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没落令嬢ですが、メリーさんが異世界でも居るなんて聞いてません。助けて。

作者: 22
掲載日:2026/05/04


 今日も手紙の束が、ずしりと重い。


 差出人の封蝋は獅子、鷲、葡萄の蔓……貴族の家紋の見本市のようだ。内容は見なくてもわかる。


 〈亡き父に会いたい〉〈死んだ妻の声をもう一度聞きたい〉〈娘のさいごに立ち会えなかった〉


 「死者に会わせてくれる令嬢」として噂が立ってしまった私――ブレナン・アカリトリン――だが、実はやっていることは、ただの催眠術。


 日本で生きていた前世を思い出した私は、その時にYouTubeを観て会得した催眠術を、ある時ごく気軽に試してみたのだ。

 夫を亡くして落ち込んだ夫人に「亡き旦那さんが会いにきてくれますよ」と。


 そこから噂が噂を呼び、お礼なんかももらえて、やめられなくなり……本当にごめんなさい。

 基本は、催眠術にかかった人が脳内で幻をつくって見ているだけなハズだったのに、膨大な魔力をもった騎士団副団長のスミス様が現れてから話が変わってしまった。


(本当に死者を見せられるのは、私じゃない。私の催眠にかかったスミス様が、無意識の魔術で故人を呼んでいるだけ。つまり主犯はあの人――なんてことは、絶対に言えないけれど)


 なけなしの良心を抱えた私は、しばらく窓の外を眺めたあと、覚悟を決めて机に視線を戻した。


 手紙の山を崩さぬよう、一番無視できない一通を引き抜いて、念のため封蝋を確かめる。


 剣に翼を組み合わせた紋章。王太子の侍従からの伝達文だ。


 いくら使用人がいないとはいえ、ポストに直接入れていくのは本当にやめてほしい。万が一、見落としていたら(私の)首が飛ぶ。


 恐る恐る中をチラ見して――また「案件」が来たのだとわかった。


 読み進めながら、私の表情はみるみる曇っていく。要約すると。


 ――殺人事件あり。しかも、子供の歯形が無数についた遺体つき。


(どう考えても、穏やかじゃない)


 関わりたくない、という本音が喉元まで迫り上がってくる。


 しかし、報酬の欄に目が止まった瞬間、思考がぴたりと止まる。


 そこに書かれた金額を、三回読み直した。


 一回目は「読み違えた」と思った。二回目は「いや待て」と思い。三回目で「これ本物だわ」と確信した。


 私は便箋を胸に抱きしめ、天を仰いだ。


(弟のクリスの制服代、教科書代、馬車代……全部いける)


 弟のにこにこ笑顔が脳裏をよぎる。貧乏男爵家の長女に残ったなけなしの良心は、かすかに「でも詐欺だし……」と呻いたが、金額の前に三秒で沈没した。


 そんな成り行きを経て、私はその日の午後に「先生、ご在宅か」という低い声とともに現れた王太子の遣いであるスミス・ソニアン副団長と共に、再び事件の渦中へと身を投じることになったのだ。



* * *



 スミス様の背筋はいつでもスッと伸びていて、世の正しさの全てを請け負っているような清廉さがある。


「今日もスミス様は美麗ですねぇ。眺めるだけで、寿命が延びますわ」


 馬車の中で向かい合って座っているので、特権と割り切ってじっくりとスミス様を観察する。


 本来なら、末端男爵家の娘が会話を交わす機会など訪れることもなかったはず。これだけは役得だと思って毎回堪能してるのだ。というか、私はこの移動の馬車でスミス様とたわいない話をする時間が、けっこう好きだ。


 王都中の女性が焦がれてやまないと言われるその顔は、整いすぎている上にあまり感情を表さないことも相まって冷たい印象で――そこがまた人気らしい。


 膨大な魔力を持ち王立騎士団の副団長に若くして上り詰め、侯爵家の長男と家柄もよく顔もよいとなれば、女なんてちぎって投げても寄ってくるだろうに、浮いた噂ひとつ聞いたことがない。


「そんなことを正面切って言ってくるのは、先生くらいだな」


 呆れたように言うスミス様は、その真面目さから大変催眠にかかりやすい。


 どれだけ真面目かというと、私の「死んだ人が現れる」という催眠にすぐにかかり、しかもその無尽蔵な魔力によって無意識に「死者を呼ぶ」という魔術を生み出してしまったくらい、真面目だ。


