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檻の中の檻

 昼食後は二時間の自由時間がある。そのあいだは施設の中を自由に移動できた。

 とはいっても、子どもたちの行き来できる範囲は限られている。当然、職員の出入口などは三重構造の扉で堅く閉ざされており、他にも要所、子どもたちが立ち入ることのできない場所がいくつかあった。

 子どもたちの生活空間は主に――各々の自室が立ち並ぶ廊下、知育玩具の散らかった図書室、日光を模した照明が飾られている温室、運動のためのトレーニングルームなどが揃えられている。

 その日、アイシャは図書室で借りた本を片手にひとりになれる場所を探していた。

 理由は言わずもがな、ビエトリクスから逃れるためだ。本来なら自分の部屋に引きこもるという手も考えたが、残念にも与えられた部屋に鍵はついていない。基本的にここで暮らす子どもたちにプライベートはない。施設には所々にカメラがあり、子どもたちの様子を逐一監視している。

 各所に設置されたカメラを見つける度に、アイシャは溜息を吐いた。

 辟易としているところに、畳みかけるように子どもたちの元気な声が彼女の耳をつんざく。三人の子どもたちが車椅子のすぐ傍をすれ違った。何やら楽しそうに追いかけっこをしている。アイシャはすれ違った子どもたちの背中を視線で追うも、程なくして何かを思い出したようにすぐさま視線を切った。

 他人を妬む自分に嫌気が差す。ここにあるものすべてがアイシャの気を尖らせた。

 わずらわしさから逃れるためにアイシャの車輪は回り続ける。あちらこちらに車椅子を動かして、ひとり落ち着ける場所を探していると、やがてアイシャはとある部屋の前に行き着いた。

 そこは子どもたちの部屋が並ぶ廊下の一番奥の曲がってすぐの突き当たり――鉄製の重厚な扉が寂しげに構えている。他にある子ども部屋の扉とは明らかに雰囲気が異なっていた。

 廊下には均等に清浄灯が配置されていたが、その扉の前にある天井の灯りは切れかかっており、ちかちかと不規則に点滅している。子ども部屋の中で、おそらくここは使われていない空き部屋に違いないとアイシャは考えた。暗くて静かで冷たい場所――それは彼女が探して止まなかったものだ。

 扉の前まで車輪を進めると、ふと、施設内の雑踏が薄まったような気がした。まるで目には見えない境界線のようなものがそこにはあって、それを越えた瞬間に周囲の音が一気に遠ざかったような感覚だ。

「ここがいい。ここがいいわね。うん」

 アイシャは鉄製の扉を背にして、図書室から持参してきた本を膝元に開いた。

 休み時間が終わるまでアイシャはそこで時間を潰すことにした。

 本の頁をめくっていると、時折、アイシャを呼ぶ声が遠くから聞こえたが、放っておくと声は聞こえなくなった。ビエトリクスもここまで探しに来なかった。誰もこの場所には立ち入ってこない。

 静かだった。だけど大好きな本を読んでいても紛れるものはなかった。

 ひとりでいると益体もないことを考える時間が多くなる。いなくなった博士のことや、置いていったリングポール、そして自分自身のこれから先のことについて――。

 それらのことについて思考を巡らせても、少女の中ではどれもこれも答えが出そうにない。

 ふと、ページのうえに一粒の涙が零れる。

 アイシャは本を閉じて面を覆った。あまりにもわからないことが多すぎて――。

 心細くて寂しくて、誰かに甘えたい気持ちにもなった。

 だけど今の彼女には誰もいない。一日にしてすべてを失った。


「誰かそこにいるの?」


 ふと、背後から聞こえてきた声にアイシャは肩を飛び上がらせる。

 声は空き部屋だと思っていた扉の奥から聞こえてきた。咄嗟にアイシャは車椅子を扉から離す。

「待って。いかないで。ただ少しお喋りしたいだけなの」

 扉越しに遠ざかる気配を感じたのか、声の主はアイシャを引き留める。

「………………」

「ね、お願いだから。怖がらないで」

「……あなた、誰?」

「『ベティ』よ。ベティ・イグナルム。知らないの?」

 知らないとアイシャは答えた。じゃあ覚えてねとベティは返した。

 どこか調子の狂った返しに、アイシャは怪訝そうに眉をひそめる。

 この時点で、アイシャはこの部屋にいる子どもが他の子どもとはちがう――異質な雰囲気が扉越しから伝わってくることに、少しばかりの警戒を覚えていた。

「そこはあなたの部屋なの?」

「いいえ違うわ。ここにきてからずっと閉じこめられているの。ひどい話でしょう?」

 その言葉にアイシャは意を突かれる。閉じ込められていると――厳重な鉄の扉からして、ただの部屋ではないことはアイシャにも察せていたが、そこは監禁専用の部屋だったのだ。

「ここには誰も寄りつかないし寂しくて仕方ないわ。あなたも寂しいのよね。だってて泣いていたもの」

「別に、わたしは泣いてなんか――」

「どうして泣いていたの? わたしだけに教えて?」

 ベティは聞く耳を持たずに捲し立てる。無視してここから立ち去ることもできたが、その場から一歩も動くことができない相手に対して、アイシャはそんな一方的な真似はしたくなかった。

 またアイシャ自身も指摘された通り、その胸の奥には一抹の寂しさがあった。

 ここにきてからというもの突っ撥ねた態度は取っているが、それも限界近いところがあった。

 だからこそ、このベティという謎の少女に対しては扉一枚隔てた先――その物理的な距離に安心したのもあったのかもしれない。施設に送られて以来、アイシャは今まで閉ざしていた自身の境遇を語った。

「かわいそうに。あなた大変だったのね」

 すっかり打ち明けると、アイシャは心がすっと軽くなったような気がした。

「ねえ、わたしたち友達になれると思わない?」

 ベティはそう言った。その言葉は今のアイシャには甘い誘惑だった。

「あなたの顔が見てみたいわ。ねえ――この扉、うえのところに小さな窓があるでしょう? そこからあなたの顔を覗かせることはできないかしら」

 見上げると、扉は確かに一部が格子のついた窓になっていた。だけど車椅子のアイシャには覗くことができない。それでも何とかしようと、アイシャは窓の縁に腕を伸ばしてみる。そこから懸垂の要領で覗き込もうとしたが、やはり自身の貧弱さと下半身の重さも相まってうまくいかない。

「アイシャ! そんなところで何をしてるのさ!」

 突如、横合いから声が響く。振り向くとそこにはリビーが立っていた。

 リビーは早足にアイシャの元に近寄ると、車椅子の持ち手を掴んで彼女を扉の前から離した。

「昼休みが終わる。呼びにきたんだ。さあ行こう」

「え? ちょっと待って――」

 アイシャの意思とは無関係に車椅子は動かされる。廊下の明るいほうに進んでいった。

「あなたアイシャっていうのね。覚えたわ」

 昼休みの最後、扉越しにベティの声が聞こえてくる。

「よかったらまたきてちょうだい。また一緒にお話ししましょう」

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