訓練-1
早朝5時に整列し点呼をとるため、必然的に起床時刻は4時半頃となる。時間に一人でも遅れると連帯責任として、腕立て伏せ100回に加え、宿舎から集合のやり直しという面倒くさいペナルティを課せられる。グラウンドは宿舎から150mほど離れているため、毎朝全員を起こして回るのが、一番初めに起きた者の仕事である。
各班に教官が割り振られている。学校の担任教諭のようなものである。我らが第2班の教官はケント・ムグルマといい、日系3世だそうだ。名前は日本人らしいのに容姿に日本人らしさはほぼない。いつもは優しいが訓練になると人が変わるため、鬼教官として有名だ。
今日もまだ睡眠を欲する体を引きずり、4時55分に集合を完了した。5分前行動である。5時になり、いつもと同じように点呼をとり、ランニングが始まる。正樹が今日もトップで終え、香蓮が最下位となった。いつもの光景である。しかし、変化もあった。初めは正樹以外の全員が死にそうになりながらゴールしていた。だが入隊より1月、みんな余力を残しながらゴールできるようになったし、タイムも上がっている。確実に成長している証拠だ。俺は正樹に一度も勝ったことがない。せめて1度は1位を取ってみたいものだ。ちなみに俺の順位は2位である。
ランニング後の筋肉トレーニングはいつも雑談をしながら行われる。内容は「今日の朝飯は何だろう」や「座学が面倒くさい」などの何気ないものだ。こんな時でもやはり麗奈は誰とも話さずに黙々と、自分のトレーニングをしていた。
トレーニングが終わると各々シャワーを浴びて食堂入口に集合となる。訓練兵の宿舎は一班にだいたい30畳の部屋が割り振られる。その中に2段ベッドが5つと10人分の衣裳棚が置かれているだけだ。年頃の男女が同室なのはどうかと思うが、シャワールームはしっかり男女で分かれているのでギリギリ大丈夫とする。
食事は原則班全員でとることになる。食事中は私語厳禁で早食いが要求される。軍人にとって早食いは重要なスキルの一つだそうだ。食事は早く終わるので、基本時間が余る。一度ゆっくりと部屋に戻り座学の講義室に行くというのが毎日の恒例になっている。
講義内容は敵に関する情報や爆発物の設置の仕方、銃火器のメンテナンスに至るまで多岐にわたる。しかし、大戦時の戦法を学んでもあまり役に立たないような気がする。もし、それが有効なら、球体から出現の奴らにここまで苦しめられることはなかったのだから。
講義が終わると実弾射撃訓練だ。今現在この軍で使用されているアサルトライフルはヘヴィーライフルという種類のものだ。ヘヴィーライフルとは、通常のアサルトライフルでは蟲の硬い骨格を貫通できないため、急遽作られた超高威力のライフルだ。ヘヴィーライフルは普通のアサルトライフルの弾丸を使用するわけではない。主にブローニングM2重機関銃の12.7mm弾を使用する。重機関銃の弾を流用している理由としては3つほどあげられる。
第一にブローニングM2重機関銃は多くの戦車や装甲車に装備されていた。しかし、蟲やその他の球体から出現した敵性生物によって多くが破壊され、部隊が撤退したため装備品が未回収となっていることが多い。弾薬を作っている工場ではそのような事情はつゆ知らず、弾薬が大量に生産されてしまったために弾薬庫に大量に余った状態なのである。つまり、在庫処分とほぼ同じである。
第二に12.7mm弾を使用すれば蟲の甲殻を比較的簡単に打ち抜けるということである。12.7mm弾は破壊力、貫通力ともに申し分ない。
最後に第三として多国籍軍を構成している国々の軍隊の多くがブローニングM2重機関銃を使用していた。そのため、軍組織内での装備品の統一が容易であったためである。
ヘヴィーライフルを人間が抱えて12.7mm弾を撃って人間は大丈夫かという疑問が生まれるだろう。結論は生身では不可能である。しかし、第3次世界大戦中にアジアのとある島国がパワーアシストを目的とした軍用パワードスーツを開発した。このパワードスーツには速く移動する機能も無ければ、ましてや空も飛べるはずが無い。ただ単純なパワーアシストを目的として作られたため仕方ないことではある。このパワードスーツは全身の約8割を覆うよう鎧のようなデザインであり、胸部や腹部、背部の急所となり得る箇所は装甲が厚くなっている。