 そう、死者を実際に見せているのは、スミス様だ。


 つまり私がこんな事態になったのも、大部分はこの人のせいと言っても過言ではない。

 だからたまの顔面鑑賞くらい、許されるはずである。


(……でも、しっかり自覚をもたないと。私は末端男爵令嬢。この方は、侯爵家の長男)


(この人をずっと見ていたいな、なんて思ってしまうのは――役得を過ぎた、分不相応の望み)


 よぎった後ろめたさを誤魔化すように、私は慌てて視線を窓の外に向ける。

 街並みが流れていく。もうすぐ現場の屋敷だ。


「では、事件の概要を伺えますか」


 切り替え切り替え、と自分に言い聞かせながら、私はスミス様に向き直った。



* * *



 事件の概要は、こうだ。


 王都に、リンという老婦人が暮らしていた。


 長年にわたって現王の侍女を務めた、誰もが認める忠義の女性。独身のまま仕事に身を捧げ、数年前に惜しまれながら王宮の仕事を辞したそうだ。


 老齢で一人暮らしになる彼女を心配した王が、数代前の王が趣味のために王都に建てた別邸を下賜した。そこには王太子殿下も、リン様を慕ってお忍びでときおり息抜きに訪ねていたらしい。


 そのリン様が先日、亡くなった。


 遺産と屋敷は、遠い親戚の夫婦が引き継いだという。


 そして先日――その夫婦が、二人そろって殺されていた。

 遺体に、子供の歯形が無数についた状態で。

 

 王族に縁のある屋敷での殺人に、騎士団は犯人を捕えるべく調査を重ねたそうだが、一向に犯人の目星すら浮かばず。行き詰まった捜査の報告を聞いた王太子が、その不可思議な遺体の様子もあって、私を呼んだらしい。


 現場のお屋敷は、王都の中ほどにある落ち着いた造りの家だった。大きくはないが品があり、手入れの行き届いた庭に白い花が残っている。


 玄関前で待っていたのは、五十がらみの女性――この家に仕えていたメイドでオータと名乗った。


 青ざめた顔で私たちを迎えた彼女は、応接室に通しながら、震える声でこう切り出した。


「……ご夫妻が殺される三日前から、変な手紙が届いていたんです」


 一日目。差出人のない封書。中には一文だけ。


 《明後日までに謝ってね。 マリア》


 二日目。


 《明日までに謝ってね。 マリア》


 三日目。


 《今日までに謝ってね。 マリア》


 そしてその翌朝。オータが屋敷にくると…夫婦は居間で死んでいたそうだ。


「マリアというのは?」


「それが……」オータが言い淀んだ。「リン様が大切になさっていた人形の名前が、マリアと」


 人形。

 

 それは陶器で作った三十センチほどの、前世でいうビスクドールのようなものだったらしい。


 不可思議な殺人現場に、怪しい人形。前世でのオカルト好きの血が、不謹慎にもうっすら騒ぎ出す。


「リン様が亡くなってすぐ、あの夫婦が屋敷ごと引き継いで……リン様の遺されたものは古臭いと、物置にしまうか、すぐに売り払ってしまったんです。マリアも、すぐに売ってしまわれて……」


「そもそも我々は、リン殿が急死した件の内偵をしていた。その過程で、人形が専門店に売却されているのを店頭で確認している。 しかし、その人形がーー戻ってきたと」


 スミス様の静かな問いに、オータはこくりとうなずいた。


「夫妻が亡くなる三日前、居間に来たら、いつもの場所に――マリアが座っていたんです。例の手紙と一緒に。

 旦那様は驚いて、人形を納屋にしまいました。でも翌朝、また居間に戻っていて。箱に入れてもう一度しまったのですが、翌朝も手紙と一緒に……。それで、箱にも納屋にも前より厳重に鍵をかけて、奥にしまったはずなんです。けど」


 彼女の声が細くなる。


「事件が起きて騎士様方が調べている間、ふと気になって納屋を見に行ったら……マリアがいたんです。納屋の中に」


「納屋にいたならば、問題ないのではなくて?」


「……口元が、真っ赤でした」


 沈黙が落ちた。


(前世の私、オカルト好きで良かった。たぶん、普通の令嬢だったら卒倒してるわ)


