公共の場での他者への評価という、きわめて曖昧な基準について
ふぇいすぶっくという場では、相互フォローのたいがいが顔見知り以上のつき合いということもあって、アクセスするたび、その人の記事にいちいち「いいね!」とか「びっくり」とかリアクションを返すことが多い。
まあ、あんまりアクセスしていないので、その時どきたまたま見かけた記事に反応を返し、たまにはかんたんなコメントをする程度では、ある。
そんな中、高校時代の同級生のひとりがこんな記事を書いていた。
いわく、久々に夫婦で泊りに行ったホテルのサービスがあまりにもひどく(どんなふうにひどいか内容も詳しく載せていた)、あまりのひどさに食事も取れず、結局払い戻しをしてもらって早々に宿を出た……
これだけ読むと、それは酷い目に遭った、気の毒に、せっかくの夫婦旅行で、という気になるだろう。確かに友人たちからの『ひどいね』『悲しいね』のリアクションがかなりの数になっていた。
でもここで、ヘソマガリな私はちょっと思ってしまったんですよ。
彼は地元でも、また全国的にもそれなりに名の通った自営業者で、彼の会社の商品はそこそこの人気がある。
地域でも著名な人物であり、それなりの肩書もあるし公私にわたって知人友人も多い。
そんな人が、誰もが見られる場で(まあ一応友人限定記事ではあったが)、サービスの良くなかったホテルの実名をいとも簡単に出していた点が、どうにも解せなくて。
彼くらい名前が通っていれば、そういう店に対して文句があるのならば正面から支配人レベルの責任者にクレームを入れて(当然入れたのだろうが。でなければ払い戻しは発生していないだろう)から、その後どうしても他人に伝えたいのならば、実名を上げずに『実はこんな××というホテルがあった』と、伏せ字で内容のみ触れればよかったのでは?
クレームに対する損害補償はひととおり受け取っておきながら、『晒し』に値する行為なのでは? 同じく自ら事業をおこなっている立場としては、どうなのだろう? と、そこが気になってしまったのでした。
そのホテルの所業は確かに、酷いようではあった。チェックインに三十分位かかり、部屋では冷蔵庫から水漏れ。夕食の支度もなかった……誰だって怒る、それは、どんなに気の長い人間でもイライラは、する(けっこう気の短い私個人としては、やっぱりキレると思う)。
しかしもし、自分のところのサービスについて同じようなクレームが(自らのあずかり知らぬ場で)出ていたら、または、公共の場で口コミとして晒されていたら、果たしてどう思うだろうか。
待ってちょっとその日は何かと話せば長くなるが緒事情があって本当に申し訳ないと思うがたまたまイレギュラーな諸々が。
そう言いたくならないと、誰が保証できようか。
という話を家人にしたら、家人はこう言い放った。
「でもさ、今、ぐーぐるとか他のサイトでも口コミで何かと出てるじゃん? 口コミ良ければ買ってみようかな、って思うし、ひどい評判なら避けることだってできるし」
へえ、そうですかー。
でもね、口コミってホント、あいまいだし偏ってるし。
第一、数十、数百、数千の評価でそこの価値は決まる……そう、誰もが信じているのだろうか??
口コミや評価を多数の知人に乞う人だっているだろうし、逆に敢えて多数のアカウントをつかい分けて一つの場所を攻撃しまくる輩だっているだろう。
たとえ数万、数百万の評価がダメ認定しても、そこが自身にとって唯一の輝ける星となる可能性だって、捨てられないではないか。
家人と話していて、「全能の神がいたら、こんなシステムも面白いかもしれない」とふと思ったのがあった。
評価を投稿する時、神が問う。
「その評価に対する、あなたの立ち位置は? 頼まれたのでひたすら応援する知人/逆に足をすくいたい知人 頼まれなかったが応援する知人/ムシャクシャして足をすくいたい知人、応援したくなったまるっきりあかの他人/足をすくいたくなったあかの他人 その他」
そして、評価の下に立ち位置も表示されていて。
新しい評価の基準だと思いませんか? うん、思わねえかw
それにしてもね、
○○くん、君の怒りはよく分かる。折角期待して行った場所で、それじゃあね。
でもさ、君は怒りの向け方を少しだけ、もう一度見直してみても、いいように思ったよ。
自戒をこめて。




