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兄と妹

作者: turara

僕は妹を愛している。

言ってしまえば自分自身の命より大切な存在だ。

今日も明日も明後日もずっと、妹の笑顔を見ることができれば僕はそれでいい。

僕に笑いかける妹が、僕に好きだという妹が、何よりも大切なんだ。

■1

「もし人生をやり直すことが出来るのなら」

きっと誰しも一度はこんなことを考えるだろう。

けれどそんなことはできるはずもないので、やがて「もし人生をやり直すことが出来るのなら」なんて考えるだけ時間の無駄だということに気付く。

他の人はここで考えるのを止めるのかもしれないけれど、しかし僕はそう考えることをやめられないのであった。


「お兄ちゃん、朝だよ」

そう聞こえると同時に、閉じた瞼に金色の光が差し込む。

妹は毎朝勝手に僕の部屋に入り、「お兄ちゃん朝だよ」と言いながらカーテンを開ける。それはそれで特に嫌なことではないけれど、そうすることを僕が頼んだというわけでもなかった。

うっすらと目を開ける。どうやらベッドの横には妹が立っているらしく、制服のスカートからすらっと伸びた太ももがぼやけて見えた。

ふいにその太ももに飛びつきたい衝動に駆られる。恐らく妹は抵抗しないだろう。僕らの間ではそれが、例えば”仲のよい兄妹”がする行為以上の意味を持っていた。

簡単に言ってしまえば、愛し合っていた。お互いがお互いを必要とし、支え合い、寄り添って生きていた。

こういった物語の兄妹は、実は血がつながっていなくて最終的にはハッピーエンドになる、という方が読者も満たされるのだろうけれど、残念ながら僕ら兄妹はしっかりと血がつながっていて、どうしようもないほどに紛れもなく、「家族」であり「兄妹」であった。


「お兄ちゃん、起きてるの?」

そう言いながら妹は僕の髪を撫でる。これも毎朝のことだった。

彼女が僕の部屋に訪れ、カーテンを開け、僕の髪を触る。この一連の行動は僕と妹が結ばれた時からの日課になっていた。

更に言えば僕はこうしてもらわなと起き上がらない。自分でもダメな兄だとは承知の上だけれど。


リビングへ行くと四人掛けのテーブルには家族全員分の朝食が並んでいて、父が難しい顔をして新聞を読んでいた。これも毎朝のことだった。

「あなた、新聞を読みながら食事をするのはやめて」

今まで母にそう言われたところで父がそれをやめたことはなかった。習慣なのだ。

いつも通りの朝。何も変わらない一日の始まり。けれどここには満ち足りた幸福がある。

両親が僕と妹のことを知ったら恐らくこの平凡でありふれた幸福は崩れてしまうだろう。僕らは兄妹なのだからそれは当然のことで、世の中の道徳にも法律にも反しているのだから。

だからこういった兄妹の禁じられた愛を綴る物語の主人公達のように、僕らもまた例外ではなく両親には勿論、周囲にはひた隠しにしてきた。これからもずっと隠していくだろうと思う。


「お兄ちゃん、そろそろ行かないと遅れる」

妹が僕の顔を覗き込む。時計に目をやると、まだまだ時間には余裕がある。妹は心配性なのだ。

いつもこうして、余裕がある時間でも「遅れる」と言って僕を急かした。「急かす」というと追いつめられているというか切迫したニュアンスになるが、決してそうではない。妹の「遅れる」は、「一応」言っているだけにも聞こえる。

なので僕は特段慌てるわけでもなく、いつも通りに朝食を済ませ、早すぎることも遅すぎることもない時間に家を出るのだった。


僕にとって「学校」というものは酷く退屈な場所であり、恐らくそれは妹にとっても同じだった。同じ教室にお互いが居るわけでもなく、かといって教室を出たらすぐに存在を確認できるわけでもない。兄妹がお互いの教室を頻繁に行き来してしまえば少なからず周囲におかしな目で見られるだろう。

そういった行動はしないようにしていた。飽くまで「普通の兄妹」を演じていた。家に帰って両親に気付かれないように配慮すれば、僕らはどこまででも愛し合えた。

世間のいう「恋人同士」がするように、お互いの繊細で敏感な部分に触れ合うことも、手を繋いでDVD鑑賞をすることも、一つのベッドで眠ることも、ただ抱きしめ合うことも。

