」
「はーい」
イズに呼ばれて、彼女の後ろにピッタリついていくネメス。
女性陣の二人は、数着の上衣と下衣を携え、仮設された試着室とやらへと消えていった。
本物の姉妹みたいな親密さだ。
(この調子で、ネメスがイズの手綱を握っていてくれたらと願うばかりだな……)
ヴィーレは二人の背中を見送りながら切に祈る。
それから勇者は、ネメスが新しい服に着替えるまでのわずかな間、その場で彼女らの帰りを待つことにしたのだった。
早急に着替えは終えたようで、すぐに二人は戻ってきた。
のんびり歩くイズとは対照的に、ネメスははしゃいだ様子で手を振りながら、駆け足に勇者の方へ近寄ってくる。
「ヴィーレさん、ヴィーレさん! 見てください、この服! イズさんに選んでもらいました!」
飛び跳ねそうなほどの期待を込めて尋ねられる。
「似合ってますか?」
屋台にもたれかかるヴィーレの前まで来ると、ネメスはひらりと一回転してみせる。
フワッとスカートの部分が舞い、細く綺麗な脚が顔を覗かせた。
彼女の純粋さを表したような薄い水色のワンピースは、橙色の髪をより一層映えさせている。履き物は歩きやすいサンダルだった。
(レベルが上がってない以上、重い鎧もそうそう着られないから、女の子らしい服装を選んだのだろうか。買い物をしている時のイズの様子からして、そこまで考えていないような気もするが)
ヴィーレは無駄な思考もそこそこに、ネメスとの楽しい会話へと意識を戻す。
「最高に似合ってる。可愛いよ、ネメス」
「えへへ、ありがとうございます。イズさーん! ヴィーレさんに褒められちゃいましたっ!」
素直に褒めてあげると、ネメスは元気一杯に礼を述べ、再びイズのもとへと戻っていった。
子犬のように駆け回る娘だ。
(終始ニコニコしていたが、そんなに新しい服を買ってもらったのが嬉しかったのか……)
残されたヴィーレはそんな見当違いの思考をしながら、ネメスの背中を追った。
女性組が運ぶにしては、購入した商品の量が多すぎる。純粋な筋力とスタミナの低い彼女らには安心して任せておけない。
そう考えての行動だ。
あまり時間をかけずとも、彼女達のもとへは辿り着く。
ヴィーレは何も言わずにイズの前へ手を差し伸べ、またイズの方も、当たり前のように荷物をこちらに渡してきた。
まるで高貴な主君と、それに仕える寡黙な従僕である。
(旅立つまでに時間をかけすぎているな。早くユーダンクへ行って、エルの居場所を探りだし、彼との合流を果たさなければ)
というような思考をしながら、ヴィーレは諸々の必需品が詰まったネメス用のリュックを片手で軽々と担ぐ。
「そうそう。あんた、聞いたわよ」
三人揃って横並びに歩き出すと、ネメスを挟んで左側を陣取る位置から、イズがこちらに話しかけてきた。
「ネメスに新しい服の感想を求められたんですって?」
「ああ」
「どういう風に褒めてあげたの?」
「ん? いや、至って普通に。『可愛いよ』と」
「……えっ。それだけ?」
「偽り無い気持ちを不足なく伝えたつもりだ」
「はぁ……。やれやれだわ……」
イズは落胆と嘲笑の狭間にある声色で息を漏らした。
しょうもない小言がまた始まりそうである。つまり、彼女なりの『構ってほしいアピール』だ。
「せっかく着飾ったんだから、もうちょっと具体的に評してあげなさいよ。ユニークさを交えつつね」
「そういう要望はよしてくれ。生憎、俺にはオシャレがよく分からんのでな」
「あぁ、いかにもって感じ。とんと興味が無さそうだもの」
「だって、おかしくないか? どうして世辞を貰うために金を払わなきゃいけないんだ。世辞を言うには金がかからないというのに」
「うわうわうわっ。自己肯定感の低い奴が宣いそうな台詞だわ。ネメス、早く彼から離れなさい。ネガティブが移る」
ヴィーレから距離を取ろうとしたイズにネメスがすかさず質問する。
「イズさん、イズさん。『ネガティブ』って何ですか?」
「自損した自尊心のことよ」
「んんん……?」
イズの気取った答えはネメスに通じなかったようだ。少女は難しそうな顔をして、ヴィーレに助けを求めている。
それを受けたヴィーレは勝ち誇った様子でイズを見返してやった。
「ご覧の通り。『洒落』ってやつは、相手に伝わらなければ意味がないのさ。オシャレだってそうだろう?」
「うっさいわね。ジョークはともかく、自分を着飾るスキルは社会を生きていく上で欠かせないものじゃない」
「それが虚飾だとしてもか?」
「ええ。拒食しているよりはずっと良好だわ」
「大袈裟だな。俺は食わず嫌いをしているわけじゃあない。中身で勝負していきたいと言っているんだ」
「外面は、内面の一番外側でしょう?」
例のごとく、ノリと勢いだけで議論する男女二名。
果たして、中身の伴っていない言い争いを『議論』と称して良いものかは、微妙なところだけれど。
ともかく、これがヴィーレ達の日常会話となりつつあった。
すると、彼らの険悪そうなコミュニケーション法を両者の間で眺めていたネメスが、再び会話に混ざってくる。
「二人ともラブラブですね!」
「「は?」」
二人の顔を交互に見比べながら、更なる爆弾を投下したネメスに、両者の視線が突き刺さる。
しかし、少女はそれらに怖じけることなく、ピッと人差し指を立ててこう告げた。
「だってカズヤさんが教えてくれましたよ? 『イズさんの暴言や暴力は、愛情の裏返しなんだよ~』って」
「半分は間違っているが、残りの半分は正解だな。イズの乱暴さには照れ隠しも多いし。俗に言う『コスメティックバイオレンス』だ」
「初めて聞いたわ。『ドメスティックバイオレンス』みたいな言い方しないで」
ヴィーレの冷やかしに噛みつくイズ。
けれど、先のやり取りが脳裏にちらついたのか、今回のところはあまり激しくかかってこなかった。照れ隠しと思われるのは不本意だったのだろう。
『化粧』は一時的に剥がされたらしい。
――――いつの間にか止まっていた歩を再び進めると、彼らはカズヤのもとへ戻れることだろう。
この後に待ち受ける運命を予感すらしないで。




