座る男
彼は土下座をしていた。なぜだかはわからない。駅前のロータリー、雑踏の中。ただぴくりとも動かず、彼は硬い石の上で土下座をしている。近くで立ち止まる人はいれど声をかける人はいない。まるでそこで土下座をしていることが当たり前のことであるかのように誰も反応することはない。いつも変わらず、男は土下座をしていた。
彼が土下座を始めたのはいつのことだっただろうか。気づいたら駅前で土下座をしていた。
雨が降る日も太陽が煌々と照らす日も彼はその場所にいた。彼は雨に濡れても体を動かさず、陽射しに射抜かれても暑さにあえぐことはなかった。頭が光を反射しようと彼は決して頭を上げず硬い石に頭を擦り付けているのだ。
彼は次第に汚れていった。頭の片隅には白い斑点が浮かび、身は所々深緑の色に置き換わっていく。彼の手には空のビニール袋が垂れ下がり風にそよいでいた。ある日、彼の指はひび割れて欠けた。しかしそれでも彼は決して土下座をやめなかった。
だがそんな彼にも土下座を辞める日が来たのである。しかしそれは彼の生涯の終わりを意味していた。
彼は自分の座っていた硬い石ごと掘り起こされてトラックの荷台に乗せられた。しかし彼はまだ土下座を続けていた。彼はガタガタと揺れる荷台の上でも土下座を辞めるということはしなかった。
トラックが目的地に到着すると下に真っ赤な太陽が見えていた。彼は土下座を辞めることなく真っ赤な太陽の中に近づいていった。しかし太陽に近づくにつれ、彼の身体は段々と脱力していく。顔は引きつった笑顔を浮かべていた。そして彼はついに長い、何十年もの長い生涯で初めて土下座をやめたのだ。
彼が駅前で土下座をすることはなくなった。彼のいた硬い石は柔らかい土に変わり、背の高い銀杏の木が植えられていた。彼の土下座の代わりに春になると花を咲かし、秋には黄色い葉を散らしているのだった。
短編です。彼が何者だか読めば気づくと思います。あまり言うと不粋ですね。
活動再開記念に普段とは違うジャンルの作品を引っ張ってきました。え、見覚えがある? そんな人もいるかもしれませんね。