それは家の中でしかできないことなのだけれど。


たまには妹を遊園地に連れて行ったり、二人で買い物をしたりとか、「普通の」ことをしてあげたいとは思うのだけれど、「どこで誰が見てるか分からないから」と妹は賛成しなかった。仕方ないのかもしれない。兄バカのように聞こえるかもしれないけれど、妹は可愛かった。

恐らく妹の学年、いや、僕らの通う学校には妹のファンが大勢いるはずだ。僕が妹の兄でなかったとしてもファン程度にはなっていただろう。それほどに可愛らしかった。何が得意というわけでも、何かで目立つというわけでもない妹だけれど、すれ違った人の目を奪ってしまう言葉では表現しにくい魅力があった。

そんな彼女がひとたび街へ外出でもしようものなら速攻で男に声をかけらる。「ナンパ」というやつだ。

そう考えると、妹はいい加減寄ってくる男にうんざりしていたし、何より外で活発に遊ぶというタイプではないのだから、僕が提案する「デート」に賛成しないのも仕方がない。

僕個人としては可愛い妹を連れて自慢したいという気持ちもあるが、そこは妹を尊重して今までやってきたので、これからも僕と妹の愛は周囲の目に触れることなく育まれていくのだろうと思う。


■2

「優」

名前を呼ばれた。目の前には幼稚園からの幼なじみが怪訝そうな顔で僕を見つめていた。

「朝からぼーっとしてる。なに考えてたの」

彼女はそう言って――そう、僕の幼なじみは上条香澄という女子だった。妹には劣るが整った顔立ちをしていて、妹とは少し違って割と明るい。決して妹が暗いというわけではない。大人しいだけだ。

だって僕と一緒にトランプゲームをして妹が負ければ悔しそうにリベンジを申し込んでくるし、面白いテレビ番組を見れば顔を崩して笑うのだから。暗いとは少し違う。


「ねえ、聞いてるの」

僕の悪い癖、というか自分ではあまり悪いとは思っていないのだけれど、まぁ僕の癖は、何を考えていても「妹」と結びつけてしまうことだ。今更ながら僕は妹にぞっこんらしい。

「聞いてるよ。考え事してた」

だから何を考えてたの、と目の前の幼なじみは半分呆れながら言う。しかしそれは絶対に聞き出したいというわけではなく、単純に僕と会話をするための繋ぎにすぎない。そしてこれもまた、毎朝の決まったやりとりだった。

「そういえば」

ふと思い出して僕は口にする。上条は、ん?と教室を見渡していた視線をこちらに向ける。

別段大きいというわけでもないが、目を合わせたら吸い込まれそうな瞳なので適当な空間に視線を泳がす。

「あの、あいつ。あいつが昨日さ」

そこまで言えば上条は僕が何を言いたいのか察したらしく、あぁ、と目尻をほんの少しだけ下げて微笑んだ。

あいつ、というのは僕のもう一人の幼なじみである。

杉田慎太郎というのが彼の名前だ。僕と上条は彼が居ないとき「あいつ」と呼んでいた。嫌いだというわけではない。ただなんとなく、そうだった。


その慎太郎は昨日、隣のクラスの女子に告白をすると言っていた。

ただ「好きです」と伝えるだけではなく「つきあって欲しい」と交際を申し込むつもりだと昼休みの屋上で打ち明けて来た。打ち明けて来た、というよりは彼の中の決意が揺らがないように僕に宣誓した、という方が合っているかもしれない。結局その言葉を彼が実行したのか僕は知らないので、女子の中ではそれなりに中心的人物である上条の耳には結果が届いているのかもしれないと思い、誓いをたてられた幼なじみとして訊ねてみる。

「ダメだったみたい」

悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女は言った。

面白がるのも無理はない。何故なら慎太郎はその隣のクラスの女子に散々振られているのだから。

これで13回目だったはずだ。しかし慎太郎は何度「お断り」されても挫けることがない。更には毎回が初めてのように慎重に、思い詰めたように僕に誓うのだった。もうそれが彼の高校生活の生き甲斐なのかもしれない。

