リビーという少女
その後もビエトリクスによるアイシャへの付きまといは続いた。
傍から見ると、まるで嫌がらせのように彼女はアイシャに構い続けた。この施設にきた新しい子どもは、決まってビエトリクスによる『世話焼き』を受ける。それはここに来たものへの洗礼のようなもので、彼女のしつこさに大抵の子どもはなし崩しに警戒を解いてしまう。
しかしその点、アイシャは頑なだった。
ビエトリクスだけではない――誰に対しても、決して心を許そうとはしなかった。食事こそ取るようにはなったものの、アイシャはいつも食卓から離れた部屋の隅でひとりで食べている。
膝の上に昼食の乗ったプレートを置いて、ひとりで黙々と食べていた。
「アイシャ。あっちでみんなと一緒に食べよう」
背後からビエトリクスの声がかかる。アイシャは振り向かないし答えない。
「みんなで食べたほうがおいしいよ。ねえアイシャ――」
そのときふと、幼い泣き声が食堂に響いた。
年少のもの同士が諍いを起こしたらしい。ビエトリクスは慌ててそちらに向かった。
アイシャひとりには構えない。彼女はそういう役どころだった。
「まあ大変。駄目よ、喧嘩したら」
ビエトリクスは仲裁に入る。アイシャはようやくひとりになれたと胸を撫で下ろした。
「よう。意地っ張りさん」
そう思ったが、しかし入れ替わりに別の子どもが目の前に現れる。
その日珍しく喋りかけてきたのはリビーという『魚』の少女だった。
「素っ気ないな。同じ『鱗持ち』じゃないか」
正面から見える白い肌は背中側に近づくにつれて青くなっている。青い部分にはうっすらと鱗のようなものがあり、彼女はそれを見せつけるように右の二の腕をアイシャの前に掲げた。
アイシャの下半身もまた蛇の鱗に覆われている。しかしその程度の共通項で少女は靡かない。むしろ一層と気を害したようで、彼女はリビーの二の腕からぷいと顔を逸らした。
「あらら、気難しいな。まあイヤなら取り合わなくていいよ。傍で勝手に話すから」
リビーは二の腕を下ろすと、車椅子の傍にどかっと胡座をかく。
アイシャのリビーに対する認識――自分がビエトリクスから逃げ回っているときに、こちらをにやにやと厭らしい笑みで見つめていたやつ。ただこうして喋りかけてくるのは初めてのことだった。
「わたしの名前知ってる?」
「……『リビー』って呼ばれていたのは聞いたことがある」
「へえ、一応周りに対しての興味はあるんだな」」
名前を覚えられていたことにリビーは少しほころんだが、指摘されたアイシャは気を悪くする。
「やっぱり知らない。あなたの名前なんて」
「あはは、ごめんごめん。怒らせちゃったな」
不機嫌になった彼女を茶化すようにリビーは唇を尖らせる。
「実際、大したもんだよお前。嫌味じゃないよ? ここらで傷の舐め合いしてるようなやつよりかはよっぽど良いじゃないか。わたしはお前みたいなやつ好き。見てても面白いし飽きないからな。それに――」
ふと、リビーはアイシャの頭のうえに手を乗せる
「こうやって話してみると、ビエトリクスの気持ちが少しわかる。お前可愛いんだ」
だから放っておけないんだなと、リビーはアイシャの頭を撫でる。
その手つきにアイシャは昔日を思い出す。しわまみれで大きなあの手を思い出した。
かつて愛しいあの人にこうして頭を撫でられていたことは、もうすでに遠い記憶のようだった。
「……からかわないで」
脳裏に蘇った幻想を頭から追い出すようにアイシャは首を振り乱す。リビーは手を退けた。
「ビエトリクスは諦めないよ。お前のこと絶対に」
間隙を突くようにリビーは言った。
「みんなに対してもそうだったんだ。あいつは誰もひとりにしたくないんだ。ビエトリクスはいいやつだよ。少しお節介が過ぎるけど。だからいい加減お前も――おい、どこに行くんだよ」
いつの間にか昼食を終えたアイシャは、食べ終えたプレートを持って返却口のほうに移動する。
「わたしはあなたたちとはちがう。ひとりで大丈夫なの」
そう言い残して、アイシャは車椅子でのろのろと立ち去る。その背中をリビーはじっと見据える。
移動にも難儀そうである。車椅子の車輪は緩慢に回っている。
できるなら、あの車椅子を後ろから押してやりたいとリビーは思った。だけどそんなやさしさは、今のアイシャには望むべくもないものだ。ぶつけようもない気持ちに、リビーはもどかしげに頭を掻いた。
「放っておけないなあ」