 子供の歯形。口元が赤く汚れた人形。

 ここにくるまでは半信半疑だったけれど、たしかにこれは普通の殺人事件ではないのかもしれない。


「ーー無念を遺した故人の無念が、人形を動かして恨みを晴らした、という話を聞いたことがございます。

 今回は、もしかしたらそういった事情が絡んだ事件の可能性があるのかもしれません」

「そうだな。魔術でも人形を動かすことはできるが、殺したいなら人形など使わず直接やった方が早いしな」


 当然のように言ったスミス様は、ハッと気がついたように焦って付け加えた。


「可能性の話であって、自分がするという話ではないぞ?」

「はあ。スミス様ほどの魔力持ちなら確かに、口と鼻の周りに水をまとわせて窒息でもさせれば一発ですもんね」

「そんな殺し方、考えたこともなかったが……」

「溺死にできるし証拠も残らないから、いい考えだと思ったんですけど」


 ちょっとスミス様の方が引いてるのが、解せぬ。


「それは置いておいて、やっぱりまずは人形を見てみないと何とも言えませんね」

 


* * *


 居間を後に納屋へと向かい、オータから受け取った鍵をスミス様が開ける。

 覗き込むと、雑多な農機具や家具が詰め込まれた空間にキラキラと埃が舞っているのが見える。

 果たして、納屋に人形はなかった。


「……やっぱり、戻ってないですねぇ」

「我々が調べた時には、もう箱は空だったからな」


 スミス様が念の為に内部を調べるが、あったのは空き箱だけ。

 オータに感謝を伝えて解放し、私たちは顔を見合わせた。


「もしかしたら、日が暮れてからじゃないと動かないのかもしれませんね。

 オータさんの証言によれば、手紙も人形も朝に現れたみたいだし、夜のうちに活動してるのかも」


 外を見ると、夕暮れに差し掛かったところで、夕陽が白い壁を赤く染めていた。


「どうしますか、先生」

「まずは、その人形を見てみないと何も分からないし……日暮までもう少しですから、試しにもうちょっと待ってみましょうか」


 私はあることを思い立ち、ウキウキで提案する。


「時間まで、あのサンルームを借りてお茶にしませんか?

 近くに最近人気の菓子屋があったはずなんで、お菓子を買ってきてくださいな」


「……私が?」


「だって、お財布を持っていらっしゃるでしょう」


「先生も、財布くらい持っているだろう?」


「……本当に残念なんですが、私の財布も空腹なんです」


 ヨヨヨ…と泣き真似をすると、しばらくの沈黙の後、スミス様は「……何が食べたい」と言った。勝った。


「全種類! その間にお茶の支度をしておきますね」


 しばらくして戻ってきたスミス様の手には、紙の包みがふたつあった。テーブルに広げると、ひとつは焼き菓子に砂糖漬けの木の実、クリームを挟んだラングドシャに、チョコレートをかけた小さなケーキ。

 もうひとつの包みには、サンドイッチなどの軽食が入っていた。


(噂に聞いて、ずっと食べたかったやつ! この機会を逃したら一生食べられないかもしれない)


 そう思うと、手が止まらなかった。


「先生は、よく食べるな」


「成長期です」


「何歳だ」


「心が豊かに成長するんです。甘いものって」


 スミス様は小さく息をついたが、珍しく表情がほんの少し緩んでいた。


「そうか、先生は食べ物を渡すと喜ぶんだな」


(……あ、笑った。ちゃんとこの人、笑うんだ)


 私は急いでケーキに視線を戻す。見惚れていたなんて、気づかれたら恥ずかしい。


 たらふく食べた後、蝋燭を灯して催眠にかける儀式を始め――スミス様に催眠をかけるための単調な自分の声が、どこか遠くに聞こえる。


(あ、やばい。わたしも眠くなりそう……)



* * *


 

