第四話(4)
『大岡市科学館プラネタリウムへようこそ。本日は、〈特別上映企画 ほしとゆめ〉にご来場いただき、誠にありがとうございます』
上映開始のブザーが鳴ると、照明が九割方落とされ、ドーム内は夕暮れのような淡い光に包まれた。
来場者たちは皆雑談をやめ、司会のアナウンスに耳を傾ける。
『プラネタリウム番組の上映に際しまして、注意事項がございます。ドーム内では、飲食・喫煙は禁止となっております。また上映中は、携帯電話等の電源はお切りください。日々の喧騒から離れ、星々の中で皆様が安らぎのひとときを過ごせるよう、ご協力をお願いいたします』
司会が今日の上映プログラムについて、簡単な紹介をしている。
曰く、〈本日の星空解説〉、〈天文学最前線〉、〈プラネタリウムへの夢〉の三部構成だそうだ。
カズヒロとエリは、この中でも〈プラネタリウムへの夢〉を目当てにしていた。その界隈では名を馳せるプラネタリウムクリエイター小平氏が登壇し、一般の人には馴染みの薄いプラネタリウムの投影機についての解説を行う。
これがカズヒロたち天文部にとって、プラネタリウムを作る上でのヒントになるかもしれないという期待があった。
司会は、すでに〈本日の星空解説〉に話を移している。
『こちらは、本日の夜八時ごろに当館屋上から見える星空を再現したものです。見えますでしょうか、この満天の星空。……えっ、見えない?』
どこからか、子供が訝しげな声を上げる。
『ええ、そうでしょうとも。町の明かりが、星の光をかき消してしまっているのです。皆さんが普段見ることのできる星空は、こんな感じかと思います。わずかな数の明るい星が、ぽつりぽつりと見えるばかり。寂しいもので、星座の形も分かりゃしません』
確かに、夜空の色は漆黒というには程遠い。互いの横顔がはっきりと認識できるほどには。
『ですが、ここはプラネタリウムです。邪魔な光には、退場して頂きましょう』
司会が腕をひと振り。なんだか妙に芝居がかっている。
眼下の街明かりが消えると、それに呼応して夜空が数段暗くなった。
息を飲む。
頭上を横切る、ひときわ星が密集している領域がある。天の川だ。
暗さに目が慣れるにつれて、靄のような淡い光の帯を纏った存在として認識できる。
『天の川は、私たちが住む銀河そのものです。銀河に含まれる星の数は、およそ二千億個にも及ぶと言われております。気の遠くなるような数の星々の光が遠い宇宙の彼方から届くとき、雲のような、霧のような……とにかく、このような美しい姿を見せるのです』
どんなに目を凝らしても、淡い光の帯を一つひとつの星として見ることはできない。まさか、プラネタリウムの投影機が二千億の星を再現しているとは思わないが、人工の天の川と言えども、その美しさは筆舌に尽くしがたいものがあった。
本物の天の川を最後に見たのはいつだったか。街明かりに埋もれてしまったこの街では、決して見ることのできない光景。絶海の孤島や砂漠のど真ん中で見る星空は、きっとこんな風なんだろう。
「ねえカズ……すごいね、天の川」
「そうですね、一体どんな方法で作ってるんだろ」
ドームの中央には、直径50cmほどの球体が鎮座している。はっきりとした様子は分からないが、球体から四方八方に光が放たれていることから、これが投影機であることは明らかだ。
開演前にも見えたその姿を思い出しながら、中の構造を想像する。球面のあちこちに穴が開いていて、それぞれの穴からレンズが覗いていたはずだ。おそらく、全天球に渡って星を投影するには、いくつものレンズを使わなければいけないのだろう。言ってみれば、プロジェクターを何個も繋ぎ合わせて作ったようなものか。とてつもない技術力が要りそうだ。
『皆さんは星座をいくつご存知でしょうか。空を見上げてそれとは分からずとも、オリオン座、カシオペヤ座など、名前くらいは耳にしたことがあるかも知れません。昔の人は、星の並びを動物や神話の登場人物に見立てて覚え、季節や方角を知るのに利用したそうです』
