懐かしの家を訪ねて三千里、まではいかないまでも
先日、お休みの日に、少し遠出をしました。
母の古くからの友人が関東のとある市に住んでおりまして、そちらを訪ねていったのです。
その方はすでに80近くになる女性で、私の母のように若い頃から脚が悪く、現在では車椅子生活を送っております。しかも、旦那様を17年くらい前に亡くし、二人の娘さんも他所に嫁ぎ、1人暮らし。
母とはまだお互い若い頃に身障者の会で知り合ったらしいですが、それから双方が結婚してからもつき合いが続き、ついには家族ぐるみで旅行したり家を行き来するようになり、今では私もまるで親戚の叔母のように頼りにしております。
もう何年も前になるのですが、おせんべいで有名な町にて別れ話の片をつけるという哀しいイベントが発生し、その帰りについ寄らせてもらったこともありました。
実の母には話しづらいことも、血のつながっていない彼女には逆に話しやすいということもあり、また、どんなグチも「わー、たいへんだったねー、ほんとだよねー、アンタが正しい」と受け入れてくれる彼女の懐の深さに救われたものでした。
彼女は車の運転が大好きで、そんなところも近しいものを感じていたのですが、東日本大震災以降、自身の身の回りの世話も立ちゆかない中、例えば運転中にもしものことがあった時どうにも対処できない、と悟って急におそれを覚え、車も自由に乗りこなすのが怖くなってしまったとか。
すっかり出不精になっちゃったよー、と笑っていたのですが、何となくその目は淋しげでした。
駅から彼女の家まで行くのは、今回8年ぶりくらいでした。それまでも自分の友人と共にその家を訪ねたり1人で出かけたり、道は完璧に覚えていると思っていたのですが、今回はよもやの迷子。途中何度も電話を入れながら、ようやく彼女の家にたどり着けた時には本当にほっとしました。
私もヤキが回ったな~、としみじみ。
互いの近況を報告し合い、娘さんたちの近況もお聞きしながらまったりと数時間そこで過ごしました。
本当は他に用事があったついでに出かけたのですが、1人でぽつんと、大好きなドライブも控えがちになって寂しい思いをしているのではないかとつい、長居をしてしまいました。
あんたももう若くないんだから、健康に注意しなさいよ、うちの○○(長女さん)みたいに飲み過ぎて変な病気になったりしないでね、私もいつまでもつか分かんないけど、もう少しがんばるからね、と逆に元気を分けてもらった感もありました。
娘さんはちなみに、悪性リンパ腫で入退院の真っ最中。それでも抗がん剤の副作用もないし、もうすぐ仕事に復帰できるとのことで、それも今回気になっていて、よい報告を聞いてほっとした次第です。
去り際に、車椅子の彼女は玄関先に出るのも大変なので、勝手口からさようならをして、ドアを閉めていとまごいをしてきたのですが。
何度も振り返り、ふり返り、坂と階段の多い、懐かしの路地を眺めながら私は次の目的地に向かいました。
もう二度と、ここには戻って来られないかもしれないという、漠然とした覚悟を持ちながら。
歳をとるというのは、そういうことなのかな、と。
まとまりありませんが、まあ、そんなこんなでまだまだがんばろうと思いましたです、はい。