 気がついたら、あたりが真っ暗だった。


「先生」


 低い声に、びくりと肩が跳ねる。


「っ――! す、スミス様!?」


「私もいつの間にか眠っていた。陽が、完全に落ちている」


 サンルームの窓の向こう、庭は夜の闇に沈んでいた。


「まずい!!」


 間抜けにもほどがあると、私は慌てて立ち上がりかけた――その時。


 屋敷の奥から、声が聞こえたような気がした。


「……」


 小さい声だった。どことなく、心細そうな声。


 私とスミス様は同時に、声の方を向いた。


「……行きましょうか」


 私が囁くと、スミス様は無言で蝋燭に火を再び点した。


 廊下に出ると、声は居間の方から声がまた聞こえてくる。

 開いたままの扉から足を踏み入れた室内は、そこだけ気温が違い。吐き出す息が白くなるのを見て、場違いにも少し安心してしまった。霊が出ると、部屋の気温が下がるのだ。

 つまり、私は眠る前になんとかスミス様に催眠はかけられていたらしい。

 そして同時にそれは、ここには幽霊がいる、という証拠でもある。


(リン様の死には親族の夫婦が関わっていて、無念のまま亡くなったリン様が可愛がっていた人形に取り憑いて、復讐した――ということかしら)


 薄い月明かりの室内に、人形の輪郭が浮かび上がる。


 豪華なフリルをふんだんにあしらったワンピース。ほつれて波打つ金の髪。何も映していない真っ黒な瞳。

 精巧に作られたビスクドールが、室内を歩いていた。

 

 陶器でできたツルリとした頬と小さな口――そこからのぞく小ぶりな歯には、赤黒く変色した血がべっとりとこびりついている。


 それをみて、咄嗟に私はスミス様に語りかけた。


 「スミス様、目を閉じてください。次に目を開けた時、あの人形に憑いたものが見えるようになります。絶対に、見えます」


 スミス様は一瞬だけ私を見て、目を閉じた。その横顔を祈るように見つめていると、彼がそっと目を開ける。

 視線を追い人形を見ると、その背後の闇がゆらゆらと歪み、子供がそこに現れた。


(でた! けど、え。子供……?)


 人形の背後でうつむいている、金色の髪の少女。


「……ダリア様?」


 スミス様の声が、静かな室内に響いた。


 子供がぱっと顔を上げた。大きな黒い瞳。あどけない丸い頬。でも、その目に宿るものは――子供にしてはひどく暗い何かだった。


「……わたくしのこと、知ってるの?」


 血まみれの人形の口がパカっと開き、そこから小さな女の子の声が聞こえてきて、私は飛び上がるくらい驚いた。


(人形が、喋ってる! 前世でも聞いたことはあるけど、リアルで体感すると…段違いに怖い!)


 頭の先から手の先まで恐怖が駆け抜け、思わず自分の手がスミス様の袖をつかんでいるのを自覚し、慌てて離そうとすると――スミス様の手が、そのままにしておくようにというように、上から重ねられた。


(……え?)


