訓練-4
食事を終え、雨脚が弱まるのを待っている状態となった。しかし、雨は一向に弱まらず強くなったようにも思える。
時刻は14時を過ぎている。行軍訓練が始まってだいたい6時間が経過した計算になる。他の訓練兵たちのペースは分からないが、おそらく俺たちが遭難している地点をとっくに過ぎているだろう。遭難地点はだいたいの位置しかわからないが、5㎞地点の手前といったところである。
行軍訓練の制限時間は10時間。訓練終了まで約4時間ということになる。
ここから仮に俺一人で行軍訓練を再開しても踏破はかなり難しいかもしれない。まして、雨脚が強く、崖の上に戻るというのはおそらく不可能だろう。
(雨の中、捜索隊が来る確率は5分と5分。仮に捜索が開始されたとしても、捜索隊に見つけてもらえる確率はもっと低い・・・。そうした場合この場所で一夜を超す必要がある。しかし、これはかなりの賭けになるな・・・。)
俺はこの場所で一夜を超えるのはかなり難しいと考えていた。俺の合羽は麗奈を雨から守るための簡易テント屋根にしているために、俺はかなり雨で濡れている。それに、麗奈もが直接当たらないようにしているとはいえ、まったく濡れないというわけではない。夜が来れば未だに冷え込む。それに加え、雨のせいで木が湿り火を起こせない。そのため、暖をとることが出来ずに、低体温症になる可能性が高い。最悪命の危険もあるのである。
考え込んでいた俺の不安が伝わったのか、麗奈がまじめな顔で
「私は大丈夫だから、あなただけでゴールして助けを呼んできてくれない?」
と、提案してきた。
「それは出来ない。ここからゴール地点まで約10㎞もある。仮に全力で歩いたとしても3時間以上かかる。そこから事情を説明して捜索隊を出してもらって、ここへ戻ってくる頃にはとっくに日没だ。そうなったらお前を発見するのはかなり難しい。」
俺は即座に麗奈の提案を却下する。しかし、麗奈も食い下がる。
「そんなことは分かってる。でも、あなたは私に付き合ってこの場所で野営するなんていう危険を冒す必要は無い。それに、捜索隊が運良く見つけ出してくれるかもしれない。確率は低いかもしれないけど、私も助かるかもしれない。」
「見つけ出せない確率が高過ぎる。お前の案はやっぱり却下だ。これじゃ、お前を見捨てるのと何ら変わらない。」
「じゃあどうすればいいのよ!ここで私を見捨てたらあなたは助かる。あなたが助けに来てくれた時はすごく嬉しかった。でも、こんな私を助けるために、あなたまで共倒れする必要は無い。こんな状態に陥ってしまったのはあくまで私の失態・・・。ここで助からないとしても私自身の自業自得だわ。」
「確かにこんなことになってしまったのはお前の自業自得だ。でも、俺は絶対にお前を見捨てない。いいか?絶対だ!共倒れかお前を見捨てるという2択以外にも何かあるはずだ。お前も自分が助かる方法を考えろ!」
「どうしてそこまで・・・?」
「さっき言っただろ?俺が生きてる間は仲間を見捨てないって。ただそれだけだ。それに、俺のことを少しでいいから信用して欲しい。」
麗奈は黙り込んでしまう。そして、すすり泣くような声が雨音に混じって聞えた。少しして麗奈は口を開いた。
「お願いします・・・。私を助け助けてください・・・。」
麗奈が俺に助けを求める。
「当たり前だ。絶対に2人で助かる方法はあるはずだ!安心して俺に任せろ!」
俺の言葉に麗奈は「ありがとう」と繰り返していた。
―・―・―・―・―・―・―
麗奈の懇願に啖呵を切ったはいいが、正直この状況を好転させる名案はなかなか浮かばない。少しの間考え込んでいると、2人が同時に助かる方法を思いついた。それは名案であり、愚案でもあった。
(俺が麗奈を背負ってゴールを目指せばいいんじゃないか?背嚢の中はほとんどが水だ。水を必要最低限の量だけ持って、残りは捨ててしまえばかなり軽くなるはずだ。)
携帯端末を取り出し、マップを起動させる。マップを操作し、現在地からゴール付近の訓練コースまでの距離を頭の中でざっと計算する。
(これは不幸中の幸いか?ここから真っ直ぐ下っていくと行軍訓練のだいたい13km地点に出る。そうすれば日没前にゴール地点まで到着できるかもしれない!)
