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あなたが望むなら

 数日を経て、リングポールはすっかりアイシャのよき友になった。

 アイシャは暇さえあれば自室でリングポールと向き合った。車椅子のうえで、いつも彼の入っているケージを片時も離さず抱えながら、今日もまたそのように過ごしている。

「気になっていたんだが、お前はずっとここに閉じ込められてるのか?」

 昼頃、いつものような談笑の最中、脈絡もなくアイシャはリングポールに尋ねられる。

「そんな、閉じ込められてるだなんて――」

 突飛なことを訊かれ、アイシャは言葉より先に身振りで否定する。

「思ったことないわ。おかしなことを言うのね」

 鼻で笑いながら否定するアイシャ。しかしリングポールは納得がいかない。

「でもよ、聞いた話じゃあ、今まで一度も外に連れ出してもらったことがないんだろう? ずっと家の中にいさせられて。それってやっぱり閉じ込められてんじゃないのか?」

「ただ町に連れていってもらえないだけよ。外には出してくれるわ」

「ふーん……ちなみに、その『外』っていうのはどこまでだ?」

 リングポールが訊くと、アイシャは彼の入ったケージを持って、そのまま窓辺に車輪を進ませる。そして近づいた窓枠のうえにリングポールのケージを据えた。

「この広い草原のどこまでもよ」

 アイシャはリングポールと一緒に窓から見える外の景色を望む。見渡すかぎりの草原が景色を緑一色に覆っている。広々としており、これといった構造物も見当たらない。

「いい景色でしょう? 草が揺れていて、今日も外は気持ちが良さそう」

「草しかないじゃないか。こんな場所でずっとだと飽きないか?」

 先程から後ろ向きな発言ばかりをする鼠に、アイシャはただ不思議そうに首を傾げる。リングポールは周囲を見渡すと、ケージの内側の表面を撫でた。

「俺にこのケージは小さすぎるんだ。お前も似たようなことを感じたことはないか?」

「ごめんなさい。私、鼠じゃないから……大きいケージに換えてもらう?」

 その的外れな返しに、リングポールはがっくりと肩を落とす。

「いや、そういうことを言っているんじゃあない。要するにだ、こことはちがう遠くに、もっと遠くに行ってみたいとは思わないか? 自分の知らない場所に興味はないか?」

「もっと遠くって……たとえば『町』、とか?」

「そうだ。ここを抜け出して、その場所に行きたいとかは――」

「あ、博士の車だわ。一緒に手を振りましょう」

 アイシャは話を中断すると、外に見えた赤い小型車に向かって手を振った。

 月に一回ほど、博士は家を留守にして町に買い出しに出かける。

 アイシャはそれを家の窓から見送るのが常だった。その日は一日本でも読んで、博士の帰りを待つのだ。

「博士のいない日はいつもひとりで寂しかった。でも今は貴方がいるから大丈夫なのよ」

 草原を走っていく車を一緒に見送った後、アイシャは窓枠に置いたケージを抱え上げる。

「今が幸せだもの。これ以上は欲張っちゃ駄目」

 ケージを愛おしそうに抱いたまま、ゆっくりと車椅子の背もたれに倒れていく。

「今日もたくさんお話しましょうね。リングポール」

 アイシャは目元をキュッと細めながら、ケージの中にいるリングポールに語りかける。

「まあ、お前がそれでいいなら……言うこともねえさ」

 その屈託なさには参ったようで、リングポールは話を打ち切った。

 いつもどおりの午後、何も変わりはしない日常、それもまたきっと素晴らしいことだ。もっとも夢見がちな年頃の少女が、本当にそれで満足しているなら――

「……………………」

 ふと、アイシャは窓の外を見る。いつかの渡り鳥の鳴き声がまた聞こえたような気がした。

 ずっと前から、アイシャの胸の内にはくすぶり続けているものがある。

 リングポールが切り出した話は、彼の想像以上に少女の心を揺さぶらせていた。


「おやすみなさいアイシャ。いい夢を」

「おやすみなさい博士。いい夢を」


 やがて夜が訪れて、おやすみのキスを済ませたアイシャは就寝に入ろうとする。

 その日の夜は、時計の針の音がやけに気になった。

 刻々と進む時間の中、シーツの中にくるまった少女は考え込んでいた。

 この胸の高鳴りをどうすべきかをずっと考え込んでいた。

 消灯時間もとうに過ぎ、アイシャはベッドの中――潜ったシーツから顔だけを外に覗かせる。

 アイシャは枕元にあるリングポールのケージに向かった。

「リングポール、私ね、本当はね、貴方が昼にした話のことだけど――」

「んあ? なんだよ。せっかく気持ち良く寝れそうだったのに」

 欠伸まじりに、リングポールは寝惚けた顔を上げる。

「私、一度でいいから町に出てみたい。貴方が来る前からずっと思っていたことなの」

