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環境制御用トランスヒューマン及び環境復元ネットワーク構想

作者: 深津 弓春


 私の意識の一部が、湖の水面から深部へと流れていく。様々な生物を無数の中継点として分散しながら深みへと潜る。水深が十メートルを越える辺りから、水温が急にぐっと下がる。今は四月のはじめ。水温躍層――水温が表層の高い温度から深部の低い温度へと急激に変化する層――が出来ていた。上出来だ、と私は水底に降りていく意識の中で考える。季節的には水温躍層の形成が少し早いし、表層の水温も明らかに高いが、世界全体の環境復元の進行度を考えれば大分良いペースだ。


 今現在私の意識は、極東の列島に位置する面積が六五〇平方キロを超える湖、つまりは琵琶湖のほぼ全域に拡散していた。魚類や珪藻類などの藻類、岸辺の抽水植物や湖面に浮かぶ浮遊植物、水底に住むミミズやエビやユスリカといった類の底生生物など、そこに住まう無数の生き物たちによって処理され形成され活動する意識全体が私だった。

 水面から底へと湖全域の様子をスキャンしつつ、生態系復元のために手を加えねばならない部分を感覚し、私はさっと広大な自意識の一部を操作する。湖水の中に生きて蠢く者たちの一部が私の意を受けて、自然のままの動作を、呼吸を、摂食行動を、僅かに変えた。私にはその変化が肌が波打つような感覚として降り注ぐ。


 現実には湖内に潜む、微小な改造を施された生物群集が私の一部として動作し、その影響を受けて他の生き物が動く、という連鎖を、同じ生物たちを通して観測し、結果が身体感覚として返ってきているということになる。湖の生き物が織りなす生態系そのものに半同化し、生態系そのものとして影響を与え、結果を感覚する。それが今の私だ。

 午前中の明るく淡い青の水面、深さ数十メートルの暗い世界、無数の河川からの流れ、熱流動とコリオリの力が作り出す還流。そうした環境の中に生息する生物の数々。それら景色に自己を広げ、そこに生きる生物群に意識を接続し、生態系そのものとなる感覚には、いつになっても軽い驚きがある。


 と――広く引き伸ばされた意識の一部に、すっと影が差すような違和感を覚えて、私は認識の時間スケールを人間レベルまで減速する。処理された無数の情報ログを確認するが、全てが予測通り制御された結果のみで、おかしなところはない。ただ、何かヘンテコな直感だけが残っている。

 まるで、連続していたはずのものが飛び飛びになっているかのような。

 まただ。私は仮想的に首を傾げる。なんだろう、これ。拡張された意識と思考は大規模な処理能力を持っているけれど、この違和感の正体を上手く捉えることができない。最近、この感覚に何度か悩まされていた。しばらくうーむと唸っていると、私の意識中枢に、通信が飛び込んでくる。


『琵琶子、今いいか?』


 いいぜ、と返して、私の意識はするすると収縮、旧来的な個体へと後退していった。


   *


 私の核個体、つまり人としての物理身体は、湖の東岸に建てられた基地に在った。超頑丈で多機能なデカめのプレハブ小屋みたいなものの中のクレードルベッドで身を起こすと、なんと戸口からノックの音が響いていた。


「マジ? 黒潮(くろしお)さん、物理身体で来たの? 通信とかじゃなく?」


 ドアを開きながら言うと、その向こうに立っていた、私と同じ日系のいかついおっさんが笑う。


「ちょっと話があってな。たまには環境ネット上の意識じゃなくて物理身体で出歩きたかったし」


 と言うのだが、私には信じ難かった。何せ彼、黒潮さんはと言えば、アジア太平洋地域全域で広く活動するバリ多忙なスーパー人間なのだ。こんなところに散歩に来るほど暇人じゃない。