多国籍軍では入隊後直ぐに専用のヘヴィーライフルとパワードスーツが与えられ、訓練兵を卒業し、正規兵となった後もこれを使うこととなる。つまり訓練班の仲間と同じく自分の身を守り、戦うための相棒なのだ。
パワードスーツとヘヴィーライフルは専用の物が有るといってもハードな訓練をこなしながら、整備やメンテナンスを行っていくのには無理があるため、整備舎と呼ばれる倉庫に置かれている。整備舎は実弾射撃訓練場に隣接して建っている。倉庫といっても兵器のメンテナンス作業や整備を専門に行う者が在中している。
実弾射撃訓練を行うためにはまず整備舎へ向かいパワードスーツを装着する必要がある。約1月毎日のようにパワードスーツ装着していると、入隊当初のようにもたついたりしない。手早く装備を装着し、射撃場へ向かう。
射撃場はかなり広い。的は射撃位置から約50~70mにあり、次々に現れる的へ射撃を行う。ヘヴィーライフルのマガジンには30発の弾を装填することが出来る。そのため、1人30発交代となる。的の現れるタイミングと順番はランダムで毎回違うため、素早く全ての的を打ち抜くのは容易ではない。
的は現れて約1秒で姿を消す。現れる的は全部で40個あり、その中から10個の的が現れるようになっている。
実弾射撃訓練の終了後は急いで整備舎へ装備を預け、訓練に使用した道具や機器の片付けを行う。その後に昼休憩であるので皆動きは速い。
昼食も朝食と同じく無言で早食いだ。みんなで楽しい昼食とはいかないのである。
昼からの訓練は前後半に分かれる。訓練班は全部で7班である。そのため、7班全てが同時に行うにはスペースと時間の問題で、前半組と後半組に分ける必要があった。
俺たちの2班を含む1~3班が前半組、4~7班が後半組となっている。
前半組のメニューは対人戦の格闘訓練である。多国籍軍の戦う主な敵は、球体から出現した蟲や化け物である。しかし、職務上、暴徒鎮圧等人間相手に実力行使を行う必要もある。難民街は性質上、多くの国々の人間が生活しているため、価値観や習慣の違い等が原因で小競り合いが起こることは日常茶飯事である。それを止めるのも兵士の大切な仕事の一つなのだ。
それでも人間以外と戦うつもりで志願した者が半数以上であるため、本気で取り組んでいる者は少数派であり、教官たちに怒られない程度に手を抜いている者も多くいる。
基本的に格闘訓練などは2人ペアで行われる。番号順に2人ずつペアになるため、俺の相手は鶴島麗奈となる。以前説明した通り、彼女は周りの人間から孤立している。初めは何気ない話題、例えば名前の事で、「俺たちの苗字って鳥の名前が入ってる珍しい名前だよな?」と話しかけても「そうね。」としか返ってこなかったために、会話のキャッチボールにならなかった。何の会話もなく組み手をするのはかなり気まずいが、彼女自身はかなり真面目に取り組んでいるためあまり問題にはなっていなかった。
しかし、ペアと会話をしながら訓練をしている仲間が若干羨ましいのには変わりない。
前半組と後半組の訓練メニューはだいたい2時間で交代となる。
次のメニューはVR訓練となる。VR訓練のために建屋が存在するがあまり大きくはない。例年では訓練兵として新たに入隊する人数は平均して40~50人であった。訓練兵を育成する施設は合計100ヶ所以上存在している。このキング島の訓練所はその1つであり、規模はあまり大きくない。そのため、1度に訓練できる設備は最高50人に設定されていた。しかし、今年は70人が入隊し、施設がパンク状態に陥っているのだ。
VR訓練の設備は、パワードスーツにVRマシーンを取り付けたようなものである。蟲等の敵性生物をパワードスーツとヘヴィーライフルで狩りに行くことは流石に、訓練過程の人間には難しい。そのため、VRを用いてパワードスーツを実際に動かし、訓練を行うのである。これでも、ペアでのコンビネーションを問われるような科目も存在する。2人でVRに映し出される蟲をヘヴィーライフルで撃破して行き、班内で順位をつけて競い合う。どうも俺はペアとの連携がうまくいかず、成績がなかなか伸びないでいる。勿論、個人でのメニューもある。こちらでは何とトップの成績を収めている。
