誕生日
ルイスはエレナの執務室のドアの前に立っていた。
もう何度もこのドアを開けているのに、今日は憂鬱じみた躊躇いがあるのだ。
理由は、昨日のエレナの話にある。
エレナの生い立ち、日頃抱えている自虐心、それらが赤裸々に語られた。
果たしてルイスは、普段通りエレナに接することができるだろうか。またエレナは、普段通り接してくれるだろうか。
「失礼します」
意を決して部屋に入ったルイスを、窓際に立ったエレナは凛々しく迎えた。
「おはよう。ルイス」
いつものエレナだ。凛とした表情、よく響く声、ただし、纏う空気はいつもよりも柔らかい。
第一、いつもなら仕事をしながら声だけで挨拶するところを、名前を呼びながら目を合わせてくれている。
「…おはようございます」
「どうした、元気がないな」
「そう言う大佐は、なんか良いことありました?」
「何だそれ、別にないよ」
軽く微笑みながら言うエレナに、やはり違和感を覚える。
「具合が悪いのか、何か良からぬことを考えているか…」
「聞こえているが」
わからない。何故こんなにも機嫌がいいのか。
「あぁ、それから、今日から通常の業務もなるべくこの部屋で行うこと。いいか?」
「え?」
驚くのも当然のこと、これまでは有事の際は呼ばれてくるのが当たり前で、いたとしても数十分ほどなのだ。
「何で…」
「何でもだ。命令だからな」
半ば強制的に話を終わらせられ、ルイスは自分の事務用具を執務室へと運んでいた。
いつのまにか執務室にはルイス用の机が運ばれており、以前から決めていたようだ。
頭のいい人の考えることはわからない。人が往来する司令部の通路を歩きながら、ルイスはエレナの真意を考える。
思考が深くなりすぎたのだろう。周りを見ることが疎かになっていた。
そして、何者かと肩がぶつかる。
「すいません!」
「気をつけたまえよ。…おや」
聞き覚えのある声に引かれて、顔を上げる。
そこにいたのは、帝国陸軍元帥にしてエレナの父親、カリスであった。
「いつぞやの大尉殿ではないか。わしの金で食う飯はうまかったか?」
そう言って快活に笑うカリスに、ルイスは愛想笑いを返すことしかできなかった。
「その節はどうもありがとうございました。覚えていただいているなんて光栄です」
「人の顔を覚えるのは得意なのだ。近しい人間なら、誕生日まで覚えてる」
跳ね飛ばすように笑いながら話すカリスを見て、先日の、ケーキの箱を持って泣く子供、声を荒げるエレナの顔を思い出した。
堪忍袋を小突かれているような感覚に、とても耐えられなくなった。
「元帥は、御息女の誕生日は覚えていらっしゃいますか?」
カリスはふと驚いたような表情をすると、すぐに顎に手を当て、考えるような仕草をする。
「そうだな…7月の」
「8月の22です」
この人は、エレナの言う通りの人なのだと、確信した。心のどこかでは昼飯を奢ってくれた気さくな元帥と、エレナが話す父親としてのイメージが合わなかった。
「そうか、8月か。忘れていたよ」
「では、私はこれで」
自分で聞いていても、恐ろしいほど抑揚のない声だった。幻滅か失望か、限りなく無色透明な気持ちが、そこには含まれていた。
虚しい気持ちで、執務室に帰っていく。
「戻りました」
「おかえり、…何かあったか?」
顔に出ていたのか、それとも上司の勘なのか、どっちにしろ、わかってしまうものなのだ。
「いえ、特に何も」
先程のエレナの言葉を、そっくりそのままお返しした。




