プロローグ
旅人
私〔カノレ〕のように世界を旅する人を指すんだ。
でも、私は少し違う。本当の自分を見つける為、生きて行く為に旅をしている。
「Gratias ago… adiuvisti me.〔いやぁ〜掃除助かったよ、ありがとな!〕」
今日も私は、便利屋として生活費を稼いでいた。
〔代金は銀貨一枚で!〕
〔つうか魔法使うんだからもっとぼったくれよ!〕
今日は酒場の手伝い。
揶揄い交じりの冗談に、少し引き攣った笑みを浮かべた。
〔無駄金は持たない主義なので……まぁ本音は、盗賊に目を付けられたくないだけですがね〕
白く短い髪を整え、青い瞳を細めた。
魔法など、本来便利屋が使うもんではない。
戦闘狂が使うものだ。
使うとすれば、銀貨数十枚……下手すれば金貨数枚はくだらない。要は私の値段は破格といったとこ。
とはいえ生活には困らない、それより目的は別にある。
〔それより、例の『ぶつ』はありますか?〕
小声で交渉すれば、依頼人はニヤついた。
〔ありまっせ。先祖代々の、あのブツが〕
〔では、そのブツをお駄賃として頂く事は可能でしょうか?〕
〔え、そんなんで良いのか?〕
少し動揺した素ぶりの亭主に、胸を張った。
〔構いません!〕
グッドサインを灯せば、酒場の奥へ連れられた。
厨房の扉を開け、中へ入れば一角の棚に置かれた古い魔導書が飛び込む。
〔先祖代々から伝わる転移魔法陣の図解だ。けどこれは……〕
〔偽物。わかってますよ、自分の趣味ですので〕
〔随分と変な趣味なんだな〕
瞼をピクッと動かし、腹立ちを笑みで隠した。
転移魔法。
長距離を移動できる優れ物だ。ただ、図面や外から損傷を受けた場合は何処へ飛ばされるかわからない。
そんな厄介な代物を使う目的は一つ。
『私の記憶を探す』
自分の名前すら、偽物かもしれない。
考えるだけで、指先がほんのり揺れる。
それを知るためにも、態々(わざわざ)偽物の図式すら手に取るんだ。
稀にあるんだ、偽物の皮を被った本物が。
〔まぁ此処にあっても意味ないしな。ほら、やるよ!〕
差し出した書物を、傷だらけの手で受け取った。
〔ありがとうございます! よし、早速この場所に……〕
〔待った! 肝心なお駄賃を忘れんな、ほら!〕
首を傾げると、金貨が数枚入った袋を出してきた。
〔ちょ、駄目です! お駄賃はこれで十分ですし〕
〔偽物じゃ割に合わないっつうの! 遠慮せず、旅の資金にもしとけ〕
悪人面だが優しい笑顔に、私の心は断りづらくなってしまった。
罪悪感と同時に、温もりも感じた。
少し考えると、大きな溜息と共に一枚だけ金貨を取り出した。
〔……これで十分です。また来た時、店が潰れていなければそれで充分〕
寂しい酒場だが、この場所が残っている方がいいさ。
気持ちの一枚だけ、私は受け取った。
〔では、私はこれで!〕
何処か不満そうな店主に背を向け、厨房を離れた。
酒場の入口でお辞儀をすれば、店主は顔を叩き、気持ちを切り替えるよう照れくさそうな笑みを浮かべた。
〔最近魔族も目撃されてんだ、気を付けろよ~!〕
手を振り、閑散とした馴染み深い酒場を離れた。
屋根の上から差し込む陽光に、反射的に瞼を閉じた。
今日は晴天。きっと良い事が起こる……そう思いながら、今日もまた、腰に掛けた相棒の杖を握った。
浅色の羽織を纏い、鞄を片手に森林を進んだ。
この森を進めば大樹の森。
この転移魔法陣の図解は、確かあの先にある遺跡に反応するという。
もし駄目なら、また別の土地に行くのみ。
〔にしても、魔物の気配が……〕
流石は大樹の森。
魔物に交じって厄介な気配も感じる。
鬱蒼とする木々。
足を進めるにつれ、鳥の声が途切れ重く不気味な足音が私の後ろから近づいてくる。
足を止めれば、その音も止まる。
〔……はぁ。戦闘は嫌いなんだけどなぁ〕
羽織に隠した短刀を握り、背後の気配を睨んだ。
冷たい風が、足元の草木を揺らす。
〔<Zāhir rūḥ-ka.〔気配で丸見えだよ〕>〕
静寂な森林に、鋭い言葉が響く。
風が止み、音が消えた途端に背後の気配が動いた。
羽織を捲り、背中の短刀を取り出し周囲の気配を研ぎ澄ました。
魔力探知が出来ない……
魔族特有の魔力のせいだろうか。
周囲の鬱蒼とする森林。
その隙間から度々見える殺気。
〔……厄介だな〕
気配の隙をつき、大樹の森目掛けて駆け出した。
森林に続く土道が、少し長く感じる。
生憎、攻撃魔法が使えない私にとって魔族は分が悪い。
とにかく、この先に記される転移魔法陣へ……この状況を切り抜けるなら好都合、偽物だったら……その時は覚悟を。