「………………」

 そう打ち明けたアイシャに、リングポールは体を起こして話に聞き入る姿勢を取る。

「だけど無理なのよ。どれだけ頼んでも、博士は私を町に連れていってはくれないから。でも最近はそこまで欲求もないの。貴方が来てからよ、リングポール」

 その言葉にリングポールは眉をひそめる。訝しげに自身の顔を指差した。

 その反応にアイシャは首肯すると、とても優しげな笑みを浮かべる。

「だってリングポールの口伝いで十分に楽しめるもの。あなたのお話は夢みたいだわ。貴方が私の元に来てくれて本当に良かった。ありがとう。リングポール。これからもずっと友達でいてね」

 その屈託のない笑顔に嘘はない。リングポールは呆然と彼女を見上げ続けた。

「アイシャ。もしお前が俺の友達だというなら、ひとつだけ頼みがあるんだ」

 堰を切ったようにリングポールは口にする。改まった態度にアイシャは首を傾げた。

「なあに? 私にできることなんでも」

「ああ、簡単なことだ。俺をこのケージから逃がしてほしい」

 瞬間、時が止まったように――思いがけない頼みに、アイシャは途端表情を固まらせる。

「俺は外に出たいんだ」

 最初、相手が何を言っているのかアイシャには理解できなかった。

 それでもやっと言葉の意味が呑み込めると、アイシャは一転して表情を困らせた。

「え? だ、駄目よ。博士は貴方を家の中に歩かせたらいけないって……」

「大丈夫。すぐ家の外に出ていく。それなら問題ないだろう? アイシャ」

「家の外って……で、でも、だって、急にそんなこと言われても……」

 正直、リングポールのためなら、アイシャは博士の言いつけを破って『お叱り』ひとつ受ける程度は許容できる。だから、彼女が決断を迷うのはまた別の感傷的な理由からだった。


「私、貴方がいなくなったら……その、とても悲しい……」


 単純な話、アイシャは友であるリングポールを遠くに行かせたくはなかった。

 また自分が寂しくなってしまう。きっと彼の代わりはどこにもいないだろうと知っていた。

「頼むよアイシャ。一生のお願いなんだ」

 縋るように両手を合わせるリングポールを目に、アイシャは複雑そうな面持ちである。

 感情の板挟みに合った彼女が下す決断は如何なるものか――逡巡の末、アイシャは心を決めたように下唇を噛むと、いつも彼に対してするような笑みを取り繕った。

「そうね。貴方は私を十分楽しませてくれたもの……私も何かしてあげなくちゃね」

 そう言うと、アイシャはケージの上辺にある蓋を取り外した。

 リングポールは遮るもののない部屋の天井を見上げる。そうしているところ、不意にケージが横に傾けられ、先程まで『壁』として自身の四方を囲んでいたケージの表面に彼は体を転がらせた。

 アイシャはベッドのうえから腕を伸ばして、ケージの天辺が床と接するように据えた。

 リングポールは数歩踏み出すだけで、もうケージの外に出ることができる。

 アイシャが欲しくて止まなかったものが、『自由』が今そこに広がった。

「ほら、これでもう出られるでしょう」

「……ああ、ありがとう。恩に着るよアイシャ」

 リングポールは四つ足に素早くアイシャの部屋から出ていく。

 アイシャはその後ろ姿を悲しげな瞳で見送った。溜息をひとつ、彼女はシーツの中に身を戻していく。

「さようなら。リングポール」

 リングポールが去っていった部屋の戸枠から顔を背けて、アイシャは寝に入った。

「………………」

 途端、込み上げるもの――このままだと彼女は寂しくて泣いてしまうかもしれない。

 涙を流したところで誰に見られるものでもないが、アイシャは一層とベッドの中に深く潜り込み、微かな嗚咽をシーツの中の暗闇に隠した。無機質な部屋は少女の悲しみで覆われた。


 二時間後、しばらくして嗚咽は止んだ。

 泣き疲れたアイシャはシーツの中で寝息を立てている。

 乾いた涙の跡が粉となって、目元から頬にかけて伝っていた。

 夢の中で、少女は自分の元からいなくなったリングポールの姿を何度も思い浮かべた。

 リングポールが光に向かって走っている。その背中を追おうとするけれど、下半身が重くてうまく進めない。地べたを這いずっても、這いずっても、愛しい友人との距離は開くばかり――。

「おーい。アイシャ――アイシャ――」

 遠くで声がする。夢の中でアイシャを呼んでいる。

「アイシャ、起きろよ。起きろって言ってるんだ」

 夢の中で? ――否、それは確かに耳元で響いていた。

 少女は目をぱちりと開ける。目の前には見慣れた鼠が立っていた。

「博士は寝静まったぞ。行くなら今がチャンスだ」


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