しかし、この案には問題点がいくつもある。
まず1つ目は木々が生い茂る森の中を真っ直ぐ歩くのはかなり難しいということである。しかし、背嚢の中にはコンパスが入っている。それに、今手に持っているのは文明の利器たる携帯端末である。球体から出現した化け物に蹂躙されている現在ではあるが、GPSを支える人工衛星はまだ生きていて現役稼働中である。これによって1つ目の問題は解決したと考えられる。
次に麗奈を背負って俺がどこまで体力が持つかということである。これに限っては解決策が無いに等しい。しかし、簡易テントを作ったりしていたが、2時間半程は休息をとることができた。それに加え、日頃の訓練でかなり体力がついている。もし、ゴール前に体力が尽きてしまったなら、その時は根性で乗り切るしかないだろう。
案が浮かんだのならさっそく行動に移る。
まず初めに、2人分の背嚢の中にある水を取り出し、最低限必要な量以外は捨てる。他の荷物は一つの背嚢にまとめる。しかし、荷物の量が思ったよりも多く、背嚢1つでは全部の荷物をまとめることはできもなかった。結果的に荷物は2つになってしまったが仕方がない。次に手頃な木の枝を切る。小枝や木の葉を落とし、簡易的な杖を作る。
「何をしているの?ここから移動するの?やっぱり先へ行って捜索隊を呼ぶの?」
明らかにここから移動しようとする準備をしている俺に麗奈が問いかけてくる。しかし、先ほどの自分を見捨てろと言っていた時とは違い、声にはどこか不安が混じっているように思えた。
「ここから移動はするが、俺だけ先へはいかない。」
「どういうこと・・・?まさか!そんなの無茶よ!」
「無茶は百も承知だが、できるかできないかはやってみないとわからないだろ?」
「絶対うまくいかない。ここからゴール地点までまだ10㎞近くあるのよ?そんな距離をその量の荷物と私を背負って歩くなんて、絶対にあなたの身が持たない。」
「体力の限界が来ても根性で乗り切るさ。」
それに、と付け加え不敵な笑みを浮かべる。
「こんな馬鹿げた案を出すんだ。真面目に10㎞なんて歩く気はさらさらないよ。」
麗奈は俺が何を言っているのか分からないといった顔をしている。
「ここから真っ直ぐに麓まで下りていくとだいたい13km地点に出る。せいぜい麓までの距離は1.7kmといったところだ。つまり、10㎞あった道のりをショートカットで3.7kmにする。これならたぶん時間内にゴール地点まで行くことが可能だ!」
「この森の中を真っ直ぐ歩くのなんて・・・。」
「それが意外と可能なんだよ。携帯端末のGPS機能が使えるんだ。ということで、俺が道に迷わないように道案内を頼む。」
「わかったわ。やっぱり荷物は置いていくの?」
「いや。もっていくぞ。」
「何を考えているの?!ただでさえ雨と悪路で歩きづらいのに、重たい荷物を背負って歩くなんて。」
「背嚢のショルダーベルトに足を通せば両手が自由に使える。それに、時間内に目的地に着きそうなんだ。どうせだから行軍訓練を完遂したいじゃないか?」
麗奈は呆れた顔をしている。
「それで、いつ出発するの?」
「ショートカットするとは言え、まだ3.7kmの道のりはある。それに、携帯端末のマップで直線距離を割り出しはしたが、途中でどんな地形があるかは把握できていない。時間があるに越したことはないから、今すぐに動き出したい。麗奈は大丈夫か?」
「大丈夫。お願いします。」
簡易テントの屋根に使っていた俺の合羽を外して着る。まず麗奈を起こして背嚢のショルダーベルトに足を通す。その背嚢を背負い、もう一つの背嚢は前担ぎにする。これは、バランスを取る為である。麗奈へ携帯端末を渡し、俺は先ほど作った杖を握る。2丁のアサルトライフルも忘れずに持ち、麓へ向けて出発する。
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幸いなことに森の中は比較的歩きやすい道だった。そのおかげで重たい荷物を担いでいる状態でもペースを維持して歩けている。それも方向を見失いやすい森の中で、正確に進行方向の指示を出してくれた麗奈のおかげである。
1時間半ぐらい歩いたところで森を抜けた。つまり、行軍訓練の13km地点までショートカットが成功したということである。残り2㎞は緩やかな上り坂ということもあり、少し休憩を摂ることになった。
「ごめんなさい。」
いきなり麗奈が耳元で呟いた。
「いきなりどうした?」
「これまであなたや班のみんなに沢山迷惑かけてた・・・。私が勝手に思い悩んで、ふさぎ込んでただけなのに・・・。この訓練が終わったらちゃんとみんなに謝らないといけない。でもその前に、あなたにはちゃんと謝っておきたかったから。」
