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第二章 あたらしいばしょ

「ようこそお嬢さん。わたしはここの管理人をやっている者です」

 喜色満面に差し伸べられた手を、アイシャは訝しむように見下ろす。

 ここまであった出来事の中で彼女の猜疑心は膨れ上がっていた。

 いくら相手が人懐っこい笑顔を浮かべていようと、おいそれとは信用できない。

 アイシャは握手を拒否し、目の前の女からそっぽを向いた。

 管理人と名乗る女は、そのの態度に口角を引きつらせた。

「あなたの境遇は知っています。随分と辛い目に遭ったようですね。かわいそうに。でも安心していい。ここにはあなたを傷つけるものなんて何一つないんだから」

「……………………」

 アイシャは口を噤んだままに何一つ言葉を返さない。女は少々手をこまねいていた。

 管理人とアイシャのやり取りを、遠巻きから無数の瞳が見ている。

 大抵、ここに落とされた遺児たちは周囲のあれこれに対して怯えを抱いている。そんな弱みに付け込んでやさしく振る舞うのが彼女のやり方だったが、そのやり方は今のアイシャには逆効果だった

 今は、己自身に向けられる如何なる感情に対しても過敏になっている。

 アイシャは半身を抱き寄せ、目の前の胡散臭い女からできるだけ遠ざかるように身を引く。

「ほら、大丈夫よ。ほら、怖がらないで」

 アイシャが遠ざかれば、その分、女は意地になってアイシャに近づいた。

 撫でるような手つきでアイシャの肩に触れる。アイシャは肩を揺らして手を払おうとした。

「どうしたの。ねえ? どうしたのよ」

 アイシャが自身のことを警戒しているのにも明らかだったが、その女にも今まで如何なる子どもたちとも打ち解けてきたという『自負』があった。そんなプライドが女を図々しくさせていた。

「そう怖がらないでいいよ。ここにはきみのお友達がたくさんいるからね」

 何の気なしに放った女の一言に、途端、アイシャは気を尖らせる。

「なぜ彼らが、わたしの『お友達』だと勝手に決めるの? みんなわたしと同じように普通じゃないから? だからそうやって一括りにしているのね。わたし友達なんていらないわ。放っておいて」

 大きな身振りと共にアイシャは言い放った。その声は部屋にいた『お友達』にもハッキリと聞こえた。この二人のやり取りに勝敗があるとしたら、傍目からはアイシャが勝ちを得たように見えた。

 思わぬアイシャの反撃に、言葉を詰まらせた女は顔を真っ赤にする。

 アイシャは車椅子の車輪を回し、部屋の隅にまで移動する。そのまま部屋の隅に落ち着いた。



 PM12:00――昼食の時間である。

 施設のタイムテーブルに決められた食事の時間になると、キメラ遺児たちは食堂に会する。

 食事は皆が机に揃ってからだった。しかしその日は――。

 長机には人数分の料理が並んでいる。上座にあるひとつ空いた席は新入りに用意されたものだったが、そこに座るべき本人は、依然として部屋の隅っこで壁と睨めっこをしていた。