「どうだ、琵琶湖の様子は。あ、君の事じゃないぞ」

「わーってますよ。てかリアルタイムで情報見てるでしょ」


 私が半眼で指摘すると、ウハハ、と見た目通りむさい笑い声が返ってくる。


「ま、そだな。しかし、なかなか凄いじゃないか。もうぱっと見は昔の日本の湖沼みたいに見えるぞ」

「まだ結構ズレてるよ色々。水温も戻りきってないし生物相の復元率もまだまだって感じだし。てかまず、昔の日本の自然なんて知らないでしょ黒潮さんも私も」

「そりゃそうだ。というか、ノード人員皆そうだな」


 と話している間も、私の意識はここに在ると同時に湖全体に拡散したままでもあった。バックグラウンドで環境調整のための操作は続けているし、情報の取得と解析もずっと行っている。


「復元目標は俺たちの生まれるより二世紀程度も昔の環境だ。誰だって記録でしか知らない」


 たち、と言うけれど私は彼より二十は若いので一緒にされたくない。彼は百四十歳、私は大体百二十。生身の人間からすれば大差ねぇよと言われそうだが。

 当然ながら、私も黒潮さんも、旧来の、生のままの人間ではない。トランスヒューマン……身体に機械的生物的改造をたっぷり盛りまくった改造人種だ。今の仕事について百年くらい経つが私も彼もTHとなった頃の外見を保っている。


 もっと言えば、旧来の人間なんてものは、今の地球ではほとんど活動していない。というのも、皆眠っているから。起きて生きて活動しているのは、私達THの集団だけ。地球全土でたった十数万しかいない、環境復元のための人員だ。


 なんでこんなことになっているのか――事の始まりは、劇的な気候変動にある。


 私達が産まれるずっと前、二十一世紀の初めには既に、過去数千万年のどの時期よりも大気中の二酸化炭素濃度は高くなっていた。勿論賢明なるサピエンス諸兄はその危険性に気づいていて、二十世紀中から警告し対策を練ってきたが、二十二世紀がやってくる頃には、二十一世紀初頭に予測されていた最悪のシナリオを更に上回るレベルで地球の平均気温は上昇していた。二一〇〇年時点で二十世紀中頃と比して七度以上の上昇幅だ。気温の上昇しにくい海面上――地球の面積の約七割――を除いた陸地、つまり人間の生息域の温度は当然、はちゃめちゃになった。


 炭素排出量削減や大気中の炭素固定化とか色々対抗策は実行されていたけれど、なにせ即効性は無い。だから人々は、気候変動による壊滅的災害や都市の水没を逃れ、居住や食料生産を続けるために次第に南北極付近へと移住しなければならなかった。そこが適温環境になりつつあったからだ。

 けれども、人類の大半が大移民を実行しなければならない段になって、国家や民族の間の関係は拗れに拗れた。それであの忌まわしい凄惨な自滅の戦が――気候戦争と移民紛争が立て続けに起こった。環境変動による絶滅の瀬戸際にあって、人類は同族との殺し合いに血道を上げた。ほんと大変賢明だな人類。反省しろ。

 で、環境はどうなったか。勿論、終わりです。気候だけでなく戦争の汚染も広がって、マジで終わり。ギッタギタ。終・制作著作――人類。


 というわけにもいかないので、二十億以下にまで減った人類は、ギリギリの状況でギリギリの手を考えた。それが、当時のテクノロジーの粋を集めてできた『環境制御用トランスヒューマン及び環境復元ネットワーク構想』だ。

 地球規模の環境復元には、無数の要素に対する同時的な対応が必要になる。しかも長い長い年月が要る。まず人々は、生き残りの大半を巨大なドーム施設に収容し、人工冬眠させることとした。長期間の環境復元が終わるまで眠りにつくというわけだ。温暖化を乗り切る眠りという意味から『夏眠』と呼ばれることになった集団冬眠が順次実行された。

 時間稼ぎはこれでOK。では、実際の環境復元の方はどうするか。気候・生態系・汚染除去、様々な面で無数のパラメーターを操作しなければならない極度の難業である。こんな行為には途方もない処理能力が必要になる。それから計画を実施する人員も問題だった。当時のAIでは質の異なる複数の問題を横断的・自律的に解決していくのは難しく、無人化することもできなかった。また、微細な生き物から巨大な天候まで地球全体の膨大な量の環境パラメーターをどう観測・収集するのかという問題もあった。


