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プラネタリウムに願いを  作者: 地底湖
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第四話(2)


 この街の中でも、最も古くから人々に親しまれていた区画。昔ながらの個人商店と、コンビニや飲食チェーン店が無秩序に軒を並べる。いつから呼ばれるようになったのか、その名をひまわり商店街と言った。

 八百屋の店先に並べられた野菜の袋を掴み、姿の見えない店主に向けて声を投げかける。


「おばちゃーん、これとこれ」


「エリちゃんかい? どれ……440円だよ、毎度あり」


 折れた腰を押さえて現れた店主は、エリの持つ袋を一目見ると代金を告げた。エリも、当たり前とばかりに小銭を差し出す。

 店主の腰が今よりも少しだけ真っ直ぐで、エリの背丈が店主よりも低かった頃から、日常的に行われてきた営み。


「ありがと」


「……エリちゃん、お母さんから聞いたけど、東京の大学に行くのかい?」


 何年も続けてきた行為、その終わりが近づいていることを思うと、時の流れを感じずにはいられない。

 エリは今年、高校三年生になった。

 となれば当然、今後の進路を考えるべき時期に差し掛かっている。

 上昇志向過剰気味のエリは、中途半端な田舎町を離れて、都内の大学を目指したいと考えていた。それは決して無謀な挑戦ではなく、中学のころから研鑽され続けた、エリの実力を鑑みれば順当な流れだった。

 けれども、長くいた場所を離れるということは、そこに在った人間関係からも離れることを意味する。

 返答は、曖昧になった。


「そうかい……お勉強、がんばるんだよ?」


「いやあの、まだ考えてるってだけで、決めたわけじゃないですよ」


「いいんだよ、気にしなさんな。若いもんは旅をしなきゃ」


 田舎町を捨てて都会に出てやろうとか、そういった野心的な考えではない。エリはこの町に対して、人並み以上に愛着を抱いていた。幼少から親しんだ商店街、近所の子と遊んだ公園、初詣で訪れる神社、客の少ない科学館併設のプラネタリウム。

 ぼんやりと、天文部に入った理由を思い出した。プラネタリウムが好きだったから。最近はめっきり訪れなくなったけど、この町を離れる前にもう一度行ってみようか。


 再び、雑踏を進み行く。

 食品を扱う店が集まる一帯を抜けると、本屋、服屋、雑貨屋などが立ち並ぶ。さらに奥へと進めば、ひまわり商店街の端が見える。


「あれっ、先輩」


 不意に、背後から声を掛けられた。こんな風に声を掛けてくる後輩といえば、カズヒロぐらいのものだ。振り向いてみれば、案の定、そうだった。


「お買い物ですか」


 右手のビニール袋を持ち上げる。


「うん、そうそう。野菜だけちょっとね。カズは?」


「本屋に寄ってました。プラネに使えそうな本ないかなと思って」


 プラネタリウムか。誰に対しても協力的。律儀なカズヒロらしい。


「全然だめでしたね。あったのは有名なプラネタリウムクリエイターの自伝ぐらいですよ」


「あ、もしかして、あれ? あたし立ち読みしたことあるかも。学生のころに一人だけで作ったって人だよね」


「多分それだと思います。でも、凄すぎて参考にならないんですよね」


「あはは、そうそう。『プラネタリウムの作り方』が書いてあるわけじゃないもんね」


 尋常ならざる執念と情熱で、それまでの常識を覆すほど高性能なプラネタリウム投影機をほぼ独力で作製した人物。

 その本は、彼の足跡を細やかに綴ったものであった。

 しかし、それをそのままたどることはおよそ不可能であろう。

 彼の作ったプラネタリウムは、常人が再現しようとして再現できるものではなく、それなりの知識を持ち合わせた者が、それなりの資金と時間を以って取り組まなくては完成し得ない。

 つまり、プラネタリウムを作ってみようと思い立った高校生が読む参考書としては適切ではなかったということだ。


「先輩は何か進展ありましたか?」


「いや、なんにも。そもそも、あたしそんなことしてる場合じゃないし」


 忙しいふり。本当はちょっとプラネタリウムのことを考える暇ぐらいはある。

 まだ高三の春だから、本腰を入れて勉強する必要はない。運動部の同級生であれば、むしろこれからが部活動の最後の山場であって、エリのように大学について考えている生徒はほとんどいないだろう。