頭上に広がる星空の中に、カズヒロはいくつかの星座を見出した。
北の低空にはカシオペヤ座が見える。『W』字型をしているから覚えやすい。
カシオペヤ座の上方、天頂近くに見えるのは北斗七星だ。勘違いされることも多いが、これは星座ではない。おおぐま座の一部分の特に明るい星七つの並びをそう呼んでいるだけ。カシオペヤ座とならんで、北極星を見つけるのに役立つ。
そのほかに見てすぐに分かるのは、しし座、ふたご座ぐらいだろうか。形が分かりやすく、明るい星が多いからすぐに見つけることができる。
『例えば……そうですね、今の季節は春ですから、うしかい座、おとめ座といった星座が良く見えます。ほら、こんな風に』
司会は主だった星座を取り上げ、簡単な解説をしていった。星座の見つけ方とか、それにまつわるギリシャ神話だとか、そんな話だった。
司会の話術もさることながら、星空に重ねて星座を表した絵や惑星の写真を表示したりと、視覚的にも分かりやすい配慮がされている。カズヒロはそれなりに知識があるから話の全てが新鮮ではなかったが、寝入ってしまうことはなかった。
天文部でプラネタリウムを作るとしたら、こうした演出にも気を配らなくてはいけない。ただ星を投影しさえすれば良いのではない。どうしたら観客を楽しませることができるのか。ナレーションの喋り方一つ取っても、簡単なものではないだろう。
(結構、骨が折れそうだな……ある程度予想はしてたけど)
カナがプラネタリウムを作ることを宣言して以来、面と向かって頼まれたわけではないにせよ、カズヒロはカナにある程度協力的な姿勢を見せていた。
特に明確な理由はない。
カズヒロ自身の性格のせいでもあろうが、カナにはいろいろと頼られることが多い。本を代わりに返してきてくれだとか、宿題を見せろだとか。渋々ながらも毎回引き受けてしまうから、いいように利用されているのかもしれない。
けれども不思議と、嫌な気分はしないのだった。
今回のことに関しても、カナの相談に乗るぐらいのことは当たり前と言っても良かった。
それに、最近の天文部は目ぼしい活動がなく、廃部の危機に晒されていることは事実だ。廃部を取るか存続を取るか、その議論は置いておくとしても、カナの言うように、この現状を打開するにはプラネタリウム製作は打ってつけだ。
ただ、カズヒロには放送委員会という仕事がある。天文部全体としてプラネタリウムを作ると決まっていない以上、今のところは助言程度しかできない。どの道、文化祭当日は委員会の仕事で忙殺されるから、カズヒロが積極的に協力を申し出たところで、大した力にはなれそうもない。
可能な範囲で、適度な距離で、カナを手伝う。それがカズヒロの立ち位置だった。
もう一つ大きな問題がある。エリのことだ。
プラネタリウム製作宣言の時を思い出す。一触即発、あの張り詰めた空気。
二人の間の緩衝材たるカズヒロにとってはもう慣れっこだったが、あの様子では天文部が一つにまとまって何かをするのは難しい。第一に、カナがどれだけ頑張ったとしても、部長のエリが協力しないことには始まらない。
しかしカズヒロにとって意外なことに、あのときエリはほんの少しだけ、カナの意見を肯定した。
――はあ、もういいけどさ。やるならやるで、しっかりしてよね、カナ。
認めはするが、協力はしたくない。
どれだけ本気なのか、見てやろうじゃないか。手伝わされたら面倒だけど。
今日、こうしてカズヒロがエリを誘ってプラネタリウムを見に来ているのは、エリを焚き付けてプラネタリウム製作に協力させようという目論見からだった。望みは薄いけれども、エリさえその気になれば部としての計画が成立する。そうなればカズヒロも微力を貸すのにやぶさかではない。
淡い期待を込めて、隣をちらりと見る。
暗闇に沈んだエリの表情は、杳として読めない。
(こっちの問題も、骨が折れるね)
緩衝材は楽ではない。これも慣れっこだ。