 ここで獅子奮迅の活躍を見せたのは、二十一世紀全体を通して大きく進歩した生体改造技術だ。巨大な情報処理能力と、広大かつ微細で膨大な環境情報の収集方法、そしてそれらを使って実際に環境改変を行う主体として、人類は自分たちを改造した環境改変用トランスヒューマンと、THと情報的に接続される無数の改変生物群、そしてそうしたTHと生物群が多数集まって作られるネットワークという存在を造り上げた。副脳や外部脳を増設されたTHが、小さな情報処理プロセッサーであり同時に環境を観測するセンサーでもある改変生物群と一体となり、広い範囲の生態系や気候と情報的に一体化する。


 THを中心とした人工生態系そのものが巨大な情報処理装置であり、同時に観測網であり、尚且つ環境改変装置なのである。THはこれを制御する環境ネットワークの中の結び目、『ノード』となる。これが、『環境制御用トランスヒューマン及び環境復元ネットワーク構想』だ。


 私達ノードは、生態系担当であれ気候担当であれ、人工生物群(改変生物群は環境を破壊しないように、環境復元の過程で消えるような存在となっている)を通して自然生物や自然環境を観測し情報として一体化する。だから意識は処理能力と適性の許す限り広がることができる。私の場合は、日本最大の湖たる琵琶湖を中心に、その周辺の平野や山岳部までを担当していた。琵琶子というあだ名はそのためだ。単純。THは皆、生身からの乖離のせいか、ニックネームを好む。


 担当区域と言っても他のノード人員と被るところも多い。環境は相互に影響し合うもので、その境目は明瞭ではないからだ。例えば黒潮さんは、列島の中部地方だけでなくアジア太平洋地域全体にいくつも担当スポットを斑状に抱える最重要ノード人員の一人だ。私とも少し範囲が被る。

 その黒潮さんが、いつの間にやらドアの外に一抱えほどのコンテナを用意していた。


「なにそれ?」

「カメラドローンだ。水中用の」


 言われて、私はかなり怪訝な表情になる。カメラだって? 生物群を通してはるか遠くの微細を見通す我らTHが? しかもそのカメラは、環境ネットに接続されていないローカルな機械だった。


「ちょっと見てもらいたい、というか俺も見てみたいものがあってな」


 言いながら彼は手慣れた様子で手早くカメラをセットアップしていく。


「以前から、環境のセンシングに微かな違和感があると言っていたろう?」

「ああ、うん」


 私が生返事する間にも黒潮さんは外に出て、湖岸へと向かっていく。同時に、私の視覚にカメラ映像が共有される。環境そのものとなって五感全て、あるいはそれ以上の感覚で生態系を知ることのできる私達生態系担当のTHノード人員からすると、カメラ映像の生配信というものは化石的で違和感塗れである。よっぽど酷く私が顔を顰めていたからか、黒潮さんは「まあ、少し我慢してくれ」と苦笑して、カメラを湖面に投げ入れる。

 春の水面に、古式ゆかしい機械が触れて、沈んでいった。



 琵琶湖は日本一の面積を誇る淡水湖であり、湖とその周辺は列島の中でも生物相に富む、生物多様性の重要な地点の一つだった。

 世界的に様々な自然環境が激変した結果としてこの湖もまた深刻な被害を受け、多くの種が絶滅し、生物相や、湖そのものの水理現象すら破滅的な影響を受けた。

 だが環境ネットの本格稼働からおよそ一世紀が経過した今はようやく、元の景色の影くらいは踏める程度に再生が進んでいる。

 その琵琶湖の内部に、小型カメラドローンが潜航していた。映像を私たちに送りながらレンズが可視光や赤外線で水中を探査している。


 しばらくすると、見慣れた生き物の群がカメラに映し出される。高い水温や乱高下する水温変化の中で、ここ数十年の間に琵琶湖に生息するようになった、超温暖化時代の魚類だ。環境再生が終わる頃には姿を消すはずの、環境改変過渡期の琵琶湖に住まう魚たち。その群がするするとカメラの前を横切り、遊泳している。周囲には微細な藻や、同じように過渡期の環境で生きる生物たちが何種類も存在していた。