そんな彼に対して周りは3回目くらいまでは同情していたと思う。4回、5回目になると「ネタだろ」と笑う声も増えていき、今では慎太郎が交際を申し込んでお断りされるということがちょっとした行事になっていた。

「いつまで続けるのかな、あいつ」

つい一瞬前まで浮かんでいた悪戯な笑みは消え、上条のその瞳は切なそうにしていた。

彼女は慎太郎に好意を寄せていた。僕が知る限りで小学校5年生の頃から。しかし一度も想いを伝えることなくここまできてしまった。


僕らは今、18歳。半年後には高校卒業を控えていた。


「よぅ」

僕と上条の間に沈黙が流れてすぐ、慎太郎の声がした。おはよう、とそれぞれ挨拶をする。しつこいようだがこれも毎朝の流れだった。

「ダメだった」

それだけ言うと慎太郎は自分の机に顔を伏せた。僕の後ろの席だ。

「いつものことじゃん」

切なそうな瞳はもうそこにはなくて、いつも通りの上条が、いつも通りに慎太郎に声をかける。

そして僕も、いつも通り適当に言葉をかけて1限目の準備をするのだった。


■3

授業中の僕の頭の中は大半が妹のことで一杯だった。

妹もそうだったとしたら嬉しいのだけれど、残念ながら妹は勉強を始めると他のことが頭に入らないほど集中してしまうので、この時間だけは僕の片思いになる。

今日は妹とどんなことをしようか。昨日はテレビゲームをして僕が全勝だったので今日は妹の得意なゲームでもして勝たせてあげようか。今頃妹はしっかり授業を…聞いてるよな。虐められては…ないだろう。居眠りもしていないはずだ。


と、ここまでいつも通り妹のことを考えて、此処から先、僕は妹のいろんな表情を思い出す。笑った顔、少し怒った顔、泣いている顔、考え事をしているときの顔、照れたときの顔、眠っているときの顔。どれもこれもが愛おしくて、失いたくない僕だけの宝物だ。

もし彼女の存在が消えてしまったとしたら、僕は立って歩くことができるだろうか。答えは分かりきっている。NOだ。


そして僕は「妹を好きな理由」なんて、とてもくだらないことを考える。考えたところでうまい言葉は出てこないし、そもそも「どうして好きなのか」というのは好きになった後で考えるものだ。

要するにどれだけ必死にひねり出してもそれは後付けでしかないのだから、そうであるならば僕にとって妹を好きな理由を考える意味は無い。

僕は妹が好きだ。それで充分だし、満足している。

ごくたまに妹が「お兄ちゃんは私のどこが好きなの」と訊ねてくるけれど、僕はそれに「全部」と答えるしかできない。逆に僕がそう訊ねたとしても同じように返ってくるだろう。言ってしまえば、僕らはその質問に重きを置いていなかった。そういうふうな「会話」をすることが何より重要だった。それはきっと、僕らが「普通」の「恋人同士」ではないからだ。

だから少しでも「恋人同士」っぽくできることは何でもしたかった。お互いに。

結論から言ってしまえば、僕が妹を好きな理由なんて考えたところで答えは出ないわけなのけれど、それでもやはり妹のことを考えるにあたって、この思考は止まらないのである。


こんなふうに僕が考えることと言えば妹のことばかりで、授業内容なんてものは殆ど耳入っていなかった。ただなんとなく、黒板に書かれた文字をノートに書き写していた。


そうしてるうちに、その日一日の授業が終わり帰宅部の僕は教室で他愛もない雑談をするクラスメイトをよそに、そそくさと妹の待つ正門へ向かう。

はずだった。


「優」

自分でも分からないけれど、なんとなくそんな気はしていた。

あと2歩。あと2歩進めば教室から出られるというところで呼び止められる。声の主は上条だ。

「どうしたの」

諦めて上条の方を向く。彼女は何か思い詰めているようだった。

上条は僕にそういう表情を見せたことがない。

幼なじみとは言え、やはり男女の壁というものがあるからなのだろうか。思春期特有の悩み事、みたいなものは話されたことがなかった。

「もう帰るの?」

彼女は僕が今教室から出ようとしていたのを見ていなかったのだろうか。いや、見ていたはず。見ていたからこそ呼び止めたはず。やはり「もう帰るの?」という質問は朝のやりとりと同じで特に意味がないようだった。

