神なんて居ない!!!!!
完全週休二日制が学校に導入されたのは2002年かららしいです。
作中で半ドンと出てきますが当時は土曜日半日授業あるのが当たり前で私は持ち帰り給食がとても楽しみでした。
ジリリリリリリリリン!♪
ジリリリリリリリリン!♪
ジリリリリリ、ガチャ
「はい、永峯です」
義母が電話に出てしばらくの沈黙が続く。
私はテレビに気を取られながらも病院に行った日の宿題を今日半ドンで帰宅して、やる気が残っている内に取り掛かろうとしていた。
「ありがとうございました。今から向かいます」
そう義母が言って電話を切った後、その場で崩れ落ちた。
私は駆け寄りどうしたのか聞くと...
「敏雄さんが取引先で...倒れたって...今◯◯病院だから急いで来てくれって...」
義母は今にも消え入りそうに言った。
その後...あり得ない事が立て続けに起こった。
病院に着き遺体の元に案内され医師から劇症肝炎で倒れた後、数時間父は誰にも気付かれ無かった事を伝えられた瞬間、眼の前で義母は倒れそのまま帰らぬ人となった。
私も義母が【白目を剥き膝から崩れ落ちる所】を見て気を失った。
私が気を失っている間に耕にぃが病院に来て、両親の死因を詳しく聞いたそうだ。
だが私はこの時正気を保てず発狂状態で、そのまま心療内科に入院する事となったらしい。
私は今でもその時の事が思い出せないが、そのおかげで早く退院できた。
そして私が両親の死因を詳しく知るのは...耕にぃの遺品を見た時だが...
ソレはもう少し後の事だ。
.........そう..........
........もう少し.........
.........後に..........
「耕にぃ、いつ引っ越してたの?」
私が聞くと「まだ10日も経ってないよ」と気の無い返事が返って来た。
私は制服に袖を通し鏡を見ながら
「東京の制服って可愛いね♪ブレジャーだって」
「ブレザーな。ブラジャーは...まだいら「うっさい!!」んがっ?!」
私と耕にぃのやり取りを見て純玲が笑った。
「ブレジャーってなぁに?」
「さぁ?何だろな」
そう言いながら耕にぃに抱っこされる純玲を見て私も
「抱っこ〜♪」と言いながら抱きついた。
これからの3年間が家族と過ごす最後の時間になるのだと、この時はまだ考えもしなかった。
劇症肝炎はB型肝炎患者が最もなりやすいらしく正直恐いですが他にも考えたくない程恐い話を聞きながら治療に明け暮れたせいか感覚が麻痺してます。
普段は忘れてますが時折震えが止まらない時があり頻度は下がりましたが無くなりはしません。
医者は驚怖を与えない為だと思いますが物凄く淡々と告げます。
時折やるかやらないか、2種の治療法どちらが良いか等の二択を迫られ、医者の方が専門家なのだから良い方を勧めてくれと言えば、どちらもリスクがあるから後悔しない方をえらんでくれと究極の選択を迫られ...多分あの時私は鬱になってもおかしくなかったと思います。




