表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/30

第3章 小さな取引

 中庭の小部屋。窓は高く、小さな噴水の音だけが入ってくる。

「条件は一つ」セラが椅子を引く。「危ない場面では、私の指示を優先。いいですね」

「命令口調」

「お願いです」

「……任せて」

 カイトが壁にもたれて腕を組む。

「取引の中身を」

「リラの“声”を半分だけ私に寄せる。私が受け皿になる。代わりに、保護と庇護、そして帳面処理を私が持つ」

「帳面、って」

「因果の帳簿。あなたの“怖さ”が積もる前に、分ける」

『分けっこ、いいね』白い囁きが笑った。

「やっぱり聞こえる」

「今は私だけ。――始めます」


 セラは掌を差し出した。白い紙片に小さな※が並ぶ。

「※三、“支援術の連帯”。二人以上で共有した場合、その負担は按分される。――簡易式なら二語でいい」

「二語?」

「あなたが言う。私が受ける。タイミングは、今」

 私は息をそろえる。胸の印が熱を帯びる。

「――共聴」

「――分担」


 空気が柔らかく震え、耳の奥の白いノイズが少しだけ遠のいた。

『あ、分けられた。賢い』

「……聞こえる?」私はセラを見る。

「聞こえる。輪郭が曖昧。人じゃない、でも君に似てる」

「似てる?」

「後で言語化します。今は――質問していい?」

「どうぞ」

「“共援”って、どこで習った?」

「知らない。口が先に動く」

「なら、あなたの印は“逆流型”。内に集めてから外へ配る。支援術師に稀にいる。……けど、出力が高すぎる」

「高すぎる?」

「普通は痛む量。あなたは痛くない。例外に触れてる」


 扉が小さく叩かれた。修道士が顔を出す。

「セラ、上が動きました。査問官ヴァルグが来ます。聴聞室の準備を」

「時間がない」セラが立つ。「移動しながら話しましょう」

 私たちは廊下へ出る。冷たい石。遠くで鐘の余韻。

「ヴァルグ、怖い?」

「強い」カイトが短く答える。

「敵?」

「敵とも味方とも言わない。――間合い、詰めるのが上手い人だ」

「私と同じ?」

「お前より、厳しい」


 曲がり角。黒外套ではない、灰の外套が立っていた。若い侍祭。

「通行証を」

「聴聞に向かいます」セラが札を見せる。

「その札、古い」

「昨日の版です」

「今日の版しか通さない」

 侍祭の手が袖に潜る。見慣れない小型の印章器。

「嫌な匂い」カイトが呟く。

「なにが?」

「印章器じゃない。拘束具だ」

 侍祭の口元が歪む。「未契約者、確保」

 彼が詠唱する。「束縛」


「任せて。――偏向」

 透明な輪が角で滑り、壁に食い込んだ。

「バレたか」侍祭が舌打ちする。「なら、こっち」

「沈黙」

 音が半歩だけ遠のく。私の声さえ布で包まれたみたいに小さくなる。

「魔法が――」

「通りづらい。けど、通る」セラが囁く。「リラ、二語。短く重ねて」

「任せて。――強化、保護」

 身体が軽く、皮膚が厚くなる感覚。

「カイト」

「わかってる。間合い、詰める」

 彼は半歩出て、刃を寝かせる。侍祭の手首へ触れるだけの一撃。

 金属音。印章器が弾け、床を転がる。

「黙ってれば通れたのに」

「脚注を読まないからだよ」私は息を整える。

「※二、救護の通行は妨げられない」セラが淡々と言う。

「“救護じゃない”だろ」侍祭が反論する。

「“救護です”。あなたが今、術で私の聴力を奪ったから」

 侍祭が詰まる。「屁理屈」

「条文は言い方で決まる、と何度も」

 彼は歯噛みして道を開けた。

「内通?」カイトが小声で聞く。

「たぶん。印章器も規格外。……上が荒れてる」


 聴聞室の前。扉の上に古い紋。

「ここ?」

「ここ。ヴァルグは待たない」

『待たない人、好き』白い囁きが甘える。

「うるさい」

「声、まだ強い?」セラが覗き込む。

「半分になった。ありがとう」

「なら守れる。――ただ、ひとつだけ忠告」

「なに」

「ヴァルグは“正義の言い方”が上手い。言葉で負けないで」

「得意じゃない」

「私が横で支える。合図はこの指」

 セラが親指を軽く立てて見せる。

「わかった」


 扉に手をかけた瞬間、床がかすかに震えた。塔の奥で、何かが開閉する重い音。

「地の底?」

「いや、帳面の棚だ」セラが顔色を変える。「なにか、大きい借りが動いた」

『帳面、めくれた。君のページ、きれい』

「どういう意味」

『借りが少ない。返し方が上手い』


 私は掌を握る。震えはない。声も半分。

「行ける?」カイトが問う。

「行く。任せて」

「剣は使わないで済むといいが」

「話す。短く」


 扉が内へ開く。冷たい空気。円卓。香の匂い。

 黒外套の影。高い背。灰色の瞳。

「入れ」

 低い声が落ちる。

「――ヴァルグ査問官」セラが礼を取る。

「聞く。転移者、お前の名」

「リラ」

「刻印はどこだ」

「胸」

「見せろ」

 私は襟を少しだけ下げる。逆向きの矢印が、弱く光る。

 ヴァルグの瞳が細くなる。

「逆流型。珍しい」

「捕まえる?」私は訊く。

「捕まえない。――理由があれば」

「理由、ね」

「条文※二、※三は理解している」ヴァルグは指で卓を、とん、と叩く。「では問う。声は、聞こえるか」

 心臓が一度だけ強く跳ねた。

「……聞こえる」

「どんな声だ」

「白い。人じゃない。でも、私に似てる」

 セラが小さく頷く。

「よろしい」ヴァルグが椅子を引く音。「交渉だ。私がお前を守る。代わりに、お前は私に一度だけ借りを作れ」

「借り?」

「帳面に、私の名で」

 白い囁きが、耳の奥で笑う。

『やっと面白くなってきた』

「どういう意図」カイトが低く問う。

「塔都が揺れる。借りの出どころを追う必要がある。――転移者、お前は鍵だ」

「鍵?」

「鍵なら、扉をひらく。だが、鍵は折れる。守る義務が生じる」

 言い方が上手い。セラが親指を立てる。私は息を整えた。

「私の条件」

「言え」

「誰も灰にしない。私の目の前で」

 ヴァルグは短く笑った。

「難しい。だが、試みる。――交渉成立だ、今のところは」


 その瞬間、窓の外を白い羽が一枚、静かに横切った。

 胸の印が、ありえない色で一度だけ跳ねた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