 この寒い部屋でも暖かく、少しカサついている大きな手。

 驚いている私を横に、スミス様は、その人形の問いに言葉を探すようにしながら返事をする。


「城の肖像画で、拝見したことがございます」スミス様は、まっすぐに彼女を見つめていた。「現王の妹宮、ダリア皇女殿下。幼いころに流行病で……」


 そこまで言って、スミス様は言い淀んだ。

 おそらく、そこでこの子は命を落としたんだろう。


 子供は、少し間を置いた後、ポツリと言った。


「……リンを捜しているの」





 ダリア様――幼い皇女が人形を通じて語ったことを、私なりに整理するとこうなる。


 死んだことに気づかず行き場を失ったダリア様は、自分が大好きだった人形に宿ってしまった。


 それには気づいていなかったが、リン様はお世話をしていた皇女の遺品の人形を、皇女の代わりと思い心を込めて世話を続けていた。


 皇女の名をそのまま付けることは、畏れ多くもできない。けれどリン様は、その人形に皇女の名に似た響きのマリアという名をつけ、大切に大切に扱ってきた。

 声をかけ、着替えをさせ。そうされることで幼い皇女の魂は、長い孤独の中でも寂しくならずにいられたのだ。


 そうやって長い間、愛を注がれ、ダリア様は人形のマリアの中で安らかにまどろんでいた。


 リン様が王宮を退く際に、長年の忠義に報いると言った王に願ったのは、その人形を貰い受けること。

 この家にきてからも、皇女の形見として可愛がり続けた。


 幼いあの子がやれなかったことを、共に楽しんだ。お茶をして、刺繍をして、花を育てて、慈しむ。


 しかしリン様が亡くなり、遠縁の夫婦が屋敷を継いだ途端、彼らはリン様の遺品を次々と処分した。マリアも、売り払った。


 売られた当初、ダリア様は何が起こったのかわからなかった。ただ、なにか大変なことが起きているのは感じていた。


 やがて人形としてマリアが店頭に並んだある日、ある人に触れられた瞬間。


 マリアの中でダリア様の意識がハッキリと戻り、何が起こり何をすべきか理解したという。


「だって、わたしはみたもの。あいつらが、リンに酷いことをしたの。

 頭を叩いて、リンは血を流していたわ」


 人形の目を通じて見ていたことが、どんなことだったか理解したダリア様は、屋敷に戻らねばと思った。


 謝ってほしかった。リン様にひどいことをしたのだから、謝るべきだと思った。


「リンが、言ってたわ」ダリア様は人形を胸に抱きながら言う。

「わたくしはとっても偉い人だから、何か嫌なことがあっても、一度は謝る機会をあげなさいって。だから、手紙で謝ってって言ったの」


 それが、三日間の手紙。


「でもあいつら、謝らなかった。だから、罰を与えたのよ」


 子供の声は、むしろ穏やかだった。


 私の背筋に冷たいものが走る。

 悪意があるわけじゃない。怒っているわけでもない。この子にとっては、それが当然の論理なのだ。


 王族が許さないといえば、粗相をした者は命すら危うい。

 大きくなり分をわきまえるまでは、権力を無用に振りかざすことがないよう、リン様はそう幼い皇女に言い聞かせたのだろう。


 その教えの通り、謝る機会を与えた。でも、謝らなかった。だから罰を与えた。


 なのにリン様は帰ってこない。


「ちゃんとやったのに、リンが帰ってこないの」


 ダリア様の声が、かすかに揺れた。


「どこに行ったの。呼んでも来ない。声が聞こえない。どこにいるの、リン!」


 月明かりの中で、幼い影の輪郭がわずかに滲んだ。


 サンルームの窓ガラスに細かい霜が走る。


(まずい。不安が高まってる。このままだと、ダリア様が暴走しかねない)


 私は一歩前に出た。


「ねえ、ダリア様」


 ことさら明るい声を出すと、ダリア様がこちらをキョトンと見上げる。


「リン様を呼ぶのは、あっちのお兄ちゃんに任せていい? でもリン様、ちょっと遠いところに行ってて少し時間がかかるかもしれないから、それまでお姉ちゃんと遊んでいてくれない?」


 ダリア様は迷うように少し考えたあと、小さくうなずいた。


 私はスミス様に素早く耳打ちした。


「時間を稼ぎます。スミス様はリン様を呼んでください」


「……は!?」


「目を閉じて、呼びかけてください。王太子殿下とも親しかったなら、スミス様もリン様をご存知なんでしょう? 来てくれます、必ず」


 戸惑うスミス様に、私は素早く付け加える。


「いつものように蝋燭の炎を目印において。本当に会いたいと思いながら、この明かりを目印においでくださいと、心の中で語りかけてください」


 炎や揺れるコインなど、何かに意識を集中した方がトランス状態に入りやすい。

 イタコなどが行う降霊術の簡易版である。催眠時にスミス様が無意識に使っている「幽霊が見える」魔術は、この世界の法則に則るならば、女神の元に行った故人の魂を、そこから呼び出す魔術だ。


 ならばこれで、リン様も呼ぶことができるはずなのだ。


 スミス様はわずかに逡巡してから、燭台を机に置き準備を始めた。


(お願い! あなたの愛した皇女が迷子になってるのよ、リン様!)

 魔力のない私の祈りに意味はないと知りつつ、私も心の中で呼びかけずにはいられない。


 願いながらも私は鞄を漁り、メモ用に持ってきていた紙を取り出した。


「ダリア様は、折り紙って知ってる? 紙を折って、いろんな形を作る遊びよ。鳥とか、花とか」


 ダリア様は人形を抱えて、恐る恐る近づいてきた。


 ほんの少しだけ、部屋の温度が戻る気がした。


 鶴を折りながら、「リン様はどんな人だったの?」と聞いてみる。


 ダリア様はちょっと考えてから、「あったかい人」と答えた。


「歌が上手だった。子守唄を知ってたの。たーくさん!」


「そんなに?」


「全部歌ってくれた。でも一番好きなのは、六匹の夜中の歌」


「ねずみはろうそくかじってた?」


 ダリア様が顔を上げる。


「そう! それ、すごく好き。だって、最後に目が覚めるから。時計が止まれば、目をひらくって歌うでしょう? 具合が悪くてダリアの目がもう開かなくなった時、眠ってるだけで消えてなくなるわけじゃないって、リンが言って歌ってくれたの」