 別にどうということもない、普通の光景だ。


「……で、これが?」


 首を傾げる私に、黒潮さんは顔を上げて視線を向ける。ぞっとするくらい真剣な目つきで。


「琵琶子、環境ネットの方の感覚は、マスクしてないよな? 感覚し続けてるよな?」


 念入りに確認する彼の言葉に、私はそりゃ当然、と返しかけて、ぎくりと体を強張らせる。


 待って、なにこれ、あり得ない――。


 私の感覚には、今も琵琶湖全域の生態系、生物たちの存在と活動そのものが入力され続けている。観測のための生物群たちが自身や他の生物たちから情報を取得・処理して私の感覚の一部となっている。

 けれど目の前のカメラドローンが映す場所――カメラの位置情報の場所には、いないのだ。その魚たちは。存在しないのだ。そんな感覚は。


「環境ネット上の情報と全く一致しない生物群集だ」


 黒潮さんの呟きに、は? と間の抜けた声を上げてしまう。


「俺も気づいたのは偶然だった。だが極端に生物の少ない海域で機械力に頼らざるを得ない時があってな、偶然同じようなのを見つけちまった。で、最近琵琶子が何度か言ってた違和感ってのも同じような存在のせいじゃないかと思ってよ。実際環境ネットのデータを見ると近似するところがあったんで、確かめに来た。案の定だったな」

「これ、なんで『見えない』の……?」


 カメラには映ってるのに。呆然と問うと、黒潮さんは肩をすくめてみせた。


「実に巧妙、と言うべきか、信じ難い話ではあるんだが、俺が観察と解析をした限りでは、こいつ、というかこいつらは、俺たちの環境ネットの観測に対して、自己の存在を示す証拠を偽装してステルスするんだ」


 と、私の視界のカメラ映像が端に寄せられて、黒潮さんとの共有感覚スペースが設定され、そこに彼のもつ「ステルス生物」の情報があれこれ並ぶ。


「俺たち生態系担当のノードは、無数の生物の情報の多くを、『間接的に』取得する。改変された情報収集・解析用生物が直接観察する情報の他に、膨大な『他の生き物を通して知る複数の生き物の存在と活動』の情報がある」


 知っている。そんなことは常識というか、常なる仕事の内容なのだ。


「全ての生き物を直接観察することは不可能だ。微細な生物まで全てを直に観察することはできない。だから俺たちは、『他の生物の影響を推測しやすく集めやすい生物』などから二次的に情報を得ることが多い。生物観測の為のキーストーン種のようなものを選抜するわけだな」


 生態系はそれ自身がネットワークのようなもので相互の影響の網の中にある。ある生物が別の生物に影響を与えそれがまた別の、というわけだ。そんな網の目の中で、特に多くの影響を受ける生物種を、私達は改変生物を通して重点的に観察する。そうして得た情報が処理され、私達THには感覚として広い生態系そのものの現況が感覚されるのだ。


「そうした複数の重要生物種への影響、刺激を偽装できれば、自ずと環境ネット上での情報も偽装できる」

「い、いや、そりゃそうだけど、人でもAIでもないただの生物が、そんな妙な事をするなんて」

「奴らは一種でなく複数種で連携でもするがごとく、巧みに自身の存在を偽装する。この一世紀の間、環境ネットは地球上を覆い、生態系へは常に観測と改変を続けてきた。この観測と改変の状況そのものが既に一種の環境となっていたんだ。ステルス生物たちはこれに適応して、環境ネット上でゴーストとなり、生態系改変のための操作を上手く逆利用することで、食料や生息域拡大といった利得を手にしている」


 黒潮さんのデータには、太平洋上の一部で正にそうした活動があったことが記録されていた。そこにいないものと思ったままTHが行う環境操作、生態系操作のコストをこっそり啄むように、人為から利益を窃取している。例えば、生態系改変のために自然の活動から離して移動させた生き物はステルスした生物からすれば格好の餌となったりする。