「帰ろうと思ってるけど、どうしたの」

僕と上条の間には約1メートル50センチほどの距離がある。これくらいなら僕は彼女の瞳を真っすぐと見つめることができた。朝のように40センチ程度しか距離がない場合だと、少しきつい。

「ちょっと」

それだけ言って、彼女は口を閉ざした、というより、その先に続く言葉を選んでいるようだった。

何を言いたいのだろうか。妹以外の女子にはあまり深い興味も関心も持ってこなかったので僕には見当もつかない。

「ここじゃ、まずい?」

妹が待っている。ここで済む用事なら早く終わらせて妹の元へ行きたいのだが。

「…」

「…」

僕のその願いも叶わず、上条はコクリと頷いた。

僕らは場所を変えることにした。

学校は4階建てで、僕らの教室は3階にある。上条は僕を4階の人気のない廊下まで連れて行き、立ち止まった。

「どうしたの」

改めて彼女に問う。ここに辿り着くまでの数分でおおよその見当はついた。

「あいつの、ことなんだけど」

予想は的中した。いい加減にそろそろ辛抱できなくなったのだろう。

彼女は慎太郎に想いを告げたいと言った。


告げたい、と思うならそうすればいいのに何故わざわざ僕に話すのだろう。慎太郎もそうだけれど、実はいまいちその心理が理解できなかった。

やはり誰かにその決意を表明することで覚悟を決めようとしているのか。しかしその決意を表明する相手は誰でもいいというわけでもないのだろう。

正直なところ僕にそれをされたところで何かが変わるわけでもないし、慎太郎はしばらく経てばまた例の彼女にぶつかっていくなんてことは分かりきっていることなのに。


要するにこの時間は、このやりとりは、僕にとって不毛なものでしかなかった。正門では妹が待っているわけで。

「知ってたでしょ?あたしが、あいつのことずっと好きだったって」

夕日のせいだろうか。上条の頬がほんのり赤く染まっていた。いつも真っすぐに相手を捉える彼女の瞳は、今は伏せ目がちになっている。こんな表情を僕は見たことがある。

もちろん妹だ。妹が僕に「好き」だと「結ばれたい」と告白してきたときの表情だった。妹の方が可愛いけれど。

「もう我慢できないの」

僕の無言を肯定と捉えたのか、彼女は言葉を続けた。慎太郎のことがどれほど好きなのか、とか、いつも笑って流しているけれど本当は慎太郎が例の彼女に告白する度に気が気じゃない、とか何とか。

彼女には申し訳ないけれどそれはとても退屈な話であり、僕が彼女と同じ女子だったら共感して涙を流すことすら出来たのかもしれないけれど、或いは僕がもう少し優しい人間だったとしたらそれも可能だったのかもしれない。が、今に始まったことではないが兎に角僕の頭の中は妹だけだ。

更に多分今この瞬間も、妹は外で僕を待っているはずだ。早急に切り上げなければならない。

「うん、そっか。まぁ、言ってみるのもいいと思う。応援してる」

出来るだけ投げやりに聞こえないように、声のトーンを落として慎重に、ゆっくりと言った。

応援しているのは本当だった。それ以上に妹のことが気がかりではあったけれど。

「ありがとう。明日、ううん、今日、言う」

「頑張って」

ありったけの想いを僕にぶつけて上条は満足したのか足早に去って行った。このあときっと彼女はその勢いのまま慎太郎に想いを告げて、どうなるかは僕にも想像ができなかった。13回も振られて慎太郎は諦めてもいい頃だと思うし、なにより上条は例の彼女より可愛いし、他の男子からも人気だ。

妹には敵わないけれど。

そんなことを考えながら、僕もその場をあとにした。


早く妹に会いたい。


■4

そこに妹はいなかった。

代わりにパトカーが2台ほど停まっていた。僕には何が起こっているのか全く分からなかった。

ふと足下を見ると、妹の携帯電話が落ちている。僕に宛てたメール作成の画面のままだった。

『お兄ちゃんまだ?寒いから早くか』

何があったのか辺りを見ると正門に突っ込んだまま、ぐしゃっと潰れた乗用車。地面には血痕。

僕の右手には妹が落としたであろう携帯電話。


結論を出したくなかった。この状況を、その最悪の「まさか」の結論に結びつかせたくなかった。

下校途中の生徒達はこの現場に目をやりながらも歩いて行く。僕もその中の一人でありたかった。

「月下!」

僕の苗字だ。月下優と月下明。明は妹の名前だ。確か両親から聞いたことがある。妹の名前には「そばにいる人を明るくさせてほしい」とか「誰かの明かりのような存在になるように」とか、もちろん妹自身が「明るく」育って欲しいからという意味もあるけれど、そんなような意味が込められている。