「そうだったの……」


 私は、鶴を折り続けた。


 かつての世界では、鎮魂を意味したモチーフ。


 長く生きることを許されなかった幼い魂が、少しでも安らげばいいと祈りながら、喜ぶダリアに請われるまま、たくさんの動物を紙で作り続けた。



* * *



 どれくらいたっただろう。


 ふいに、風のない室内でスミス様の前の蝋燭の炎がゆっくりと大きくなった。


 ゆらり、と――まるで大きく息を吸ったように。そして、す、と消えた。


「あ!」


 ダリア様が嬉しそうな声を上げた。


 月の光の中に、老女が立っていた。白いエプロン。きっちり結い上げた白髪。長年侍女を務めた人の持つ、静かな佇まい。皺の深い顔に、穏やかな微笑みをたたえて。


「リン殿……」


 スミス様の声が、懐かしさからか少し掠れていた。


 老女は答えなかった。ただ、私を見て、壁にかかった時計に視線を移し、最後にスミス様を見て顔をしかめたように見えた。


(なんか、弟のイタズラを見つけた時のお母様みたいなお顔だわ)


 仕方がないわねと肩をすくめるような仕草のあとに――


 リン様はゆっくりと屈み込んで、大きく腕を広げた。


「……リン!!」


 ダリア様が駆けた。持っていた人形が床に落ちる。


 小さな影がリン様の腕の中に飛び込んで――老女がぎゅっと抱きしめた瞬間、二人の姿は闇に溶けた。

 部屋の温度が、すっと戻る。霜が消え、ガラスのきしみも消えた。


 月明かりだけが、さっきよりも少しやわらかい色で差し込んでいる。


「……おわった〜!」


 私はそのままずるずると床に倒れ込んだ。全身の力が入らない。精神的に疲労が激しい。


 子供の霊には、二度と会いたくない。無邪気で、それがひどく哀しく辛い。


「でも、よかった。迎えがこない迷子ほど、可哀想なものはないから」


 二人の消えた空間を見ながら、ダリア様には見せまいと我慢してきた涙が溢れ、慌てて拭う。


 疲労で倒れ込んでいる私と違い、部屋に異常がないか見廻っていたスミス様が最後に、床に落ちた人形を拾い上げる。ほつれた金の髪。黒く光る鉱石で作られた瞳。口元に残る赤い染み。


「……歯形を、亡くなった夫婦の遺体のものと照合していただけますか。一致すれば、犯人はおそらくその子です。殺人の動機はおそらく――リン様を、その夫婦が…殺したから」


 人形が事件を目撃し、人形が復讐したというのが、どういった処理をされるのかはわからないけど。


「リン殿が突然亡くなられたこともあり、騎士団も調査にあたっている最中に

 今回の相続人夫婦の殺人事件が重なったんだが…やはりリン殿は殺されていたか」


 私はしばらく人形を眺めた。


「この子、どうしましょうか。ちゃんと綺麗にしてあげたら……いずれ、殿下のお子が生まれたりしたら、可愛がってもらえないかしら」


「……殿下はまだ十代だぞ?」


「近い未来の話です。私も子供が生まれたら、こんなお人形買ってあげたいな〜」


 スミス様は何も言わなかった。ただ少し考えるように、天井の一点を見ていた。



* * *



 夜も更け月も傾く頃に、私たちは屋敷を出た。


 帰りの馬車で、スミス様はずっと黙っていた。珍しいことではないのだが、今日の沈黙はどこか種類が違う気がして、私も黙ったままでいた。


 我が家の前で馬車を降りると、スミス様が言った。


「先生」


「はい」


「……今日は、遅くまで引き止めてしまった」


 それだけだった。私は「お仕事ですから」と答えて、門を開けた。


 振り向いて、スミス様の馬車が遠ざかるのを見送る。


(上等な菓子を食べて、幽霊と折り紙をして……疲れたわ)