「そういうことか・・・。みんなには謝った方がいいかもしれないが、俺には謝罪する必要は無いぞ。その代わり、改めて俺のペアになってくれ。それだけだ。」
そう言って微笑む。
「・・・ありがとう。・・・ありがとう。・・・・・・。」
麗奈は何度も「ありがとう」と繰り返していたが、最後の方は嗚咽が混じり聞き取れなかった。
―・―・―・―・―・―・―
悠人たち2人が13km地点に到着した頃、ゴール地点では少々混乱が生じていた。
時間は少しさかのぼる。
ゴール地点に最初に到着した班は当然と言えば当然だが、一番早く出発した2班のメンバーたちだった。順位は青葉大悟・一ノ瀬哲也ペアがトップ、次に姫宮一輝・佐々木敏一ペア、3番目が長谷部優華・矢吹晴馬ペアであった。1位から3位までを全て2班で占めていた。因みに、春夏秋冬蓮華・一ノ宮正樹ペアは蓮華のペースに合わせて比較的ゆっくり歩いていたため総合順位では19位となっていた。
ここで敏一が自分達の順位に対し疑問を覚えた。悠人と鶴島さんのペアはかなり先行していたにも関わらず、大悟と哲也のペアが1位なのである。そこで、哲也に質問する。
「訓練中に悠人のペアを抜かさなかったか?」
「いや、抜かしていないなぁ。それがどうした?」
「あんなに先行していたのにもかかわらず、ここにいない。まして、俺たちがあいつらを抜かしているのなら説明がつくが・・・。最悪の可能性としては、滑落や落石に合い遭難しているかもしれない。」
哲也と敏一の会話に正樹と蓮華が混ざる。
「それってかなりヤバくないか?」
「教官たちに報告した方がいいかもしれませんね。」
「そういうことなら、班長の俺が報告しに行くよ。」
報告するため哲也か立ち上がり、教官のもとまで歩いて行った。
少しして哲也が戻ってくる。
「教官たちに状況を報告して捜索隊を出してもらうように進言してみたが、残念ながらかなり難しそうだ。」
捜索隊の出動に期待していた2班の全員が暗い顔になる。
「どうして捜索隊が出動できないんですか?」
蓮華が納得できないといった顔で哲也に質問する。
「どうもこの雨のせいで捜索隊に危険が及ぶ可能性があるという理由だそうだ。教官たちも二次被害を避けたいのだろう。一応、訓練の終了時間をむかえても全員揃っていなかった場合、この雨がやんでいたら捜索隊が出動するそうだ。」
教官たちの判断は二次被害を防ぐという面では正しい。しかし、2班のメンバーからすれば納得のいくものではなかった。
「もし滑落して一刻を争う状態だったらどうするんですか?!」
いつもどこかおどおどしている蓮華には珍しく感情をあらわにして哲也に詰め寄る。
「俺が決めたことじゃないから、俺に言われても困る・・・。確かに一刻を争う状態だった場合、教官たちの判断は間違っているかもしれない。でも、この雨の中で捜索を行ったとしても発見できる確率はかなり低い。そうなったら素直に雨が止むのを待つということで納得するしかないだろう?」
「一ノ瀬さんはそれで納得できるんですか?!私は納得できません!」
「蓮華さん、少し落ち着いてください。」
「優華の言うとおりだ。蓮華は少し落ち着け。」
ヒートアップする蓮華を正樹と優華がなだめる。
「俺たちもこの決定に納得はしてはいない。でもな、状況的にたぶんないが悠人たちは遭難してないっていう可能性もゼロじゃない。悠人たちを信じて少し待ってみようぜ?」
正樹の言葉で、蓮華は少し冷静さを取り戻した。
悠人たち2人が13km地点に到着した頃、敏一と正樹、香蓮の三人は我慢の限界迎えようとしていた。今は班ごとに集まって、少し大きめの建物の中で雨宿りをしている状態である。
悠人は敏一、正樹、香蓮の3人とはとてもよく気が合い、班の中でもよく一緒につるんでいる。そのため、この3人は人一倍悠人のことが心配だった。
「いくらなんでも遅すぎる。最後に出発した6班の連中のほとんどが到着しているのに、あの2人が到着する気配が全くない。」
しびれを切らした敏一が漏らした一言で正樹と香蓮の我慢も限界を迎える。
「捜索隊が出動しないんだったら俺たちで探しに行ったらいいんじゃないか?」
「確かに、それがいいですね。」
正樹の案に香蓮が賛同する。しかし、
「それはダメだ。ここでの待機命令が出ている。」
哲也に却下される。
「捜索隊が出動出来ないような天候で俺たちが行っても遭難のリスクを増やすだけだ。」
哲也の意見は正論である。いつもなら2班全員が彼の一軒に賛同しただろう。だが、今回は違った。
「捜索に行くなら私も行きます。」
「ぼ、僕も捜索に参加します。2人が心配だから・・・。」
「俺も勿論行かせてもらう。捜索なら人手は多い方がいいだろう。」
「僕も参加させてもらうよ。ここであいつらに恩を売っておくのも悪くない。」