「おい、月下明って確かお前の妹さんだよな」

この教師は僕の担任だ。あまり男臭くない雰囲気の割に、言うことがたまに、いや割と荒々しい。僕はこの教師が嫌いじゃなかった。

「……何があったんですか。妹は」

「救急車で市立病院に運ばれた。正門で誰かを待って――」


市立病院に向かおう。妹は無事なのだろうか。運ばれたということは…考えたくはないけれど命は無事であってほしい。それとも病院に向かう途中で。

兎に角病院に行こう。無我夢中で走った。


病院へ向かう途中、走りながら思った。

一日中考えて思い出して、もう飽きただろうと言われてもいい。僕は妹の色んな顔を思い出した。

笑った顔、泣いた顔、怒った顔、照れた顔、困った顔。それから僕の愛を体で感じている時の顔。

更には妹の声まで思い出していた。妹の全てを思い出していた。何もかも。匂いも、肌触りも、全て。

「明…っ」

気づくと僕の両目からは水分が流れ出していて。

気づくと僕は今までで一番の速さで走っていた。


病院に入るとすぐに母の背中が見えた。 父の姿が見えないが、会社から抜け出せないらしい。

それは仕方のないことだと思う。それよりも僕は妹が無事なのか知りたい。

「母さん、明は」

「無事よ…。命だけは、助かったみたい…」

その言い方が少し引っかかった。


「……意識が戻らないのよ」


幸い大きな外傷はなかったけれど、それから1週間、妹は眠り続けた。

朝僕を起こすのは妹ではなく、携帯電話のアラーム音だった。学校が終わって正門に向かっても妹はいなかった。

「当たり前だよな」

そう呟いてしまう。妹がいない世界なんて、僕には生きる価値もないものだ。

全てが色あせて見える。色なんてついていない。何を食べても味がしない。何を見ても楽しいと感じることができない。

僕の生活は、僕の人生は、僕の世界は、全て妹がいたから成り立っていたのだと、痛切に思う。


毎日妹の様子を見に病院へ行った。少し前、医者にはこのまま意識が戻ることはないかもれない、と言われた。何を言っているのかさっぱり分からなくて理解するまでに3日かかった。