一連の訓練メニューを終えたのち、雑事をこなしながら一日の反省を行う。班に洗濯機が1つずつ支給されており、10人で使い回すためだいたい3日に1回のペースで洗濯ができる。幸い、宿舎の部屋にはベランダがあり、洗濯物を外に干すことができる。30畳の部屋の掃除といっても10人で行えば直ぐに終わる。持ち回りで風呂掃除を行う必要があるが、7班での持ち回りなので1週間に1回となる。その日は少々多忙になるが、それ以外の日は余裕がある。
その後は夕食を摂ったり入浴したりと、1日の疲れをいやす。基本的に消灯前に点呼をまでは自由時間に使える時間となる。
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時は流れ訓練兵としての共同生活が始まって3ヶ月経っていた。
俺はそれ相応に他の班員たちと良好な関係を築いてきていると自負している。しかし、とある一人は別である。その人物は訓練で俺のペアでもある鶴島麗奈である。初めは単に人付き合いの苦手なだけかとも思ったが、それはどうも違うようだ。
だれがどのような話題で話しかけても、彼女は会話を続けようともせず確実に自ら孤立しようとしているのである。
ある日、掃除が一段落した時、
「烏野、ちょっといいか?」
班のリーダーである一ノ瀬に俺は呼び止められ
「鶴島のことなんだが、彼女は確実に和を乱す存在になってしまっている。ペアであるお前から何か言ってくれないか?」
と、続けられた。「やはりあいつのことか」などと心の中で呟きながら
「それは別にいいですが、一ノ瀬さんからは何も言わないんですか?」
問い返してみると、苦笑いしながら
「何度も彼女には、少しでも班員とコミュニケーションをとるように話をしてはいるんだが、どうも効果はないようだし、最近は俺のことを相手にもしていない様子なんだ・・・。
同性同士なら少しはましかと思って、春夏秋冬や長谷部をあてがってみもしたが効果はなかったよ。」
状況は俺の思っていた以上に深刻なようだ。
「分かりました。恐らく俺が言っても効果はないと思いますが、言うだけ言ってみます。」
「よろしく頼んだ。」
そう言って一ノ瀬は去っていった。
正直言って俺もかなり限界を迎えつつあった。格闘訓練は別に会話がなくても成り立たたないわけではない。しかし、VR訓練のペアの連携が試される様なメニューではそうはいかない。コミュニケーション無しに連携などできるわけがないのだ。
このままではいけないとも思っていたので、ちょうどいい機会となった。
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一日の訓練を終え、夜の9時ごろになると皆自由時間となっている。とは言ってもほとんどの者は自主訓練を行っている。宿舎に地下にはジムが設けられており、多くの者が利用している。
ジムは俺たち2班もよく利用している。今日も利用者の一人である鶴島が向かおうとしていた時、俺は彼女を呼び止め、
「話がある。付き合え。」
とだけ言って、宿舎から連れ出した。
毎朝ランニングを行っているグラウンドは宿舎から離れているという立地もあり、夜になると人の姿はない。
鶴島をここへ来て連れて来た理由は、言うまでもなく今日の夕方一ノ瀬に頼まれたからだ。鶴島をここまで連れて来る事には成功した。もったいぶっても意味が無いと判断し、いきなり本題に取り掛かる。
「鶴島。お前どういうつもりだ?」
「何が?」
「班の連中と何故交わろうとしないかだ。お前、確実に孤立しているぞ?」
「・・・私が孤立しようとあなたには関係ないじゃない。」
「そうは行かない。お前のその態度のせいで訓練の連携がうまくいっていない。俺の中ではかなりの死活問題なんだよ。」
「そう・・・。」
「いい加減にしろよ。お前のせいで迷惑を被っている奴が俺以外にもいるんだぞ。」
「私は、何と言われようと変わるつもりはない!」
最後にそう言い残し、鶴島は帰ってく。
「ちょっと待てよ!!」
止めようと声をかけるが、振り向くことなくそのまま行ってしまった。
次の日からの訓練はこれまでの以上に連携が取れず、成績を落とす一方となった。
あの夜から5日の過ぎた夜。消灯前の点呼時にムグルマ教官が
「一週間後にオーストラリア本島で、行軍訓練が行われる。皆心しておくように。」
という予定を俺たちに告げた。