そしてタマムシ
俺の妻は、虫が苦手ではない。
それは別にいい。女ならみな、虫を見ただけできゃーっ! と叫んで逃げまどってほしい、頼りになる男を呼んでほしい、なんて時代錯誤的なことを考えているわけではない。
苦手でないことはいいのだ。
ただ、止めて欲しいことはある。
そう、その虫のことだ。
他にも、片付けが苦手だとか、すぐに感情を態度に出す(特にキゲンの悪い時食器に当たったりする)とか、立て替えたお金をすぐに払ってくれない、物忘れが激しい……細かく数えれば欠点だらけかもしれない、それでもお互い様な部分もあるから、かなり大目にみているつもりだ。
それをすべて譲ったとしても……虫のことだけは少し、俺も弱っている。
昨日のこと。
「ね、これ見て! ベランダで拾ったの!」
じゃーん! と両手を拡げた中にころんと収まっていたのは
「……タマムシ?」
そう、緑色に輝くタマムシだった。
しかし死んでいる。
六本の足を縮め、うつろにあおむけに固まっている。
「奇麗でしょう?」
「う、うん」
俺だって、それほど都会育ちではない。タマムシくらい知っている。触るのだって別に平気だ。
それでも、こんなに喜んで死がいまで拾って、しかも家族に見せ回るというのは、どうだろうか? 何か、ヘンじゃないのか?
しかも……なぜ下駄箱の上に飾る??
いや、「飾った」のではない。ただ単に……置いて……いるだけだ。
「むふふふー」
妻はニヤニヤしている。タマムシの近くを通るたびに、うれしそうだ。
勘弁してくれ。車のキーとか、タバコとか、ライターとか、俺の私物がすぐ脇にあるのだ。
行ってきます、と車のキーを取ろうとするたびに、俺はバランスを取るために下駄箱の角に手をつく。その手のすぐ近くに、タマムシが転がっている。
「行ってらっしゃーい」
「ねえ……そのムシだけど」
「え?」妻の顔がいっしゅん、けわしくなる。
「たまちゃんが、どうかした?」
「いやいい」
俺は、自分からは敢えて虫をどかさないことに決めた。妻だって、ものすごく虫が好きなわけではない。すぐに飽きるだろう。
しかし、翌日になっても虫はそのままだった。
翌々日も。その次の日も。
俺はキーを取ろうとして、手をつくたびに
「おおっと、タマムシ」
妻の合いの手にびくっとなる。
妻は俺が出かける時にはたいがい玄関先で見送ってくれる。逆に、俺がいつもタマムシにニアミスしている時にその場に居合わせることが多いのだ。
あ、タバコ忘れた。俺は身をひるがえし、また下駄箱に手をついて
「そして、タマムシ」
妻が言う。
ライター忘れた。よいしょっ、
「おっとぉ、タマムシ」
妻が。
しまった足がもつれた、転んでしまう……
「タマムシ」
もうタマムシタマムシやめいいいいっっっ!!!!
……と、発狂した夫が『たまちゃん』をこっそり捨ててしまうのは時間の問題かも。
とオクサンは哀しそうにそう言ったとさ。
たまむし、たまむし。