「嘘でしょ……まだ環境ネット稼働から百年なのに」


 生物進化の歴史からすれば一世紀は瞬きのスケールだ。こんな短期間にここまで複雑なことをする生物が、それも群集として現れるなんて。


「人間の活動で変化した環境によって大きく変わる種というのは、過去にも多く記録がある。産業革命期の蛾の工業暗化とかな。まあ今回のは特別変わり種だが」

「すぐネット全体に共有しないと!」


 私は当たり前の焦燥に駆られた。環境ネットの盲点を突く生き物たちだ。場合によっては、世界中の生態系改変事業に亀裂が入りかねない。

 けれど――黒潮さんは、じっと私を見つめていた。どこか仄暗いものを湛えた瞳で。そして、ぼそりと訊いてくる。


「なあ、琵琶子。これまで生態系改変の最中に、『これでいい』と思えそうな景色や生き物の様子を何度見た?」


思わず、息が止まる。何を言われたか分からなかった困惑ではなく、唐突な一言なのにその問いの意味が理解できてしまったことで。

 百年の環境改変の中で、私も黒潮さんもその他のノード人員も、皆大きな景色の移り変わりを見続けてきた。二一五〇年代の、生き物の極端に少ない琵琶湖は、次第に熱帯の生物相を獲得し、それから少しずつ前世紀のような温帯環境に近づいている最中だ。


 気温が変化し、気候が変化し、多くの生き物が現れ、消えた。多様で美しい生き物と景色が、何度も、何度もだ。


 長い時間の中で――『これでいい』んじゃないか、と改変途中の自然を見て思ったことは、一度や二度ではない。


「実はな、こういうステルス生物らしきデータの誤差は世界中で見られるんだ。今は誤差で済んでいるし原因に気づいた者はまだいない。俺が知る限り、この違和感に最初に気づいたのは琵琶子、君なんだよ」

「それが一体どうしたんだっての……」

「分かるだろ? ステルス生物たちは環境ネットの脆弱性を突ける。いずれはノードたちに気づかれるだろうが、その時どこまで環境ネット構想が影響を受けているか――もしかすれば、環境改変の流れすら変わるかもしれない」


 どこまで本気で言っているのか、黒潮さんの表情は大胆な夢想と、そんなものを嗤う現実感との両方が入り混じっているように見える。


「つまりはまあ、任せたい、ってことだ。公表するもよし、黙っておくのもよし。俺は何て言うか……何を選べばいいか、分からなくなっちまった。だってな、琵琶子、多くの生き物を入れ替え、環境を入れ替え、わざわざ百年や二百年かけて、古い時代の環境にまで戻さなくったって、俺たちは――」

「私達は、どの環境だって生きていける」


 ほとんど無意識に、言葉の続きが私の口から発せられた。

 ヤバい本音だった。


 私達トランスヒューマンは、気候変動が最悪を通り越した上に戦争で更に環境汚染まで加わった時代に生み出された。当時の過酷な地球環境で、百年でも二百年でも活動できるような改造種として凄まじい耐久性や寿命、適応力を付与された。生き残りの二十億の人類の多くはこの改造に意識が適応できないせいで夏眠に入るしかなかった、それくらいの大改造人間だ。

 だから私達ノード人員のTHは、かなり広い環境に適応し、生きていける。二十億を裏切るならば。


 任せる、ってなんだよ、と言おうとしたが、声は掠れて上手く出なかった。黒潮さんはそんな私を見て軽く笑うと、じゃあな、と言い残して出て行ってしまう。

 未だ眠り続ける大勢の人類にとっての理想環境の復元を続けるのか、それとも、今ここにある環境を、THとして愛するのか。

 突如目の前に置かれた巨大な問いに、私の意識が湖の中で震えていた。




 環境を支配するか、環境に支配されるか。


 目の前に今現在ある価値を存続させたいという意思と、それは世界を固定化する無謀で傲慢な行いであるという意思のアンビバレンツの中で、私は湖に潜る。ネットの意識と生身の両方で。光輝く湖面が頭上に遠ざかり、無数の生き物が蠢く水中に泳ぎ落ちていく。