 誰が声をかけても一切そこから動こうとしないので、結局、アイシャ抜きで昼食は始まった。

「何だあれ? つっけんどんだな」

 そう呟いたのは、全身をウロコに覆われた魚にも似た風体の少女だった。半魚人の少女は机から半身を振り向かせて、自身の背後にあるアイシャの姿を鬱陶しそうに見やる。

「し、仕方ないよ。きき、きっと不安なんだね。ここにきたばっかりで」

 ローブを目深にかぶった少女はたどたどしく言った。ローブの奥からは真っ黄な双眸が覗いている。

「か、かわいそうに。どうしようリビー? もっかい声かけたほうがいいかな」

「放っておけよブッチ。すでにビエトリクスが立った」

 リビーと呼ばれた少女は手に持ったフォークである方向を指し示した。

 フォークが示した先には、長机を迂回してアイシャに近づくひとりの少女があった。

 少女はアイシャの傍で足を止める。少女はアイシャの分の配膳を手にしていた。

 何やら熱心に話しかけている様子が見て取れる。その光景をリビーとブッチは食卓から眺めていた。

「あの『世話焼き』は懲りないな。このあいだ痛い目にあったばかりなのに」

「でもビエトリクスなら、あ、あの子も心を許すかも……」

 実況見分に興じる二人組に――その注目の的となる二人のやり取りはこんなものだった。

「ほら、ご飯食べよう。お腹空いてるでしょ?」

「いらない。空いてない。あっち行って」

 心配して声をかけてくる相手に対して、アイシャは背を向けたままに振り向くこともしない。

 誰とも顔を合わせたくない、そんな不貞腐れた気持ちだった。

「そんなはずはないわ。だってあなた、ここにきてからまだ何も食べていないじゃない」

「……………………」

「きっとお腹が空いているはずよ。ほら、あなたの分持ってきたから」

「しつこい。だからいらないって言って――」

 アイシャは苛立って振り向き、ここで初めて相手の顔を目にする。

 そして相手と顔を合わせた途端、アイシャは言葉を失った。

 その少女は右目に大きな眼帯が当てられていた。顔の右半分を覆うような巨大な白い眼帯――眼帯の下からは乾いた血のにじみが浮き出ている。負って間もないだろう生々しさの抜けない怪我だった。

 食ってかかろうとした相手が怪我人と知って、アイシャは威勢を削がれてしまった。

 その隙を突くように眼帯の少女はにっこりと微笑む。

「やっとこっちを向いてくれたね。わたし『ビエトリクス』っていうの」

「わ、わたし、アイシャ――」

 条件反射に名乗り返す。聞き出した名前にビエトリクスの笑顔は一層と輝きを増した。

「『アイシャ』、とてもいい名前ね」

 両手を打ち鳴らしたわざとらしい仕草でビエトリクスは言った。

 一度見たものは仕方ないと、アイシャは目の前の少女を見分するように眇めた。

 自分とそうは代わらないだろう年端――或いは少し年上ぐらいか。短く切り揃えられ黒髪に、すらりと伸びた肢体は、アイシャにはない大人びた雰囲気があった。五体満足で――右目に怪我は負っているものの、一見して、他のキメラ児のようにあからさまな身体的異常は見当たらない。それだけに、この場所におけるビエトリクスの存在はいささか浮いているようにアイシャには見えた。

 もしかしたら服の下に隠せる程度の()()なのかもしれないと――アイシャはまるで粗を探すようにビエトリクスを頭から足の先まで矯めつ眇める。いささか厭らしい視線だった。

 それでもビエトリクスは気を害することなく笑顔を保つ。悪意に対しては鈍感であった。それどころか彼女は、何やら自分がアイシャの興味を引いていることが嬉しくて仕方なかった。

「アイシャ。どうしてさっきからそんなところにいるの?」

 ビエトリクスは上半身を屈ませて、自身の膝辺りに視線を落としていたアイシャと目を合わせる。

 不意に屈託のない瞳に覗かれると、アイシャは途端に居心地が悪くなった。

 こうも親切な相手に対して、自分はその優しさを突っ撥ねている。そうした態度を取っている自分にアイシャも抵抗があった。ただ意地もあったのだ。どうしても今は素直になれなかった。

「ひとりがいいの。だから放っておいて」

 消え入りそうな反抗心を燃やしてアイシャは答える。

 そう答えて、アイシャはようやく壁に視線を戻した。

 しかし背後の気配が立ち去る様子はない。アイシャはもう一度背後をうかがう。

「あっちにいってって言ってる」

「そんなこと言わないで。あなたと仲良くなりたいのよ」

 埒があかず、アイシャは彼女から逃げるように部屋の隅から隅に移動する。

 その後ろをビエトリクスはにこにことしながらついていった。

 ふたりの不毛な追いかけっこを尻目に、リビーたちは坦々と昼食を続ける。

「始まったぞ。ビエトリクスの『仲良し病』だ」

 フォークを口の端に咥えながら、リビーは事も無げに呟いた。

「あの子はいつまで保つかな」

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