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Balletto  作者: 雲居瑞香
2/10

第2幕










 さて。年が明けてすぐ、次の公演の演目が決まった。『白鳥の湖スワン・レイク』だ。バレエの中でもかなり有名な部類に入り、『くるみ割り人形』と同じくチャイコフスキー作曲だ。


 配役は監督と振付師が相談して決める。練習風景を見て、その人の力量と正確に見合う役を付けるのだ。


 準備運動にあたるレッスンをしながら、ラシェルは気がそれない程度に考える。『白鳥の湖』は『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』と並び、チャイコフスキーの三大バレエ曲の一つである。おそらく、世界で最も有名なバレエの演目でもある。

 そのために多くの版が存在する。大きく分けて、二通りの版があると考えてよいだろう。

 『白鳥の湖』とは、悪魔に白鳥に変えられたオデット姫とジークフリート王子恋物語になるのだが、最後にオデットの魔法が解けるものと、魔法が解けずにオデットも王子も死ぬ、という二通りのパターンが大きく分けて存在する。まあ、もっと詳しく分けることもできるが、ラシェルにもよくわからないので解説は控えておく。


 ラシェルは以前にも『白鳥の湖』を踊ったことがある。その時は全幕ではなく、第二幕『情景』だけだったので、全四幕を上演すると言う今回は楽しみであり、ちょっと怖い。

 レッスン中に、いくつか『白鳥の湖』で使われる『技術』を見られる。おそらく、表現力なども見られているのだろうが、表現力があっても技術が伴わなければ話にならない。

 話は飛ぶが、『白鳥の湖』には王子をたぶらかす存在として悪魔の娘オディールという役がある。このオディール、オデットだと偽って王子とパ・ド・ドゥを踊るのだ。そして、その一連のパ・ド・ドゥの中に、黒鳥オディールは三十二回転のフェッテが含まれている。フェッテは、まあ、その場で回る回転技である。バレエで注目される技の一つだ。


 これがかなり難しいのである。いや、ラシェルもフェッテはできる。しかし、三十二回転ともなると成功率が下がるのだ。ちなみに、クラシック・バレエと呼ばれるバレエは、トウ・シューズと呼ばれる爪先立ち専用の靴を履く。レッスンの時はその限りではないが、たいていの場合はこのトウ・シューズ仕様になっている。

 練習スタジオにはバレエ団のダンサー全員が同時に踊ることができない。早々に試験的なフェッテを終え、座って後半グループを見ていたラシェルは三十二回転きっちりまわりきった二人を見て「うーん」と思った。


 一人はプリンシパルのフェオドラ。金髪碧眼で端正な顔立ちをした優しげな女性だ。不動のトップダンサーである。

 もう一人は万年コール・ド・バレエとの噂のユージェニー。明るめの茶髪に空色の瞳の美女だ。まがうことなき美女だ。表情が無いけど。


 三十二回転余裕をもってまわりきったのは、全ダンサーの中でもこの二人だけだ。おそらく、これから公演までの間に練習すれば回りきれるようになる人はいるだろうが、おそらく、これで黒鳥オディールはフェオドラに決まっただろう。


「そう言えば、ヘイゼル・バレエ団は白鳥オデット黒鳥オディールは一人二役なのかな」


 ヘイゼル・バレエ団の寮への帰宅途中、並んで歩いていた趙榮チャオ・ロンに尋ねた。趙榮は首をかしげた。

「どうなんだろう? 一人二役の所が多いと思うけど……別々の所も結構あるよね」

 そう。白鳥オデット黒鳥オディールは同じダンサーが演じることがある。別の人のところも多いが、統計をとれば一人二役のところが多いと思う。

「一人二役だと、フェオドラが白鳥オデット黒鳥オディールをやることになるね」

「……たぶんね。ジェインがやらない限りはね……」

 ラシェルはあいまいにそう答えたが、彼女もたぶん、フェオドラが黒鳥オディールになるだろうと思っていた。
















 数日後、配役が発表された。どうやら、ヘイゼル・バレエ団は白鳥オデット黒鳥オディールは別の人が演じるようだ。主役であるオデットはエリザベス・メイという気の強そうな黒髪の女性が、オディールはやはりフェオドラが演じることになった。

 いくつか幕があると、その幕ごとに別の役が当たることがあるが、オデットは主役なのでそういうことはない。オディールであるフェオドラは第三膜の身の出演なので、他の幕では別の役を兼任するようだ。

 そう言うラシェルも、第二幕の白鳥のコール・ド・バレエはもちろん、第一幕の舞踏会の貴族、第三幕の姫君の役をもらった。趙榮も第一幕では貴族役。第三幕ではナポリの踊りをもらっていた。


「役が当たると、気合が入るよね」


 ラシェルが小声で趙榮に語りかけた。優しい彼は「そうだね」と微笑んでうなずいてくれた。

 気合が入ると言えば振付である。振付を一通り覚え、練習をし、一定の水準に足りなければ本番前に役から降ろされることもある。緊張感を持ちながらの練習だ。

 そのバレエ団によって振り付けは違うため、ラシェルは一度『白鳥の湖』第二幕『情景』を踊ったことがあったが、細かい振付が違うので初めから覚え直しである。


 コール・ド・バレエは背丈がそろっている方がきれいに見える。そのため、たいていのバレエ団には身長制限があり、ヘイゼル・バレエ団は女性・百六十六センチ、男性百八十センチ以上でないと入団資格がない。