それほど僕は妹の身に起きているこの現状を受け入れられなかった。否、受け入れたくなかった。


早く目を覚ましてくれ、お前に触れたくて仕方がないんだ。いつもそう念じた。そうしていたら妹が目を覚ますかもしれないと思った。


今日もいつも通り、妹は眠っている。妹の寝顔は、まるで少しだけの仮眠をとっているようにも見えた。

ここが病室でなければどれほど良いだろうと何度も思った。ただ眠っているだけなのなら、僕は妹の瞼に優しくキスを落として目覚めさせるだろう。

眠りから覚めた妹は恥ずかしそうに笑って僕の背中に腕をまわして抱きついてくるんだ。僕はそれに応えるように妹を優しく抱きしめて、次は唇にほんの少しだけキスをする。

妹が「もっと」とせがんでくる事を願って。

でも、そんな妄想だって、いつかは終わるときがくる。終わらせないといけないときが来る。


面会時間が終わる。今日も妹は目を覚まさなかった。


■5

ふわふわと、私は漂うだけの存在になっているようだった。

何にも触れない、この世界の何にも影響を与えることができない、いなくても、いても、同じ。そんなような曖昧な存在だということは自覚できていた。

どうやら私は車にぶつかったらしい。「らしい」と表現したのは、私の記憶が私の存在と同じくらいに曖昧だからだ。

今の私に見えるのは、私の傍らでずっと私を見つめているお兄ちゃん。それから見つめられている私。そのふたつだけだった。

おそらくここは病室なのだろうけれど、ぼんやりとしたイメージしか沸かなかった。はっきりとしているのはお兄ちゃんの姿と私の姿だけだった。


「明……」


お兄ちゃんが私の名前を呼んだ。なぁに、と返事をしたところで彼に今の私の声が届くはずもない。

だけれど返事をしてしまう。わかっていても、やめられない。こんな状況なのに、お兄ちゃんはとても悲しそうな顔をしているのに、私は自分が呼ばれたことが嬉しいのだ。

お兄ちゃんは一度だけじゃなく、二度、三度、ぽつりぽつりと私の名前を口にする。それはもう「呼んでいる」というよりも「呟いて」いた。


いつだったか、お兄ちゃんだけじゃなく、女の人と男の人も来たときがあった。私の記憶が正しければあの二人はお兄ちゃんの幼なじみの、香澄さんと慎太郎君だった。以前見かけた時よりも、香澄さんと慎太郎君は近くにいた。香澄さんが慎太郎君の服の裾をつまんでいたようにも見えた。恋人同士になったのだろうか。香澄さんの恋愛相談を聞いていた私としては、自分のことのように嬉しかった。


私はお兄ちゃんが大好きだ。本当に、これ以上ないほどに、この世界の誰よりも愛していると言っても過言ではない。

お兄ちゃんは自分のことを「モテない」と言うけれど、密かに私の学年では人気がある。表立って告白をする女子がいなかったりするのは、私がそういうふうに動いているからだ。

「明のお兄ちゃん、優しくて良いよね」

「顔は普通だけどやっぱり男は優しいのが一番だよねー」

「明と話してるときのお兄さんの笑顔がキュンキュンする」

そんなふうにクラスの女子は私のお兄ちゃんを褒める。正直、褒めないでほしい。私だけのお兄ちゃんだし、もちろんそれはお兄ちゃんだけの私であるから言えることなのだけれど。兎に角お兄ちゃんの良い噂を聞くと私はいつだって否定する。

「そんなことない。朝起きてくれないしゲームばっかりだし私のケーキ勝手に食べるし」

けれどこんなことを言ったって、二人での登下校を見られてしまっているので殆ど意味がなかった。


「もう戻れないのかな」ふとそんな言葉が出た。お兄ちゃんを見る。やっぱり聞こえていない。悲しくなる。早くお兄ちゃんに触れたい。触れて欲しい。キスをしたい。抱きしめたい。抱きしめて欲しい。お兄ちゃんの髪を触りたい。寝ぼけたお兄ちゃんの顔を見ていたい。お兄ちゃんと、つながりたい。


今日も私はお兄ちゃんに見守られているだけだった。


■6

目を覚ました妹は、僕の妹ではなかった。

「あの、……貴方は?」

僕がおかしくなったのかと思った。妹は僕のことだけ忘れてしまっていた。絶望しかなかった。

僕が知っている僕の妹はそこに居なかった。


妹が目を覚ましたことを知らせると医者が飛んで来た。両親も後から来た。そこで交わされた会話を僕は聞いていたはずだけれど、正直覚えていない。授業のときと同じだ。耳に入らなかった。入れなかった。入れたくなかった。

それから検査だとか何か色々面倒なことを済ませて、妹が再び我が家に戻って来たのは更に1週間してからだった。両親は喜んでいたし、僕もそれなりには嬉しかったけれど、やはり以前の妹じゃなくなってしまったことは悲しかった。


あの日、上条の声を振り切ってでも妹の元へ向かえば良かった。その後悔ばかりが押し寄せた。

しかし考えてみれば愛し合わない兄妹が普通なわけであって、以前より今の僕らの方が健全ではあるし、両親に対する後ろめたさなんかもなくなるのだけれど。けれどやっぱり、僕にとって妹と愛を交わすことは息をすることと同じように大切なことであって、かけがえのないことであって、必要なことなのだ。


妹は事故に遭う前よりもよく笑うようになった。それは良いことなのだろうけれど、それを考えた時に僕はいつも「僕との関係が妹の笑顔を少なからず奪っていたのではないか」という自己嫌悪に辿り着く。だって僕のことだけ忘れているのだから。

いっそ死んでみようかとも思った。あの妹がいないのであれば、もう戻ることがないのであれば、僕に生きる価値なんてなかった。これから何十年と生きていく意味も見出せなかった。

