うたうたい
人が大勢行きかう駅の改札口付近の広場で俺は今歌を歌っている。だが、足を止めて聞いていってくれる人はごくわずかだ。ほとんどは知らん顔がいいとこで、ひどい時には罵倒される。
ミュージシャンになるため高校を出てすぐ田舎から出てきたが、全くそのチャンスを掴めていない。オーディションも二十戦二十敗。そんな俺が夢を捨てないのには一つ理由がある。それは――
「お兄さん。やっぱり歌上手いですね」
ふっと俺は目の前の少女に笑みを向ける。そう、彼女のようなリピーターがいるからだ。特にこの子は俺が歌い始めてからの古株である。見たところこの子は俺と同い年、だがどうやら大学生のようだ。いつも重そうな鞄をしょっている。
「いつもありがとうね。でも、どうしても売れないんだよねぇ……」
「見る目がないんですよ。こんなにいい歌なのに」
「本当に?」
「はい。歌もうまいんですけどなんて言うか……心に響くんですよ」
彼女の言葉に思わず頬が緩んだ。何であれこうして賞賛してもらえるのは嬉しいことだ。
「でも売れないのは俺の実力不足もあるさ。頑張るよ」
「はい! 頑張ってください!」
そう言って丁寧にお辞儀して去っていった。俺は彼女の背中を見送ってから再びギターをかき鳴らす。不思議と、体に力が湧いてくる。ホームを通り抜ける電車に負けぬような大声で俺は歌い続けた――途中で駅員さんから注意が入ったが。
そして今日もまた俺は同じ場所で歌い続ける。すると、遠くから彼女がやってきた。だが、明らかに元気がない。下を向いてとぼとぼ歩いている。
「どうしたんだい? 何かあったのかい?」
「あの……今日はお別れを言いに来たんです」
「え?」
「実は……実家の父が倒れて、急遽大学もやめて地元で働くことにしたんです。母ももう年ですし……」
「そんな……」
「でも、お兄さんは負けないでくださいね」
ギュッと彼女が手を握ってきた。女の子らしい柔らかく暖かな感触に思わずドキリとしてしまう。
「絶対、がんばってくださいね……」
彼女の目の端には涙が浮かんでいた。きっと、彼女にはやりたいことがあったはずなのにそれを断念しなければいけなくなったのだ。その辛さが……俺には痛いほどわかる。
「ああ……ちょっと待ってくれ……」
そう言ってカバンからいつも持ち歩いているサイン色紙を取り出し、これまた常備しているサインペンでさらさらとサインを書く。
「はい、餞別って程じゃないけど……だめかな?」
「いえ……いえ! 嬉しいです!」
ぽろぽろと彼女の目から涙がこぼれ落ちた。こういう時にどうすればいいのか――俺にはわからない。
「すいません……ありがとうございました。これからも応援しています」
ぺこりとお辞儀して俺に背を向けた彼女。だが、数歩歩いたところでくるっと振り返り、
「いつかこのサインが売れるほど有名になってくださいね! 私信じてますから!」
「ああ……もちろんだ! 待っててくれ!」
彼女は何度も手を振りながら去っていった。俺も……その姿が見えなくなるまでずっと手を振り返した。俺の歌を好きと言ってくれた初めてのファンへと――。
それから数日、あの時連絡先でも聞いておけばよかったと今更ながら後悔している。だが、構わない。俺はただ――歌うだけだ。彼女のもとに届くほど、心を込めて魂を込めて――そしていつか彼女と再び会うために。