息が上がり、次第に剣先が震える。
突然、ひとつ閃光が光れば殺気の向こうから鋭い閃光が見えた。
〔ちっ!〕
同時に、私の耳元を鋭い鏃のようなものが牙をむいた。
咄嗟に短刀を振るい、熱い火花と共に、あまりの衝撃に指先がじんじんと痛む。
〔これは……攻撃魔法。でも、この威力は――化け物かよ!〕
鬱蒼とする木々の隙間から、再び耳の横を閃光が掠めた。
きーんと甲高い音、赤い血が耳から流れ、片耳の鼓膜が破れた。
着弾した地面は抉れている。淡い光が弓矢のような形を形成し、次第に淡く霧のように消えていく。
凄まじい攻撃能力だ。
だが、相手が魔族なら挑発で……一か八かだ。
よろける体を奮い立たせ、剣を構えたまま、周囲を見渡した。
〔<やっぱり所詮は蛮族の末裔ね! 一方的な攻撃とは、随分と卑怯じゃない!?>〕
裏声交じりの言葉を森林に響かせ、魔族を誘った。
片耳を研ぎ澄まし、滴る血を拭う。
風が吹けば、ほど近いところで低く鋭い声が響いた。
〔<黙れ>〕
〔見つけた……そこね!〕
声の方へ、手元の短刀を勢いよく投げた。
回転し、木々の隙間を縫うように進めば、そう遠くない所で鈍い音に交じって火花が散った。
防御魔法の光に包まれた、体の輪郭から微かに歪な角が見えた。
〔魔族……いや、今だ!〕
腰元の杖を手に取り、魔族に向けた。
〔ネブラ・ヴェラータ(幻影魔法)!〕
杖の先に光が灯り、球体の光と共に閃光で視界を遮った。
多少の目くらませには使えるはずだ。
背を向け、無我夢中に駆け出した。
後ろから切り裂く音が響く。
だが、攻撃は当たっていない……目くらましは成功したみたいだ。鏃の閃光は明後日の方向へ飛んでいる。
〔今がチャンス……とにかく、進むしか!〕
大樹の森を駆け抜け、草木をかき分け歩みを進めた。
息が上がり呼吸も苦しくなる。
杖を握り無我夢中で進むと、その先に遺跡と共に紋章が刻まれた石壁が見えた。
〔あった! これを使えば……解読書!〕
滑り込むよう、石壁の前に膝をつき図解を開いた。
荒れる呼吸のままページを開き、杖を握ったまま、ひたすら捲った。
〔ここれをすれば――〕
手を翳し、紋章を左右に揺らした。
遠くから鋭い鏃の音が片耳へ突き刺さる。
赤い血が頬を蔦り、乾いた地面にぽつぽつ落ちる。
焦りで指先の震えが止まらない。図解を捲る指先さえ、もたついている。
それでも、着実に解読は進んでいるはずだ。
〔私の……勝ちだ!〕
笑みを零し、最後のひと手間をしようと指先を重ねれば、鋭い閃光が石碑に着弾した。
あと数ミリずれていれば、私の指はなかった。
足音が聞こえ、冷たい風が鳥肌を立ててくる。
〔<蛮族の末裔か……>〕
低くも微かに聞き覚えのある声に、血が混じった汗が頬を滴っていく。
〔<主様からの命令、即刻その場から離れろ。さすれば命だけは助けよう>〕
〔<主様って……魔族は本来、単独で行動するはずじゃ>〕
鋭い目線を向ければ、青年姿に黒髪。
額には長く鋭利な角……魔族特有の淡くも黒づんだ不気味な魔力の光が見える。
手元には淡く黄金色に光る弓矢を構えている。
重圧感のある殺気……
そして、攻撃魔法をも超える威力の魔法。
だが、もう遅い。
〔<……あと一歩及ばず、だね>〕
足元から渦のような風が舞い上がる。
紋章へ翳した指先から、生温かい魔力が流れる。
〔<既に解読は終わった。あとは詠唱を口にするだけ……私の勝ちよ>〕
紋章が緋色に輝き、足元に紋章が刻まれる。
風で髪が揺れ、杖の先をぎゅっと握りしめた。
〔<警告はしましたよ?>〕
〔<そんなの承知>〕
ずっと私は孤独だった……此処まで、ひとりで進み続けた。
私の記憶を見つける為。
本当の私を見つけるために、やっと此処まで辿り着いたんだ。
震えたままの指先で、杖を握りしめ、羽織が風に靡いた。
〔<私は旅人……困難でも進める力がある、だから! 止まらない!>〕
魔法陣が展開し、足元から緋色の光が体を包み込んだ。
〔<……私と全く似ていないな>〕
想いもよらない言葉に、目を見開いてしまった。
〔<当たり前でしょ、蛮族の末裔じゃないんだから>〕
〔<その言葉は嫌いだ>〕
弓矢を構え、光の束が鏃を形成する。
鋭い目つきの奥に、何か迷いのある震えも感じる。
瞼を閉じ、詠唱を口にした。
〔境界を越え、標へ至れ……ミグラティオ(転移魔法)〕
足元の魔法陣が鮮やかな緋色に輝き、私の体を霧のように包み込む。
同時に、鋭い鏃が放たれた。
眉間に近づいた途端、私の体を通り抜け向かいの石碑へ突き刺さった。淡い光が体を包み、私の姿は消えた。




