第2章 刻印のひかり
AI作者です
塔門の影に立っていた白い影は、近づくと修道服の少女だった。年は私と同じくらい。目だけが静かに鋭い。
「止まってください」
黒外套は追いついてこない。門内の兵が手で制したからだ。
「査問では?」とカイト。
「手続きが先です」白い少女は淡々と答える。「私はセラ。教会の修道魔導士。……刻印の確認を」
「見せる義務はある?」
「禁忌条文第七項。未契約刻印の携行は灰化。ただし――※二、『救護目的の一時保護は除く』」
※。カイトがわずかに口角を上げた。
「読んでるやつがいた」
「仕事ですから」セラは私を見る。「あなたの名は」
「……リラ、でいい?」
「いいです。胸の、光りましたね」
「見えた?」
「鐘の間で共鳴しました。普通じゃない色でした」
胸の印が、呼ばれたみたいに脈を打つ。
『借りる? 返す?』
白い囁き。私は肩をすくめる。
「今の声は無視して」セラが先に言う。「徴収者の波形に似てる。けど、違う」
「似てる?」
「詳しくは中で。……通して」
門番が頷き、私たちは塔門の中へ足を踏み入れる。石畳が乾いていて、足音がはっきり響く。
廊下の先で、黒外套が行く手を塞いだ。さっき森で見た紋章。若い査問官が二人。
「修道士セラ、引き渡せ」
「条文※二に基づく保護中です」
「命令は上だ」
若い方が杖を上げる。「拘束」
空気が編まれ、透明な縄が足首に絡む。
「悪い」カイトが囁く。「切る」
「任せて。――偏向」
縄の張りがわずかに逸れ、カイトの刃がその隙を斬り落とす。乾いた音。
「やめてください」セラの声が硬くなる。「ここで戦うのは条文違反」
「お前は誰の味方だ」査問官が睨む。
「※に味方してます」
「屁理屈だ」
もう一人が詠唱する。「束縛」
今度は腕に冷たい輪っか。私は息を吸い、胸の印に触れる。
「保護」
薄い膜が輪の内側から震え、金属音のような響きを立てて外れた。
「解除速度、速い」セラが呟く。
「偶然、だと思う」
「偶然にしては再現性が高い」
「抵抗は処分対象だ」若い査問官が一歩出る。
「待て」カイトが前に出る。「話で済ませたい」
「済まさない」
「じゃあ、短く」私は言う。「――強化」
視界が開く。カイトの足が半拍早くなり、突き出された杖の角度を刃の背でそらす。
「やめなさい!」セラが手を打つ。「静止」
空気が固まり、互いの距離が一瞬だけ固定された。
セラは素早く条文を唱える。「※二、救護目的の保護は査問権に優先。違反すれば“職権乱用”の付記がつきます」
「付記?」査問官がたじろぐ。
「あなたの帳面に傷がつく。……どっちがいいですか」
黒外套たちは顔を見合わせ、杖を下ろした。
「……一時保護の責任は取れよ」
「取ります。書類は私が書く」
彼らが去ると、空気がやわらぐ。私は息を吐いた。
「助かった」カイトが頭を下げる。
「仕事です」セラは肩をすくめる。「それにあなたたちに興味がある。……特に、リラ」
「私、何か変?」
「変。印の向きが逆。光の色も逆。外へ流すはずが内へ集まる。支援術師の強化型」
「支援しか、ないよ」
「“しか”が一番強いとき、あるんです」
彼女は歩き出し、私たちを塔の中庭へ導く。小さな噴水。冷たい水音。
「ここなら落ち着けます。質問、いいですか」
「どうぞ」
「森で、“二語”以上の詠唱はしました?」
「してない。二語ばかり」
「正しい。短いほど因果の摩擦が少ないから」
「摩擦?」
「代償の熱。普通は痛む。あなたは痛くない顔をしてる」
「……痛くない」
「なら、※三の例外かもしれない」
「※三?」
「“支援術の連帯”。二人以上での共有契約。帳面の負担が分散する。あなたは自然にそれをしてる」
自然に。私はカイトを見る。彼は照れくさそうに視線を逸らした。
「さっきの“共援”って言葉」セラが笑う。「初めて聞いた。記録にない。……でも、現象は出てる」
『記録にない。いいね』白い囁きがくすくす笑う。
「黙って」私は小声で言う。
「今のも、声?」
「うん。私には、聞こえる」
「だったら早めに手当てを。声は借金取りに近い」
「徴収者?」
「そこまで黒くない音。でも、似た匂いがある」
セラは修道服の袖から細い紙片を出した。小さな星印が並ぶ。
「禁忌条文の脚注、抜き書きです。あなたに関係するのは二つ」
「二つ?」
「※二は今使った救護の例外。※三は“連帯”。そして――ここが矛盾」
セラは紙の端を指で叩く。
「“未契約印は灰化”。“ただし救護目的は除く”。“ただし連帯は契約とみなす”。――救護と連帯が重なると、条文が自己衝突する」
「自己、衝突」
「どちらを優先しても、抜け道が開く。だから、あなたは今、法の内側にも外側にもいる」
「内と外、両方」
「その境目は、言い方で決まる。だから言葉を選んで」
「選ぶの、得意じゃない」
「練習しましょう。……ひとまず、身を隠す部屋を手配します」
中庭の回廊に影が差す。別の修道士が駆け寄ってきた。
「セラ、査問官が戻ってきます。上からの命令で再確認を」
「早いですね」
「ヴァルグ様の名が出ました」
カイトの肩がぴくりと動く。
「知り合い?」
「……前に世話になった人だ」
「世話?」
「剣の話は、あとで」
私は胸に手を当てる。印がまた温かい。
『返す? 借りる? どちらでも、まだ足りない』
「うるさい」
「本当に聞こえるんだね」セラは真面目な顔で言う。「その声、私に半分だけ分けられる?」
「分ける?」
「連帯が本当なら、聞こえ方を薄められる。私が受ける。その代わり――私の条件を一つだけ飲んで」
「条件?」
「私と、小さな取引をして。あなたが無事なうちに」
――塔門の外、鐘が再び鳴った。
――ヴァルグの名と、取引の二文字が、同時に胸に落ちた。