よく笑うようになった妹に反して、おそらく僕は笑顔が少なくなっていったんだと思う。両親がたびたび僕を元気づけようと言葉を投げかけてくるけれど、以前の僕と妹の関係を知っているはずもないのだから、僕の悲しみと絶望なんてものは計り知れないだろう。単純に「妹にわすれられた兄」という肩書きなのだろうから。本当はそれ以上のものなのに。


「何かきっかけがあれば、その時に思い出すかもしれません」

医者の言葉が頭をよぎる。きっかけ、って言ったって、そんなに強いショックは与えられないし、第一僕とのことを思い出してもらう為に何が必要なのだろうか。


「無理矢理犯してみようか」

ふと思いつく。けれどあの妹にそんなことはできないと思いとどまる。そんなことをしたら犯罪者になってしまう。どうしたらいい。どうすれば彼女は僕のことを思い出してくれるんだろう。

「愛し合っていた」ということが無ければ僕と妹はごく普通の兄妹に見えていただろうと思う。普通に仲が良い兄妹、だった。

今は違う、と思う。僕は妹を避けるようにしていたし、妹も僕を避けるようになっていた。それでも僕は心のどこかで妹を愛していた。以前の妹に戻って欲しかった。僕のことを思い出して欲しかった。

だから、なのだろうか。


その日は両親の結婚記念日だった。妹の計らいで、両親は一日出かけることになった。昼間はよく晴れた空だったのだけれど、午後になると一変して土砂降りになった。

「お兄さん、雨が降ってきたので洗濯物を仕舞ってきます」

僕のことを覚えていないのだから仕方の無いことなのだろうけれど、妹は僕に対して常に敬語で喋った。妹に敬語で話されるとどうも壁を感じてしまうので初めの頃は「敬語はやめてほしい」とお願いしていたのだけれど、1ヶ月もすると僕は諦めていた。

もう、それでいいじゃないか。僕と妹の関係は終わったんだ。もう愛し合えないんだ。もう以前のような関係にはなれないんだ。なっちゃいけないんだ。そう言い聞かせた。それが恐らく、世間的にも「正しい」はずだから。


トタトタと階段を降りる足音が聞こえる。妹が濡れてしまった洗濯物を抱えて降りて来たのだ。

自分も濡れたのだろうか。 うっすらと下着が透けていた。

それは妹が持っている下着の中で僕が一番気に入っていた柄のものだった。唐突に胸の底から、むくむくとどす黒い欲の塊が顔を出す。抑える気はなかった。もういっそ、こうなってしまったら流れと勢いに身を任せようと思った。もしかしたら妹の記憶が戻るかもしれない。


妹の元へ向かうと、乾燥機に濡れた洗濯物を入れている最中だった。

後ろからの僕の気配には気付いていない。僕は妹を抱きしめることにした。

「ひっ!」

驚いた妹が短い悲鳴をあげた。持っていた洗濯物をぎゅっと握りしめているようだ。

「ねぇ、明」

彼女を後ろから抱きしめたまま、耳元で名前を呼んだ。昔の妹はこうされるのが好きだった。今の妹は知らないけれど。

「は、離して下さい。離れて下さい」

小さいけれどはっきりとした拒絶だった。そこまでして僕のことを嫌っているのだろうか。いや、これが恐らく普通の反応なのだろう。

突然兄に抱きしめられて喜ぶのも少し違う気がする。昔の妹は喜んでくれたけれど。

離れて欲しいと言われても僕は離れる気がない。


いっそこのままここで。


「お兄さん」

「ん?」

「離して下さい」

「いやだ」

「兄妹ですよ、私たち」

「分かってるよ」

彼女を抱きしめていた腕を緩める。もちろんそのまま離す気等ない。

更に僕は彼女の服の中に手を入れ、下着の上から乳房に触れる。

妹の体がこわばったのが分かった。

「なに、してるんですか」

「なにって、触ってる」

「やめてくれませんか」

「ごめん、無理。こうするしか手段がない」

口では嫌だと言いながらも、なんてよく言うけれど、それが「本当は喜んでいる」わけではないのを僕は知っているし、世の中のバカじゃない男は分かっていると思う。女性の体というものは、男を受け入れるように作られている。気持ちが伴わなかったとしても。

