転勤族になりました
耕にぃは絶対安静の為、本来動いてはいけない状態でした。
幸い再手術等の必要はなく、再び安静にするだけですみました。
私の方はあの後高熱が出て、意識がハッキリしたのは2日後でした。
その為三人の葬式には出れませんでした。
実際我が家も御厨家も同じ養護施設出身なので親戚などは無く、弔問客は施設の職員だけだったと後から父に聞きました。
それと...今更だけど事故の原因は居眠り運転で信号無視して突っ込んで来たトラックに気付かず、私達の乗っていた車はトラックの下に潜り込んだそうです。
この時クラクションを鳴らした方が通報し、居眠り運転が原因だと証言して頂いたおかげで(私達の車の)ブレーキ痕が無くても全額相手持ち(正確には運送会社)になりました。
私はこの時そのクラクションが無ければ、事故は防げないまでも回避出来ていたのではと恨みそうになりました。
実際その通報した方が
「私がクラクションを鳴らさなければ...」
と言いかけた時、憎悪にかられましたが耕にぃが
「あれが無かったら私はトラックに気付けず、沙織を助ける事も、自分さえ守る事も、出来なかったと思います」
と答えた。その言葉を聞いて、通報してくれた方は泣いていました。
危うく私も善意に悪意で応える所でした。
この時、耕にぃは素晴らしい人だと私は改めて感じました。
そして数日後...
「耕にぃ♪」
私がにこやかに話しかけると
「...ちょっと...一人で食べれるから」
耕にぃは私の「あ〜ん♪」を恥ずかしがった。
「暇だし食べさせてよ」
私がそう言っても耕にぃは嫌がり続ける。
「誰も見てないから、ね?」
「いや父さんメッチャ見て「うっさい」るねんてぇ〜」
「ふふっ」
私と父のやり取りを見て耕にぃが笑った。
「早く元気になって一緒に帰ろうね♪」
私の言葉にビクッとした耕にぃは父を見て
「ほんとに良いんですか?」
と申し訳なさそうにした。
「良いに決まってるやん!帰ってからも、耕にぃの世話はウチがやるから!!」
「「いや...逆だから...」」
私のお節介に二人して水を差す。
「もぅ!なんでよ〜」
私がむくれると二人して笑った。
こうして耕にぃはお隣のお兄ちゃんから本物の兄になりました。
父と養子縁組を済ませた耕にぃは退院後即、父の勤め先に引っ越す事になりました。
先に退院していた私は、転校先で既に通学しています。
「一人はツラいよぉ」
二人の前で歓んでみせているのが半分本当の事に、私の心は耐えられないのか、グチャグチャで自分で自分が分からなくなっていました。