 人間の環境保護の望みは勿論、生存や快適性や資源、所謂環境サービスと呼ばれるものを大きく享受できる状態の維持だが、同時に人間はそうした利得だけでなく、愛でるべき価値としても環境を見ている。里山や里湖、故郷の景色、原風景。社会や個人を規定するランドスケープの群……。

 THのよう広い環境に適応できる存在となった時、果たして一つの環境に拘る必要があるのか。その環境に拘ることで別の環境を破壊するならばそれは何を意味するのか。そこにある価値を固定化するのか、それを捨てる代わりに別の価値を見るのか。


 私は暗い淡水の中で、想像する。全ての環境回復が終わった後の琵琶湖を。


 そこには数々の生き物がいる。四季折々の生物が現れ、季節ごとの行動を見せる。春になれば固有種のニブロブナが湖から水路や水田へと移動して産卵する。アユもまた遡上し始めるだろう。秋になり水温が下がれば冷たい深みからビワマスが姿を現し、鮮やかな赤い婚姻色を纏って河川に上がる。コハクチョウやマガモ、サギやカワウといった水鳥があちこちで見られ、オオヨシキリが繁殖のために飛来する。

 美しい風景だ。そして、何一つ知らない景色だ。


 私の周りを、今の景色の今の自然が流れていく。ネットに広がる意識が慣れ親しんだ生き物たちを感じている。環境復元の「途上」の生物たちを。

 人間が生存できる環境は非常に限定的だ。僅かな大気組成の変化一つで滅ぶ。環境というものに支配されていた時代には受動的にその時その時の環境を利用し、愛でているしかなかった。しかし環境を変化させる文明を経て、変化どころか支配するテクノロジーが可能となった時、人はどうすべきか。


 私は湖底に身を置いたまま数日を過ごした後で、ようやく決心した。


   *


 二三五〇年代の景色は、人工物に目を向けなければ数百年前と区別がつかない。日本列島は元々の気候区分を取り戻し、一年を通して豊かで変化に富んだ植生や動物が存在していた。新たに造られた集約型の都市は周囲の自然環境を上手く利用しつつも破壊することなく機能し、人類社会は自然との調和を達成していた。ステルス生物の情報を私から受け取った環境ネットは対策を講じ、以後百年ほどで、見事に困難を乗り越えて目標を達成したのだ。


 私はと言えば、ようやく完成した復元環境と、分厚い隔離壁で隔てられている。元は長い夏眠の中にある人類を守り、外部環境から隔離してきたドーム隔壁だ。

 私は元夏眠用巨大ドーム施設の一つの内部で、昔よりも随分小さな範囲の生態系と一体化していた。まだ地球が今よりずっと暑かった世界、環境復元が続いていた時代の自然が、ドームの内部には移植されていた。記録と研究のために環境の『ログ』をこうして残すことを提案してから実現するまで、多くの時間が必要だった。


 私達THは、環境を支配するでもされるでもなく、様々な環境に沿って生き、その価値を味わう事が可能だ。

 生き物は、生存というある種の環境固定を行う。自己というミニマムな環境の固定化が生存そのものとなる。一方で、種としての環境への適応や、個としての順応という変化もまた生物の在り方である。両方を旧来の自然人類には不可能なスケールで行える存在があるなら、人類と環境の関係に新しい道を開いて残していけるのではないか。人と環境の可能性の一つを新たに創り、価値というものの変化と不変の両方を肯定できる道を拓いておける。それが、私の選んだ道だった。


 使命を終えたトランスヒューマンはその長寿から一般の人類とは別のタイムスケールを生きることになる。だとすれば、人類がそれまで不可能だった、数百年単位での「変化する環境」そのものを愛でることが可能となる。そしてそんなTHと旧来の人類、両方が共存することで、人という種は環境という価値を「今あるもの」と「変貌し続けるもの」の両方から愛することができる。


 空論かもしれない。けれど、私はドーム内外の自然の両方に、人と環境という対立が止揚されるかのような、奇妙な心地良さを覚えている。

 多分これは、誰も知らない景色だ。過去の人類の誰もが知らない、時間的環境多様性という原風景だ。


 豊かだ、と私の意識のどこかが、自然と呟く。


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