妹の体もそれは例外じゃなく、控えめに膨らんだBカップの先端は突起し始めていた。それを強弱をつけながら指先で転がし、つまむ。もう片方の腕はしっかりと彼女を固定したまま。

やめて、とかなんとか聞こえては来るけれど、どれも僕の行動を止めるほどの威力は無く、次第に妹のその言葉が耳障りになってきたのでキスをして口を塞いだ。今までしてきたキスと同じように、舌を入れる。

妹はなかなか僕を受け入れてはくれなかった。最後までこうして抵抗を続けるつもりなのだろうか。力では絶対に勝つことは不可能なのに。そのうち諦めて抵抗もしなくなるのだろうか。そうしたら僕のことを思い出してくれるのだろうか。

そんなことを考えながら、僕は彼女との行為を先へ進めた。


僕は特別性欲が強いというわけでもないと思う。セックスを毎日したいとか、オナニーを毎日したいとか、そういった欲求は持ち合わせていなかったから。ただ単純に、妹と愛し合うのが好きだった。

もし「愛し合う」方法がセックスじゃない他の何かだったとしたら僕らはその他の何かをしていただろうと思う。なぜ行き着いた「愛し合う」方法がセックスだったのかと言えばそれは簡単なことで、人間の本能に基づいた行動だからだと思う。とか難しいことを考えたところで何も変わらない。

ただ今からする行為は、僕が妹にしようとしているこの行為は、僕の自己満足でしかなく、ほぼ100パーセントの確率で、妹を傷つける結果になるという事は理解していた。

だってそうじゃないか。これは「愛し合っている」わけではない。言ってしまえば僕が一方通行に「ぶつけている」だけなのだから。自分の情けなさを、現状への苛立を、あの日に戻れない切なさを。


妹は諦めたのか、いつからか女の声を出すようになった。もういいのだろうか。でも僕は見逃さなかった。妹が薄らと浮かべた涙を。

多分それは嫌悪だとかそういった類いのもので、彼女は僕に「レイプ」されたわけだからその感情をもつのは至極当然のことであり、それと同時に僕らはもう以前のように愛し合うことができないんだと悟った。


もし人生をやり直すことが出来るのなら、僕は父親が母親の中に欲望をぶちまけたその瞬間からやり直したい。

そうしたら僕はこの世に産まれることを選ばない。この世に生まれ落ちてしまったが為に、僕はその後産まれてくる妹に恋をして、愛してしまう。

それが永遠に続くと信じて。

信じたものがなくなってしまった時にこれほど苦しい想いをするのなら、これから先何度もこんな経験をしなければならないのなら、僕はいっそ、産まれてきたことを後悔しよう。



■7

「どうしてこんなことに…」

「香澄」

「だって優はこんなことする人じゃないよ」

「それは俺もそう思うよ」

「もっとたくさん三人で遊べばよかった…」


おそらく兄は、私に記憶を取り戻して欲しかったんだろうなあと思う。今だから思える。

あの日結局、兄は私の中で果てた。幸い妊娠をしたりだとかそういったハプニングはなかったので、私さえ黙っていればこのことは誰にも知られない。

以前の記憶を失う前の私は、兄のことをどういう目で見ていたのだろうか。思い出しそうになるけれど、やはり思い出せない。

あの日の兄の雰囲気から察するに、おそらく記憶を失う前の私は、兄とああいったことをする仲だったのだろう。近親相姦、というものなのか。

そこに愛はあったのだろうか。兄に玩具のようにされていただけなのではないだろうか。きっとそうなのかもしれない。

だから思い出したくない記憶として、思い出さなくても良いように、神様が私の記憶に蓋をしたのかもしれない。もし仮に私が兄のことを慕っていたところで、二人の間に明るい未来などないのだから。


そう考えるとこれはこれで良い結末だったのかもしれない。


お兄さん、聞こえていますか。もしかして、見ていますか?

あなたの幼なじみ、というふたりが、あなたの亡骸をみて泣いています。どうしてでしょう。

私に最低なことをしたのは貴方なのに、誰もそれを知らないからでしょうか。貴方が自ら命を絶ったこと、みんな悲しんでいます。

でも、私と貴方は知っています。


貴方の死因が、自殺じゃないことを。



end

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