優華、一輝、大悟、晴馬が参加を表明する。
「あの、哲也さんは行かないんですか?」
一輝が哲也に問いかける。それによって2班全員の視線が哲也に集まる。
「逆に聞かせてもらう。君たちは何でそんなにも危険を冒したがるんだ?」
「そんなの決まってんだろ?悠人はもちろんだが麗奈を含めて2人が心配だからだよ。」
哲也の問いに何の迷いもなく正樹が答える。
「みんなもそうだろ?」
哲也以外の全員が力強くうなずく。
「全く理解できない・・・。百歩譲って烏野が心配だからというのは理解できる。あいつは班の中でも明るくてしっかりした良い奴だ。しかしだ。何でそこで鶴島が出てくるんだ?!」
「そんなの同じ班の仲間なんだから当たり前だろ?」
「あいつは班の輪を乱すだけの邪魔ものじゃないか?俺は鶴島がここでどうにかなったとしても特に気にはしないな。」
「一ノ瀬さん、それ本気で言ってんのか?最悪、鶴島が死んじまっても気にならないってのか?」
哲也の言葉に正樹が怒気をはらんだ声で問い返す。
「どうだろうね。しかし、ここで俺が彼女のことを心配しないのも元をただせば彼女が原因なんだがね。」
正樹は怒りを抑えきれず、哲也の胸ぐらをつかむ。そのまま殴り合いに発展するかと思われたとき、
「お前たちやめろ!」
正樹を制止する声が響く。声の方向を見るとムグルマ教官が立っていた。
「お前たち、あの2人が心配なのは分かるが、今はおとなしくしていろ。」
ムグルマ教官は2班の班員たちが騒いでいるのを発見したため、注意するために来たのであった。
「ムグルマ教官にお願いがあります。どうか、烏野悠人、鶴島麗奈両名の捜索許可をください。」
敏一がムグルマに向かい2人の捜索を進言する。しかし、
「許可はできない。お前たちは行軍訓練を終えて疲労が蓄積した状態にある。こんな状態のお前たちを送り出すことはできない。」
「しかし・・・。」
「異論は認めん!まずは休息をとって体力を回復しろ。話はそれからだ。」
それだけ言い残し、ムグルマは去っていった。
ムグルマ教官のおかげで哲也と正樹の乱闘は避けられたが、班内には重たい空気が広がっていた。それに加え、先程の麗奈を見捨てる様な言動により、哲也に向けられる視線は頼りになるリーダーから少し軽蔑が込められたものへと変化していたため、尚更である。
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休憩を30分程摂り、悠人たちはゴール地点へ向けて出発した。
出発してから20分ほどが経過した。緩やか上り坂とこの荷物量であるためにペースは落ちるということは想像できていた。しかし、悠人が想定していたよりもペースが落ちてきている。
(まずいな・・・。思った以上に疲労が足に来てる。今はいいがこのままだとゴールに着くまでに力尽きちまう・・・。)
悠人は内心とても焦っていた。
この疲労は本人が気付いていないうちに体が冷え、体力を徐々に奪われていた結果だった。これは低体温症の初期症状である。しかし、これは自覚症状がない場合が多くとても危険なのである。
低体温症により体力少しずつではあるが確実に削られている。そのせいもありペースは落ちてきていた。
「ペースが落ちてきているようだけど、大丈夫?ここまで来たら捜索隊に発見される確率もだいぶ高いと思うわ。ここでリタイアしたとしても誰もあなたを責めないわ。」
麗奈は悠人にリタイアを促す。
「このまま進むよ。ここまで来たんだ。いけるとこまで行くさ。それに、俺ってこう見えてあきらめがかなり悪いんだ。」
リタイアの提案を断り、足を進める。悠人自身も無理をしているのは分かっていた。だが、麗奈に「助けて」と懇願された手前、リタイアという恥ずかしい所は見せたくないとしているのであった。
残り500mというところまで来たところで悠人の足が完全に止まってしまった。気を抜くと倒れこんでしまいそうになる。
(ゴールまでもう目と鼻の先ってのに・・・。ここまで来てリタイアなんてしてたまるかよ・・・!)
ほとんど足に力が入らなくなっているにもかかわらず、悠人は気合いで足を進めた。
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1歩1歩根性で足を進め、結果、訓練終了時間5分前というタイムで訓練を終えることが出来た。言うまでもなく、悠人と麗奈2人揃っての行軍訓練完遂であった。
悠人はゴール地点で待つ教官に到着したという報告を行い、制限時間内に完遂できたということを聞く。完遂出来た事への喜びを感じるのと同時に、緊張の糸が切れてしまったのか、極度の疲労によってその場に倒れこむように気を失った。