モノカキを目指すお子さんを持つ親御さんへ、またはパートナーの方へ
近ごろ感じたのですが、自分が書き始めたきっかけ、というのはあまり覚えが
なく、 逆に、「書かなくなったきっかけ」というのはとても強く印象に残って
います。
中学何年だったか、細かくは覚えがないのですが、その頃も何かと思いついた
ことをメモっていました。
物語のこともあり、詩という形式もあり。
ある日、書き散らかしたノートの切れ端をうっかり落としてしまい、それを
母親に拾われました。
彼女は一読してひとこと。
「このキ●●イみたいな文章、何? アンタが書いたの?」
そこで思わず
「ううん、写した」
と否定してしまいましたが、今でもそれが心の中にぐっさりと刺さっています。
彼女はごく一般的な考え方をするニンゲンで、子どもは大きくなっていつかは
結婚して子どもをもうけ、死ぬまで自宅で親の面倒をみるものだ、という考えの
信奉者でした。
博学で、他人に対しては話をよく聴いて、自論も堂々と述べることができ、
公明正大で寛容というイメージでした。
私が描いたイラストも、月並なものならば
「誰かのそのまま写したんじゃないの? 個性はないよね」
と平気で言い放つような、身内には言いたい放題でしたねえ。
彼女ですか? はい、今でも元気ですよ~(笑)
たぶん120まで生きて、ずっとワタシの介護を期待し続けるでしょう、
ボケることもなく。
ワタシが人前に書くもの、描くものを出したくなかった理由は、たぶんそこに
行きつくと思っています。
これは恨みでも何でもなく、淡々と分析した結果ですが。
なので、今でも彼女に(だけ)は、ワタシがカキモノをしていることは話していません。
もしも、御家族で、身近な方で創作を一生懸命していらっしゃる方がいたら、
ぜひこれだけは言ってやってください
――たとえ、その人の書いているものが、自分にはあまり好みではなくとも。
(まあ、あまりにも個人を傷つけるような内容でしたら、それはハッキリ言って
やった方がいいでしょうが)。
「ワタシの好き嫌いでは簡単に評価できないけれども、あなたの一生懸命書いて
いる(描いている)ものは、続けてさえいれば(そしてちょっとずつ工夫なり修正
なり努力を怠らなければ)、いつかどこかで、誰かが認めてくれるはずだから、
応援するよ」
と。
身近なところに支援をもらえる、それは創作者にとって万人のものに値する
支えです。
もちろん、まだ会ったこともない方々の支援も大切ですが、やはり、できれば
身近なところからも見守ってほしいとも思うのです。
たった一人でもいいんです。
ものごとを創り出す、その努力を続けるすべての人たち。それを見守る人たち
に心からのエールを送ります。