 それでもある程度の身長のばらつきが出てくる。ラシェルは百六十六センチでぎりぎり身長制限を満たしているが、このバレエ団では小柄な部類に入る。


 ばらつきのある身長は、背の順に並んで目立たなくする。身長が高いものから順番だ。ラシェルは最後尾の方で、後ろから三番目。一番後ろは、『くるみ割り人形』でクララ役を演じたサユリである。

 一方の一番前はフェオドラでその後ろにユージェニー。この二人は、一番身長が高いわけではないが、一番前と言うコール・ド・バレエの統率役なのだ。この二人なら不足はない。

 ちなみに、フェオドラは黒鳥オディールでもあるが、黒鳥の出番は第三幕のみなので普通にほかの幕にも登場しているようだ。


 三日ほどで振付を体に叩き込み、『情景』はすぐに通しで練習できるようになった。まあ、バレエダンサーたちにとって、第二幕『情景』は一番の見どころと言っていいだろう。


「なんか、前にフェオドラとジェインがいると、『頑張らなきゃ!』って感じになるのよね」

「うわぁ。引っ張られてるねぇ」


 数日、通しで踊ってみて気が付いたのだ。白鳥たちを率いる二人のレベルが高いため、必然的に後続の白鳥たちも高いレベルを求められている気がするのだ。まさかこれが、群舞が美しいと言うヘイゼル・バレエ団の秘密なのだろうか……。

 男性ダンサーにはあまり群舞、というものはない。と言うか、ラシェルが認識している限りでは、ない。男性ダンサーは元から少なく、群舞を行えるほど男性ダンサーを抱えているバレエ団も珍しいのだ。


「うーん。駄目ね。いまいち……。フェオドラ。もう少し右に移動して、ちょっとポーズを変えましょう」


 女性振付師のマリータ・デ・フェンテがちょこちょこと変更を加えてくる。それを、同じく振付師の男性ヴァルター・リーグルが苦笑気味に見ており、時々指示を飛ばしてくる。これが、ヘイゼル・バレエ団の日常風景だ。

「良くなったわ。一度、舞台で照明や背景を確認しておきたいところだけど」

 舞台に出ることで、また雰囲気が変わる。そのたびにまた修正を入れられるのだ。芸術監督と何やら相談しているマリータを横目に、ダンサーたちは休憩に入る。

「ラシェル。さっき、手の角度が少し下がってたわよ」

「ええっ。本当? 気を付ける」

 近くにいたサユリに指摘され、ラシェルはうなずいた。コール・ド・バレエはそろっているほど美しい。手の角度から足の高さ、顔の向きまで、そろっているのが好ましいとされる。

 しばらくサユリと話をしていたのだが、声が聞こえてきて二人は視線をそちらに向けた。


「確かに『白鳥の湖』は楽しげに踊る演目じゃないけど、その仏頂面を何とかしなさいよ!」


 白鳥オデット役のエリザベスがグイッと引っ張るのはユージェニーの頬だ。この二人は同期らしいのだが、見ている限り仲が悪そうだ。

「ああ。またやってる」

 サユリもあきれた口調だ。たまたまそばにいたフェオドラも仲裁に入ってくる。

「リジー。ちょっと落ち着きなさい。今に始まったことじゃないでしょ」

 フェオドラもさらっとひどかった。いつも通りの喧嘩であろうと、サユリは早々に興味をなくしたようだ。

「ラシェルは『白鳥の湖』は初めて?」

「ううん。一度、『情景』だけ踊ったことがある」

「へえ。私はコンクールでオデットのバリエーションを踊ったくらいだなぁ」

 だから、『白鳥の湖』は初めてなの。そう言うサユリは嬉しそうだ。やはり、バレエダンサーたる者、一度くらいは『白鳥の湖』を踊ってみたいと思うものだ。

「はい、休憩終わり」

 マリータが手をたたいて集合をかけた。ダンサーたちは素早く立ち上がり、彼女の元に集まった。通し稽古の再開だ。
















 先ほども言ったように、たくさんの版が存在する。そのため、最後がどうなるか、も分かれてくると言ったが、どうやらヘイゼル・バレエ団は最後に二人とも死ぬ、が採用されているらしい。ちなみに、死んだあと来世で結ばれるパターンだ。死んだら死にっぱなし、の場合もあるのだが。

 通し稽古でオデットと王子が死んで、来世で結ばれるというところまで見たラシェルは、他のダンサーたちに交じって拍手を送った。第四幕の出番が終わってから見ていたのだが、さすがとしか言いようがない。ちなみに、王子役はエルヴェ・ミュルヴィルという栗毛の男性だ。彼も、エリザベスたちと同期であるらしい。


「エルヴェに王子ってはまり役だよね」

「うん。それは私も思ってた」


 サユリに同意され、安心するラシェルだ。ラシェルだけの思いではなかったらしい。はまり役と言うか、当たり役と言うか。なんと言うか、ちょっと振る舞いが気障であるエルヴェによく似合う役柄なのだ。ただ、『白鳥の湖』のジークフリート王子、マザコン疑惑がかかってるけど……。

 ほかの見学中のダンサーと一緒に拍手を送りつつ、ラシェルはそんな失礼なことを考えていた。


 本番まで、だいぶ日が迫ってきている。














ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


私は勝手に黒鳥の見どころは32回転のフェッテだと思っています。ていうか、たぶん、プロのダンサーならきっと、みんなまわれますね。すごいですよね。

様々な版が存在する『白鳥の湖』ですが、私は白鳥と黒鳥は一人二役で、来世で結ばれるパターンのものしか見たことがない気がします。

『白鳥の湖』も、コール・ド・バレエが素敵ですよね。


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