 鍵を差し込みながら、私はもう寝床にダイブすることしか考えられなかった。


 ――袖をつかんだ時の手の温かさを、思い出さないようにしながら。



* * *



 翌日、何故かまたスミス様がやってきた。


 てっきり捜査の続きかと思ってドアを開けると、スミス様は玄関先でまっすぐ私を見て、こう言った。


「昨日の件だが」


「歯形の照合が取れましたか?」


「それも進んでいるが、そうではなく」


 言い淀んだスミス様が、抱えていた大きな箱を私に差し出す。


「……買ってしまったので、受け取ってほしい」


 包みを開けると、マリアと比べると格段に愛嬌のあるビスクドールが収まっていた。


「これ、どうしたんですか?」


「先日、リン殿の事件の調査で行った店で見かけて。女性は喜ぶと聞いて、購入した。

 昨晩、先生も将来子供に与えたいと言っていたので、受け取ってくれるかと思い持参した」


「ああ、あのマリアが売られたっていうドールの専門店ですね。

 わあ! ありがとうございます! 人形なんて買ってもらったことなかったから、すっごく嬉しい!」


 マリアは美しい人形だったが、こちらは可愛い系だ。私へ、ということでこの子を選んでくれたなら、なおさら嬉しい。喜ぶ私を見てスミス様は、ほっとしたようだ。


「先生は、食べ物の方が喜ぶかもしれないと思って不安だった……」


「まあ! 私だって、女の子らしいものにちゃんと憧れがありますよ!?

 ただ、憧れの前に越えなきゃいけない現実があるだけで」


 ぷんっと怒りながらも、嬉しくて私は人形の髪を撫でる。そして気がついた。

 なんでマリアの中のダリア様が、売りに出された店頭で急に意識を取り戻したのか。


 引っかかっていた謎が解ける。


(スミス様が、リン様の殺害を疑って屋敷から売られたマリアの調査に行って、触ったからだ!

 もともと魔力の高い王族だったダリア様が、スミス様の魔力に感応して覚醒した――)


 やはり全ての元凶は、この男な気がする。言えないけど。


 少し恨みがましい気持ちでスミス様を見上げると、なぜか険しい顔をしていて、私は首をかしげた。


「昨日は、未婚の男女が、夜遅くまで二人きりで一つ屋根の下にいた」


「……ええ。まあ、そうも言えますかね。お仕事でしたが」


「世間はそのように取らない場合がある」


「……まあ、確かに?」


「リン殿にも、嗜められてしまった。私もそのようなことに、無責任ではいられない」


 あ。昨日の夜にリン様が私と時計を見た後に、顔をしかめてスミス様を見たのは「こんな時間に、女の子と何してるの」と怒っていたのか! と今更になって気がつく。

 あの目線だけで気がつくとは……貴族社会を生きる男子の察し能力の高さに慄く。


「気にしないでくださいな! お仕事だったんですから」


 そもそも、こんな末端男爵家の長女の評判なんて、元からないにも等しいので気にしないでほしい。

 そんな意味をこめて、カラカラと笑いながら返事をしたのに。


 スミス様が、私の目を見た。真正面から、まっすぐに。いつものように揺るぎなく、石像めいた硬い顔。


「貴女を妻として迎えたい」


 三秒、沈黙した。


 四秒目に、私は言った。


「……まだ寝てるのかな、私。昨日、遅かったし」


「起きてる、大丈夫だ」


「…昨日は不可抗力だったんで、お互い忘れましょう?」


「ちがう。私が、そうしたいんだ」


 スミス様は表情ひとつ変えずに言い切った。


「先生のことを――ブレナン嬢を、ずっと隣で見ていたいと思っている」


 私は、ぱちぱちと目を瞬かせた。なにか気の利いたことを言おうとしたが、脳みそが全速力で空回りしている。


「……返事は、何日でも待つ」


 そういったスミス様をよく見ると、耳の先が、ほんのわずかに赤かった。


 口早に挨拶すると、スミス様は急いで帰っていった。

 遠ざかる足音を聞きながら、あまりの現実味のなさに呆然とする。


 家柄も能力も最高峰の名門侯爵家の長男と、貧乏男爵家の長女。


 しかも、詐欺師ときた。


 振り向いた庭に、木苺の白い花が揺れていた。


(……あの人が求めているのは、偽物のわたし)


 爆発しそうな心臓に、残った理性が、そう囁く――いつかは、そのことを告白する日がくる。


 期待をするな、と自分に言い聞かせながら。


 それでも顔がほてっているのを、認めないわけにはいかなかった。


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