第4章 はじめての町門
塔を出ると、石畳の先に大きな門が見えた。人と荷車。声と砂埃。
「ここが町門」セラが指す。「登録して、通行札を取る」
「刻印、見せるの?」
「原則は。――※二で“救護中”を付ければ、照合は浅くできる」
「浅く?」
「深く見ると、帳面が鳴る。今は避けたい」
列に並ぶ。門番が札を刻む。鉄の匂い。
「緊張してる?」カイトが横目で笑う。
「少し。任せて、って言いにくい場面」
「言わなくていい。必要なときだけ言え」
前の荷車が止まった。商人が札を出す。門番が眉を寄せる。
「印影が薄い。再押印」
「急いでてね」商人が肩をすくめる。
セラが小声で言う。「さっきの侍祭と同じ器。偽造印章器」
「通る?」
「通る前に、崩れる」
私たちの番。門番は年配で、目が優しい。
「用件」
「救護」セラが軽く礼をする。「※二、適用。刻印は浅見で」
「了解。――お嬢さん、胸の印を」
「ここ」私は襟を少しだけ下げる。
門番の目が一瞬だけ細くなる。
「逆向きか。珍しい」
「問題ある?」
「ない。強い支援は、町にとっては福だ」
「……ありがとう」
「ただし」門番が声を落とす。「最近、徴収者が近い。帳面の音が夜に響く」
「聞こえるの?」
「耳ではなく、骨で。年寄りは敏い」
と、その時だった。門の外側で悲鳴。荷車が横倒し。袋が割れ、黒い影が散った。
「灰鼠!」誰かが叫ぶ。
門番が槍を構える。「閉門――!」
「間に合わない」カイトが鞘を外す。
「任せて。二語、短く」セラの視線が合う。
「任せて。――強化」
足が軽くなる。
「保護」
皮膚に薄い膜。
「カイト」
「行く。間合い、詰める」
灰鼠が牙を鳴らして跳ねる。私は胸の熱を指先に流す。
「偏向」
飛びかかった軌道がずれて、石畳に歯が砕ける。
「今」
「今」カイトの刃が弧を描き、二匹を払う。
袋の奥からまた二匹。
「数が合わない」セラが囁く。「荷印が偽だ。内側から出てる」
「内側?」
「門の中に巣がある。閉めれば増える」
門番が逡巡する。町の人が後ずさる。
『借りる? 返す? まだ足りない』白い声が、肩の上で笑った。
「足りないのは、私の度胸」私は息を吸う。
「セラ、合図ちょうだい」
「指一本で“止まれ”。二本で“通れ”」
「了解。――共援」
空気が澄み、私と門番とカイトの歩幅が揃う。
「門番さん、槍の角度、半握り下げて」
「こうか」
「そう。通れ」セラが指を二本。
カイトがくぐり、槍の下で灰鼠を切り落とす。
「止めて」セラの指が一本。
「――冷却」
巣穴から吹いた熱気が一瞬でしぼみ、鼠の脚が鈍る。
「今!」
門番の槍が突き、カイトの刃が返る。小さな悲鳴が止む。
「中庭側、まだ匂う」カイトが鼻を鳴らす。
「内側に、もう一袋」
「探す?」
「探す。だが門は開けたまま。人を通しながら処理」セラが手を振る。「言い方で混乱を小さくする」
門番が頷き、声を張る。
「通行は細く続ける! 足元を見るな! 前だけ見ろ!」
「言い方」私は笑う。
「効く」セラも笑った。
裏の物置。鍵は壊れている。嫌な匂い。
「中にいる」カイトが囁く。
「開ける?」
「任せて。――保護」
「俺にも」
「分ける。――共聴」
胸の熱が静かに広がり、耳に白いノイズが混ざる。
『きれいだね。帳面が白い』
「うるさい」
「行くぞ」カイトが頷く。
扉を蹴る。灰鼠が散る。狭い。奥に巣。
「詠唱は短く」セラの指が二本。「通れ」
「強化」
私は低く滑り、巣の中心に指を触れる。
「封鎖」
石の目地がきゅっと鳴り、巣穴が輪のように閉じた。
「そんな術、見たことない」セラが目を丸くする。
「私も。口が勝手に」
「逆流型――供給が内から回ってる。記録にない」
『記録にない。いいね』
静かになった。外で拍手。門番が笑っている。
「助かった。礼がしたい」
「礼は、言葉で」セラが首を振る。「書類を早く」
「わかった。通行札を三枚。聖印は薄押しにする」
「薄押し?」
「追跡は弱い。逃げやすい」門番は小声で言った。「徴収者の夜は長い。君らは軽く走れ」
「助かる」カイトが頭を下げる。
「ありがとう」私も頭を下げる。胸が温かい。
札を受け取り、門を抜ける。石畳の向こうに市場。色。匂い。声。
「町に入った」
「入った」カイトが息を吐く。
「まず宿。それから仕事」セラの目が笑わない。「ヴァルグに“借り”を作らせないための仕事」
「借り、か」
『借り、好き』白い声がまた笑う。
「うるさい。私は選ぶ」
「選べ。言葉で」セラが紙片を渡す。「条文※の抜き書き。覚えやすいように短くした」
「任せて。短いの、得意」
石畳を三つ曲がると、路地に小さな看板。月の形。
「ここが宿?」
「安全。耳がいい主人がいる」
「耳?」
「帳面の音が聞こえる人。――夜になれば、あなたにも少し聞こえる」
「少しなら、いい」
「いい。“少しずつ”は、強い」
――その時、塔の上で鐘がひとつ、低く鳴った。
――帳面の棚がまためくられる音。私の名前の隣に、細い線が一本増えた気がした。