第四話(1)
プラネタリウムの製作に取り掛かる前に、わたしは必要な道具や材料の見積もりを始めた。部の活動として作るのだから、無駄があってはいけない。もし無駄な買い物があれば、エリ先輩が黙っては居ないだろう。森田先生は……多分何も言わないかな。
わたしだって別にまるっきり向こう見ずなわけじゃないから、昔のレンズ式プラネタリウムをそのまま再現できないことぐらいは分かっている。ボタン一つで自動的にプラネタリウムが動き、星空の解説が流れる、なんていう高度なものを作っていたみたいだけど、それはプラネタリウムの本質とは違うものだ。そういった複雑な機能を排して、恒星と惑星の投影、投影機の回転だけに機能を絞る。限られた時間の中で何ができるかを考えた結果だった。
部誌に書いてあった記録や、本で読んだ付け焼き刃の知識を集めて、投影機の設計をした。いや、正しくは、試みた。投影機を実際に作ってみないと分からないことが多すぎて、設計ができないのだ。わたしは数学が苦手だし、投影機の設計なんてどうすればいいのか見当もつかない。昔のものを参考にしようにも、とても高校生が作ったとは思えないほど複雑で緻密な設計がされているのだ。
思考を整理しながら、いつものように帰路につく。
ちょっと遠回りだけど、川沿いの土手を歩くのが、わたしは好きだ。
遠くの空に沈みゆく夕陽が、饅頭のように潰れている。下校時刻でもまだ空が明るい。陽が長くなったんだなって、思う。プラネタリウム製作宣言の日から時間が過ぎているわけで、それはある意味で良くないことなのだけど。
特に理由もなく、ちょっと立ち止まってみる。
そよ風に揺れる雑草。
橙色の光煌めく水面。
ここは景色が良いし、空気もきれいだ。小さい頃は、ここまで来て一人で夜空を見上げたこともあった。よく風邪を引いてお母さんに怒られたっけ。
結局、深いことは考えずに実験から始めることになった。理科実験室にある学習用のレンズと電球、恒星に見立てた小さな穴を開けた厚紙、すなわち恒星原板を用意して、恒星の像を遠く離れた黒板に結ばせる。
当然、はじめからうまく行く訳もない。レンズ式プラネタリウムでは、恒星原板に開けた無数の穴をかなり大きく拡大して投影しなくてはならない。そのためには、恒星原板の大きさに対して極めて焦点距離の短い、分厚いレンズが必要となる。そして不幸なことに、そんなレンズは実験室に存在しなかった。
カズヒロは、中学で習ったようにレンズを二枚重ねればいいじゃないかと言った。確かに、そうすれば合成焦点距離は短くなる。実際、投影された像は一枚だけの時より大きくなった。けれども、肝心の星の像がいまいち綺麗にならないのだ。いくらピントを丁寧に合わせても、周辺部分の像ほど色、形ともに汚くなってしまう。そもそも、必要なレンズの枚数が二倍になるのは金銭面で現実的な案とは言えない。
昔はどうだったのか。答えは、二枚重ねたレンズ前面にリング状の絞りを設置する、だった。レンズの中心部ほど、理想的な光学性能に近くなるので、周辺部を通った光を遮ってしまえばいいという訳だ。中学の理科を思い出せば分かることだが、像は暗くなるだけで欠けたりはしない。像が暗くなっても、光源を明るくすれば問題はない。レンズの枚数が多いという点については、圧倒的な財力でねじ伏せたに違いない。
鉄橋の上を車が排気ガスを撒き散らして猛スピードで行き交う。息を吸いすぎないよう、わたしは鼻の穴を狭めて浅い呼吸に努めた。
わたしが橋を渡り終える頃には、太陽は姿を消し、夜が訪れていた。太陽の代わりに、星々の代わりに、人工の光が町を明るく照らす。
橋の上からは、それなりに栄えた町並みがよく見えて、たまに呑気なカップルを見かける。夜景スポットってやつ?
わたしはどうも好きになれないけど。だってあんなもの、天文部の敵でしょ?
投影機の光学系以外の部分でも、終始似たような調子だった。光学系を納める筒の構造はどうするのか、モーターの駆動機構は、光源に求める明るさは、無数の恒星を正確に原板上にプロットする方法は……。
知識が足りない、お金が足りない、能力が足りない。四方八方から困難がわたしに襲いかかる。
まずは投影筒一本だけ作ろうというカズヒロの提案も、31本全て作れる保証がない以上、どうにも頷くことができない。
わたしは自分で思っていたよりも遥かに頑固で融通が効かない性格のようだ。思い付きで行動して、周りを巻き込んで。
突飛なアイディアで問題を解決して、柔軟に方針を転換する。そんなことは、わたしには難しかった?
いやいや、またそうやって落ち込む、それじゃ駄目なんだ。やっぱり諦めました。そんなことでは先輩になんて思われるか。笑い話にもならない。考えるだけで腹が立つ。
落ち着こう。わたしは頑固かもしれないけど、同時に賢くもある。悩んで答えが出ないときは出ない。気分転換に散歩したり、とりあえずお風呂に入って考えをまとめる。そんな風にして、一歩ずつではあるけれど、この計画を進めてきたんだ。最初のころよりは知識があるし、何ができて何ができないのかの判断ぐらいはつく。事態を冷静に俯瞰できる程度には成長したということだ。
自宅の近く、見慣れた公園の前に差し掛かる。
ふと、妙な違和感を感じた。
いつもより、暗い。街灯の光が、民家の照明が。
毎日ここを通る者でなければ気付かないほどの、僅かな違い。しかし、一度気付いてしまえば、無視できるほど小さな違いではなかった。
直感的に、この違和感の根源は公園の中にあると思えた。
さらなる闇に吸い寄せられるように、わたしは公園の中へと足を進める。
「久しぶりだね、カナ」
わたしの名前を呼ぶそいつは、何とも表現し難い姿をしていた。言うなれば、今流行りのゆるキャラ、その黄色いやつ、だろうか。最近は数が増えたみたいだから、似たような姿のゆるキャラがいてもおかしくはない。
「ずいぶん大きくなったね、と言いたいところだけど……」
最初こそ、得体の知れぬ状況に不安を覚えはしたものの、今はもう消え去っている。周囲の光が弱くなるこの現象からして、『彼』の仕業であることは納得がいく。幼いころの記憶を手繰り寄せれば、この妙な生き物がわたしの名前を知っていることは何の不思議もない。
「そうでもないかなァ」
とりあえず、この失礼な奴、どうしてくれようか。
「一発殴るか通報、どっちがいいかしら?」
「すみませんでした、通報はカンベンしてくださいお願いします」
着ぐるみじみた黄色い体躯に、憤怒の拳が突き刺さった。