辿り着いた場所
数年前、ある研究者夫婦の元に『アイシャ』という赤子が生まれた。
今の時代、義務づけではなくも出生前の胎児の大半は遺伝子検査にかかり、そこで将来に及ぶ不安要素などを取り除かれる。この技術により、がんの発生率、後天性の身体異常、他にも様々な生きる上での障害を選別し、排除ができるようになっていた。
発達した遺伝子技術は遂に『人間の生命』に手を加える段階まで来ていた。道理のあるべきについて議論はされてはいるものの、それは広く一般に普及している。
研究者夫婦の胎児の遺伝子検査は、当時、彼らが勤めていた研究施設の一室で行われた。病院にかかれない明確な理由がそこには存在していた。
ドライドット夫妻。二人には我が子すら研究の対象でしかなかった。
別種同士の遺伝子をかけ合わせる――所謂『キメラ』の研究は施設でも進められている。その研究は社会に還元され、今ではキメラの存在は広く一般に浸透している。
最も顕著なのがペット産業だ。知能の強化や、言語機能を与えられたもの、およそ進化の過程では得られない能力を付与された生物たちが、透明な檻の中に入れられている。
『遺伝子の配合』――踏まえて、その夫婦の試みは常軌を逸していた。
恐れ多くも人間に対して、その技術を運用すればどうなるのか? そんなことは机上でのみ許されるような戯言――あまりに冒涜的な行為である。
ヒトと他生物の組み合わせ――そのような行為は当然にして禁じられている。しかし今から十四年前、その研究者としての一線をドライドット夫妻は越えた。
試験管の中に放り込んだ受精卵を解析し、遺伝子の螺旋に外部からの情報を刻み込んだ。幾度の予後不良を乗り越え、念願の愛娘は形成されていく――。
実験は成功だった。結果は失敗だった。
アイシャという赤子がこの世に生を受けてからしばらく、ドライドット夫人は自ら首を括った。自身の犯した罪の大きさに気づいたのだろう。その点、夫のほうは生粋だった。
――彼女は僕ほどに研究者ではなかったみたいだ――
妻の死について顛末を語る最中、博士が口を滑らして出た言葉。
後悔も反省もしてはいない。そんな彼だからこそ、アイシャを愛でることができたのかもしれない。博士は自身の研究成果を抱えると、そのまま人の寄りつかない草原の別荘に雲隠れし、その場所でアイシャはすくすくと育つ。彼女は自身の存在について何の疑いを持たぬまま、実にのびやかに育成され――そして今に至るのだ。
生命倫理に基づく遺伝子配合の規制の法律により、ドライドット博士は重犯罪者として拘束。禁断の人種配合キメラを生み落としたマッドサイエンティストとして、遺伝子工学の歴史に名を連ねる――そしてその娘は今、ある施設に行き着いていた。
博士はずっと前から追われていたらしい。死んだ私のママが残した遺書に、すべての罪が記されていた。それからずっと、博士は逃亡生活を続けていた。
からからと、長い一本道の廊下を車輪が回る。
厳重な扉をいくつも潜り抜けた先、『Eden』と記されたプレートのかかった木製の扉の前で車椅子は止まった。そこがこれからのアイシャの住処となる場所だった。
「『楽園』だなんて……今さらおかしいわね」
自分にはとても縁のないところだと言わんばかりに、顔を俯けてアイシャは失笑する。ここまで車椅子を押してきた男は彼女の後ろから腕を伸ばすと、扉を三回ノックした。
「ここならばきみは安心して暮らせる。きみの新しい家族だ」
おもむろに扉は開かれ、そのときアイシャの目に信じられない光景が飛び込んできた。
「……ふふ、あはは」
思わず呆れたような笑いが込み上げる。
そ禁忌を犯した人間はひとりだけではなかった。
研究者の誰もがみんな己の欲求に逆らえなかったらしい。
彼女たちには、鳥のような羽もあり、魚のようなヒレもある――そこにいる子供らの異形は健常な人間とは大きくかけ離れていたが、他の何より『人間』らしさを映し出しているようにアイシャには見えた。
みんながみんな禁断の子。ここならばアイシャも安心して暮らせるだろう。
少女はもうひとりではない。同じ家族がそこにはいるからだ。
第一章完結です
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