 だったらエリは天文部の活動に邁進するかと言えば、それもなんとなく違う気がするのだった。

 これまで通り、部活動とは名ばかりで、多くても週に一度顔を出すだけ。顔を出したところで、大したことをするわけでもない。思い出したように天文雑誌を眺めたりしても、何だかいたたまれなくなって、逃げるように部室を出てしまう。

 エリに限ったことではない。カズヒロやダイキやタカシにしたって、似たようなものだ。カナがプラネタリウムを作ると言い出したからといって、惰性で存続しているような部が、いきなり活気を取り戻したりするはずもなかった。

 もっとも、エリの場合は、もう少し個人的な理由も含まれていたりはするのだが。


「冷静に考えたらあたし、部長なんだっけ。うーん、部長の言う言葉じゃなかったか」


 額の汗を拭いつつ、髪を払う。

 恥ずかしさをごまかすように。

 後輩に心の裡を見透かされるわけにはいかない。


「ま、部長だし何かやってもいいんだけどさあ……」


 そう言うエリの表情の端には、隠しきれぬ嫌悪感が滲む。台詞とは裏腹に、好意的な様子は全く感じ取れない。もちろん、エリは自覚していない。


「そんな先輩にですね、」


 カズヒロの含み笑い。

 学生鞄から一枚のチラシを取り出す。


「いい知らせがあるんですよ」


 ――大岡市科学館プラネタリウム 特別上映企画 『ほしとゆめ』――


「これは?」


「見ての通りです。幅広い年齢層の人に向けた企画とかで、普段の上映プログラムに加えて、天文学の話とかをするみたいですね。それから、特別ゲストとして例のプラネタリウムクリエイターを呼ぶとか」


 エリやカズヒロが暮らす大岡市には、プラネタリウムが一つだけ存在した。客足は多いとは言えないが、町の教育施設としての最低限を備えた大岡市科学館。そこに併設されたプラネタリウム館は、収容人数50名程度と、公共プラネタリウムとしてはやや慎ましやかだ。


「へえ、特別上映企画ね。最近はこんなのもやってるんだ」


 エリは、今も変わらないその慎ましさこそが、このプラネタリウムのいいところなのだと思っていた。都心のプラネタリウムは教育施設というよりは娯楽施設で、あの手この手でいい雰囲気を醸し出し、盛りのついたカップルを呼び込もうと躍起になっている。

 月替りの上映内容が更新されるたびに足を運び、星空解説に聞き入った。上映後の星空観望会では星空解説の答え合わせ。学芸員のお姉さんや天文マニアのおじさんにエリのことを完全に覚えられてしまうほどには、足繁く科学館に通ったものだった。


「行きませんか? 先輩」


「んー、まあ、いいよ。行こうか」


 エリは言葉を濁したが、チラシを一目見た時点で答えは決まっていた。

 将来のことを考え、天文部に入部した理由を思い起こしていたところに、タイミング良くもたらされた提案は、まさに渡りに船だった。

 ただ、一つだけ釘を刺しておかねばならない。


「この科学館さ、あたしが小さいころよく行ったんだよね。毎週のように。今思えば、他に何もなかったのかって感じだけどさ。……あたし東京の大学目指してるの、カズは知ってるでしょ? それでこの町を出る前にまた行ってみようかなって」


 エリは、プラネタリウム製作の参考になるから行くのではない。あくまでも、地元を離れる前に行ってみてもいいと思ったからだ。

 カズヒロが変な勘繰りを入れてくる前に、急いで牽制をかける。


「そうですか。先輩がそう言うなら、そういうことにしておきますよ」


「そういうこと。これは部として行くんじゃなくて、私事」


「はいはい、じゃあ、俺はここで。後で連絡します」


 商店街の端、T字路に差し掛かった。

 いつのまにか、辺りは夕焼けに包まれている。

 二人の家は左右反対方向にあるから、一緒に帰れるのはここまでだ。

 カズヒロは、エリの考えは全て分かっているとでも言いたげに、生暖かい表情のまま別れを告げた。




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